美味しく頂こうって、鍋ですか?
なんとなくな和風ファンタジーです。
時代考証とかそういった難しいことは考えておりません。
コメディーです。タイトルからしてシリアスにはなりません。
私が生まれ育ったのは、山深い土地の小さな村でした。
そうは申しましたが、私自身はこの土地しか知りません。これは私の育て親の受け売りで……外の世界はもっと賑やかで、人と家屋で溢れているのだと、若い時分には都という処で暮らしていた育て親は、せがむ私によく昔語りをしてくれたものでした。
育て親は大層な変わり者だったと、世間を知らぬ私でも思います。都では名高い祓い屋であったという育て親は、世俗に嫌気がさし、この何もない田舎へとやって来たと仰っておりました。その点ひとつ取ってみても変わり者の範疇に含まれるとは思いますけれど、私のことを養い子と呼んで下っていた事に比べればなんということもないでしょう。
私は人間ではありません。
あやかしと呼ばれる人ならざる雑多な存在。そのなかでも『化け狸』と呼ばれるものでございます。
とはいいましても、私は物心付く以前の幼い頃に育て親に拾われ、その後ずっと人里で暮らして参りました。幼い頃より人の姿で、人にまざり暮らした私は、人に近しい価値観を持つに至りました。
同じ年頃の人を友と呼び、心穏やかな村の人々に見守られ歳を重ねた私は、多少風変わりな娘程度の認識で、受け入れられておりました。
育て親を亡くした後も、私の事をなにかれと気遣って下さった皆さまには……いくら感謝の言葉を重ねても足りる事はございません。
私は、この村が大切なのです。
ですから、この土地が例の無い天災に襲われた時……
村の皆から年貢が払えぬ、このままでは年を越せそうもないという嘆きがあがった時……
私は私に出来る事を考えました。
私は知っていたのです。藩主さまは慈悲深く、年貢を軽減して下さっているのだと。他の土地ではお救い米が配られ、皆の飢えを癒していたのだということを。
全てはこの地で悪政をしく、代官の手によって、それらの救いが妨げられていることを。
代官が死んだのは事故でした。
けれどもその引き金となったのは、恐ろしい巨大なけだものの姿へと化身した私でしょう。これで新しい代官が派遣されてくれば、前任者の不正を暴いて下さるはず。皆が救われるならば後悔はありません。
恐ろしいあやかしが代官を襲ったとの報を受け、祓い屋さまが都からいらして下さいました。巨大なけだものを前にしても凛とした整った顔に脅えはありません。このような山の中にも関わらず、白い足袋に土汚れのひとつも無い姿からも並々ならぬ術者であることが伺われます。
本当に良かった。
村の方々にお上への翻意など疑われてはなりません。代官の死は、あやかしにたまたま出くわしてしまったから。そうでなければならないのです。そうであれば、あやかしが祓われれば全てが終わるのですから。
何も抗わず討たれれば、疑念のもととなりましょう。けれど、この方なれば私ごときの牙も爪も、何の痛痒にもならないでしょう。
あまりの力の差故に、痛みも苦しみもなく意識を失うことが出来たのは、私へのなによりの慈悲でございました。
…… …… ……
……? ここは何処でしょう?
どうして、私は、本性を現しているのでしょうか。……前肢を見つめながら首をかしげます。私にとっては人の姿でいることのほうが『当たり前』……人の姿を取れなくなったことなど、幼い頃に流行り病で熱に倒れた時位のものです。何故だか妖力がまとまりません。どうしたのでしょう? ……こんなことは初めてです。
くるりあたりを見渡せば、私が居るのは竹で編まれた籠の中のようです。爪をたて底を掻いても、この獣の姿では穴を開けることなどとても無理でしょう。
……あれ?
何ですか、これは……?
私のしっぽに何か……?
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?
わ、私のしっぽにっ……術符がっ!?
これが原因で人の姿を取れないのですねっ……でも、そうではなくてっ……何で、何でっ、術符貼り付けてあるんですかぁっ!?
霊力的な呪ではありませんっ! 糊ですっ! 糊でべったりくっつけてあるんですっ!! わ、私の、艶々毛並みの自慢のしっぽにっ!!
しっぽを抱き抱えてカリカリ引っ掻いてみても、術符は剥がれる様子がありません。もう半泣きです。
人の姿をしていても、私は狸であるのです。しっぽは大切な私の一部。日々の手入れは欠かしておりません。艶々のふさふさが私のひそかな自慢でありました。そのしっぽに何て非道なっ……
うわあぁぁぁぁんっ!! 取れないですっ! 凄く『嫌』なものがこの上なく、嫌な方法でくっついているのですっ!!何ですかこれ、何ですかっ!?
必死でありました私は、いつの間にやら籠の蓋が開いていたことには気づいておりませんでした。
え……あ、ああっ!! 祓い屋さまですねっ!?
ということは、私はこの方に捕らえられたということですねっ。
……少し頭が冷えれば考えるまでもないこと。 どうやら私は退治されず、生け捕りとされてしまったようです。
……何だか、笑われているような気が致しますけれど、そんなことはあり得ません。私はあやかし。人に危害を為す、恐ろしいけだものなのです! 牙をむき、毛を逆立て威嚇致します。あやかしらしい、おぞましい姿でありましょう!
さぁ! どうぞ一思いに祓って下さいませ!
……え……?
ふぇ……? 今、なんと?
食らう。と、仰いましたか!? 私、食べられてしまうのですか!?
そ、それは、考えてもみませんでした。……だ、だから、退治なさらず、私を捕らえたのでしょうかっ!? ああああぁっ、何てことでしょう。お鍋ですかっ? 私、お鍋の具にされてしまうのですねっ……っ!!
お味噌でことこと煮込まれてしまうのですねーっ!!
籠の中の毛並みの良い狸が、自らの尾を抱えて必死になっている様子に、笑いを堪えるのがやっとであった風彰は、その狸が自分の視線に気付いて飛び上がった瞬間。限界を迎え、吹き出した。
肩を震わせ笑う風彰の姿を、常の彼の姿を知る都の者が見たならば目を剥くことだろう。
この狸は、義理の母のお気に入りであった尾を、ことの他熱心に丹精していたはずであったと。柄にもなく悪戯めいて術符を貼り付けてみたのだが、こちらの想像以上にお気に召さなかったらしい。
因みに糊を使ったこと自体には風彰に悪意は無い。呪を掛け、解くよりも、水に濡らし剥がすほうが容易いというずいぶんと乱暴な理由であった。狸にとっては災難としか言い様が無い。
そう、風彰は初めからこの旧知のあやかしを祓うつもりなど毛頭もなかった。もし万が一でも彼の知る『彼女』らしからぬあやかしへと転じていたならば、その限りではなかったが。
牙を剥いてこちらを威嚇しているつもりなのかも知れないが、涙目でぷるぷる震えたまんまる毛玉に気圧されるものなど全く無い。
(……ずいぶんと、久しぶりに笑ったものだな)
風彰は独白して、それまでとは異なる理由で表情を緩めた。
(本当にこやつは、毎度己の想像を越えてくる)
彼女は自分のことを覚えてはいないようであったが、それも詮のないことであろうと、風彰は思う。あの時は彼もまだ元服前の少年であったし、彼女に至っては人で言うならば五、六歳程度の外見の幼子であったのだから。
「本当に使役しておられなかったのですね」
あやかしと家族同然に暮らしているのだという噂を聞いた時には、半信半疑であったのですが。そう呆れた顔をした弟弟子に、その外見では歳を伺い知る事の出来ぬ女術師は、呵呵と笑った。
「こやつは儂の娘であるからの」
化性の証である尾を、短い着物の裾からはみ出させた幼子の頭を乱雑に撫でる。彼女はそんな義母の愛情の表し方に慣れているのか栗色の髪を乱されても嫌な様子を見せなかった。
師に付いてこの山里の庵を訪ねた風彰は、驚いていた。
師の事は、敬うよりも先に奇特な人物であると思っていた。大妖とあるやんごとない貴人との間に生まれ、迫害されることこそなかったが、持て余されていた自分を弟子として引き取った師。よくぞまあ好き好んで、こんな厄介な者を抱え込んだと自らのことながら思ったものだ。
だが師の姉弟子は、そんな師以上の奇特な人物であるらしい。
退魔を生業とする一門の当主が頭を垂れる数少ない存在でありながら、本来なら祓うべき対象たるあやかしを養女として扱っているというのだから。
「儂はこやつと少々話がある。面白くも無い話じゃからな、お前は外で遊んでおれ」
「……風彰。あなたも共にお行きなさい」
幼子と同等に扱われるのは不服であったが、師の様子から自分に聞かせるにはまだ早い類いの話なのであろう。
直ぐそれを悟った少年は、静かに師に一礼してその場を退いた。
ゆらゆらとふさふさした尾が揺れる。
ちょこちょことあちらこちらを行き来する幼子は、時折立ち止まると提げている小さな籠に採った草を入れている。
「……何をしているのだ?」
思わず呟いた風彰に振り向いた幼子は、無邪気そのもののあどけない顔で彼を見上げた。
「こん晩のお菜になります。ぜんぶ、おいしいですよ。」
都育ちで草摘みの習慣の無い風彰には、周囲の草花の差異など見当も付かないが、よく見れば籠の中身は幾つかの種類の物を選んでいるようであった。
「かかさまが教えてくださいました」
痛みも苦しみも知らぬような、ふくふくとした頬で微笑む幼子の姿に、風彰は何だか無性に苛々した。
彼が苛立ちという形であっても、他者に心を動かすというのは稀有なことであったのだが、歳の割には聡い風彰であっても、そう自らを客観視できる程大人ではなかった。
「……何故、お前は尾を隠そうとしない」
苛立ちを秘めたままの声音はずいぶんと、つっけんどんなものであったのだが、幼子は気にした様子はなかった。狸の化性の証そのもののそれを左右に大きく振ってみせる。
「これがわたくしであるからです」
にこやかに微笑んだままで、幼子は言う。
「わたくしはわたくしのままで良いのですと、かかさまはおっしゃいました。わたくしはかかさまの娘として、かかさまの言葉に恥じ入ることのないようつとめるだけです」
その幼子の姿に、風彰は毒気を抜かれた。この小さな頭で何も考えず太平楽に過ごしているだけではないらしい、と。
「お前、名はなんと言う?」
だからそれは、風彰なりの敬意の表し方であった。『お前』ではなく『一個人』として見たが為に、その象徴たる名を尋ねたのだ。
幼子はにこやかな笑顔のまま、誇らし気に自らの名乗りをあげた。
「たまも、ともうします」
不意討ちの一撃であった。
吹いた。
「た、玉藻?」
自ら口にし、その漢字を当て嵌めればなおのことその笑いの発作は、その威力を増した。
祓い屋を志す者はおろか、そうでない者でも聞いたことがあるであろう。金毛九尾の大妖の名『玉藻の前』……言わずと知れた、狐の大妖である。
その名を。
狸なのに。
狸なのに。
一度笑い出したことで、笑いの沸点が下がってしまったらしく、目の前の狸が大きな丸い目でこちらを見ながらその尾を忙しなく振る姿に、また笑いが沸き上がった。
息を調え、目尻の涙を拭う。笑いで涙が出ることも、震えた腹が痛むことも初めての経験であった。
「す、すまぬ」
人ならざる幼子に対して、謝罪の言葉を素直に口にしたのは、自ら名を尋ねておきながら、よりにもよってその名で笑い転げる事がどれだけ礼を欠いたことであるか、風彰も重々承知しているからであった。声は震えてしまったが。
「いいえ」
だが、幼子は、驚きの表情を一転させると、どこか晴れやかな満面の笑顔を風彰に向けた。
「たまもの名ひとつでなぐさめになれば。それは何よりのことでございます」
それは未だ幼いものの、慈愛に溢れた表情で。
風彰を強く惹き付け、この小さな少女を印象付けるに充分な姿であった。
ほんの数刻もたたない間に、憑き物が落ちたような表情となった弟子の姿に、彼は驚いて姉弟子を見つめた。
多忙な彼がわざわざこのような田舎まで姉弟子を訪ねたのは、ご機嫌伺いだけではない。稀代の才を持ちながらも、その自らの出生の経緯故に、人の中に溶け込めず、あやかしからは畏れられる自らの弟子。その彼への接し方についての助言を乞う為であった。
弟子は自らの片親であるあやかしに、縛られている。自らがそうであるからこそ、周囲もそれに過敏となるのだ。そうわかっていても、子を持った事のない彼には、未だ幼さ残る少年をどう導けば良いのか、見当も付かぬことであった。
それが呪いの類いであれば彼に解けぬものなどないというのに、なんとももどかしいことと思う。
だからこそ、あやかしの子を自らの娘として育てているという姉弟子の元を訪れたのだ。何か糸口になるものでもあれば良いと。
その彼の心境を置いてきぼりにして、弟子は、見たこともないような穏やかな表情で、幼いあやかしの子の手を引いている。軽く嫉妬を覚える程容易く、この幼子は、弟子の心の内側に入り込んでしまったらしい。
弟弟子の手土産の酒を湯飲みであおっていた姉弟子は、可笑しそうににやにやと笑っていた。
あの頃の自分は、不器用に生きていたと風彰は思う。
だが、あの小さなあやかしとの出会いでそれが少しだけ変わった。
自分よりも稀有な存在がありのままに生きている姿には、嫉妬と憧憬を覚え……そして、何かが吹っ切れたと思う。
歳を重ね、周囲との距離の取り方を学び。師の立場を継ぎ、施政者にも一言物申せる立場となった。
本来ならば、一門の当主である風彰が、こんな片田舎のあやかし退治などにその腰を上げることなど無いのだ。それなのにわざわざ出向いて来たのは、此処が『彼女』の棲む地であったからであった。
前当主の姉弟子に育てられた、年若くとも大妖と並ぶ妖力を備える彼女の縄張りである以上、この辺りに手を出すあやかしはは存在しない。ならば代官に仇なしたあやかしとは、彼女以外に他ならない。もし、そうでないというなれば、彼女が無事であるとは思えなかった。彼が直々に手を降す理由となるであろう。
(……幾人もの者が、己の元に嘆願に来たと知れば、こやつはどのようにするかな)
あやかし退治に来た都の高名な祓い屋に、幾人もの村人達が願ったのは、彼女の助命であった。
同じ人間である代官の悪行を訴え、あやかしである彼女は無害であると、退魔を生業とするものに口々に訴えるのだ。彼女と面識の無い己以外の祓い屋が訪れていたならば、面食らったことであろう。
愛されていたらしい、と風彰は思う。
あやかしでありながら、人に混ざり、人に愛されている玉藻。
あやかしでありながら、人を愛する玉藻。
この風変わりなあやかしなら、人でもあやかしでもない者ですら、愛してくれるのかもしれない。
狐の化身のような傾国の美貌の主ではないが、春の花のような愛らしい娘であるという。
(尾を隠せるようになったのか?)
そうであれば、
「己が食ってしまうのも、一興かな」
玉藻と共に在れば退屈することも無さそうだ。半妖の自分が、あやかしを嫁にするのも、ひとつの道理であろうとも。
ああああ……お肉だけでは体に良く有りませぬっ……お野菜も沢山入れて下さいませね……
どうせ食べられるのなれば、せめて、せめて美味しく召し上がって下さいませっ……
ぷるぷる涙目で震える玉藻の考えるのと異なる方法で、彼女の望んだ通りに『美味しく頂かれて』しまうのは、
もう少しだけ先の物語。
ヒロインが毛玉って需要あるのでしょうか……?
拙作に貴重なお時間頂き、誠にありがとうございました。多少なりともニヤニヤして頂ければ幸いです。