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インビジブル・ラブ  作者: BUTAPENN
chapter 1 幽霊と刑事
4/48

chapter1-4

 愛海はまだ頬を染めながら、玄関のインターホンで安藤みずほの部屋番号を押した。

「あ、あの、安藤さん。南原署刑事課捜査一係の小潟です」

『また、あんたなの?』

 聞き覚えのあるハスキーな声が、スピーカーを通して響いてくる。

「朝早くからすみません。でも、どうしても水主さん殺害事件のことで、お話がうかがいたくて」

『なにも話すことなんてないわ。お帰りください』

「ご存じのことだけでいいんです。思い出せる範囲の……」

『あいつのことなんて、思い出したくもないって言ってるでしょ!』

 そのヒステリックな叫びを聞いているうちに、予想もしなかったことが起きた。

 俺の霊体が、スピーカーの中に吸い込まれ始めたのだ。

 いつのまにか、俺は部屋の天井のあたりにふわふわ浮いていた。そして、すぐ眼下にはみずほが立っていた。

 安藤みずほ。かつての、俺の獲物だ。まるでゲームのように、俺はこいつを落とすことに夢中になっていた。

 俺がそばにいることなど気づきもせずに、黒のランジェリー姿でインターホンに向かって怒鳴っている。腕組みをして、自分のひじに爪を立てて。イライラしたときに見せる、いつもの癖だ。

『せめて、水主淳平に対する詐欺の被害届だけでも出していただきたいんです』

 愛海の頼りなげな声は、まだスピーカーから続いている。

「被害届が出れば、別件の名目で捜査がしやすくなるから?」

 みずほは、嘲るような調子で答えた。

「ハ、ごめんだわ、誰があいつの犯人探しなんかに協力するもんですか。殺されていい気味よ」

 予想はしていたが、あらためて言葉として聞くと、さすがに痛い。

「みずほ」

 彼女に呼びかけた。

「恨まれるのはあたりまえだ。俺は金のために、おまえをもてあそんだんだからな」

 聞こえていないのは承知のうえだが、何かを言わずにはいられなかった。

「だがな、死んじまった今はもう金も返せないし、おまえに殴られてやることもできない。せめて、早く俺のことは忘れてくれ」

 インターホンの受話器を叩きつけるように戻したあと、みずほは、しばらく動かずに立ち尽くしていた。

「バカ野郎……」

 頬をひとすじの涙が伝い落ちる。

 それを見た途端、俺は意識を失い、現世から溶け出した。


「これはまた、面白い現象が起こったの」

 気がつくと、太公望のおっさんが覗きこんでいる。いつのまにか俺は霊力を使い果たして、『はざまの世界』に戻ってきてしまったらしい。煙のようになった身体が、宙にふわふわと浮いていた。

「いったい――あれは何だったんだ」

「『霊指』の波動というのは、電気エネルギーによく似ておるのでな。おまえさんが、あのみずほという女に会いたいと念じたとき、電気の波に共鳴してインターホンの向こうへと自分を転送した、というわけだ」

「そんなことを念じた覚えはないぞ」

「そうだったか? おまえさんはよほど彼女に謝りたかったように見えたが」

 自分のことは自分ではわからんものじゃて、などと言いながら、また嬉しそうにニヤついている。

 どうもこいつは、俺がとまどうのを見るのが楽しいみたいだ。



「あーっ、やっと出てきた」

 愛海は俺を見つけたとたん、椅子から立ち上がった。

「いつも突然いなくなっちゃうんだから。ひとこと断ってから消えてよね」

「どうでもいいが」

 俺はあたりを見回した。「ここはどこだ?」

「小潟くん」

 正面にいた見覚えのある中年男が、腹の底からしぼりだすような怒声を上げた。あの夜会った、加賀美係長だ。

「いったい、誰に向かってしゃべっておるのだね?」

「は、はい、えーと、あのう」

 ずらりと並んだ、むくつけき男たちが、哀れむような目で彼女を見ている。

 どうやら、俺は南原署の捜査会議のまっただなかに現れてしまったらしい。


「あー、さんざんな目に会った」

 会議が終わって四方に散っていく刑事たちから離れ、吹き溜まりのような廊下の片隅で、愛海はしょんぼりと背中を丸めながら、紙コップのコーヒーをすすった。

「だいたい、会議の途中に、いきなり出てくるあんたが悪いのよ」

「俺を見ても、いちいち大声を出さずに黙ってりゃすむことじゃないか」

 そもそも俺は、出てくる時と場所を自分で選んでいるわけじゃない。

 現世に飛ぶ直前、俺は愛海のことを思い浮かべる。最初は白い首筋を思い浮かべていたが、今は、つんと上を向いた鼻先。そうすると、彼女がいるところに現れる。

 それ以外のものでは、役に立たない。愛海は、俺と現世とをつなぐ、ただひとつの結び目なのだ。

「朝から出てくるなんて、変な幽霊」

 まだぶつくさと続く文句を聞いていると、廊下の向こうからひとりの恰幅のよい男がやってきた。俺はそいつを一目見て、凍りついた。

 とたんに愛海は立ち上がり、ピンと背筋を伸ばして会釈した。男は偉そうにふんぞりかえりながら、通り過ぎていく。

 俺はありったけの嫌悪をこめて、そいつを睨みつけた。相手は何も感じていないだろうが。

「……あれは?」

「渡良瀬警視正。この南原署の署長よ」

「署長……15年見ねえうちに、偉くなったもんだな」

「知ってるの?」

 知ってるなんてもんじゃない。

「あいつは、俺の親父の仇だ」

「ええっ」


 15年というのは長い月日だ。憎しみという生々しい感情はとっくにすり減っているが、腹の底の底には冷えた塊が化石となって堆積している。

「俺が高校生のとき、親父が殺人容疑で逮捕された。飲み屋で土建屋と口論になって、いったん別れたあと、その二時間後にその土建屋を殴り殺したという」

 意外すぎる告白を、愛海は顔をこわばらせて聞いている。

「俺は毎日面会に行った。親父は泣きながら自分は無実だと言い張った。息子の俺の目から見ても、親父は人を殺せるような人間じゃなかった。第一、小男でとてもあの大きな土建屋を殴り殺せる力などなかったんだ」

 俺は、しばらく言いよどんだ。

「最後の面会の翌日、親父が犯行を全面自供したという連絡が届いた。その取調べを担当したのが、南原署の当時の警部だった渡良瀬だった」

「……」

「自白した夜、親父は留置場の窓枠に紐をかけて、首を吊った。ここの三階の留置場だ」

 結局、被疑者死亡のまま事件は書類送検となり、親父は殺人犯の汚名を着たまま墓に入ることになった。

 その後、母親と姉と俺の三人の家族が、どれほどの辛酸を舐めてきたことか。わずかのあいだに母も姉も後を追うように病で死に、俺ひとりが残された。

「親父はまじめな職人だった。まじめに生きてきたヤツが警察の手で冤罪を負わされるのが世の中ならば、俺は正真正銘の犯罪者となって、警察の手をすり抜けて生きてやる。そう決意した」

 高校を中退したあとは、働きながら独学でむさぼるように勉強した。刑法、民法、経済、政治。詐欺師になるために必要なあらゆる知識を頭に詰め込んだ。

 各地を転々とし、他人を騙しては金をむしりとる。そんな生活を何年も続けながら、生まれ故郷だけには、絶対に足を踏み入れないように気をつけていたはずなのに。

 まさか自分が殺された場所が南原署の管轄だったとは。こんな皮肉な結末は、夢にも想像しなかった。

 物思いから戻ると、愛海がぼろぼろと涙をこぼしていた。

「ごめんなさい」

「どうして謝る?」

「わかんないけど、だって、ヒック、結果的に、私たち南原署が、水主さんの家族を、ヒック、苦しめたんだもの」

「バカだな。15年前の話だ。おまえには関係ねえよ」

 俺は『霊指』の力で、泣きじゃくる彼女の肩を抱きしめてやった。

 ごめんなさい、か。

 たったひとことの謝罪で、人間の積年の恨みなんて、あっさりと溶けちまうものなんだな。

「愛海」

「なに?」

「俺をもう一度、安藤みずほのところに連れて行ってくれ」


 俺たちは再び、安藤みずほのマンションのエントランスに立った。

 愛海は大きく息を吸うと、インターホンのボタンを押す。

『また、あんたなの?』

 カメラで愛海の姿を認めたのだろう。こちらが声を出す前に、みずほは怒鳴り始めた。

『これ以上しつこく来るようなら、裁判で訴えるわよ!』

「ちょっと待ってください。今日は――」

 と言いながら、横にいる俺にうなずく。今から愛海が話すことばは、俺が教えたものだ。

「水主淳平さんの伝言を持ってきました」

『なんですって?』

「あなたを騙したことを、心から謝りたいそうです」

『でまかせ言わないでよ。ずうずうしい。どうせ気を引くために……』

「オーロラを見に北欧に連れてってやると約束したのに、果たせなくてすまない」

『なんですって?』

「せめて、早くいい男を見つけて、そいつに連れて行ってもらえ――と」

『なんで、あんたがそんなことを知ってるの』

「だから、水主さんの伝言を見つけたんです」

『……さっぱり、わけわかんない』

 安藤みずほの声が、さっきまでとは違ってきた。高飛車な調子はすっかり影を潜め、おびえた少女のようだ。

『中に入って。ちゃんと説明して』

 エントランスのロックがかちりと外れた。とたんに愛海は一秒も無駄にしまいと、奥のエレベータに向かって走り出す。

 部屋のドアは開け放たれ、待っていたみずほが半ば引きずり込むように愛海を招じ入れた。すっぴんを絶対見せないあいつらしくない。息が乱れて、荒かった。

「あいつの伝言ですって? だいたい、なんで死んで一年も経って、そんなものが見つかるの」

 ドアを閉めると、勢い込んで訊ねる。

「水主さんのノートパソコンの中に、あなたへのメールの下書きが入っていました」

 愛海は落ち着いて答える。もちろんデタラメ。こういうクソ度胸は、さすがに刑事だ。

「パスワードでロックされていたので、その解析に1年近くかかったんです」

「……で、他に何が書いてあったの」

「おまえのことを騙して、すまない。俺が言うのもなんだが、おまえは今まで男運が悪すぎた。せめてこれからは、幸せになってくれ」

「……」

「最後にひとつだけ遺言だ。あの癖だけはちゃんと直せよ。自分の腕を、爪で引っかく癖は」

 みずほはキュッと唇を噛みしめ、自分の腕を抱き寄せた。

「安藤さん、今の水主さんは、あなたを騙したことを本当に後悔しているんです」

 言いながら、愛海は水晶のような涙をこぼした。

「私からもお願いします。どうか彼の罪を赦してあげてください」

 みずほは、へなへなと床に座りこんで泣き伏した。

「コウイチが……そんなことを……」

 『コウイチ』とは、俺がみずほに対して使っていた偽名だ。

「詐欺だったとわかったときは、あいつを心の底から憎んだけど」

 気持が落ち着くと、みずほは愛海相手に、しゃくりあげながら問わず語りを始めた。

「でも、いくら憎んでもダメなの。その一方で楽しい思い出ばかり浮かんでくるの。あいつ、優しかった。私のことだけを見つめて、私の考えてること、すぐにわかってくれて。いつもダメ男にしか縁がなくて、男からあんなふうに扱われたこと、私生まれてはじめてだったから」

 みずほの目からしたたり落ちる涙の熱さを、不思議なことに俺は感じることができた。

「全部、金のためだったとしても、どうしてもあきらめきれなかった。もし、もう一度コウイチとの満ち足りた時間が取り戻せるなら、私千二百万でも払うと思う。金なんか惜しくない」

「安藤さん。あなたは、水主さんのことを今でも……」

「本当にいい男だったのよ。あいつは」

 みずほは、はにかんで笑った。まるで憑き物が落ちたような美しい笑顔だった。

「被害届なんて出しても、何にもならないと思ってた。でも、今の伝言を聞いて、気が変わったわ。コウイチは最後の最後に、私に謝ってくれたんだね」

 みずほは、愛海の手をぎゅっと握った。

「コウイチの仇を取るために、被害届を出す。刑事さん、書き方教えてくれる?」


「水主さん……」

 愛海が気遣わしげな声を出しながら近づいてくる。

 俺はマンションの廊下の隅で、ぼんやりとうずくまっていた。

「まいったな」

 うめきながら、天を仰いだ。

「これじゃあ罵倒されたほうが、よっぽどマシだ」


「以上のような経過で、安藤みずほからの詳しい事情聴取を行ない、また被害届を受理しました」

 会議室の男たちの呆気にとられた視線が、愛海に集中している。

「さらに四名の詐欺被害者に面会し、詳しい証言を得ました。別紙に記載してあるとおり、四名とも安藤みずほとほぼ同じ内容で、水主淳平に対して、憎しみではなくむしろ今でも愛情を感じていると述べています」

 愛海は、分厚い捜査資料の端をポンと揃え、部屋中を自信たっぷりに見渡した。

「これだけの証言では確実なことはまだ言えませんが、結婚詐欺の被害者女性たちが、水主淳平に対して殺害するほどの憎しみを抱いていたとの私たちの仮定は、根本的に再考の余地があるというのが私の見解です。これを機に、すべての証言や証拠をもう一度洗いなおしてみるべきだと考えます」

 愛海は発表を終えて着席すると、こっそり目配せをした。もちろん俺がいる方向にだ。

「よくやったな。係長もびっくりしてたぞ」

 捜査会議が終わると、相棒の木下警部補が近づいてきて、愛海の肩を叩いた。

「報告書も非の打ちどころがない。いったいどうして急に?」

「毎晩徹夜で教えてくれる人がいるもんで……あわわ」

 愛海は、笑顔でごまかす。「そりゃもう。木下さんの今までの指導がよかったからです」

 まったく、幽霊に報告書の書き方を教えてもらった刑事なんて、見たことがない。

 でも、この二週間の彼女のがんばりは、すごかった。どんなに困難な状況にも、あきらめずに立ち向かっていく。

 バカでドジで、顔だけの女だと思っていた小潟愛海は、本物の刑事だった。俺は毎日、彼女に惚れ直すハメになったのだ。

 同僚たちの祝福のことばが雨のように降ってきても、愛海の顔色は冴えなかった。

「ごめんね。結局、水主さんを殺した犯人は、まだ全然見当もつかないよ」

「まあ、別にいいさ」

「なんだか、ちっともがっかりしてないのね。このままじゃ、いつまで経っても成仏できないよ」

 と口をとがらす。

 俺は別に犯人の正体なんて、どうでもいいんだ。愛海につきまとえる口実さえあれば。

「むしろ、永久に捕まらないほうがいいかもな」

「なによ、それ?」

「それより」

 俺は霊指の力で愛海を抱き寄せ、唇を軽くついばんだ。もちろん今の俺に唇なんてものはなかったが。

「淳平と呼べって、言ったろ?」


「いったいどうしたの、愛海。フェロモン全開じゃん」

 食堂で、同期の石崎由香利が口をぽかんと開けて近づいてきた。愛海はオムライスをフォークでぐさぐさ突きながら、うるんだ瞳であらぬ方角を見つめている。

「通りかかった男が鼻血出してぶっ倒れそうなほどの可愛さだよ。何があった?」

「由香利。私、恋をしたみたい」

「なぬっ。相手は誰? 捜査三係の小林巡査部長か?」

「ちがうわよ」

「イケメン?」

「でもないんだけど」

「なあんだ。じゃ、興味ないや」

「ただね」

 愛海は、ほうっと大きな吐息をついた。

「めちゃくちゃカッコいいのよ。男の本当の値打ちは、やっぱタマシイなのかしらね」


「つぐない――か」

「何か言ったか」

 太公望が釣り糸を垂れている横で、俺はぼんやりと水面を眺めていた。

「つぐないってものを、してみるのも悪くないかなと思った」

「ほう。そりゃあ、エライ進歩だの」

 おっさんは、からかうような笑みを浮かべる。

「おまえさん、やっと自分のやることを見つけたようだの。言わば、生きがいってところか」

「死んでるのに、『生きがい』はないだろう」

「いやいや」

 首をゆっくりと振った。

「わしに言わせれば、生きておった頃のおまえさんのほうが、死んでおったよ」

「なんだ、それは」

 俺は妙におかしくなって、大声で笑った。

「死んじまった俺のほうが、多少はマシってことか」

 太公望はヒゲを引っ張りながら、もったいぶって、こう答えたのだ。

「人生なんてものはな。やり直すのに、遅すぎるということはないのじゃて」





 chapter 1  end

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