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インビジブル・ラブ  作者: BUTAPENN
chapter 8 真犯人の影
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chapter8-2

 愛海は南原署に戻ると、さっそく黒田智也の証言を、上司である加賀美・捜査一係係長に報告した。

「そうか。じゃあ、来週の月曜に面割りに来る約束なんだな」

「はい」

「ご苦労。よくがんばったな」

 誉めているはずなのに、いかにも棒読みの台本みたいに気持ちがこもっていない。女の愛海が手柄を立てるのが心底イヤなのだろう、このオヤジは。

 相棒の木下警部補は別件の捜査に駆り出されてしまい、愛海ひとりでここまで漕ぎつけたと言っても過言ではないのだ。

 愛海はそれでもめげずに、

「じゃあ、マル暴へ行ってきます」

 と刑事部屋を出た。面割り用に、暴力団構成員たちの顔写真ファイルを借りに行くのだ。

「相変わらず、この署の奴らは、俺の事件を解決する気なぞ、さらさらないな」

「そんなことないよ。どうして?」

「だいたい、黒田だって言ってただろう」


『彼が殺された直後に呼んでくれれば、ほくろの位置まで鮮明に覚えてたんだけどなあ』


「初動捜査で黒田に接触すれば、もっと早くこの事実はわかっていたはずだぞ」

「あ、そうか」

「俺が殺されたことさえ、新聞のニュースで知ったというくらいだからな」

「私たち……気づかないうちに、いろいろミスしてたんだな」

 しょんぼりしてしまった愛海の背中を、俺はぽんと叩いた。

「事件を解決できずにもたもたしていたからこそ、俺はおまえに会えたんだからな」

「うん……」

 愛海は途中で、「ちょっと待って」と女子トイレの扉を押した。

「泣くのか?」

「ばか、ほんとのトイレ。先に行ってて」

 俺は愛海をトイレに残し、ひとりで廊下をふわふわ浮いていた。

 組織犯罪対策課の扉の前まで来ると、デカい声が外まで漏れ聞こえてきた。

「別にかまわんが、何でそんな必要があるんだ」

 俺がにゅっと扉のガラスから首を出して中をのぞくと、声の主はマル暴の大崎課長だった。五度目だか六度目だかの禁煙に挑戦中らしく、すこぶる不機嫌な様子で受話器を耳に当てている。

「そりゃ、お嬢ちゃんに直接言ったほうがよくねえか」

 大崎がお嬢ちゃんと呼ぶのは、愛海だけだ。大崎は愛海のことをけっこう娘のように可愛がっているのだ。

「ふうん。まあ、あんたがそれでいいなら、かまわんが」

 俺が霊体ごと電話線に飛び込もうとした瞬間に、大崎はがちゃんと受話器を乱暴に置いた。ちぇっ。一足遅かったか。

 くわしい内容はさっぱりわからなかったが、何か愛海に関係する頼みごとをマル暴の課長に電話で持ちかけた奴。そいつが誰だか知りたかったのに。

 やがて、愛海が扉をノックして入ってきた。

「大崎課長。お願いがあるんですが」

「おう」

 暴力団員の顔写真ファイルを貸してくれと頼む愛海に、「ああ、いいぜ」と返事をしながらも、大崎は変な顔をした。

 うまく言えないが、愛海に対して何か後ろめたいことがあるような表情だ。

 どうも、変だ。

 愛海は、顔写真ファイルを借り受けて刑事部屋に戻ってくると、黒田の事情聴取に向けて、資料をそろえたりして万全の準備を整えた。

 だが、予想もしていなかったことが起こった。月曜日の約束した時間に、黒田智也は南原署に姿を現わさなかったのだ。


「なんだ、いったいどういうことだ。小潟」

 加賀美係長は、机の上のブリキの未決書類箱をがんがんと叩いた。「黒田が面割りに来るんじゃなかったのか」

「そ、それが携帯に掛けてるんですけど、ずっとつながらなくて」

「おおかた、面倒くさくなったんだろ」

「オカマだから、男が行ったほうがよかったんじゃねえ?」

 先輩たちは、あからさまに愛海をバカにし始めた。

「わたし、もう一度、説得に行ってきます!」

 愛海は叫ぶなり、南原署を飛び出した。

「絶対変だよ。黒田さん、ちゃんと約束したもの。何かの用事で来れないなら、きっと連絡してくるはず」

 留守電もつながらないので、電波を伝って奴の様子を調べに行くわけにもいかない。

 正直に言えば、俺は愛海ほどは、黒田を信頼していなかった。水商売をなりわいとしている以上、警察に言えないことのひとつふたつは隠し持っている。

 警察に足を運ぶのがおっくうでない清廉潔白のヤツなんて、夜の世界にそうそういるはずはないのだ。

 だが、黒田を心から信じている愛海の手前、そんなことは口に裂けても言えない。

 茨城県の駅に降り立ったのは、もう夕暮れだった。ネオンが、汚い街をつかのまの化粧で飾ろうとしている。

 黒田が働いているおかまバーのママは、モジリアニの絵のように首のひょろ長い着物姿だった。

「あたしだって、どこにいるか教えてほしいわよ。いきなり昨日から無断欠勤のうえ、連絡もつかないんだから」

 ママは警察手帳を見せた愛海に、逆に食ってかかった。

「自宅を教えていただけませんか」

「いいけど、駅の反対側で遠いよ。30分は歩くわよ」

「かまいません」

 黒田の住所を書いた紙をもらうと、愛海は店を飛び出した。

「風邪でも引いてるのかな」

「それなら、店のママに連絡くらいする」

 昔から、クソがつくほど真面目で律儀な奴なのだ。無断欠勤などありえない。

「交通事故で意識不明になっているとか」

 俺たちふたりは、自然と無口になり、足を速めた。いやな予感がするのだ。

 黒田は今日、暴力団の連中の面割りに南原署に来ると約束していた。もしこのことが奴らに知れたら、確かに命はあぶない。

 だが、絶対にバレるはずはないと俺たちは確信していた。愛海が訪ねていったときも、店に誰もいなかった。黒田が自分で吹聴でもしない限りは、奴が警察に協力しようとしていることは、誰も知るはずがないのだ。

 教えてもらったアパートにたどりついたときは、もうすっかり夜になっていた。

「先に、様子を見てくる」

 俺は愛海のもとを離れ、アパートの三階まで一気に飛び上がって、一番奥の部屋の扉をすり抜けた。

 部屋の中は暗い。奥の部屋の常夜灯らしき薄暗い光が、唯一の明かりだった。

「黒田……?」

 俺はその次の瞬間、髪の毛が逆立つのを覚えた。いや、幽霊の俺に髪などないのだが。

 手前のダイニングキッチンのテーブルの陰から、誰かの脚が見える。

 俺はおそるおそる覗きこんで、絶句した。

 黒田だ。

 黒田智也が床の上に横たわり、胸を血に染めて――死んでいたのだ。


「愛海、早く!」

 と俺は叫び、入口のドアの鍵を、霊指の力で内側からはずした。

 中に飛び込んだ愛海は、「ひゃあ」と力ない悲鳴を上げた。「く、黒田さん……」

「まあ、驚いた。美人の刑事さんじゃないの」

 すっとんきょうな調子のハスキーな低音。「さすがね。刑事さんは、鍵開けまでできるのね」

 ぶったまげたことに、床で死んでいた黒田がむくりと起き上がったのだ。

 さすがの俺も部屋の壁に飛び退り、しばらくはパニックに陥った。

 床に寝ていただけで、実は死んでなかったのかと一瞬信じ込みそうにもなった。だが、Tシャツの胸が血まみれなのは、動かしがたい事実だ。

「そうか。俺と同じ幽霊になったのか」

 ようやく真実に至ったのは、我ながら恥ずかしいことに、数分は経ったころだろう。

 愛海はと見れば、へっぴり腰で黒田の遺体にかがみこみ、死亡を確認している。そして、現場保存のためにそれ以上近づかず、携帯を取りだした。

「緊急出動を要請します。他殺体とみられる死体を発見。場所はT市M町三丁目六の二十四、Tハイツ三○五号室。黒田智也宅。ガイシャは居住者本人と見られます」

 愛海は震え声ながらも落ち着いて報告している。その冷静な行動には、三年前に殺人現場で気絶したドジな新人刑事の面影はない。

(だが、黒田の幽霊のほうをチラリとも見ないのは、どういうわけだ?)

 これも、ちょっと考えて理由がわかった。愛海は黒田の幽霊が見えていないし、声も聞こえていないのだ。

 そもそも幽霊が自分の姿を他人に見せるのは、ある程度の霊力が必要だ。俺だって愛海に姿が見えるようになるまでに、かなり長いあいだ特訓した。アラタカ心霊事務所の護符の力も借りたのだ。

「愛海。驚くなよ」

 警察への通報を終えた愛海に、俺は言った。

「実は今ここに、黒田の幽霊がいる」

「え?」

「幽霊ですって?」

 目をぱちくりさせて俺を見たのは、黒田智也も同じだった。

「誰なの、あんたは。青く透き通っちゃって。あんたのほうこそ幽霊じゃない」

「残念ながら、黒田。おまえのほうも青く透き通って見えるんだぜ」

 少し哀れみをこめて、俺は教えてやった。「おまえは何者かに刺されて殺されたんだ」

 幽霊は、自分が死んだことを最初はまったくわかっていない。たいていは死の瞬間に放出される脳内麻薬の作用によって、死んだ前後の記憶を失っている。残酷な事実だが、「おまえは死んでいるんだ」と誰かがきちんと教え込んでやらないと、いつまでも気づかないケースもあるのだ。

「それに、俺が誰だか、まだわからないか」

「なんですって」

 まじまじと俺の顔をのぞきこんだ黒田は、「きゃあっ」と叫んだ。

「な、な、名取さん! 死んだはずじゃあ……」

「これで納得できただろう。俺もおまえも、同じ幽霊仲間になったんだよ」

「そ、そんな……」

 彼はその場に、へたへたと座り込んだ。「そんなことが」

「ショックを受けるのは無理もない」

 俺は、「つかまれ」と手を差し出した。「死ぬなんて生まれて初めての経験だ。実感がわかないのは当たり前だよ」

「会いたかったーっ」

「げっ?」

 黒田は生前と同じ暑苦しい霊体で、俺に飛びかかった。

「ばかばか。あたしの前から急にいなくなって。お金なんかいくらでも貢いだのに」

 俺の胸を、かわいい仕草でポカポカなぐってから、しがみついてくる。ふだんなら速攻で逃げ出すところだが、まあ、いいか。古い知り合いの俺に抱きついていれば、多少なりとも自分が死んだというショックが紛れるだろう。

 愛海は黒田の姿が見えないので、今の喜劇的な状況が、さっぱりわかっていない様子だった。

 その大きな目が、何も見えない空間に向かって開かれていた。

「黒田さん、本当にそこにいるの」

「ああ、いる」

「何か言ってる?」

「いや、何も。俺のときと同じで、殺された前後の記憶を失ってる。自分が死んだことさえ、今ようやく納得したくらいだ」

 愛海はがっくりと膝をつくと、両手を床についた。

「ごめんなさい。ユカリさん。こんなことになってしまって」

 気がつけば、愛海は全身を震わせて、泣いている。

「私が協力してほしいと頼んだばかりに……殺させてしまった。警察が守らなければならなかったのに……私のミスです。すみません。どうぞ赦して……」

「愛海」

 やはり今回のことは警察の、そして愛海の失敗になるのか。協力者を保護することもできずに、むざむざ殺させてしまったのだから。

「どんなにか無念だったでしょう。まだまだ生きたかったはずなのに……ごめんなさい、ごめんなさい!」

「刑事さん。顔を上げて」

 黒田は穏やかな声で言った。

「もういいのよ。死んだのはやっぱり悔しいけど、別に、人さまに惜しまれるっていう人生じゃなかったし。悲しんでくれる恋人や親兄弟もいないの」

 彼の幽霊は、ごしごしと両袖で涙をぬぐった。霊体から、涙なんぞ出るわけはないのにな。

「あたし、それより、あんたが私のために泣いてくれたことが一番うれしい。ありがとう。もうこれで、思い残すことはないわ」

「……と、言っている」

 俺は黒田のことばを、いちいち通訳してやった。やはりこいつの姿も声も、愛海には感じ取れないらしい。

 通訳しながら、「ああ、俺も同じだったな」と思う。

 俺も愛海のおかげで、無意識の闇の中から浮かび上がることができた。誰かが俺の死を悼んでくれたことが、あのときの俺はどれだけうれしかったことか。

「それに、こうして幽霊になった名取さ……水主さんとも再会することができたしね、好きな男と同じ幽霊仲間になれて、なんてハッピーなのかしら!」

「へ?」

 黒田は俺の腕に、巨体をすりつけてくる。こ、こいつは限りなくプラス思考のやつだな。

「とにかく、黒田はおまえのことを全然恨んでないみたいだぞ。元気を出せ」

「うん……」

 マスカラで黒くなった目の回りをそっとハンカチでぬぐうと、愛海は扉から部屋の外に出た。

 茨城県警のパトカーが数台、アパートの前で停まった。

 黒田の死体が横たわる部屋で、大勢の警察官が押し寄せてくるのを、俺たちは待ち受けた。


 それから数日間、愛海は嵐の中にいるような毎日を過ごした。

 黒田の部屋の現場検証に立ち会い、第一発見者としての事情聴取。

 茨城県の県警本部の小部屋で、その日のうちに立てられた捜査本部の席上で、愛海は何度、同じことを繰り返して説明しただろう。

 ようやく深夜になって南原署に帰ると、張りついていた新聞記者につかまりそうになった。

「かわいそうに、刑事さん。あんなにみんなから責められて」

 黒田も、それを見て涙ぐんでいる。「悪いのは、あたしを殺した奴なのよ。刑事さんじゃないわ」

「そう思うんなら、犯人の顔くらい思い出してやれよ」

「ずっと思い出そうとしてるのよ」

 黒田は頭痛持ちみたいにこめかみを押さえると、うーうーとうなった。

 俺も焦りのあまり、無茶な注文をつけた。幽霊に殺害時の記憶がないことくらい、俺が一番よく知っているはずなのに。


 翌朝、出勤した愛海は、加賀美捜査一係長に呼び出され、ショッキングなことを告げられた。

「小潟。おまえを、『水主淳平殺害事件』の専従捜査員からはずす」

「えっ」

 愛海は喉の奥で、小さく悲鳴を上げた。冷静さを失わなかったところを見ると、なんとなく予想していたのかもしれない。

「……一時的な措置ですか」

「いや、永久にだ。おまえには明日から、他の事件の応援に回ってもらう」

「待ってください」

 椅子の向きを変えて立ち上がろうとした係長を、愛海はさえぎるように回りこんだ。愛海の目の下は疲労のために真っ黒になっている。その姿は鬼気迫るものがある。

「お願い。専従からはずさないでください。私にとって、水主淳平事件は刑事としてのライフワークなんです」

「もう決定したことだ」

「それじゃ、水主事件の捜査には誰がつくんですか」

「そんなこと、おまえの知ったことじゃない」

 加賀美は以前からイヤな野郎だと思っていたが、このときほど首を絞めてやりたいと思ったことはない。

 奴は悪代官さながらに口の端をゆがめ、吐き捨てるように言った。

「参考人をむざむざ殺させるなんて、南原署始まって以来の不祥事を起こしやがって。それを始末書だけに抑えてやったんだ。小潟。首を飛ばされないだけありがたいと思え」

「も……申し訳ありません」

 ひとり取り残されて肩を落とす愛海を、刑事部屋の連中は、にやにやと笑いながら、あるいは肩をすくめながら遠巻きに見ている。

「冗談じゃねえ。愛海ひとりの責任なのか!」

 俺はたまりかねて叫んだ。

「てめえだって、愛海の報告をちゃんと聞いていたじゃねえか。もし危ないとわかってたんなら、なぜ黒田の身辺警護を指示しなかった? 俺の事件の捜査だって、何もかも後手後手にしやがったくせに。責任を取るなら、真っ先にてめえだろう!」

 違う、そんなことが言いたいんじゃない。

 全部俺のせいだ。

 俺が、もっと早く自分が殺されたときのことを思い出していれば。

 いや、何よりも、人の恨みを買い、殺されるような犯罪者になっていなければ。

 愛海は、こんな辛い思いをせずにすんだ。黒田も殺されずにすんだ。

 考えるまでもなく、災いの根源はすべて俺だ。自分が腹立たしく、悔しく、情けない。

 俺は拳で壁を殴るように、霊指の力を何度も叩きつけた。

 部署名のプレートがゆらゆらと揺れる天井を、ひとりの刑事が不思議そうに見上げた。

「あれ、地震かな」

 黒田が背後で、おびえたようにつぶやいた。「水主さん、恐い……」


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