飴
久しぶりに投稿しました。短編です。
明け方過ぎに目を覚まして、ジョギングしようとすると扉に手紙が挟まっていることに気が付いた。
男は手紙を拾い上げて、裏表を返して見る。差出人は書かれていない。ただ男の名前が書かれているだけだった。封を切ると、中から手紙が現れた。
ジョギングはやめて、リビングに腰を落ち着ける。リビングには必要最低限の家財道具しかなかった。近くにキッチンはあるもののほとんど利用していない。食事はインスタントで事足りる。男は手紙の上から下へと目を通した。手紙にはこう書かれていた。
「あなたに頼みたい仕事がある。あなたの飴細工の技術ならば作れるはずだ。写真が同封してあるのでそれに似せて、いや、それそのものを作って欲しい。報酬は完成品が届いた時点で振り込む」
一緒に入っていた写真に目を落とす。そこには猫が映っていた。種類は分からない。そういったことにはてんで疎かったが、男は特徴を確認した。茶色の毛並みに、栗のような瞳、額から背中にかけて黄色い線が入っている。真正面と背中から取った写真が一枚ずつ入っている。大まかなディテールは掴んだ。これならば作れそうだった。
男は工房に入った。キッチンの下に地下への通路があり、そこが工房に通じているのだ。薄いカーテンで仕切られた空間に入って、ランタンの明かりをつけた。すると、うぉん、と低い鳴き声が聞こえた。見ると、足元に犬が擦り寄ってきていた。男は犬の頭を撫でる。犬の身体は精巧に作られているが、すべすべしていて明かりを反射していた。
飴なのだ。
犬は全身が飴でできていた。男は機械で薄く引き伸ばされた飴の絡まった棒を手に取る。琥珀色の飴がランタンの明かりを透かしている。男は手袋をつけて飴を練り始めた。
高温で作るため、飴細工には手袋は欠かせない。換気の悪いこの部屋でやると、すぐに汗を掻いた。額に滲んだ汗の玉を拭いつつ、型にはめ、空気を入れて色と形を変化させる。飴の形状変化は多彩だ。まるで万物の進化の歴史が手の中にあるように感じる。事実、その通りだった。男の手の中には、太古の単細胞生物からなる進化の系譜がある。
時折、飴に言葉をかける。飴で物の形を作る時には、エッセンスのように言葉を織り交ぜる。そうすることで、飴がより高度な次元へと達するのだ。今回語ったのは、草原を駆ける百獣の王の物語だった。飴は伸び伸びと育ち、やがてひとつの形へと達した。手の中には写真と同じ猫があった。熱と空気を遮断する特殊なニスを塗って、男はそれを手に、布を被せて玄関へと向かった。
もう日は落ちている。何時間も工房にいたらしい。男は飴でできた猫を玄関に静かに置いた。
すると、するりと布から猫が抜け出した。猫は身体を伸ばしていた。月光が降り注ぎ、茶色の飴でできた猫の身体の中へと溜まってゆくようだった。猫はしばらくその場で身体をねじってから、男へと振り向いた。
行きなさい、と男は小さな声で呟く。
猫は男の家から離れていった。男の家は森に囲まれていた。木々の作り出す闇の中へと猫の後姿は消えていった。猫と依頼者の間にどのような愛情があったのか、男は知らない。だが、依頼はこなす。それが男の生き方だった。
飴細工職人として生きてきた期間は長い。物心ついたときから、飴に触れ、その形状を自在に操ることが可能だった。父親の影響もあるのだろう。男の父親もまた飴細工の職人だった。
といっても、駄菓子の生成を生業にしている小さな町工場の工場長だった。父親には飴に命を吹き込む力はなかった。男はそれを愛情の認識の度合いによるものだと感じていた。父親は飴に対して愛情などなく、ただ単に自分と家族が食うための仕事としか思っていなかった。
男は違う。飴は人生の道筋そのものであり、飴でできた存在には生きる価値がある。世界を知り、野を駆け、風を感じる権利があるのだ。だが、男とて職人である。依頼人が望むのならば、飴の生き方は依頼人の心次第だろう。そこまで制限する権利は自分にはない。飴はあくまで依頼者のために作るものであり、オーダーの通りに作られた飴は、そのオーダーの通りに生きなければならない。父親とは違う、特別な力があっても所詮は食うためにしていることだ。大差はない。
今日も一日、飴細工で潰れてしまった。男は少し肉のつき始めた腹を気にしつつ、家の中に戻った。
次の日、街まで出て行くと金が振り込まれていた。
どうやらあの猫は依頼者の下へとちゃんと届いたらしい。一安心、と思いいくらかの最低限の食料品を買い、家へと戻った。男には贅沢をするという頭はない。飴で儲けた金は、自分の生活の支えにするだけだ。それを豊かにしようなどとは思わない。
森の中は鳥の声が時折聞こえる程度で閑散としている。飴を作るのには集中力がいる。静かな環境は打ってつけだった。だが、飴を作ると一日を潰してしまう。できることならば、そろそろ運動をしたい、と男は思いながら太い指を見下ろす。
家に入りかけると、扉に何かが挟まれていた。手に取ると、それは手紙だった。差出人の記載はない。男は昨日と同じようにリビングで封を切ってそれを見つめた。文面は昨日とほとんど同じだった。飴細工を作って欲しいという。ただ、添えられている写真が違った。
そこには目の覚めるような赤いドレスを着た女性の姿があった。
飴で人を作るのは初めてではない。
男は大して取り乱しもせずに、工房へと入った。違うのは飴の色合いだ。人の肌を作る場合、少し濁らせた方がいい。あまりに透明感がありすぎると、それは最早人とは違う、人形に近いものになってしまうからだ。
男は飴へと物語を紡いだ。人を作る時に話す内容は決まっている。邪神の出てくる神話だった。男は決して清い神の出てくる話をしなかった。それは生きている人間が勝手にすがりつくものだ。
生、という形から既に逸脱した飴細工には、邪神の話をすればより精緻に、より美しく出来上がる。問題なのは時間だった。工房の中では時間の進み具合が分からない。加えて人を作るのには手間暇がかかった。
大きさだけでも猫の数倍はある。男は数日をかけて、女の姿を作り上げた。
身体のラインは正確に分からない。なので適当なシルエットを見繕い、その上から赤いドレスと同じ色の飴を生成する必要があった。裸の写真があれば一番よかったのだが、依頼者はそれほど気が回らなかったらしい。赤いドレスは肌とは逆に光沢をつけた。そのほうが美しいと感じたのだ。
続いて苦心したのは髪だった。毛髪というのが、実は一番手間がかかる上に、中々うまくいかない。男は写真を穴が開くほど熱心に見つめた。髪の色はブラウンに近い。ならば、と飴でそのままの色を作ってしまうと逆に色合いがきつすぎたりするものだ。少し淡く作るのがちょうどよいのだが、そのあんばいは男にしか分からなかった。アーモンド形の目を形作り、眉と睫を塗る。唇に薄く紅を差し、男は女性の飴細工を作り上げた。その間、男は食事も睡眠もとらなかった。もう何日かけたのか分からない。男はニスを女性の全身に塗ってから、布をかけてそれを運んだ。飴なので多少は軽いとはいえ、人と同じ背丈に作ったのだから相当重い。男はひぃひぃ言いながら、工房の外まで運び、玄関の外に出した。またも夜だった。しばらくじっと待つ。すると、布がふわっと浮き上がった。女性の姿が布の下から現れる。そして、男へと振り返った。自分で作ったものでありながら、美しい、と男は感じていた。赤いドレスが月夜に映える。男は、行きなさい、と言った。女性は一瞬身を翻したが、すぐに男へと駆け寄った。男はぎょっとして、どうした、と呟いた。
女性は首を振って潤んだ瞳で男の顔をじっと見つめた。自分で作ったものが言うことを聞かないのは初めてだったので、男は少し驚いた。
だが、すぐに冷静になった。
この潤んだように見える瞳も、豊かな髪も、全て自分の作ったものだ。作り物なのだ。ならば、これに対して何らかの感情を抱くのは間違っている。男は女性の肩を掴んで、自分から引き離した。
行きなさい、と先程よりも強く命じる。女性はまだ男の顔を覗き込んでいたが、そのうち、ふっと翳が差したかと思うと赤いドレスを翻して男へと背を向けた。
それは知らぬものが見たならば、さながら恋人の別れのように見えただろう。
女性の後姿が森の青い闇の中へと呑まれてゆく。赤い姿は欠片もなく、消えた。瞼の裏側に残る赤い後姿がまだちらちらと残る。男はいつまでもその後姿が消えずに、その場に蹲って頭を抱えた。
月が、命を弄ぶ飴細工の職人の姿を、じっと見下ろしていた。




