船に乗る前に その1
涼しく優しい風が、さざなみにのって運ばれてくる。
俺はほおを撫ぜるそれを目を細めながら存分に感じ、海から聞こえてくる群れ飛ぶカモメの声に耳を澄ます。
穏やかな波が行き来するその青く澄み切った美しい絨毯の中に飛び込めたらどんなに気持ちいいだろうなどと思わず考えてしまう。
季節は夏、しかも真っ盛り、ジリジリと照り付けるお日様の下、俺は何をしているかというと。
「ウオオオオオオ!!」
切れ味はそこらの銘刀がはだしで逃げ出す恐るべき威力を秘めた木刀を、俺は真横に薙ぐ。
「URUU―――――!!」
巨大なムカデのようなバケモノは俺の一撃で胴体を切り離されて地面に転がった。
「ヤッターーーーー!!」
その様子を少し離れたところで見ていたチイ姉ちゃんがうるさく騒ぐ。
しかし、俺は浮かれない。
なぜなら、このムカデ型のバケモノのことはよーく知っているのだ。
俺は腰から小さなビンを二つ引き抜くと、二つに別れて転がるムカデモドキの体に投げつけた。
狙いは違わず小さなビンは風を切る音と共にムカデモドキの体に見事に着弾。
呆気なく粉々に砕けて中身をぶちまける。
そして、すかさず、喫茶店でガメテきたマッチに火を付けた俺は、ムカデモドキに向かって弾き飛ばした。
空中でクルクルと回転しながらとんだマッチ棒は、ビンから飛び出た液体にあたるや否や凄まじい炎となって燃え広がる。
「KURUUUUUU!!」
死んだと思っていた二つの胴体が炎から逃れようと身を捩る。
やっぱ、死んだ真似だったか。
両手で構えた木刀を突き出すようにして構えた俺は、炎から逃げることで我を忘れているムカデモドキに一気に肉薄する。
巨大なキャンドルと化したムカデの化け物に近づくのは少々熱かったが、無理矢理それを無視して突撃すると、奴の額にあたるところに木刀を容赦なく突き刺した。
「URUAAAAAAA!!」
「逝けええーーーーー!!」
痛みに身を捩ろうとする奴の頭を一気に木刀を上に跳ね上げて両断、返す刀で後ろでもがく下半身も切り裂き、オレはメラメラと燃え続ける昆虫キャンドルからその身を放した。
今度こそ止めを刺された害虫は、二、三度痙攣を繰返したが、数十秒後には完全に動かなくなり炎だけがユラユラと揺らめいていた。
俺はそれを確認して、構えを解くと顔の上を滝のように流れる汗をぬぐった。
それにしても・・
真夏にたき火をするなんて、俺くらいだよね。
城砦都市『アルカディア』のある浜辺。
何でこんなところにるかというと、そのここからある場所に出ている定期船に乗る為だったんだけど、大立ち回りをしていた理由を説明するとなるとだな・・
ちょっと、時間を遡って話さないといけなくなっちゃうんだな、これが。
俺は目的もない旅に出たわけではない。
自分を鍛えるということに関して、俺の気持ちは寸分も変わっていない。だが、行き当たりばったりで武者修業するほど俺はズサンで計画性なしの男ではない。
いや、別に誰かのことを個人的に示唆していってるわけではないのでかんぐらないように。
俺は自らの修行の地をきちんと決めていた。
そのために俺は随分まえからバイトして修行の為の資金をコツコツ貯めていたのだ。
「いや、それは嘘だよね。コウくんがバイトしていたのって、自分のバイクを買うためよね」
「そうなんだよ。いや~、念動バイクの五大大手の一つ『カワラザキ重工』の傑作モデル、『ブレード』の最新型がほしくてさあ。って、心の中を読まないでよ、チイ姉ちゃん!!」
まったくもう!!
チイ姉ちゃんはすぐに『人』の心を読んでなんでもかんでもバラしちゃうんだから!!
あ、いや、失礼。
まあ、その、確かに修行の旅費を稼ぐためじゃなくて、バイクを買う目的だったのは事実なんだけど。
だけど、その貯金を全部下して持ってきたんだぜ。
それだけ今回の修行旅は大事だと思っているんだ。
本当に、マジでまじで。
いや、真剣なんだから、信じてお願い、ぷり~ず。
「いえばいうほど嘘臭く聞こえるから、ほどほどにしといたほうがいいよ、コウくん」
「嘘臭いって言われても、俺としては心から本気で言ってるんだけどなあ」
「うんうん、大丈夫。お姉ちゃんだけはコウくんのことを心から信じているからね」
「ありがとう、チイ姉ちゃん。って、ちょっと待て。今、普通に流してしまいそうになったけど、『お姉ちゃんだけは』っていうのはどういうことだよ。まるで、チイ姉ちゃん以外には、誰にも信用されないみたいじゃんか!!」
「てへっ、ばれちった」
チイ姉ちゃんが関わってくると、どれだけ真面目な話していても、あっというまにピエロになっちゃうから嫌になるぜ。
と、とにかく、そのあたりはきちんとしているってこと。
決して、観光目当てで旅立ったわけじゃないんだ
自分の武術の腕を底上げするためにも、実戦経験をもっと積みたいっていう想いがあったし、あと、世の中に出て実際にいろいろなものをこの目で見てみたい、この耳で聞いてみたいっていう想いもあったし、まあ、とにかくいろいろだ。
まあ、そういうわけで、俺はここ城砦都市『アルカディア』にやってきたってわけ。
え?
ここで修行するのかって?
いや、ここじゃないんだ。
俺が選んだ修行地は別にある。
じゃあ、なんでここに来たかったことになるんだけど、実はその修行の地に行く船がここから出ているからなんだ。
「へ~。じゃあ、早く乗ろうよコウくん。お姉ちゃん、船なんて乗ったことないから早く乗ってみたいよ!!」
「いや、俺だって船には生まれて初めて乗るんだけどさ」
「行こうよ行こうよ」
「無理」
「え、なんで? 『やっぱ、修行するのや~めた』ってこと?」
「ちっが~う! 一日一回しか便がないのに、それに乗り遅れちゃったから、今日はもう無理なの!!」
「なんだ、コウくんは相変わらずうっかりさんだなあ」
俺の肩の上に立ち、やたら澄ました顔で肩をすくめてみせたりなんかしちゃったりするモモンガ。
そんなモモンガを、俺は有無を言わさずむんずと掴んで顔の前に持ってくる。
「きゃあ!! 何するの、コウくん? わ、私達は実の姉弟なのよ!? そ、そんなのダメよ。で、でも、どうしてもコウくんがそれを望むなら、お姉ちゃんがコウくんの初めての『人』になってあげてもいいわよ」
何をどう勘違いしたのか、俺の手の中でやたら顔を赤くしてモジモジし始めたモモンガは、あろうことか、着ているワンピースをそそくさと脱ごうとする。
脱ぐな脱ぐな!!
俺は慌ててモモンガの体を拘束して服を脱ぐのをやめさせる。
「何するのじゃないわっ!! ってか、どさくさまぎれに何おバカなこと言ってんのさ!? そもそも、姉弟以前に、初めての相手がモモンガなんてむしろトラウマになってしまうわ!!」
「そ、そのちっちゃいから、締まりはいいほ」
「バカバカバカバカッ!! なんてこと口にしてるのさ!? いったいどこの誰だ、チイ姉ちゃんにそんなバカなことを吹き込んだ奴は!?」
「えっと、ミネルヴァさんだけど」
「あの人かあああああっ!! いや、そうじゃなくて!! ちゃんと船に乗り遅れないようにきっちりスケジュール立ててきたっていうのに、それを台無しにしたのは、チイ姉ちゃんだろって話だよ!?」
「ええっ!? わ、私、何もしてないもん、悪くないもん!!」
「何言ってんだよ、『アルカディア』に到着するなり、『水族館見にいきた~い』とか、『遊園地行きた~い』とか、『オレンジシャーベット食べた~い』とか、『上華街あるきた~い』とかいって、さんざん観光のために俺を引きずりまわしたのは、どこのどいつなんだよ!?」
「だってだって、お姉ちゃん、他の都市に来るの生まれて初めてだったし、久しぶりにコウくんと二人っきりだったから」
「いや、だからってだな」
「コウくんと二人でいろいろなところにいけるのがあんまりにも楽しくて、ついついはしゃいで甘えちゃったの。だ、ダメなお姉ちゃんだね。お姉ちゃん失格だね」
「そ、そんなことはないと思うけど」
「ごめんね。お姉ちゃんが迷惑かけちゃって、本当にごめんね」
「・・いや、もういいよ。ってか、俺も言いすぎた」
大きな黒眼をうるうるとさせながら、本当に悲しそうに俺を見つめてくるモモンガ。
それを見ているとどうしても、怒気というか覇気というかそういう強い何かがしおしおと薄れて消えてしまうというか。
あ~、もうわかってる。
わかってるはいるんだよ、俺ってチイ姉ちゃんに甘いなあって言いたいんだろ?
知ってるよ。それはもう今まで散々それを経験して来たんだからあらためて言われなくてもいやというほど知ってるって。
なんかさあ、姉上と違ってチイ姉ちゃんには本気で怒れないんだなあ。
姉上が相手だったのなら、例えモモンガの姿をしていようとも、容赦なく鉄拳制裁なんだけど、チイ姉ちゃんにはどうしてもそれができない。
モモンガの姿になったチイ姉ちゃんとの付き合いはまだ一年足らず。
だけど、他のどの家族よりもなぜかとても身近に感じるんだ。
「コウくん、怒ってる? ごめんね。ほんとにほんとにごめんね。お姉ちゃんのこと嫌いにならないでね」
「ならないって。それにもう怒ってないから。ほら、落ちないようにちゃんと肩に掴まっててよ」
「うんうん、コウくん、ありがとね」
完全に半泣きになっているチイ姉ちゃんの小さな頭を、二本の指でよしよしと撫ぜて肩にもどす。
すると、俺の顔にへばりつくようにして抱きついてくるチイ姉ちゃん。
やれやれ。
さて、話しを元に戻そう。
とにかく、船に乗ることできなかった俺とチイ姉ちゃん。
さっきも言ったけど、もう今日の船の便はもうないので、船に乗るのは明日以降という話になる。
と、なると、今日泊まるところが必要になるわけで、とりあえず俺は宿を探すことにした。
ところが、ついていないときっていうのは、何をやってもついていないものなんだね、これが。
なぜかこんな時に限って市内の宿はみんな満員御礼。
何でもこの城砦都市『アルカディア』で南方諸都市高校生の武道大会があるらしく、それに出場する高校の皆さんでいっぱいなんだそうだ。
そんなのありか? 一人くらい何とかならんかと思ったが、ならなかったんだなこれが。
修行にいこうと勇み『嶺斬泊』から出て来たというのに、イキナリの躓きに俺はへこんだね。
マジで。
正直カプセルホテルで我慢しようかとも思った。
しかし、この城砦都市『アルカディア』は恐ろしく青少年教育委員会の勢力の強い地域だった。
カプセルホテルの前にデカデカとはられたポスターを見た時、オレはマジで城砦都市『嶺斬泊』に帰ろうかと思ったものさ。
【学生さんお断り】
そればかりじゃない。
なんとか未成年でも泊めてもらえそうなところをみつけたと思ったら今度は
【ペット随伴お断り】
それはね~よ!!
あんまりだよ!!
こうして俺にできることは浜辺に座って現実逃避することだけとなってしまった。
「コウくん、元気出して!! コウくんは一人じゃないよ、お姉ちゃんがいるよ!!」
「うんうん、そうだね、チイ姉ちゃん。でも、とりあえず、蚊がぶんぶん飛んでいるところで野宿はしたくないかなあ」
「うん、したくないねえ」
「でも、宿がとれないんだよねえ」
「とれないねえ」
「「はぁ~~」」
海から流れる冷たい潮風になぶられながら孤独に体育座りを続ける俺。
そして、そんな俺の膝の上で体育座りを続けるチイ姉ちゃん。
このまま一夜を明かすのかと、寂しく考えていた俺達。
ところが、そんな俺達に話し掛けてくる人物の姿があった。
「学生さんどうしたね?」
自分でも鬱陶しいだろうなあと思う表情で振向いた俺の目に映ったのは、小柄な・・と、いうかホントに小さくて、俺の背の半分しかないスケールの典型的なお百姓さん姿のおじいさん。丘陵妖精族であるノーム一族の人だ。
「いや、あの・・」
「家出でもしなすったのかね?」
「チ、違います!!」
あわてて首を横に振る俺の姿を面白そうに見詰めるおじいさん。
「じゃあ、どうしなすったね?」
「それが、今夜泊まるところがなくて」
「金がないんかね?」
「いえいえ、お金はあります。そうじゃなくて、あいている宿がないんですよ。なんせ今日は泊まる予定じゃなかったんで、予約とかしてなかったんですよ。」
「?」
「ホントだったら今ごろ海の上だったもので」
恥ずかしそうに語る俺の言葉に、ようやく老人はオレの足元に置かれた細長い包みに気がついたようだ。
「ああ、あんた『オーブシード』にいくつもりじゃったんか。おまえさん、武芸者か傭兵さんかね?」
「はい、まあ、その端くれではあります」
「なるほどなるほど、乗り遅れたんじゃなあ」
「はあ」
「そう言えば、今日は都市営念車のダイヤが事故のせいで乱れていたしのう。しかも、時期が悪いわい、他の南方都市から」
「武道大会でしょう? 今日初めて聞きました」
がっくりうな垂れる俺。
何か顔面に縦線がいくつも走っているような気分。
おじいさんはしばらく俺の様子を見詰めていたが、やがてゆっくりとそのしわだらけの顔を笑みの形に刻んだ。
「どうじゃろう、わしと一緒にこんかね?」
「へ?」
「わしらノーム族の体に合わせた家じゃから龍族のあんたには狭いじゃろうが、今日一日雨露をしのげるくらいにはなるじゃろうて。幸い、家はわしとばあさんの二人暮らしじゃから気兼ねすることもない」
「え、でも、そんな氏素性もわからない俺なんかを・・」
「ええんじゃ、泊まるところないんじゃろ? それにそこのかわいらしい『人』に野宿はかわいそうじゃ」
「そ、そんな、かわいらしいだなんて。えへへ、照れますぅ」
おじいさんの言葉に思わず身をくねらせて、盛大に照れるチイ姉ちゃん。
俺は、そんなチイ姉ちゃんとおじいさんを交互に見つめていたが、優しく俺の肩をたたくおじいさんの笑顔に逆らうことができず、結局俺とチイ姉ちゃんはおじいさんの家に厄介になることにしたのだった。