良い日旅立ち、二人旅 その1
誰も全てをつかむことはできない。
その手のひらでつかむことができるものはみなそんなに多くはないのだ。
みなその手のひらからいろいろなものを落としてなくしながら、それでも必死になって一つでも大事なものを落とさないように抱えるようにして生きている。
それは選ばれし者であったとしても決して例外ではない。
世間で知られている【超越者】たる『神』や『悪魔』、『魔王』や『勇者』だって同じこと。
ましてや一般種族になれば尚更である。
エルフも、ドワーフも、ゴブリンも、オークも、人間も、ドラゴンですらも例外ではない。
みんな必死に今を生きている。
その小さき手の平の上の大事な何かをなくさないように。
そして、それは俺も同じこと。
『龍乃宮 高級』の反乱事件から数カ月がたった。
ハイクラスの『害獣』との戦いから比べれば大きな戦いではなかったが、だからといって危険がなかったわけではなく、相手側にもそれなりに腕の立つ者達がいて、防衛にあたった俺は結構苦戦を強いられることになった。
龍族の王宮内で行われた凄まじい攻防戦。
しかし、俺の頼りになる兄姉達、そして、尊敬できる先輩、師匠達がいてくれたおかげで、なんとかこちら側に死傷者を出すことなく事態を収拾させることができた。
だが・・
その時、俺は自分の未熟さを悟ったのだ。
決してこぼしてはいけないとり返しのつかない大切な宝物が、俺にはいくつもある。
金では買うことができないかけがえのないもの。
あのときはそれらを守ることに必至で他のことには一切頭が回らなかった。
はっきり言えば、自分の大切なモノを守ることさえできれば、あとのことはどうでもよかったのだ。
だから、反乱軍の襲撃を撃退した時点で、俺はそれで全てが終わったと思ってしまった。
だが。
『それで全部が全部解決ってしたわけじゃない』
そう、何も終わってはいなかった。
確かに反乱軍の襲撃を防ぎ、首謀者たる『龍乃宮 高級』一味は捕らえた。
龍族としてはひとまずめでたしめでたしといえるかもしれない結末。
それは『龍乃宮 高級』が引き起こした事件の一つが終息したというだけの話。
あの悪党が行っていた悪事はそれだけではなかったのだ。
下級種族を密かに誘拐し、各都市の犯罪組織に売り飛ばす重大犯罪『奴隷売買』。
人体内部の『異界の力』を一時的に高め、凄まじい快感を与えるのと引き換えに、使用者を廃人にする悪魔の薬『魔薬』の販売。
使用することが禁止されている違法禁術を組み込んだ恐るべき対人兵器『殺塵武具』の作成。
これ以外にも実に様々な犯罪に手を出していた高級。
彼によって人生を狂わされてしまった『人』達の数はそれこそ数えきれない。
奴隷として誘拐され愛する家族と引き離された『人』達。
『魔薬』の誘惑に勝てず、その人生を破壊されてしまった『人』達。
高級一派が製造し販売した『殺塵武具』によって命を奪われた、警察や軍関係者達。
あまりにも多い犠牲者達、そして、それによって幸せを奪われ破壊されてしまった家族達。
この忌むべき事件を引き起こした『龍乃宮 高級』と同じ龍の王族として、俺はこれらのことを決して失念すべきではなかったし、してはいけなかったのだ。
なのに俺はそれを完全に失念し、全く考えもしなかった。
次期龍王と定められた王位継承者であるにも関わらずである。
それを理解したときめちゃくちゃ落ち込んだ。
言い訳にしかならないのだが、奴らを反乱軍を迎え撃ったそのときにはまだ、俺はそれら全ての犯罪行為を把握していなかった。
奴隷売買のことについては知らされていたが、それ以外のことは全く知らなかったのだ。
だが、それだけの犯罪行為を行っているものが、他の悪事に手を染めていないわけがない。
そのときにその可能性について俺は気がつくべきだったのだ。
なのに、俺は気がつけなかった、いや、それどころか考えさえしなかった。
龍族さえよければ、いや、極端な話、俺の家族さえ、知り合いさえ無事ならばそれでよしと思っていたのだ。
他の誰がどうなろうと知ったことではないと。
そう思っていた。
だけどそれではダメなんだ。
駄目なのだ。
このままではダメだ。
今のままではダメだ。
こんな俺のままでは絶対にダメだ。
それだけはわかった。
でも、具体的にどうすればいいのかはいくら考えても答えがでない。
龍の王族に連なる者として、同じ王族であった高級の悪事によって生み出されたあまたの不幸。
まずは、それを償うことが俺のすべきことではないだろうか?
そう考えた俺は、今、全力で高級の後始末を行っている現龍王や龍族幹部達、それに中央庁の方々に協力させてもらえないかと申しでてみた。
だが、それはやんわりと断られてしまった。
考えてみれば当たり前な話である。
王位継承者とはいえ、現在俺はただの高校生。
しかも中途半端な武力以外にはなんの取り柄もない。
はっきり言って邪魔なだけで、役に立つ要素などどこにもない。
無力だ。
想いはあるのに力がない。
物を壊す力はある。
だが、たったそれだけのことなのだ。
それ以外に役に立つ技術も、技能も、知識も俺にはない。
このままでいいのか?
いいわけがない。
こんな俺のままで、大事なものを本当に守りきることができるだろうか?
もし、誰かに俺の大切な『人』を『家族』を『友達』を奪われたとき、俺は取り返すことができるだろうか?
大切な『人』が攫われて奴隷として売られてしまったら?
大事な『家族』が『魔薬』の餌食になったら?
かけがえのない『友達』が『殺塵武具』の犠牲になったら?
俺の大事なものが理不尽な力に奪われる。
そう思っただけでからだが震えるのだ。
情けない。
自分でも情けなくて涙が出る。
尊敬する師匠達なら迷わずこう言ってくれるだろう。
『心配しなくていいよ、どこまでも手伝ってあげるから』
俺の大事な家族達ならこう言ってくれるだろう。
『遠慮なく頼ってくれればいい』
だが・・それは甘えだ。
仲間や大切な人との絆は大事だ。そんなことはわかっている。
しかし、それを最初から当てにするような人間になってどうする?
俺は思った。
強くなりたい。いや、強くならなくてはならない。
大切なものを手のひらからこぼさない為に。
俺は、住みなれた城砦都市『嶺斬泊』を離れることにした。
頼もしい仲間達、優しい恩師、そして大切な人達がいる俺の帰るべき場所。
普段なら学校の授業があり、それをサボルわけにはいかないところだったが、幸い、今、学校は夏休みに入っている。
俺には今、時間がある。
俺はその時間を存分に使うことにした。
自分を鍛え直し、見詰め直す為に。
俺は家族に心配をかけまいと、ちょっと観光旅行に出かけてくると嘘をついた。
そして、旅に出たのだ。
武者修行の旅に。
そう、俺はたった一人で修行の旅に出た。
必要最低限の着替え。
師匠のところで農業のバイトをして少しずつ銀行に預けていた貯金を全て下ろし、旅費として用意もした。
少量だが、『回復薬』や『治療薬』などもしもの時の為の旅行道具一式も揃えた。
そして、それらを大きめのバックパックに詰め込んで、城砦都市『嶺斬泊』から出ている南方の一大交易都市『アルカディア』行きの武装馬車へと乗り込んだのだ。
観光、あるいは商業目的、あるいは俺のようなそれ以外の目的を持つ様々『人』々と共に馬車に乗った俺は、城砦都市『嶺斬泊』をあとにする。
実は俺、生まれてから十六年、余所の都市に一度も行ったことがない。
一応、連夜さんのおかげで、外の世界にはある程度慣れてはいるのだが、本格的に余所の都市に行くのは生れて初めてである。
俺が買った馬車の指定席は二人掛けの椅子の窓際のほう。
幸か不幸か反対の通路側にある隣の席は空いていて、広く使うことができた。
俺は空いている席にバックパックを下ろし、自分の席に座ると馬車の窓から外を見た。
窓の外には、ついさっきまで俺がいた城砦都市『嶺斬泊』の巨大な城壁が見える。
生まれてから十五年、ず~~~っと暮らしてきた大切な故郷。
それが遠ざかっていくのを見ると、妙に感慨深いものがある。
胸に盛大に込み上げてくるものが寂寥感だとはわかったが、それをどうすればいいのかわからず、持て余した俺は、ただただ眼を瞑って眠る振りをすることにした。
「コウくん、さびしい?」
「うん、まあね。やっぱり住み慣れたところを離れるっていうのは結構来るものがあるよね」
聞きなれた声に俺は返事を返し、眼を開けてもう一度窓の外を見る。
外には恐ろしいまでに深く広大な原始の大森林『不死の森』。
あそこは恐ろしい『害獣』達が支配する『人』が決して住めぬ場所。
しかし、その森の中には珍しい薬草や霊草がいくつも生息していて、連夜さんの手伝いで、俺は何度も中に入っていったものだ。
そのたびに死ぬような思いをしたりしなかったりしたが。
でも、なぜかどれもいい思い出で、思いだすたびに笑みが零れてしまう。
「何よ、気持ち悪いわね。思い出し笑い?」
「ああ、いや。あの森には連夜さんとの思い出がいっぱいあってさ。それを思い出していたんだ」
「ええっ!? なにそれ、ずるいずるい!! なによなによ!? なんでコウくんにはそんな思い出があるの!?」
「だって、俺、連夜さんの弟子だし」
「そんな理由? ちょっと、どんな思い出なのよ、いいなさいよ!!」
「いや、そんな大した思い出じゃないって。珍しい薬草を取りに入ったらさ、あの森の主である騎士クラスの害獣『ティー・レイ・ウス』に見つかっちゃってさ」
「えええっ!? ベテランの『害獣』ハンターでも勝てない相手じゃないのよ。そんなのに見つかって無事だったの?」
「無事だからここにいるんじゃないか。いや、あのときは焦った焦った。二人して必死に逃げまくってね。最後連夜さんが特性ローションが入った『珠』を投げ付けて、ひっくり返って起き上がれなくなっている間に逃げたんだよねえ。いや、あのときの『ティー・レイ・ウス』の転びっぷりといったら、あはははは・・あれ?」
いつのまにか寂寥感が紛れ、調子に乗って昔話をべらべらとしゃべっていた俺。
しかし、途中ではたと気がついた。
確か、俺って一人旅のはずなんだけど、いったいさっきから誰としゃべっているんだ?
俺は慌てて窓から目を離し、声のする隣の席へと視線を戻す。
隣の席には誰もいないはず。
そこに鎮座しているのは、俺が背負ってきたバックパックが乗っているだけのはずだが。
そう思ってそちらに目を向けて見ると、やはりそこには俺のバックパックがあるだけだったが。
よく見ると、上蓋が完全に開いてしまっている。
家を出たとき、というか、馬車に乗って隣の席に下ろしたそのときには間違いなくしまっていたはずなのに。
愕然としながら中身を恐る恐る確認する俺。
そして、中を覗き込んだ俺は、顎が落ちそうになるくらい驚いた。
そこには、かわいらしい一匹の小動物の姿があった。
「やっほ~!!」
にこやかな表情でちっちゃな手を俺に向かってぶんぶんと振り回す小動物。
顔の半分近くもありそうな大きくつぶらな二つの黒眼、全身を茶色い体毛に覆われた体長二十ゼンチメトルほどの小さな体、その身体と同じくらいの大きさの尻尾。
一見リスのように見えるが、実はそうではない。
この小さな体の前脚から後脚にかけて大きな飛膜があり、それを使って滑空することができる。
森の妖精とも言われる『モモンガ』と言われる動物だった。
と、言っても、普通の自然の森にいる『モモンガ』ではない。
どうみても誰が見てもそうではないとわかる。
だってこの『モモンガ』、頭に『人』と同じような長く黒い髪があり、それをポニーテールにしてかわいらしくまとめているのだ。
いや、そればかりではない。
生意気にも水色のワンピースなんか着ちゃっているのだ。
こんな『モモンガ』世界中どこを探しても一匹しか存在しない。
「ち、チイ姉ちゃん!?」
「おぅいぇ、コウくんの頼れるお姉ちゃんでぃ~す!!」
豆粒よりもさらに小さい指で、得意気にVサインをしてみせるモモンガ。
そう、彼女は俺の姉。
正真正銘、俺の実姉なのである。