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薬子異聞  作者: 一介
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薬子異聞 第五話

第五話 大同元年


大宅おおや内親王様の入内、そして坂上田村麻呂様の蝦夷平定は朝廷にとって明るい話題ではあった。しかしそれらは凶作や洪水そして疫病という相次ぐ天災の前に吹き飛ばされた。

これほどの天変地異と宮家のご不幸が早良様の怨念によるものというのなら、親王禅師様はやはり無実だったのではなかったのか。いや、実際の咎の有りなし以前に、そもそもこの件に関わりがあったという事自体がこじつけかもしれない。欲しければ奪い、不都合なら捨てる。権力と血筋が何より優先される。ここはそれが当たり前の世界なのだから。

今上帝の父君はそれこそ思いもかけず帝になられた。それは前帝である称徳天皇が女帝で生涯独身であられたからで、今この代で男系男子が天皇家を繋いでいくという神代からの流れを止めるわけにはいかない。血筋を遡り遡って、天智天皇直系 施基親王のお子として白壁王(のちの光仁天皇)が帝位につかれたのは六十二歳。かなりのご高齢になられてからであった。光仁天皇の即位は藤原百川の功績によるものが大きかったが、同時にその力は聖武天皇の皇女である井上内親王の廃后と他戸親王の廃太子にも働いた。百川の暗躍により立太子され、帝の譲位によって即位されたのが今上(桓武)帝である。今上帝は、父である光仁天皇の血筋を盤石にし、国を平定するために心血を注がれた。薬子の父、種継はその右腕となって尽力していたが、そんな最中に暗殺された。事件に関わったとして連座させられた者たちは暗殺に本当にかかわっていたのか、と今も思う。

井上内親王、他戸皇太子の廃位。早良親王流罪。蝦夷征伐、阿弖流為あてるい母禮(もれ)の処刑。長岡京そして平安京遷都。その間 大水に旱魃、疫病飢饉、富士山噴火と大地は揺れ続けた。祈祷で収まることはついぞなかった。


病がちになられた今上帝は、いよいよ臣下の進言に耳を傾けるようになられた。そしてこれまで以上に早良親王の鎮魂に力を注がれた。淡路島に埋葬された早良親王の墓を平城京の南東、添上郡の八島に移送なさり、親王を崇道天皇と追称された。帝位に就くことなく身罷った早良親王。罪人として亡くなられて随分経ってから追号されることとなった。それは光仁天皇が皇位とは無縁だった父、施基親王に帝位を追号されたのとは意味合いがまるで違っていた。そしてその翌年の三月十七日、帝は崩御された。


薬子は姫の入内に同行し、思いがけず東宮の寵愛を受けて東宮宣旨となったはずが、今度は帝の命で東宮から追いやられた。後宮では帝の寵愛を受けている尚侍・百済永継様の存在は大きく、他の妃達の目も冷ややかだった。宮中に参内してからおよそ八年という年月が経った延暦二十五年三月、帝がお隠れになった。

そして安殿親王が即位され、元号が大同と改められた。

薬子は即座に宮中に呼び戻され、そして尚侍に任命された。

安殿親王、いや、今上帝には皇后はおられない。東宮妃帯子様は平安京に入る前に亡くなり、その後入内された先帝の皇女方も皇后の地位についておられない。今上帝は祖母后を追尊して太皇太后、御母君に皇太后を贈られ、亡き皇太子妃帯子様には皇后を追号された。

つまり薬子が従うべき高位の女人の席は永遠に埋まることはない。後宮を仕切る高位の女性は薬子の前に誰もいない。

そう、薬子の前に遮るものは何もないのだ。


まもなく夫、藤原縄主は観察吏となり、九州に出立した。



女人として 官として


 阿弖流為(あてるい)帝は即位されると早速、改革に乗り出された。そして薬子には典侍の長という地位が与えられた。

薬子は元々身分の高い女人ではあった。藤原種継の娘、そして縄主の妻。それは薬子の身分を映してはいたが、薬子その人ではなく父や夫に属することで生じる身分、というよりは家柄でしかなかった。以前東宮時代の帝から東宮宣旨という高い地位は与えられたが、それは先帝の命ですぐに取り上げられてしまった。その後の薬子は何の地位もないどころか、その存在すら誰からも認められない女人として後宮の奥深くに存在するだけの存在となり、そこで長い年月を耐えるしかなかったのだ。しかしこの度の薬子は女官長である。そして本来後宮の主である皇后の席は空いたまま。薬子がその席に就くことは永久に無いが、皇后に次ぐ位を授与されている。そしてその上位は空席。つまり、いまや薬子は実質的に後宮を統べる者なのだ。今の私には政治改革に一言を述べることが出来よう。

帝は勘解由使を廃し、観察吏を置くこととした。これは新帝が着手なされた最大の改革の一つである。諸々の帝の国家改革が一通り伝えられたあと、薬子は帝に後宮の改革を進言した。


大同元年十月、天平十四年の制度変更以来続いていた諸国からの采女うねめを廃止。

これまでの采女の採用年齢制限を撤廃。これにより、これまで十三才から三十才までの眉目秀麗な娘を採用対象にしていた制限を、以降は婚姻後の女人も采女となることが出来るようにした。後宮で帝や親王の目に留まり子を成したとしても、ここでは母親の身分が子の将来に大きく影響する。なにより妃や夫人となるのは藤原家の女だけでよい。それに、まだ幼さの残る年齢で遠方から連れて来られる女人は悲劇以外の何物でもない。薬子の脳裏には安積あさかの采女が浮かんでいた。時に寵愛を受けて子を産んだとしても、女人たちは身分の低いまま後宮に留まることになる。一度お手付きになっても子を成さなければ、彼女達は故郷にも帰れず後宮で年老いるしかない。あるいは下賜の対象か。地方豪族の女達の、人質としての役目はもう終わらせてもよかろう。これからは、都周辺の郡に生まれ育ち言葉も通じる女を「采女」という職に就けよう。年齢の制限を緩めれば、夫を亡くして暮らしのために働き口を探す女たちも後宮で職に就ける。女人も少しは生きやすくなるのではなかろうか。


先帝により東宮典司の役職を取り上げられて東宮の元を去った後、多くの女人が東宮様のおそばに侍っていた。安殿親王様と離れてから幾年が経っただろう。その間に親王様の御気持ちが失せるのもやむなし。薬子はそう思っていたが、親王いや今上帝のお心はお別れする前よりもいっそう深まっていた。我が姫には相変わらずお通いはないが、妃の体裁を整えるに十分な俸禄はお示しくださっていた。仕える女官達のふるまいは、薬子が典司になるやいなや手のひらを返したように神妙になった。先帝の宮で冷遇されていた時とは雲泥の差である。私が送り込んだ安積は依然と変わらず誠実で、姫と周りの様子を報告してくれる。姫付きの女官達も薬子と同様に姫をうやうやしく扱うようになったようだ。あきれたものだ。我が息子の貞本は正月に従五位下の官位を頂戴した。東宮大夫職にあった夫・縄主は遠い地に栄転になった。先帝は私を春宮から引き離し、今上帝は夫を遠ざけたのだった。


大同三年、薬子は正四位下になった。

兄仲成は従四位下にある。つまり薬子はこの年、兄の位をも飛び越えたのだった。

今上帝の寵姫でありながら夫も子供もいる式家の内儀。夫は公卿で観察吏という重役にある。姫は帝の妃であり自分自身は後宮采配の長に任じられた。帝の寵愛を一心に受けるその身位は、亡き皇后に次ぐ正四位下という高位だ。


薬子は全てを手に入れた。




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