9:獄炎の脳筋☆ 前編
ただでさえ、脳まで筋肉で出来た古代の狂戦士が復活するなどという頭痛の種を抱えているのに、どうして現代の勇者(の末裔)は、その火種に油を注ぐような真似をしたがるのだろうか。勘弁してほしい。
私の胃壁は、オリハルコンで出来ているわけではないのだから。
「それにしても、紅蓮の戦鬼フレイムベルグか……」
手綱を握りながら、セバスティアンがふと、懐かしむように、けれどどこか侮蔑を含んだ声音で呟いた。
「お知り合いなんですか?」
隣を走るアレクシオンが、子犬のように興味津々と尋ねる。
「ええ、まあ。一言で表現するならば――考える葦の対極にある存在、とでも申しましょうか」
「直球で脳筋と言えばいいでしょうに」
グラシエルが涼しい顔で追撃した。
「思考するよりも先に神経伝達物質が筋肉を動かすタイプです。戦闘こそが至上の対話であり、強い相手と剣を交えることに性的快感すら覚えている節がある、救いようのない戦闘狂ですよ」
私は呻き声を上げて頭を抱えた。
最悪だ。私の平穏な隠居プランにおいて、最も遭遇してはいけない人種だ。
「それって、アレクシオンさんの存在を認識したら、脊髄反射で決闘を申し込むパターンじゃない」
「勇者の血統特有の聖なる魔力を嗅ぎつければ、まず間違いなく『死合おう』などと叫び出すでしょうな」
アレクシオンは、なぜか誇らしげに剣の柄に手を置き、胸を張った。
「ならば、受けて立ちます! 騎士として、逃げるわけにはいきません!」
……ここにもいた。
男という生き物はどうしてこうも単純なのだろう。
「いやいやいや、ダメです! 却下!」
私は食い気味に否定した。
「今回のミッションは、平和的な説得と鎮圧だって決めたでしょ! 戦闘行為は厳禁です! 流血沙汰になったら、私の評価がまた逆戻りするじゃない!」
「ですが、相手が武人として挑んでくるなら……それに応えるのが礼儀というものでは……」
「ダメ! 絶対ダメ! ハウス!」
「チェリさん、たまに僕の扱いが犬と変わらない気が……」
そんな不毛な問答をしているうちに、東の廃坑が視界に入ってきた。
かつては銀鉄鉱を産出していたその場所は、今や地獄の釜の蓋が開いたかのような様相を呈していた。
坑道の入口から、禍々しくも美しい、紅蓮の燐光が漏れ出している。
近づくだけで肌がジリジリと焼けつくような熱波。
「さすがはフレイムベルグ。派手に環境破壊をしてくれますね」
グラシエルが氷の結界を纏いながら、他人事のように言った。
「グラシエル、あなた暑くないの?」
「私は常に零度の衣を纏っていますから。むしろ快適ですよ。チェリ様も、ご自身の絶対零度の心を思い出せば涼しくなるのでは?」
「誰の心が絶対零度よ。今の私の心は春の陽だまりのように温かいわ」
廃坑の入口に到着すると、既に周辺の草木が炭化し、赤い火の粉を撒き散らしていた。
「おい、水だ! 火を消せ!」
「ダメだ、普通の水じゃ蒸発しちまう!」
近隣の自警団や村人たちが、必死の形相で消火活動に当たっている。
「皆さん、下がってください! 危険です!」
アレクシオンが馬から飛び降り、てきぱきと指揮を執り始めた、その時だった。
大地が、震えた。
腹の底に響くような咆哮が、地下深くから突き上げてくる。
「――我が魂の炎よ! 焦熱の理となりて、天を焦がせぇぇぇぇッ!!」
凄まじい爆音と共に、廃坑の入口が内側から吹き飛んだ。
噴き上がる溶岩と黒煙。その中心から、弾丸のように飛び出してくる影があった。
燃え盛る真紅の髪。鋼のように引き締まった褐色の肉体。
全身を血の色をした重装鎧で包み、背中には身の丈ほどもある、無骨な大剣を背負っている。
「ぬおおおおっ! 空が青い! 風が美味い! そして太陽が俺を祝福しているぅぅ!!」
男は両手を天に掲げ、世界の中心で愛を叫ぶかのような声量で絶叫した。
その衝撃波だけで、周囲の火がいくつか吹き消えたほどだ。
「……フレイムベルグ。相変わらず、暑苦しいわね」
私がこめかみを押さえながら呟くと、男の耳がピクリと動いた。
「ん? この、肌を刺すような高潔かつ傲慢な魂の波動は……」
フレイムベルグは、充血した猛禽のような眼でこちらをギロリと睨み――そして、劇的に見開いた。
「な、なんと……! ヴェリタス様ぁぁぁぁッ!!」
ドスドスドスッ!
彼は小型戦車のような勢いで突進してくると、私の鼻先数センチで急停止し、地面が割れるほどの勢いで膝をついた。
「お待ちしておりましたぁぁ! このフレイムベルグ、魂の髄まで焦がして復活を待ち望んでおりましたぞ! さあ、今こそ世界に我らの業火を! 手あたり次第、森羅万象を灰燼に帰しましょうぞ!」
「待て。おすわり」
私は無表情で、手のひらを彼の顔面に向けた。
「フレイムベルグ、まずは深呼吸をしなさい。酸素が足りてないわよ。それに、今の私は名前も姿も変わったの」
「……なんと?」
「今はチェリというのよ。しがない一般市民よ。それに、世界征服とか破壊活動とか、そういう野蛮な遊びはもう卒業したの」
私の端的な言葉に、フレイムベルグが、わかりやすくフリーズした。
再起動中のゴーレムのように、目が泳いでいる。
「ちぇり……? せかいせいふく……やらない……?」
思考回路がショートしたのか、いきなり語彙力が幼児退行した。
フレイムベルグは私をぽかんと見つめ、それから背後に控えているグラシエルやセバスティアンに視線を彷徨わせ、最後に――聖剣を帯びたアレクシオンの姿を認め、背中の大剣に手を伸ばした。
「だめよ、ステイ!」
「わ、分からん! 何一つ分からんぞ!」
「ああ、これは思考の迷宮に迷い込んだパターンですな」
セバスティアンが、憐れむような、それでいて楽しんでいるような声を落とす。
「フレイムベルグの脳の容量は、戦闘技能で九割埋まっていますからね。複雑なコンテキストを理解するのは不可能です」
いよいよ大剣を引き抜き、アレクシオンの周りを、獲物を定める肉食獣のようにぐるぐると徘徊し始めた。その間も、チラチラと助けを求めるように私を見てくる。
「なるほど! 分からん!」
数秒後、フレイムベルグが爽やかに顔を上げた。
「よし! 分からんことは後で考えることにする!」
「おお、驚くべきポジティブシンキング」
「まずは三百年凝り固まった筋肉をほぐしたい! おい、そこのお前! 鼻につく勇者臭がぷんぷんするお前だ!」
フレイムベルグは、ビシッとアレクシオンを指差した。
「貴様、なかなか良い殺意の棒を持っているな! 俺と殺り合えぇぇぇ!」
「はい! 喜んで!」
アレクシオンが即答で剣を抜こうとした瞬間、私は彼の腕を万力のように掴んだ。
「だからダメって言ったでしょ! 人の話を聞きなさい!」
「で、でも、殺り合えと言われて断るのは……」
「断りなさいよ! そこは暴力反対って言いなさい! 仮にも騎士でしょう!」
双方ともに、おもちゃを取り上げられた子供のような不満顔をする。
「なんだ、戦わんのか? 腰抜けか? つまらん」
「いえ、僕は是非とも手合わせ願いたいのですが、チェリさんが……」
「チェリ? 誰だそれ?」
「だから、私よ!」
はー、頭が痛い。血管が切れそうだ。
さっき説明したばかりではないか。
フレイムベルグは私を見て、小首を傾げた。
「え、ヴェリタス様が……チェリ?」
仕方なしに、私は幼稚園の先生になった気分で、転生したこと、今は静かに暮らしたいこと、そして破壊ではなく平穏を求めていることを、噛み砕いて説明する羽目になった。
アレクシオンまで「へぇ、そうだったんですか」と興味津々で聞いているのが腹立たしい。
フレイムベルグはというと、眉間に深い皺を刻み、哲学者のような顔つきで腕を組んで聞いていた。
「……つまり、さっぱり理解できん!」
「でしょうね」
それは、私もだ。
なぜ私がこんな苦労をしているのか、私自身も理解できない。
「だが!」
フレイムベルグは、自身の胸板をドンと叩いた。
「ヴェリタス様……いや、今はチェリ様か。我が主が望むことならば、このフレイムベルグ、地獄の底まで従うのみ! それが我が騎士道!」
「え、本当!?」
「ああ! たとえ主が、今日からキャベツ農家になると言えば、俺は世界一の鍬使いになってみせよう!」
あっさり納得してくれた。バカでよかった。
グラシエルがパチパチと乾いた拍手を送る。
「素晴らしい。フレイムベルグにしては、脳を使わずに正解に辿り着きましたね」
「ふふふ、三百年眠って、俺も精神的に成長したのだな!」
フレイムベルグは誇らしげに鼻を鳴らした。
「で、チェリ様。俺はこれから何を焼けばいい?」
「焼かないで。普通に暮らしてくれればいいの」
「普通?」
「そう。定職に就いて、納税して、街で平和に暮らすの」
フレイムベルグは腕を組み、虚空を見上げた。
「仕事か……戦うことと、肉を焼くこと以外できんぞ」
「ならば、鍛冶屋などはいかがですかな?」
セバスティアンが助け舟を出した。
「貴殿の炎魔術があれば、炉を使わずとも鉄を溶かせましょう。武器防具の製作ならば、天職かと」
「おお! なるほど! 魂を込めた剣を作れというのか!」
フレイムベルグの目が、少年のように輝いた。
「よし、決めたぞ! 鍛冶屋王になる!」
「決断が早いのよ……」
★
「しかし……」
街へ戻る道中、フレイムベルグは、未練がましくチラチラとアレクシオンを見ていた。
「三百年ぶりにシャバに出たのに、一合も打ち合わんというのは、なんというか、こう……禁欲的すぎるというか……」
「ダメです」
私は冷徹に釘を刺した。
「街中で剣を抜いたら、即座に再封印」
「チェリ様は厳しいなぁ……昔は――ククク――気に入らぬなら国ごと焼けばよい……と仰っていたのに」
「言ってない! ……多分!」
その時、アレクシオンがスッと手を挙げた。
「あの、提案があるんですが。フレイムベルグさん、騎士団の演習場まで来ませんか? あそこなら、公式な技術指導という名目で手合わせできますよ」
フレイムベルグの全身から、物理的な熱気が噴き出した。
「おおお! 貴様、話が分かる男だな! 気に入った!」
「僕も、伝説の戦鬼の剣筋、是非とも肌で感じてみたいんです!」
二人の間に、熱い友情のようなものが成立してしまった。
私は天を仰いだ。止める気力もなかった。
後編へつづく




