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3:格安物件探し☆

 出たのは幽霊じゃなくて、昔の部下(黒歴史の語り部)だった。

 ……。


「ほ、本当にこちらでよろしいのですか? 『呪告館』などという物騒な名前がついた物件ですよ……?」


 いかにも人のよさそうな紹介所の主人は、血の気が引いた顔で何度も念を押してきた。


 港町ヴェルナの高級住宅街から少し離れた、小高い丘の上に佇む古びた西洋館。

 かつて貴族の別邸だったというが、夜な夜な不気味なうめき声と「暗闇に沈め……」という謎と言い切るには、あまりにも明瞭な声が聞こえるため、誰も近寄らないという曰く付き物件だ。


「ええ、問題ありません。私、少しでも生活費を抑えたいだけの、貧しい元令嬢ですから」


 私はにっこりと微笑んだ。


 家賃は相場の十分の一以下。家具完備。庭付き。

 幽霊? そんなもの、私の魔力の余波だけで浄化できるわ。無問題。


「で、では、鍵をお渡ししますが……御無事を祈っております……」


 震える手から鍵を受け取り、私は新しい住まいへと足を踏み入れた。

 背後で先ほどの男が清めの塩を撒いているのが見えたが、見なかったことにした。


 その夜。

 私は埃まみれの広間を、お手軽清掃魔法『浄化(プルィフ)』でピカピカに部屋中を磨き上げ、優雅に紅茶風の草茶を楽しんでいた。ちょっとした道具類も備え付けで助かった。茶葉は無かったので庭からすこしだけ引っこ抜いたものを味変させた。


「ふう。静かで素敵なところじゃない」


 窓の外では嵐が吹き荒れ、雷が轟いている。

 絶好の怪奇日和だ。

 なんて考えた刹那。

 暖炉の炎が不自然に消え、室温が急激に低下した。

 壁から漆黒の霧が染み出し、空中に巨大な骸骨の幻影が浮かび上がる。


 ……立ち、去れ……この場より、去るがいい……

 大地を這うような重低音の声。

 我は……奈落の番人……終わりなき闇を、統べる者……


 普通の人間なら恐怖で気絶してしまうレベルの威圧だ。

 無能令嬢チェリ状態の私だったら、完全に失神してるとおもう。か弱いから。


 だがしかし、今の私は元無能令嬢なのだ。

 紅茶のカップをソーサーに丁寧に戻し、深いため息をつき、壁の染みを眺める。


 演出が時代遅れすぎる。

 三百年前の基準で判断しても、二流、いや三流の脅かし方だ。

 奈落、だの、終わりなき闇、だの、言葉選びが微妙にダサい。

 ……いや、待って。このダサさ、どこかで覚えがある……?


 私は指先から、ほんの僅か――空間破壊しない程度に手加減して――『浄化の光(プルィフミッコ)』を放った。


『ひゅおおおああああ!? こ、この波動は……!?』


 曰く付き物件憑きであろう存在が絶叫を上げて霧を散らし、実体化した。

 そこに現れたのは、ボロボロの黒いローブを纏った、半透明の骸骨だった。

 骸骨は、空洞の眼窩で私を凝視し、顎骨をガクガクと震わせた。


『……ま、まさか。その魂の波動……その、圧倒的で横柄な魔力の輝きは……!』


「誰が横柄よ」


『おお……! おお、我が主! ヴェリタス様! 魔王ヴェリタス様ではありませんか!!』


 骸骨が床に平伏し、頭蓋骨を床に叩きつけた。


『お会いしとうございました! 三百年……三百もの間、この地で復活をお待ちしておりました!!』


 私はこめかみを押さえた。

 思い出した。

 こいつは、かつて私が使役していた死霊遣いザガン。

 私の……世界支配計画、に心酔し、誰よりも積極的に私の痛々しい台詞を暗唱していた、忠実すぎる従者。


「……ザガン。あんた、まだ成仏してなかったの?」


『死してなお、我が忠義は不滅! 主よ、ついに時が来たのですね! 再び世界を恐怖の淵に……いえ、恐怖の底に沈める時が! 暗闇に沈め!! 虫けらども!!』


 ザガンは立ち上がり、ボロボロのローブを翻した。


『御覧ください、この館! 亡きヴェリタス様の魂を忍び、当時の本拠地であった、漆黒の魔離宮――の雰囲気を忠実に再現したのです!』


「……はい?」


『ほら、あちらの壁の模様! あれはヴェリタス様がお気に入りでいらした――紅に染まりし聖女の涙――つまりはトマトペーストで描いた魔法陣です! そしてこの鎮魂呪言! 「暗闇に沈め、汝の運命はここで尽きる」を、毎晩叫んで追慕しておりました!』


「やめなさい!!!」


 私は叫んだ。

 やめて。私の黒歴史を抉り出さないで。


 ――紅に染まりし聖女の涙。

 十代の私がかっこいいと思ってつけたトマトペーストの名前、死ぬほど恥ずかしいから!


『は? ヴェリタス様?』


「その名前で呼ばないで! 私は今、か弱い美少女、チェリなの! 世界征服とかもういいの! 隠居したいの!」


『しかし、我らは誓い合ったではありませんか! ――たとえ星々が堕ちようとも、我らの野望は潰えぬ、と……!』


「ああああ! 言わないで! 朗読するのやめてぇぇぇ!!」


 私は悶絶し、ソファの上で転がり回った。

 かつての部下の純粋な忠誠心が、今では鋭利な刃となって私の羞恥心を深く傷つける。


「……理解したわね? 今の私は一般市民。貴族でもない、ただの平民よ。なんといっても追放された可哀相な元公爵令嬢なんだから」


 私は正座させたザガンに説教をしていた。


『は、はい……。魔を統べる女王ヴェリタス様……いえ、ただの一般人であられるかわいそうなチェリ様』


「今後、昔の話は一切禁止。私の過去の台詞の引用も禁止。世界征服の話題も禁止。違反したら完全浄化するわよ」


『そ、それだけは御勘弁を! せっかく再会できたのに、虚無に帰すのは酷すぎます!』


 骸骨が泣き真似をするので、私は一つため息をついた。

 まあ、正体を知る相手がいるのも、悪くないかもしれない。

 家事もできそうだし。


「じゃあ、ここで私の執事として働きなさい。ただし、その汚らしい骨の姿は何とかして」


『御意……変身』


 ザガンの体が黒い闇に包まれ、次の瞬間、そこには上品な少々顔色の悪い、グレーヘアの紳士が立っていた。

 生前の姿らしい。意外と整った顔立ちだ。


「悪くないわね。今日からあなたは執事のセバスティアンよ。家賃分の働きはきっちりしてもらうわ」

「はっ。……して、チェリ様。早速ですが夕食のメニューはいかがなさいますか? かつてお好きであられた『深淵竜の肝の燻製〜絶望のソースを添えて〜』をご用意いたしましょうか?」


「……塩パンとスープでいいわ。普通の」


 こうして、私は格安の屋敷と、少し面倒だけれど有能な元死霊遣いの執事を手に入れた。

 穏やかな暮らしへの第一歩……だと信じたい。


「セバスティアン、庭の草むしりをしておいて」

「承知いたしました。根絶やしの呪詛で草木一本残らず枯死させて参ります」

「普通に抜きなさいって言ってるでしょ!!」


 前途は多難だった。


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