26:因果応報☆
因果応報は、忘れた頃にやってくるというが、時には三百年待たずとも、特急便で届くこともあるらしい。
北方大陸にある歴史ある古都。
その中心に聳えるアンブロシア公爵家の屋敷では、この数ヶ月、もはや恒例となった怒号が響いていた。
「何だと!? また投資が失敗しただと!?」
アンブロシア公爵の怒声に、老執事が小さく肩を震わせる。
「申し訳ございません。しかし、出資した商船が海賊に襲われ、積み荷ごと沈没したとの報告が……」
「言い訳はいい! これで三度目だぞ! 三度目!」
公爵は、机上の書類を床に叩きつけた。
ここ数ヶ月、アンブロシア公爵家は見事なまでに不運の連鎖に見舞われていた。
期待の新規事業は大コケし、所有する鉱山は落盤事故で閉鎖。
領地の農作物は謎の害虫被害で全滅寸前。
まるで、貧乏神が屋敷に住み着いたかのようだ。
「お父様……これはもしや、何かの呪いではありませんの?」
長女のロザリンドが、青ざめた顔で恐る恐る口を開いた。
「バカなことを! 我が家に呪いなど!」
公爵は一蹴したが、その目は泳いでいた。
彼自身、あまりの不運続きに薄気味悪さを感じていたのだ。
「ところで、お父様」
次女のカタリナが、扇子で口元を隠しながら言った。
「最近、南方大陸のカイエン帝国にあるヴェルナという街に、聖女が現出したとの噂ですわ」
「聖女?」
「ええ。どんな病も治し、魔物を退け、街に莫大な繁栄をもたらしているとか。なんでも、神の愛し子だそうですわよ」
公爵は顎髭を撫でながら考え込んだ。
「その聖女に会って、我が家の不運を払ってもらえないだろうか……。このままでは破産だ」
「ええ、ええ、それは良い考えですわ! 旅行ついでに浄化してもらいましょう!」
ロザリンドが目を輝かせた。
こうして、アンブロシア公爵一家は、藁にもすがる思いで遥々ヴェルナへ向かうことになった。
しかし、彼らは知らなかった。
噂の聖女が、かつて自分たちが無能と罵り、ゴミのように捨てた姪だということを。
★
数日後、アンブロシア公爵一家はヴェルナに到着した。
「なるほど、田舎町かと思えば、随分と活気があるな」
公爵は、賑わう街並みを見て感心した。
行き交う人々は皆笑顔で、店先には豊かな商品が並んでいる。
自分たちの領地とは大違いだ。
街の住人に聖女の居場所を尋ねると、誰もが誇らしげに教えてくれた。
「聖女様なら、中央通りのガードランドの特殊薬取扱店で働いておられますよ」
「薬屋? 聖女が?」
「ええ、うちの聖女様はとても気さくな方ですからね。庶民派なんです」
庶民派という言葉に、公爵は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
高貴な聖女が下々の仕事をしているなど、理解しがたいのだろう。
教えてもらった店は、こぢんまりとした店構えだった。
ドアベルを鳴らして中に入ると、薬草の独特な香りが鼻をつく。
カウンターの奥に、小柄な女性の後ろ姿があった。
「すみません、こちらに聖女様がいるとお聞きしたのですが」
公爵が尊大に声をかける。
背後の棚からガラス瓶を取り出していた女性が「はいはい~」と気の抜けた返事をして、くるりと振り返った。
その瞬間、店内の空気が凍りついた。
「「「ち、チェリ!?」」」
そこにいたのは、かつて追放したはずの、無能な姪だったのだ。
★
「あ……お久しぶりですね、大叔父様。こんな辺境まで、何の御用でしょう?」
私は、努めて冷静に言った。
心臓は早鐘を打っていたが、表情筋を総動員して無感情を貼り付けた。このところの騒動で精神を鍛えられた私は、ポーカーフェイスを習得したのだ。
「お前……生きていたのか」
大叔父は、幽霊でも見るような目で私を見た。
「はい。おかげさまで、しぶとく生きております」
「そして……お前が、噂の聖女なのか?」
「噂かどうかは知りませんが、そのように呼ぶ奇特な方もいらっしゃいますね~」
私は淡々と、他人事のように答えた。
ロザリンドとカタリナは、口をパクパクさせて金魚のようになっている。
「む、無能のチェリが……聖女……? 冗談でしょ?」
「嘘よ! あり得ないわ! 魔力も無いクズだったのに!」
混乱する二人を無視して、私は大叔父を真っ直ぐに見据えた。
「それで、皆様お揃いで、私に何か?」
冷たく尋ねると、しばらく呆けていた大叔父様は、オホンと咳払いをして背筋を伸ばした。
流石、貴族としてのプライドだけは一級品だ。厚顔無恥とも言うが。
「実は……我が家は最近、不運続きでな」
「それは大変ですね」
私の棒読みの相槌に、大叔父様は盛大に顔を歪めたが、背に腹は代えられないらしい。
「そこでだ。お前……いや、聖女に、我が家に呪いが掛かっていないか検分していただきたいのだ。報酬は弾むぞ」
懐から金貨の詰まった革袋を取り出し、カウンターに置いた。
ジャラリ、と重い音がする。
私は、その革袋を一瞥し、鼻で笑った。
「お断りします」
「何?」
「私は、お金で動く便利な道具ではありません」
私は、きっぱりと言い放った。
「それに、大叔父様は私に何をしましたか? 忘れたとは言わせませんよ」
「それは……」
大叔父が言葉に詰まる。
「確か、私を無能と罵り、家門の恥だと唾を吐きかけ、着の身着のままで追放したのではなかったでしょうか」
「あ、あれは……教育的指導だ!」
「言い訳は結構です。お帰りください。出口はそちらです」
私が冷たく扉を指差した、その時だった。
バァァァン!!
店のドアが派手に開いた。本日二度目の来訪者だ。
「おーっほっほっほ! チェリさん、あら?」
深紅のドレスを纏ったクラーリスが優雅に入店し、扇子で口元を隠しながら公爵たちをねめつけた。
「あなたたちは……んーーと、確か北方大陸の没落寸前……失礼、アンブロシア公爵家の方々ですわね」
「君は?」
「わたくし、情報屋のクラーリスと申しますわ」
クラーリスは、毒のある笑みを浮かべた。
「実は、アンブロシア公爵家について、少々調べたことがありますのよ」
「調べた……?」
「ええ。最近の度重なる不運、あれは偶然ではありませんわよ」
クラーリスは、懐から数枚の羊皮紙を取り出し、パラパラと見せびらかした。
「公爵家が投資した商船。あれ、実は海賊と裏で繋がっている悪徳商人の罠でしたの。事前に危険な航路を選ばせたのですわ」
「何だと!?」
「鉱山の崩落も、コスト削減のための手抜き工事が原因。農地の不作も、肥料代をケチって手入れを怠った結果。すべて、記録に残っていますわ」
クラーリスは、容赦なく事実を突きつけた。
「つまり、全て人災。貴方様の強欲が生んだ結果ですわ。そして」
彼女は、更に鋭い眼光を向けた。
「公爵家は、今まで多くの人々を不当に扱ってきましたわね?」
「何を言う!」
「使用人への給料未払い。下請け業者への不当な値引き強要。そして……」
クラーリスは、私をちらりと見た。
「身内への虐待」
大叔父は、言葉を失い、顔面蒼白になった。
図星を突かれた人間の顔だ。
「因果応報という言葉をご存知ですか?」
私は、カウンターから出て、静かに告げた。
「悪い行いをすれば、必ず自分に返ってくる。神様は見ているんですよ」
「チェリ……」
「私は、大叔父様を恨んではいません」
小さく微笑む。
「恨む価値もないからです。ただ、あなた方の行いが、自分たちに返ってきただけ。それだけのことです」
大叔父は、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
「お、お願いです!」
それまで黙っていたロザリンドとカタリナが、高価なドレスが汚れるのも構わず、床に頭を擦り付けた。
「私たち、謝ります! あの時は酷いことを言いました!」
「死ぬほど反省してます! だから、助けてください! このままじゃ夜会にも出られないわ!」
私は、彼女たちを見下ろした。
かつて私を見下していた彼女たちが、今は足元にいる。
「……本当に、反省していますか?」
「はい! 神に誓って!」
「なら、これからどうするつもりですか?」
「これから?」
「ええ。謝るだけなら、言葉を知っていれば猿でもできます」
私は、かつて魔王軍を率いた時の威厳を少しだけ込めて言った。
「大切なのは、これからどう生きるか、行動で示すこと」
ロザリンドとカタリナは、顔を見合わせた。
そして、覚悟を決めたように顔を上げた。
「私たち……変わります」
ロザリンドが言った。
「使用人にも優しくします。贅沢も控えます」
「取引先にも誠意を持って接します。困っている人がいたら助けます」
カタリナも続けた。
私は、少し考えてから頷いた。
嘘をついているようには見えない。
追い詰められた人間は、時に劇的に変わるものだ。
「分かりました。ただし、条件があります」
私は指を三本立てた。
「一つ、使用人への未払い給料を利子をつけて全額支払うこと」
「は、はい」
「二つ、不当に扱った取引先に謝罪行脚を行い、正当な賠償をすること」
「分かりました」
「三つ、今後は誠実に生きること。二度と人を踏みつけにしないこと」
「誓います!」
大叔父も、深く頭を下げた。
「チェリ……すまなかった」
「私は、大叔父様を許しませんよ」
許しを与えるほど、私は聖人君子ではない。
「ただ、変わる努力をするなら、その背中を押すくらいのことはしてあげます」
私は、簡単な祈りを彼らの前で見せた。
キラキラと光の粒子が舞うだけの、演出重視の魔法だ。
彼らの不運は、呪いではなく彼ら自身の行いが招いたもの。
本気で変わる気があるなら、運気も自然と変わるだろう。
店を出る時、ロザリンドが立ち止まり、小声で私に言った。
「チェリ」
「何?」
「あなた、本当に強くなったのね」
ロザリンドは、悔しさと羨望が入り混じったような、複雑な表情をしていた。
「昔は、私たちの後ろで泣いてばかりいたのに」
「人は、変われますよ。いつからでも」
今度こそ、私は、自然に微笑むことができた。
「あなたたちも、変われます」
「……ふん。せいぜい頑張るわ」
彼女はそう言って、少しだけ背筋を伸ばして去っていった。
★
それから数ヶ月後。
クラーリスからの定期報告。
「アンブロシア公爵家、少しずつですが持ち直していますわよ」
「そう」
「私財を売り払って使用人への給料も完済し、取引先にも土下座して回ったそうですわ」
「へえ……やるじゃない」
「ロザリンド様とカタリナ様も、ドレスを質に入れて慈善活動の資金にしたとか」
「あら」
私は、少しだけ心が軽くなった気がした。
「でも、公爵家の財政は火の車、毎日の食事も質素なものらしいですわ」
「それは、まあ、自業自得ね」
「おーっほっほっほ! その通りですわ! いい気味ですこと!」
クラーリスの高笑いが、平和な店内に響き渡った。
私もつられて笑った。
因果は巡るのだ。




