25:揺れる心☆
「収穫祭ですって?」
朝食の席で、セバスティアンが告げた言葉に私はトーストを齧ったまま固まった。
収穫祭。街が最も賑わい、最も浮かれる日。
陰キャ隠居ライフを目指す私にとっては、最も警戒すべきイベントである。
「はい。来週開催される年に一度の祭典でございます」
セバスティアンは、完璧な営業スマイルを浮かべた。
「そこで、グラシエル、フレイムベルグ、ネクローゼが、屋台を出店したいと申し出ておられまして」
「屋台?」
思わず聞き返した。
かつて世界を震撼させた魔王軍幹部が? 屋台?
「はい。地域密着型の支配こそが真の世界征服への第一歩……だとか、俺の筋肉を見せつける絶好の機会……だとか、それぞれもっともらしい理由を並べておられました」
「ま、まあ、いいんじゃない? 真面目に働くなら」
★
そして迎えた収穫祭当日。
街の中央広場は、色とりどりのテントと人々の熱気で埋め尽くされていた。
「チェリ様ー! こちらです!」
人混みの中から、聞き覚えのある美声が響いた。
見れば、青と白を基調とした、やたらと洗練されたデザインの屋台が立っている。
看板には『氷結騎士の絶対零度ジェラート』の文字。
「すごい、本格的じゃない」
「ええ。三百年前の氷魔法の術式を現代風にアレンジし、究極の滑らかさを実現しました」
グラシエルは純白のコックコートに身を包み、誇らしげに胸を張った。
その隣では、フレイムベルグが半裸で筋肉を誇示する屋台を出していた。
看板には『獄炎の剛腕 アームレスリング道場』
「さあ来い! 拙者に勝てば、特製の銅製フライパンをプレゼントだ!」
「フレイムベルグ、それ誰も勝てないんじゃ……」
「安心しろ! 小指一本で相手をしてやる!」
さらに奥まった一角には、紫色の怪しげなテントが設営されていた。
『運命の羅針盤 ネクローゼの占い館』
水晶玉を前にしたネクローゼは、完全に胡散臭い占い師になりきっていた。
「……見える、見えますぞ。貴方の未来に待ち受ける、ささやかな幸運と散財の予兆が」
「す、すごいです! 何も言ってないのに!」
客の女性が目を輝かせている。
高精度の魔力感知を使えば、まあ当たるだろう。ある意味、インチキではない。
お祭りが本格化すると、三人の屋台は瞬く間に大行列となった。
「このアイス、口の中で一瞬で溶ける!」
「店員さんがイケメンすぎる!」
グラシエルの屋台には黄色い声援が飛び交っている。
「うおおおお!」
フレイムベルグの屋台では、街の屈強な男たちが次々と挑んでは玉砕していた。
「ハッハッハ! 良い力だ! だが、筋肉への愛が足りん!」
ネクローゼの占い館も満員御礼だ。
「先生、私の恋愛運は……」
「ふむ。北の方角に良縁がありますね。ただし、中二病の傾向がある男には注意なさい」
お前が言うな。
私は遠巻きに彼らの繁盛ぶりを眺め、安堵のため息をついた。
彼らがこんな風に、笑顔で人々に囲まれる日が来るなんて。
「チェリさん!」
爽やかな声と共に、アレクシオンが駆け寄ってきた。
今日は騎士団の制服ではなく、ラフなシャツにベストという姿だ。それがまた、無駄に似合っている。
「アレクシオン様、今日はお休み?」
「はい! 非番をいただきました。良ければ、一緒に回りませんか?」
「ええ、喜んで」
私たちは並んで歩き出した。
まるで、普通の――恋人同士のように。
え?
私、今何を考えたの。
「あ、りんご飴! 懐かしいなぁ」
アレクシオンが二本買い、一本を私に差し出した。
「どうぞ。チェリさんは、りんご飴はお好きですか?」
「……食べる機会なかったですね」
ふと、口をついて出た言葉に、私はハッとした。
三百年前。
私が魔王だった頃、こんな風に祭りを歩くことなど許されなかった。
私の通る道は、いつも恐怖と静寂に包まれていたから。
つい先日までは、アンブロシア公爵家の厨房で、いつも身を縮こませていた。
粗相して、怒られないように。
「どうかしましたか?」
アレクシオンが心配そうに覗き込む。
「ううん、何でもない。……いただきます」
飴のパリッとした食感と、りんごの甘酸っぱさが口の中に広がる。
甘い。
そして、胸の奥が少しだけ痛い。
「美味しいですね」
「でしょう? 僕、子供の頃から大好きなんです」
アレクシオンの笑顔は、祭りの灯りよりも眩しかった。
「お、射的ですよ!」
アレクシオンが目を輝かせた。
彼は子供のように無邪気に屋台を指差した。
「やってみませんか? 僕、得意なんです」
「射的?」
「ええ。的を狙って、賞品をもらうんです」
アレクシオンが銃を構える。その構えは、遊びとは思えないほど洗練されている。
瞬く間に、三発全てが的の中央を射抜いた。
「流石ですね」
「騎士の嗜みですから! チェリさんもどうぞ」
私は銃を受け取った。
物理で狙うのは苦手だけど……。
私は指先に微弱な魔力を込めた。風の微調整。
弾丸は吸い込まれるように的の中心へ。
「お嬢さん、センスありますね……!」
店主が目を丸くする。
「チェリさん、才能ありますね!」
「え、ええ……まあ、ね」
魔力で誘導するというズルをしてしまった。
賞品として渡されたのは、抱えるほど大きなクマのぬいぐるみだった。
私はそれを、アレクシオンに差し出した。
「これ、アレクシオン様にあげます」
「え、僕に?」
「はい。いつも助けていただいてますから。そのお礼」
アレクシオンは一瞬きょとんとして、それから顔をほころばせた。
彼は大切そうにぬいぐるみを抱きしめた。
「ありがとうございます! 家宝にします!」
彼の笑顔を見て、私の胸に何やら得体の知れない感情がじわりと広がった。
誰かに何かを贈って、喜ばれることは、いつだって嬉しいものだよね!
日が暮れて、広場には灯りが灯る。
中央には大きな焚き火があり、太鼓の音が響き始め、人々が中央に集まってくる。
「ダンスが始まるみたいですね」
アレクシオンが言った。
「収穫祭の締めくくりです。チェリさん、一曲いかがですか?」
差し出された手。
騎士の手だ。硬くて、大きくて、温かい手。
かつては私に向けられることのなかった手。
「……私、ダンスなんて久しぶりよ」
「大丈夫です。僕がリードしますから」
私は彼の手を取った。
音楽に合わせてステップを踏む。最初はぎこちなかったけれど、彼のリードは完璧で、すぐに体が自然と動くようになった。
揺れる炎の向こうで、仲間たちが笑っているのが見える。グラシエルが満足げに売り上げを数え、フレイムベルグが子供たちに囲まれ、ネクローゼが何か熱く語っている。
そして目の前には、私を真っ直ぐに見つめるアレクシオンがいる。
「……チェリさん」
「何?」
「顔、赤いですよ?」
「……ちょっと、動いたから、暑い」
私は思わず視線を逸らす。
心臓の音が、音楽よりも大きく響いている気がした。
一人で良いと思っていたのに、この人といると、なんというか、ぽかぽかする。
「焚き火のせいですかね」
アレクシオンは笑った。
私は、思わず、繋いでいる手を放しかけたけど、曲が終わると同時に、夜空にドーンという音が響いてタイミングを逃してしまった。
大輪の花火が咲く。
赤、青、金。光の粒子が降り注ぐ。
「綺麗ですね」
私とアレクシオンは、並んで花火を見上げていた。
周囲の喧騒が遠のき、二人だけの世界になったような錯覚。
「チェリさん」
アレクシオンの声が、少し震えていた。
「今日、本当に楽しかったです。こうやって、一緒に過ごせて……嬉しいです」
アレクシオンの声が、少し震えていた。
「僕、チェリさんに伝えたいことがあって」
彼が私の方を向く。真剣な瞳。
言葉の続きを待つ私の鼓動が跳ねる。
「チェリ様ー! 花火、最高ですねー!」
空気を読まない大声が、その場の雰囲気を粉砕した。
フレイムベルグだ。
彼は両手に焼き鳥とビールを持ち、満面の笑みで走ってきた。
「拙者、アームレスリング全勝しましたぞ!」
「おお、チェリ様、こちらにおられましたか」
グラシエルも優雅に現れる。
「アイスは完売、私の懐も温まりました」
「占いも大繁盛でしたよ。やはり愚民どもは迷える子羊ですね」
ネクローゼも加わった。
……台無しである。
アレクシオンは、言いかけた言葉を飲み込み、苦笑した。
「……また今度、話しますね」
「え? 何を?」
「秘密です」
彼は口元に人差し指を当てて、悪戯っぽく笑った。
花火は、まだ夜空に咲き続けている。
私は彼らを見回した。
騒がしくて、空気が読めなくて、でも愛すべき仲間たち。
帰り道、星空の下を歩きながら、私は思った。
かつて孤独だった魔王は、もういない。




