22:元悪役令嬢の華麗なる?お仕事風景☆
午前八時。
太陽が街の輪郭をなぞり始める頃――クラーリス情報事務所、の扉は、物理的な法則を超越した高笑いによって押し開かれた。
「おーっほっほっほ! 今日も世界はわたくしを中心に回っておりますわ!」
窓が勢いよく開かれ、停滞していた空気が朝の光に洗われる。
かつては港町の毒花とまで称された悪役令嬢、クラーリス。
失脚という名の荒波に揉まれた彼女が今、その溢れる自尊心と実務能力を注ぎ込んでいるのは、街一番の精度を誇る、情報屋という商売だった。
「さて、本日の予定は……」
整然とした机上で、彼女は革表紙の手帳を紐解く。
十時:商人の不穏な動向調査
十四時:恋に迷える子羊(貴族令嬢)の浮気精査
十六時:聖女チェリへの定時連絡
「時間刻みの忙しさですわ。けれど、退屈に殺されるよりは数倍マシですこと!」
壁には緻密な人物相関図。
机上には、毒の代わりに真実が書きなぐられたファイル。
彼女は、営業中の札を掲げた。
それは、彼女がこの世界で再び女王として君臨するための、戦いの合図でもあった。
開店から三十分。
沈黙を守っていたドアベルが、怯えたような音を立てた。
現れたのは、自身の影を数えるような足取りの若い商人である。
「……あ、あの。ここなら、どんな秘密も暴けると聞いて……」
「いらっしゃいませ。クラーリス情報事務所へようこそ。わたくしの美貌に見惚れる時間は、一分につき銀貨三枚いただきますわよ?」
クラーリスは完璧な営業用微笑を浮かべた。
商人は言葉を失い、一瞬、帰ろうかという顔をしたが、意を決して身を乗り出した。
「取引先のルガルドという男が、禁制品の密輸に手を染めているようなんです」
「――密輸、ですわね」
クラーリスのペンが、紙の上を滑らかな舞踏のように踊る。
「三日ですわ。その男が昨日食べた夕飯の献立から、隠し持っている愛人の数まで、すべて白日の下に晒して差し上げますわ」
商人は前金を置き、嵐に去られた後のような表情で事務所を後にした。
★
クラーリスは、自慢の縦ロールを機能性の高いローブの中に押し込める。
「潜入の基本は、個性を殺すことですわ」
鏡の中にいるのは、どこにでもいる地味な市民……のはずだが、その眼光だけは隠しきれない。
港の酒場、潮の香りと荒事の気配が混ざる場所。
「ねえ、そこの貴方。ルガルドという男、最近は、蝶ではなくて、重たげな荷を扱っていると聞きましたけれど?」
情報提供者に銀貨を滑らせる。
彼女のネットワークは、元貴族の社交術と、本家からの資金力で編み上げられている。
「ああ、あいつか。旗のない船を恋人と呼んで、夜中に密会してるぜ」
「――旗のない恋人。趣味が悪いわね。……感謝しますわ」
午後四時。
チェリの屋敷の応接室。
クラーリスは、背筋を正して紅茶を一口啜った。
「チェリさん、今週の概況ですわ。まず、貴女を、違法魔法使いではないか?と疑う不届き者が三名おりましたが、底なしの純粋さに神に愛されているだけ、という美談に書き換えておきましたわ」
「……ええと、ありがとう。クラーリス」
チェリは少し複雑そうな顔をしたが、クラーリスは止まらない。
「それから、元魔王軍の方々。グラシエル様のアイスは、もはや街のインフラですわ。フレイムベルグ様の工房は、飲食店からの特注が絶えず。ネクローゼ様の補習授業は……死んでも合格させる――、という言葉が、文字通り受け取られて震え上がっている生徒が数名」
「みんな馴染んでるのね、一応……」
「ただ……セバスティアン様が深夜、墓地周辺を徘徊しているという不穏な報告が」
「えっ!?」
「ええ、ええ、わたくし調べましたわ。……ただの、月夜にしか採れない珍しい薬草を摘んでいただけでした。紛らわしいですわね、あの執事」
二人の間に、傍から見ると無邪気な笑いが溢れる。
★
夕刻、事務所に飛び込んできた男。
その絶望的な叫びが、今日という日の終わりを告げるはずだった。
「妻が……誘拐されたんだ! 身代金の要求が!」
「誘拐? ……この街で、わたくしの目を盗んで犯罪を? 良い度胸ですわね」
クラーリスは、騎士団に通報するよりも先に動いた。
彼女のプライドが、このうつくしき自分の庭先、で起きた不始末を許さなかったのだ。
東門を出て少しばかり奥に入ったところにある廃屋。
彼女は優雅な足取りで近づき、扉の隙間から中を覗く。
……三名。武器は短剣。
あら、意外と手薄ですこと。
わたくしの魔法道具があれば、騎士団の手を借りずとも――。
「そこにいるのは誰だ!」
誤算だった。 彼女が踏んだ床板が、悲鳴のような音を立てた。
三人の男たちが、ぎらつく凶器を手にクラーリスを取り囲む。
「……あら。ごめんなさい、道に迷いましたの。おーっほっほっほ! ……通じませんわね?」
絶体絶命。
クラーリスが、袖に隠した護身用の魔導具を起動させようとした、その時。
物理的な暴力が、廃屋の扉と共に、空間の緊張感を粉砕した。
舞い散る木屑の向こう側、銀色の鎧を夕日に輝かせ、一人の男が立っている。
「……騎士団だ。動くな」
「アレクシオン様!」
「クラーリス嬢、……また貴女は、一人で無茶を」
アレクシオンは呆れたように息を吐くと、一瞬の閃光のような動きで男たちを無力化した。
その洗練された暴力は、もはや芸術に近い。
★
「……情報屋は情報を売るのが仕事。戦うのは、我々の領分です」
「……分かっておりますわよ。ほんの少し、わたくしの正義感が暴走しただけですわ」
並んで歩く帰り道。夕闇が街を藍色に染めていく。
クラーリスは少しだけ縮こまっていた。助けられたことへの感謝と、本日の非効率的な動きへの反省が混ざり合う。
事務所に戻ると、そこには心配そうな顔をしたチェリが待っていた。
「クラーリス! 怪我はない?」
「……チェリさん。ええ、かすり傷一つ負っておりませんわ。あのアレクシオン様が、過保護に割り込んできましたから」
「私が行くと、また派手に暴走して目立っちゃうから、お願いしたのよ」
チェリが差し出した紅茶の温かさが、張り詰めていた神経をほどいていく。
「ねえ、クラーリス。あなたはもう、一人で戦う悪役令嬢じゃないんだから。無理はダメ」
「……ふん。分かっておりますわ。でも、チェリさん」
クラーリスは、紅茶の湯気の向こうで、不敵な笑みを浮かべた。
「わたくしは、いつか貴女を超えてみせますのよ? 貴女がその聖女という称号で人を救うなら、わたくしは、真実で、この街を支配して差し上げますわ!」
「負けないわよ?」
かつて真の聖女の冠を争った二人は、今、全く別の、けれどより鮮やかな高みを目指して笑い合う。
「おーっほっほっほ! 勝負はこれからですわ!」
夜空には星が瞬き、街の喧騒は穏やかな眠りへと向かう。
明日もまた、彼女の高笑いが、平和という名の因果律を揺り動かすだろう。
――けれど。
クラーリスはふと高笑いを止め、ティーカップを置くと、真剣な眼差しでチェリを射抜いた。
「ところでチェリさん。一つ、わたくしから忠告をさせていただきますわ。……あの方を、あのまま野放しにしておくのは、この街の治安維持の観点から言っても感心しませんわね」
「あの方……? アレクシオン様のこと?」
チェリが首を傾げると、影のように部屋の隅に控えていたアレクシオンが、微かに肩を揺らした。
「ええ。情報のプロとして断言しますわ。あの方は少々、貴女という太陽に目が眩みすぎて、騎士としての理性を場外に放り出しておりますのよ?」
「……クラーリス嬢。余計な話を流布するのは、情報屋の信条に反するのでは!」
アレクシオンが低く、制止するような声を出す。
だが、クラーリスは「あら怖い」とわざとらしく頬に手を当て、不敵に口角を上げた。
「余計な話? いいえ、これは共有されるべき真実ですわ。……チェリさん、ご存じ? この方、先日の非番の日、わたくしの事務所へわざわざ、情報を買いに来られましたのよ」
「えっ、アレクシオン様が? 何を?」
チェリが驚いてアレクシオンを見上げる。
騎士は、鉄仮面を被ったかのように表情を固めているが、その頬が僅かに赤熱し始めているのをクラーリスは見逃さない。
「チェリ・ローゼンフェルトが、最近市場で足を止めたが、値段を見て購入を断念した品物すべてをリストアップしてほしんです……ですって。おーっほっほっほ! 国家の至宝とも呼ばれる騎士団支部長が、小娘の買い物リストを金で買うなんて、最高に諧謔が過ぎると思いませんこと?」
「ク、クラーリス嬢……ッ!」
アレクシオンが、まるで致命的な一撃を食らったかのように絶句した。
「あ、あのリストは……彼女の、その、日頃の労をねぎらうための……!」
「あら、それだけではありませんわよね? 彼女が将来、自分の店を構えるならどの立地が最適か? という不動産調査まで私費で依頼して。貴方、チェリさんを自分の守護から一歩も出すつもりがないのではなくて?」
「アレクシオン様……?」
チェリの視線が、困惑から徐々に熱を帯びたものへと変わっていく。
アレクシオンは、もはや言い訳の言葉を失ったのか、乙女のように顔を覆う。耳まで赤い。
「……機密保持契約はどうなったんですか……」
「あら、わたくしは、依頼主のプライバシー、は守りますけれど、親友への忠告は別枠ですわ。さあチェリさん、今のうちに手綱をしっかり握っておかないと、そのうち貴女、この街ごと彼の所有物にされてしまいますわよ?」
「もう、クラーリスまで大袈裟なんだから……」
アレクシオンは視線を泳がせながら「……不動産調査は、あくまで将来的な治安維持のシミュレーションですから」と、誰にも通じないような小声で言い訳を続けている。
その光景を眺めながら、クラーリスは再び、今度は少しだけ優しさを混ぜる。
「全く。平和すぎて退屈かと思えば、これですもの。……この街の情報屋は、当分廃業できそうにありませんわ」
夜の帳が降りた事務所に、再びにぎやかな声が響く。
噛み合わないままに調和した三人の時間は、星の巡りよりもずっと贅沢に、ゆっくりと流れていった。




