2:法則を捻じ曲げる支配者☆
か弱き乙女として生きたいのに、うっかり港を制圧してしまった。
……。
「魔力を持たぬ者は、貴族としての責務を果たせぬ厄介者だ。我が家門の面汚しめ」
後見人となった大伯父の、氷よりも冷たい眼差しと言葉。
両親を事故で失った私を引き取ったのは、血縁としての情からではなかった。
政略結婚の道具として価値があるか見定めるためだ。
結果、魔力測定で計測不能=魔力無し=価値無し、と判定され、即座にあの流刑島へ送られたというわけだ。
「……ふっ。愚かな人間どもめ。我が真の力も理解せずに……って、いけないいけない!」
私は慌てて自分の頬を両手で叩く。
危ない。
また、万物を支配せし魔王ヴェリタスの人格が表に出そうになった。
あんな堅苦しい公爵家に戻って、また「カーテシーの角度が二度ずれておりますわ」などと嫌味を言われる日々を想像したからだろうか。漆黒に塗れた記憶が……。
「私はチェリ。か弱くて、身寄りのない、追放された哀れな元令嬢……かわいそうな女の子」
そう自分に言い聞かせながら、私は海風に髪を揺らす。
完全に制御下に置いた海竜は、従順に波を切り進んでいる。とてもいい子だ。
海竜の背中に設置した即席のテラスは、意外なほど快適だった。
目指すは南方大陸の巨大帝国カイエンに属する港町ヴェルナ。
あそこならたぶん、国がでかすぎて、目立たなそう。
のんびり穏やかな隠居暮らしが待っているはずだ。
しかも元の名前にちょっと似てるから親近感持っちゃう。
「そろそろ見えてきたわ。……あれ?」
港の方向から、カンカンカンカン!! という激しい警鐘の音が響いてくる。
よく見れば、港の守備兵たちが慌ただしく大砲の照準を合わせ、住民たちが悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
「……不思議ね。何かのお祭りでもあるのかしら?」
私が首を傾げると、足元の海竜が
――グルルゥ…… ※意訳:主様、私の姿が恐ろしすぎるのでは?
と申し訳なさそうに喉を鳴らした。
「撃てぇぇ!! あれは超災厄級指定の海竜種だぞ!!」
港から発射された砲弾が、ヒュルヒュルと風を切って飛んでくる。
「きゃっ、怖い!」
私は反射的に「絶対防壁:虚無の盾」を展開しかけて――慌てて止めた。
そんな派手な魔法を使ったら、可愛くて可哀そうでか弱い令嬢という設定が吹き飛んでしまう。
「地味に!」
私は人差し指だけ立て、目立たぬよう、飛んできた砲弾を弾いた。
指先に纏わせたのは、極小範囲の重力操作。
物理法則を無視して九十度曲げられた砲弾は、遥か彼方の沖合で巨大な水柱を上げた。
港が、水を打ったように静まり返った。
……やってしまった。でも大丈夫、距離があったし見えていないはず。
ここは、偶然砲弾がそれていった、ということにして、涙で乗り切るのよチェリ。
私は海竜に命じて、港の桟橋へ、丁寧に且つ優美に、そして繊細に横付けさせた。
全長数十メートルの巨体が接岸する衝撃で、桟橋の一部が悲鳴を上げて砕けたが、細かいことだ。
私はおずおずと演技しながら、海流の背中から滑り落ちると、巨躯を震わせている、この現場の指揮官らしき男性の前に歩み寄った。
「あ、あの……すみません。私、国を追放されてしまって……乗る船もなくて、この子がたまたま通りかかったので、乗せてもらったんです……」
上目遣いで、瞳に涙を浮かべる。
完璧だ。これぞ悲劇のヒロイン演技。
私は、追放された異国の令嬢。
漂泊の身を憂えたこの偉大な海の王者が、少し力を貸してくれた。
しかし、警備隊長の顔色は青ざめるどころか、真っ白になっていた。
「た、たまたま通りかかった、超災厄級を……手懐けた、だと……?」
「いえ、手懐けたなんて大げさな! ただちょっと、お願いしただけで……迫害してくる大叔父から逃げて、どこか遠くに……誰も私の事をしらない場所に……」
私が項垂れて首を横に振ると、指揮官の後ろで若い兵士が白目をむいて倒れるのが目に飛び込んできた。おでこ割れるぞ。
「き、貴様は何者だ!? そのような魔獣を従えるとは、ただの人間ではあるまい!?」
周囲から一斉に槍が向けられ、私は少しだけイライラした。
せっかく平穏を求めてやって来たのに、どうしてこんなにも騒がしいのか。
以前の私なら、この程度の無礼、街ごと灰にしていたところだぞ。
その苛立ちが、記憶の封印を緩めてしまった。
「フフフ……我こそは……」
――まずい。スイッチが入ってしまった。
私の口が、意思に反して勝手に動き出す。
「我こそは、永劫の闇より顕現せし者……世界の法則を捻じ曲げる支配者……」
周囲の空気が一瞬で凍りついた。
私の背後から、漆黒の魔力がゆらりと立ち昇る。無論自分の後ろをいちいち確認などしていないので、無自覚の賜物だ。
それを感じ取った兵士たちが、悲鳴を上げながら腰を抜かしていく。
ちょ、違う! 何を言ってるの私!?
法則を捻じ曲げる、とか恥ずかしすぎる!
やめて、思い出さないで三百前の備忘録!
私ははっと我に返り、必死に言葉を継ぎ足した。
「……世界の法則を捻じ曲げる支配者……に、追われて逃げてきた、ただの女の子です!!」
潮風だけが、気まずい沈黙を運んでくる。
指揮官風の男が、震える声で尋ねてきた。
「……そ、その……法則を捻じ曲げる支配者、とやらに追われて、この海竜に乗って逃げてきた……と?」
「は、はい! そうなんです! この子は私のペット……じゃなくて、えっと、道で出会った親切な海竜さんです! おともだちです!」
私は海竜の頭を慌ててバシバシと叩いた。
海竜は空気を読んで、くうんくうんと子犬のような声で鳴いた。
体長数十メートルの巨体からは想像もつかない可愛らしい声だった。
こいつ出来るな。さあ我に従うが良い。
「……そうか。理解した」
指揮官の男は、私に突き付けていた槍を下ろし、部下たちに向き直った。
「全員、礼!! こちらの御方は、伝説級の魔獣すら、親切な子と呼び、使役するほどの高位魔術師様だ!! おそらく、東の魔法大陸にあるどこかの国の高貴な姫君が御忍びで来られたに違いない!!」
「えっ」
「失礼いたしました、偉大なる姫君様! このヴェルナの街は、貴女様のような強大な力をお持ちの御方を心より歓迎いたします! さあ、街で最高級の宿屋へ御案内を! 費用は全て領主が負担いたしますぞ! たぶん!」
「いえ、あの、私は一文無しの無能で、すたぼろのおんぼろ令嬢で……」
「御謙遜を! 海竜を乗り物代わりに使う方が無能なはずがございません! どうぞどうぞ、こちらへ!」
兵士たちが道を開け、集まってきた住民たちが深々と頭を下げる。
やめてくれ。この光景、既視感を覚える。
まるで魔女王の凱旋行進ではないか。
……どうしてこんなことに。
私は豪華な馬車に半ば押し込まれながら、虚ろな目で遠くを見つめた。
穏やかな隠居生活。
目立たず、静かに暮らす夢。
それらが音を立てて崩れ去る音が聞こえた気がした。
港に残された海竜が、どこか同情するような瞳で私を見送っていた。
馬車の中で、私は顔を覆う。
三百前の黒歴史が引き起こした誤解の代償は、あまりにも重かった。




