16:元悪役令嬢の嗜み☆ 後編
クラーリスの手配によって、私たちはガーベラ伯爵主催の夜会に潜入することになった。
久しぶりに袖を通したドレスは、淡い空色の上質なシルク製だった。
鏡に映る自分を見て、私はなんとも言えない奇妙な感覚に襲われる。
かつてのアンブロシア公爵家時代は、ツギハギだらけのボロボロのお下がりばかり着せられていた。
逆にヴェリタス時代は、黒を基調とした露出度の高い、トゲトゲしいデザインばかりを好んで着ていた。
だから、こんな、普通の深窓の令嬢のようなドレスを着るのは、生まれて初めてかもしれない。
「あら、意外と悪くなくてよ? 素材が良いと何を着ても映えますわね」
「あたりまえでしょ!」
クラーリスの助手という名目で、簡単な変装をして同行する私。
隣には、血のように鮮やかな真紅のドレスを纏い、黄金の縦ロールを揺らすクラーリスがいる。
毒々しいほど華やかな彼女と対比すると、私は欲目に見ても清楚で大人しい令嬢に見えるはずだ。
これも彼女の計算なのだろう。クラ―リス出来る子だわ。
会場となる大広間は、シャンデリアの眩い光と、むせ返るような香水の匂いで満たされていた。
楽団が奏でる優雅なワルツに、グラスが触れ合う軽やかな音。
しかし、その華やかさの裏では、あちこちで貴族たちのヒソヒソ話が飛び交っている。
「おい、あれを見ろ。クラーリス嬢じゃないか?」
「実家が没落したというのに、よく顔を出せたものだ」
「なんと厚顔無恥な……」
好奇と侮蔑の視線が突き刺さる。
しかし、クラーリスは扇子で口元を隠し、胸を張って堂々と回廊を歩く。その姿には、一欠片の恥じらいも卑屈さもない。むしろ、噂の的にしなさい、と言わんばかりのオーラが周囲を圧倒している。
――自己肯定感の化け物だわ、この子。
私は内心で感嘆しつつ、彼女の少し後ろをついて歩いた。
「あら、ガーベラ伯爵。ご機嫌よう」
クラーリスは、広間の中央で談笑していた伯爵を見つけると、流れるような所作で挨拶をした。
没落して爵位を失っても、幼い頃からその身に叩き込まれた礼儀作法は、一ミリも錆びついていない。
「おお、クラーリス嬢か。……君の実家のことは残念だったね」
伯爵は哀れみの目を向けたが、その奥には「落ちぶれた娘が何の用だ」という侮りが見え隠れしていた。
「お気遣い痛み入りますわ。ですが、今は商売人として楽しくやっておりますの」
クラーリスはパチリと扇子を広げ、意味深に微笑んだ。
「商売人?」
「ええ。情報の、ですわ」
彼女は一歩踏み出し、伯爵との距離を詰める。
「ところで伯爵。貴方様が最近熱心に追いかけておられる――聖女の正体について、決定的な証拠が手に入りましたの」
「なに!?」
退屈そうだった伯爵の目が、見開かれた。
魚が餌に食いついた瞬間だ。
「実は……」
クラーリスは声をひそめ、伯爵の耳元に囁くように語りかける。
「彼女は、北の軍事大国ヘイムダンゼの第三王女ですの」
「王女……だと?」
「ええ。王位継承争いに敗れ、身分を隠してこの国へ亡命してきたのですわ。あの常識外れの強大な魔力も、北の王家に代々伝わる、氷狼の秘術によるもの」
「な、なるほど……! 魔導女王の生まれ変わりなどという馬鹿げた噂より、よほど辻褄が合う!」
クラーリスの語り口は巧みだった。
ここだけの話、極秘情報。というスパイスをふりかけ、伯爵の、真実を知る特別な自分、という自尊心をくすぐりながら、嘘の情報を真実として脳内に植え付けていく。
「この情報、伯爵だけに特別にお教えしましたのよ? 他言無用でお願いしますわね」
「うむ、うむ! もちろんだとも! 感謝するぞ、クラーリス嬢!」
伯爵は完全に信じ込んだ顔で、満足げに去っていった。
北の王女がいるなら外交問題になる。もううかつに手は出せないはずだ。
……チョロすぎて実に平和だ。
★
帰りの馬車の中で、クラーリスは高らかに笑った。
「おーっほっほっほ! 見ました? あの伯爵の顔! 完全に信じていましたわ!」
「すごいわ、クラーリス。本当にプロの情報屋みたい」
「みたい、ではありませんわ。プロですのよ!」
彼女は得意げにふん、と鼻を鳴らした。
「これで伯爵は、魔王説を捨てて亡命王女説を信じ込みますわ。そしてその噂が広がれば、王宮も外交問題を恐れて貴女に手出しできなくなります」
「完璧ね……ありがとう、クラーリス」
「礼には及びませんわ。これはお仕事……と言いたいところですが」
彼女はふと、窓の外に流れる夜景に視線を逸らした。
「……貴女には、借りを返しておきたかったんですの」
「借り?」
「ええ。あの日、貴女に負けたおかげで、わたくしは――ただの我儘な令嬢から卒業できましたもの」
彼女は少しだけ照れくさそうに笑った。
夜会の時とは違う、年相応の少女の顔だった。
「自分の足で立ち、自分の頭で考え、稼ぐ。……今の生活の方が、ドレスを着飾ってただお人形のように座っていた頃より、ずっと刺激的ですわ」
「そっか……強くなったのね」
「当然ですわ! いつか貴女より有名になって、この国一番の女になってみせますわよ!」
こうして、クラーリスは私たちの専属情報屋として、正式に契約を結ぶことになった。
「報酬は弾みますから、今後とも頼みますよ」
後日、セバスティアンが言うと、クラーリスは目を輝かせた。
「お任せくださいませ! 勇者様のゴシップから魔王軍の黒歴史まで、どんな情報も管理してみせますわ!」
「黒歴史の管理は厳重にお願いね……」
私が釘を刺すと、彼女はニヤリと悪戯っぽく笑った。
「そうそう、チェリさん。最後に一つ、とっておきの情報ですわ」
「何?」
「アレクシオン様が先日、王都の宝石店で指輪を購入されたそうですわよ」
「えっ」
「しかも、お給料三ヶ月分のとびきり高いやつを……おーっほっほっほ! 楽しみですわね!」
クラーリスは意味深に片目をつぶって、嵐のように去っていった。
残された私は、顔から火が出るほどの赤面状態で立ち尽くす。
アレクシオン様……!
誰に……いや、まさか……!
遠くから響くクラーリスの高笑いは、いつまでも街にこだましていた。




