表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された無能令嬢。前世魔王だった黒歴史から卒業して、ひっそり隠居生活を送りたいのに、かつての部下たちまで復活してきて散々です  作者: 水月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/27

14:灰色の箱庭☆

 前世の記憶を取り戻す前。

 私は本当に、自分は世界で一番無価値な存在だと信じていた。


 十七歳の私は、痩せ細った体をさらに小さく折り畳むようにして、広大な屋敷の片隅に佇んでいた。

 アンブロシア公爵家。

 両親を事故で亡くした私を引き取ってくれた、大叔父の家だ。

 豪華絢爛な装飾も、磨き上げられた床も、私にとっては冷たい檻でしかなかった。


「チェリ」


 背後から降ってきた声の冷たさに、肩が跳ねる。

 振り返ると、アンブロシア公爵が立っていた。

 白髪に刻まれた皺の一本一本までが威厳に満ちているが、私を見るその瞳だけは、氷河のように絶対零度だ。


「は、はい、大叔父様」


 私は反射的に頭を垂れた。


「今日の魔力測定の結果だ」


 公爵が投げ捨てるように差し出した一枚の紙。

 そこに記された文字は、見飽きた絶望。


 ――測定不能。


 それは、私の存在価値がゼロであることを証明する烙印。

 公爵の深いため息が、ナイフのように胸を抉る。


「申し訳ございません……」

「申し訳ない、で済む問題ではない」


 吐き捨てるような言葉。


「お前は、腐ってもアンブロシアの血縁であるローゼンフェルトの娘なのだぞ。それが魔力値皆無とは……一族の面汚しにも程がある」


 私は唇を噛み締め、ただ沈黙を守るしかなかった。

 何を言っても、言葉はすべて刃となって自分に返ってくることを知っていたから。


 夕食の時間、私は長いテーブルの末席に座っていた。

 そこは、家族の温かい団欒からは一番遠い場所。


 向こう側では、従姉妹のロザリンドとカタリナが、銀のフォークを優雅に操りながら談笑している。

 二人とも、優秀な魔力を持つ、公爵家の自慢の令嬢だ。


「ねえ、チェリ」

 ロザリンドが、甘い毒を含んだ声で呼びかけてきた。

「今日も測定器、反応しなかったんですって?」


「……はい」

「あらあら、可哀想に。壊れているんじゃない? 貴女の頭の方が」


 カタリナが、上品な手つきで口元を隠して笑う。

「やめてあげなさいお姉様。無能なのはチェリのせいじゃないわ。そういう血筋なだけよ」

「そうね。よくアンブロシア家の血を引いているなんて言えるわ。私なら恥ずかしくて死んでしまうけれど」


 クスクスという嘲笑が、食器の触れ合う音に混じる。

 私は皿の上の冷めたスープを見つめたまま、何も言い返せなかった。

 反論する言葉なんて持っていなかった。

 だって、彼女たちの言う通りだから。

 魔力を持たない私は、この世界では欠陥品なのだから。


 食事を終え、逃げるように厨房の片隅へ戻る廊下。

 すれ違う使用人たちの視線もまた、私を傷つける針だった。


「あ、チェリ様……」


 彼らは私を見ると、気まずそうに目を逸らす。

 以前はもっと温かい視線があった。けれど、無能というレッテルが貼られてからは、私は腫れ物扱いだ。


「チェリ様の部屋の清掃、週一でいいって執事長が」

「ああ、公爵様が、あの子に割く人件費が惜しいって……」

「今は厨房の片隅で寝起きされてるぞ」


 背後で交わされる囁き声。

 私は耳を塞ぎたくなるのを堪え、足を速めた。


 与えられた部屋は、屋根裏にある小部屋だった。

 家具はすべて、誰かのお古か、壊れかけたものばかり。

 そこさえも追い出され、厨房片隅にあるパントリーの隣の小さな空間で、今では寝起きしている。

 軋むベッドに倒れ込むと、埃の匂いがした。


「私……生きてる意味、あるのかな」


 天井の染みを見つめながら呟く。

 誰にも期待されず、誰にも愛されず、ただ無能と罵られながら息をするだけの毎日。

 涙すら枯れ果てた瞳は、乾いたままだった。


「チェリ様!」


 窓の外から、しわがれた声がした。

 驚いて顔を上げると、庭師のジョージが下から手を振っていた。


「ジョージおじいさん……」

 私は窓を開けた。冷たい夜風が入ってくる。

「こんな時間に、どうしたの?」

「月下香が咲きましたよ。見に来ませんか?」


 ジョージの誘いに、私は迷いながらも頷いた。

 こっそりと裏庭へ降りる。

 庭の隅、誰からも見向きもされない小さな花壇。

 そこには、月の光を浴びて白く輝く花が咲き乱れていた。


「綺麗……」

「ええ。チェリ様が先月、種を蒔いた花ですよ」


 ジョージは、花を見るような優しい目で私を見た。


「覚えていらっしゃいますか?」

「……はい」


 土に触れている時だけは、自分が無能であることを忘れられた。

 私が植えた種が、芽を出し、こんなにも美しい花を咲かせてくれた。


「チェリ様は、無能なんかじゃありませんよ」

 ジョージの太く、土で汚れた手が、私の肩に置かれた。

「魔力がなくても、貴女には花を慈しむ優しい心がある。それは、どんな強大な魔法よりも尊いものです」


「でも……この家ではこの国では、魔力が全てだから」

「家なんて小さな箱庭です。世界はもっと広い」


 ジョージは微笑んだ。


「貴女は、いつかきっと幸せになれます」


 その言葉だけが、凍りついた私の心を、ほんの少しだけ溶かしてくれた。

 涙が溢れた。温かい涙だった。



 その僅かな希望すら、粉々に砕かれる日が来た。


 公爵の執務室に呼び出された私を待っていたのは、見知らぬ美貌の青年だった。

 豪奢な衣装。傲慢な瞳。


「チェリ、こちらはアロルド侯爵家の次男ロレンス様だ」

「ロレンス様……」


 私は慌てて挨拶するために膝を折る。足が震えた。

 青年は、私を品定めするように頭から爪先まで眺め、鼻で笑った。


「例の、ですか」

「魔力は皆無だが、血統は……」


 公爵がどこか媚びるように説明するも、ロレンス様は不快そうに顔をしかめた。


「いや、やはり無理でしょう。父が許すはずもない。魔力無しの無能など」


 吐き捨てられた言葉。

 それは、私の存在の全否定だった。


「婚約の話はなかったことに」

「お、お待ちを!」


 青年は振り返りもせず部屋を出て行った。


 残されたのは、静寂と、公爵の煮えたぎるような怒りだけ。

 公爵が、私を睨みつけた。


「……申し訳ございません」

「謝るな! その顔を見るだけで虫唾が走る!」


 公爵は、汚いものを見る目で私を見下ろした。


「もういい。お前を置いておくメリットは消滅した。追放だ」

「え……」

「流刑地へ送る。明日、夜明けとともに出発しろ」


 私は、反論することさえできなかった。


 最後の夜。

 私は小さな鞄に、数少ない自分の持ち物を詰めていた。

 色褪せたドレス。亡き父母のロケット。それだけ。


 コンコン、と控えめなノックの音がした。

 ドアを開けると、ジョージが立っていた。


「ジョージおじいさん……」

「聞きました……お発ちになるそうですね」

「……はい」


 ジョージは悲しげに眉を下げ、小さな布袋を差し出した。


「これを」

「これは?」

「花の種です。あの月下香の」


 私はその袋を受け取った。微かに、土の香りがした。


「どこへ行っても、花を育ててください。花は裏切りません。貴女の心を、きっと守ってくれます」

「ジョージおじいさん……ありがとう」


 私は袋を胸に抱きしめた。


「チェリ様、どうか忘れないでください」

 ジョージは、真剣な眼差しで私を見つめた。

「貴女は無能なんかじゃない。いつか、貴女だけの花を咲かせる日が必ず来ます」


「……はい」


 私は頷いた。

 けれど、心の中では信じきれなかった。

 枯れ果てた私に、花なんて咲かせられるのだろうか、と。



 見送りに出てきたのは、使用人たちだけ。大叔父も、従姉妹たちも、姿すら見せなかった。


 馬車が動き出す。遠ざかる屋敷。私の青春のすべてが詰まった、灰色の箱庭。

 辛かった。苦しかった。でも、ここが私のすべてだった。


 私、このまま誰にも知られず、死んでいくのかな。

 誰にも必要とされずに、たった一人で。


 荒れ狂う波を越え、船はとある島へと到着した。


「さらばだ、無能女」

 御者の兵士が嘲笑う。

「余生、精々楽しめよ。降りろ!」


 兵士に背中を突き飛ばされ、私は岩場に無様に転がった。

 高笑いと共に、船は離れていく。


 私は岩場に座り込んだまま、ただ呆然と海を見ていた。

 寒さと空腹、そして絶望。

 私の人生は、ここで終わるのだ。

 十七年間の、意味のない人生が。


「ここで……死ぬのね」


 力が抜け、私はごつごつした岩に倒れ込んだ。

 ゴッ!

 鈍い音がして、額に激痛が走った。


 ――痛い。

 視界が明滅する。


 その時だった。

 頭蓋の奥で、何かがパチンと弾けた音がしたのは。


 ……あれ?

 まるで堰を切ったように、奔流のような記憶が溢れ出してきた。

 見たことのない魔法陣。ひれ伏す人間、そして魔族たち。

 世界を震撼させた、絶対的な力の記憶。

 そして、最後に見た勇者の顔。


 痛みは、もはや遠い。

 代わりに湧き上がってきたのは、腹の底から煮えたぎるような、懐かしい全能感。


 倒れていた少女は、ゆっくりと立ち上がった。

 その瞳から、怯えと絶望の色が消え失せている。

 代わりに宿ったのは、深淵のような底知れぬ光。


「私は……」


 口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

 それはかつて、世界を恐怖させた魔王の笑み。


「ふふ……あの石頭の公爵め。私の魔力が測定不能だったのは、測定器の限界を超えていたからだとも気づかずに。見てなさい。私は、絶対に生き延びてみせる。そして、今度こそ幸せになってみせるわ。美味しいものを食べて、昼まで寝て、スローライフを謳歌してやる!」


 指を鳴らす。

 その一瞬で、周囲の大気中の魔素が渦を巻き、私に従うように集まった。

 三百年の眠りから目覚めた、本物の魔力が。


「まずは、この島をリゾート地……じゃなくて、脱出するわよ」


 風が吹き荒れる。

 無能令嬢の物語は、ここで終わった。

 そして今、痛快?な逆転劇が幕を開ける。



 これが、私の物語のプロローグ。


 現在の私は、薬屋のカウンターでのんびりと頬杖をつきながら、店番だ。

 あの絶望があったからこそ、今の平凡な日常が、宝石のように輝いて見えるのかもしれない。


「チェリさん、どうしたんですか?」

 アレクシオンが、心配そうに顔を覗き込んできた。

「難しい顔をして」


「ううん、何でもないわ」

 私は彼に向かって、心からの笑顔を向けた。

「ただ、昔の自分に教えてあげたいな、って思ってたの」


「何を?」

「秘密」


 私は、ポケットの中の小さな袋に触れた。

 ジョージがくれた花の種。

 呪告館の庭に蒔いたそれは、ふさふさと緑の葉を広げている。


 ありがとう、過去の私。

 耐えてくれて。生きていてくれて。

 そのおかげで、今の私がいる。


 それでも、思い出すと胸が少しだけ痛む。

 でも――もう、私は折れない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ