11:虚無の策士☆ 前編
冷静沈着な軍師が復活したら、まさかの中二病患者だったんだけど。
客観視すると、こういう感じなのね……。
泣きたい。
「……ネクローゼと顔を合わせるのも久しいですね」
馬を走らせながら、グラシエルが遠い目をして呟いた。
その視線の先、西の空には禍々しい紫色の雷雲が渦巻いている。
「どんな方なんですか?」
アレクシオンが純粋な興味を瞳に宿して尋ねる。
彼は知らないのだ。これから向かう場所が、私の古傷を抉る地雷原であることを。
「一言で言えば、絶対零度の知性を持つ男です」
グラシエルが淡々と答える。
「冷静沈着、冷酷無比。感情に流されることなく、最も効率的な一手を選び続ける、魔王軍随一の軍師です」
「うーむ、俺たちの中で一番頭が切れるのは間違いない」
フレイムベルグが珍しく真面目な顔で付け加えた。
「あいつの策には何度も助けられたが……同時に、あいつの考えてることはさっぱり分からん」
私は手綱を握りしめた。胃が痛い。
ネクローゼ。三百年前の私の右腕。
私の無茶苦茶な命令――例えば、明日までに街を一つ落として。を御意の一言で完遂してみせる、完璧超人だった。
彼だけは、話が最も通じないかもしれない。
西の古城が見えてきた。
かつて私が仮宿として接収し、趣味全開で改装したその城は、今や完全なお化け屋敷的外観になっていた。天守閣からは、紫色の光の柱が天を貫いていて禍々しい。
「うわ、派手すぎる」
「三人の中で一番、演出に予算をかけてますね」
セバスティアンが冷静に分析した。
「あの光の柱、ただの照明魔法ではありません。絶望の篝火といって、周囲の魔力を強制的に吸い上げる環境破壊術式ですな」
★
古城の門は、音もなく開いた。
まるで、私たちを招き入れるように。
「罠かもしれません」
グラシエルが氷剣を構え、警戒する。
「いや、これは招待よ。ネクローゼは無粋な罠なんて仕掛けないわ」
私たちは静寂に包まれた城内を進んだ。
廊下には埃一つなく、松明の炎が揺らめいている。
最奥の大広間。
深紅の玉座の前に、一人の男が立っていた。夜の闇を織り込んだような漆黒のローブ。腰まで届く艶やかな黒髪。そして、全てを見通すかのような鋭い紫色の瞳。
その右手には、鎖で封じられた分厚い魔導書が握られている。
「ようこそ。お待ちしておりました、我が主」
男は、まるで舞踏会のダンスを誘うかのように、優雅に一礼した。
その所作一つ一つが洗練されており、無駄がない。
「久しぶりね、ネクローゼ」
私が努めて威厳を保って声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
「ヴェリタス様……いえ」
ネクローゼは、薄い唇を三日月のように歪めた。
「既に情報は把握しております。現在は――チェリという、愛らしい偽名をお使いなのですね」
「……情報? どうやって?」
「使い魔を数百匹放ち、この三百年全方位を監視しておりました。ザガンの寝言。グラシエルとフレイムベルグの復活、そして貴女様の動向……全て掌握しております」
さすが軍師。ストーカー級の情報収集能力だ。
「なら話は早いわ。ネクローゼ、単刀直入に言うけど、私はもう世界征服をする気はないの。魔王軍幹部解散命令よ。貴方も第二の人生を歩みなさい」
ネクローゼは、彫像のように動かなかった。
長い沈黙が、広間の空気を重くする。
やがて、彼は静かに、しかし断固たる声で告げた。
「お断りします」
空気が凍りついた。
ネクローゼは魔導書を撫でた。愛しい恋人に触れるように。
「長きに渡る思考の果てに、私は一つの真理に到達しました。ヴェリタス様……いえ、チェリ様。貴女様は、残酷なまでに優しすぎる」
「優しすぎる?」
「ええ。貴女は三百年前、世界を支配する力がありながら、最終的には、恐怖として使うことを躊躇われた。結果、中途半端な平和が生まれ、経済破綻という形で幕を閉じました」
ネクローゼの紫の瞳が、冷徹な光を放つ。
「ですから私が代行しましょう。貴女様の理想を実現するために、私が絶対悪となり、完遂してみせます。真の世界支配を!」
「落ち着きなさい、ネクローゼ」
グラシエルが前に出た。
「チェリ様は今、穏やかな隠居生活を望んでおられる。我々臣下は、その意思を尊重すべきでは」
「そうだそうだ! チェリ様の望みこそが、俺たちの望みだ!」
フレイムベルグも大剣を抜く。
ネクローゼは、二人を憐れむように見下ろす。
「グラシエル、フレイムベルグ。嘆かわしいことだ。平和ボケした現代の空気に毒され、かつての――漆黒の矜持を忘れてしまったのですか?」
「変わったのはお前の方ではないのか」
「いいえ。私はむしろ、三百年前よりも純粋になりました」
ネクローゼは、魔導書の鎖を指一本で弾き飛ばした。
バサリ、とページが開く。
「さあ、見せましょう。孤独の中で編み出した、私の魂の結晶――究極の魔法を!」
★
――深淵より出でし虚無の王よ
――久遠の眠りを破り、我が呼び声に応えよ
ネクローゼが朗々と詠唱を始めた。
広間の照明が一斉に消え、不気味な紫色の燐光だけが彼を照らす。
「うわ、詠唱長いですね!」
アレクシオンが素直な感想を漏らす。
「これは……儀式魔法ですね。独特な韻律です」
グラシエルが冷静に分析する。
――虚空に満ちし混沌の欠片よ
――因果の鎖を解き放ち、今こそ集いて形を成せ
床に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
「止めるぞ!」
フレイムベルグが突進しようとしたが、魔法陣から伸びた黒い触手に足を絡め取られ、顔面から転倒した。
「ぐはっ!? 地味な技を!」
「我が名は……ネクローゼ! 虚無と絶望を統べる者! 世界の理を書き換える者なり!」
私は、頭を抱えてしゃがみ込みそうになった。
ああああああ、自分を客観的に見ているみたいで恥ずかしい。
心の中で絶叫する。
「今こそ示さん! 究極の闇魔法展開!」
ネクローゼが魔導書を閉じた。
「深淵虚無大災厄!!」
ずももももももんんん
空間が歪み、巨大な黒い球体が出現した。
それは周囲の光も音も、空気さえも貪欲に吸い込み始めた。
「やばい、あれは……!」
グラシエルが焦燥の声を上げる。
球体から、莫大な魔力が放出される。
城がミシミシと悲鳴を上げる。
「アレクシオン様、下がって!」
私はアレクシオンを庇うように前に立った。
「チェリさん!」
「大丈夫! こういう時のために……私も準備はしてきたから!」
私は覚悟を決めた。
毒を以て毒を制す。中二病には、中二病をぶつけるしかない。
私は両手を広げ、天を仰いだ。
「来なさい、封印せし力よ――我が真名はヴェリタス! 万物の理を知り、星々の記憶を継ぐ者!」
私の体から、黄金の魔力が爆発的に溢れ出した。
その輝きは、闇を切り裂き、広間を昼間のように照らし出す。
「三百年の眠りより目覚めし今! 再び示さん、原初の輝きを!」
「おおっ……!」
アレクシオンが目を丸くして、感動したように呟く。
「チェリさん、すごくカッコいいです……!」
「今は集中させて! 恥ずかしさで死にそう!」
私は羞恥心を燃料に、魔力を極限まで圧縮した。
「光よ! 久遠の闇を打ち砕け!」
「終焉浄化・極大版!!」
私の掌から、レーザーのような極太の光線が放たれた。
ネクローゼの黒い球体と、私の光が正面から激突する。
空間が悲鳴を上げ、衝撃波で城の窓ガラスが全て砕け散った。
「くっ……流石はヴェリタス様……! この私が三百年かけて練り上げた絶望を、真正面から押し返すとは!」
「ネクローゼ! いい加減にしなさい! その技、燃費が悪すぎるでしょうが!」
「まだです! 私の美学はまだ終わりません!」
ネクローゼは、恍惚とした表情で叫んだ。
「深淵の底より、更なる闇を!」
「光は全てを開放する!」
「闇は全てを拘束する!」
二つの魔力が拮抗し、制御不能なエネルギーが渦を巻く。
城の柱に亀裂が走り、天井が崩落し始めた。
「まずい、このままじゃ城ごと消滅します!」
セバスティアンが冷静さを失って叫んだ。
その時。
一人の男が、光と闇の激流の中に飛び込んだ。
「二人とも、やめてください!!」
後編へつづく




