1:華麗なる離島脱出☆
穴があったら引きこもりたいくらい恥ずかしい前世の記憶が、追放されたその瞬間に、まとめてよみがえった。
「さらばだ、役立たず。魔力の欠片もない穀潰しには『絶望の孤島』こそふさわしい!」
後見人であるアンブロシア公爵である大叔父の歪んだ笑顔が目に焼き付く。
兵士たちの容赦ない一押しで、私の体は宙を舞った。
護衛船はあっという間に遠ざかり、波音だけが耳に響く。
ゴツゴツした岩に背中を打ち付けた瞬間、脳内で何かが弾けるような感覚があった。
……ああ、そうだった。
割れるように痛む頭を抱えながら、私は全てを思い出す。
私は、この十七年間、公爵家で、息を潜めながら暮らしていた。
チェリ・ローゼンフェルト。
成人の儀式を兼ねた魔力測定の際、計測器の針が微動だにせず無能の宣告を受け、この流刑地へ送られた不幸な令嬢。この国の貴族ならば、魔力を持って民を庇護すべき。魔力無しは貴族に非ざる忌むべき存在として、流刑地へと流される。
しかし、私の魂の奥底には、古い――そして重い記憶が眠っていた。
私……三百年くらい前……万物を支配せし魔王ヴェリタスと呼ばれていたんだった。
記憶が鮮明になるにつれ、背筋を冷や汗が伝う。
恐怖からではない。
純粋な羞恥心からだ。
そう、無能令嬢に転生する以前の私は、信じられないほど痛々しかった。
――暗黒の深淵よ、我が手に集え
だの
――世界の法則を捻じ曲げる者、それが我なり
だの、
呪文も宣言も無駄に長く、仰々しかった。
そして決定的だったのが、当時の経済システムを滅茶苦茶にした事件だ。
あれはちょっとしたヒステリーを起こしたのが切っ掛けだったんだっけ。
「貨幣なんて価値のない石ころにしてやる!」と叫び、錬金術の根本原理を強引に書き換え、大陸規模の経済崩壊を引き起こした。
魔術師としての脅威よりも、経済を破壊した張本人としての悪評の方が圧倒的に有名だった。
そして、勇者なる肩書を持つ自称、善人たちの標的とされ、最終的に討伐されたのだった。
「いやああああああっ!!」
誰もいない孤島の岸壁で、私は頭を抱えて叫んだ。
殺戮や破壊よりも、あの全能感に酔った痛々しい言動の方が、今の私にはよほどの拷問だった。
幾星霜の時を越えて私の精神をこれでもか、と、責め立てる。
「わ、忘れ、よう。最悪の魔女王ヴェリタスは死んだ。私はチェリ。非力なチェリよ……とにかく、折角転生出来たんだから、まずは生き残りたい。人間とは斯くも欲深く、生まれながらの業を……あぶな、また言葉捏ねくりそうになってる! 聞いてくれてる人、誰もいないのにーー!」
私は大きく息を吸って立ち上がった。
目の前には、人間の力では登れない切り立った崖と、四方を取り囲む荒波。
この島は、凶暴な魔物たちが徘徊する、天然の牢獄として知られている。
ゆえに、魔力の欠片も無い無辜の先人達は、儚く命を散らしたのだろう。
私は自分の両手を見つめる。
教会の魔力測定器が反応しなかった理由は明白だ。
なぜなら、現代の測定器具は、グラス一杯分の水量を測るように設計されている。
それに対し、私の魔力は、眼前に広がる、大海原そのものだからだ。
スケールが違いすぎて、測定器が数値を示す以前に、計測不能として処理されていたに違いない。
「魔力回路、律動。……よし、まだ問題なく使えそう」
指先を軽く振ると、周囲の空気が細かく震えた。
無論、全盛期の力には及ばないが、それでも一国を焦土に変える程度なら容易い魔力が体内を巡る。
崖を垂直上昇し、島の大地を踏みしめた瞬間、背後から重々しい唸り声が響いた。
振り返ると、馬車の大きさを超える巨大な熊型の魔物が、涎を垂らしながらこちらを睨んでいる。
見るからに、食物連鎖の頂点に君臨していそうな危険な存在だ。
「……ああ、昔もこういうのいたな」
かつての私なら、ここで『奈落の底より湧き出でし黒き炎よ、愚かなる獣を塵へと還せ!』などと叫び、島ごと消滅させていただろう。
でも全然……スマートじゃない。
もうあんな、環境破壊しまくる人にはなりたくない。
だって、いまは非力で可哀相なチェリだから。
私はため息をつき、右手を静かに掲げた。
「圧縮」
詠唱は省略。技名も簡潔に。単語ならわかりやすいし、伝わりやすい。
重低音とともに、巨熊の頭上の重力が局所的に何十倍へと跳ね上がった。
巨熊は悲鳴を上げる間もなく地面に沈み込み、意識を失った。
「今の私に必要なのは世界征服なんかじゃなくて。平穏で怠惰で快適な生活……」
★
この島へ流された囚人は、飢餓か魔物に襲われて命を落とすのが通例だ。
しかし、元・魔女王にとっての最大の敵は退屈と不便な暮らしである。
「船が必要。それも、揺れない超絶良い感じのやつ」
私は海岸沿いを歩きながら、使える材料を探した。
不意に、海面が大きく盛り上がり、巨大な影が姿を現す。
この島の守護者と恐れられる海竜――古代種の亜種だ。
王家の船団でさえ、遭遇を避けて大きく迂回する海の支配者。
空気を切り裂くよう、甲高い音で海竜が咆哮し、巨大な水流の砲撃を放とうとする。
「今は、静かにしててね」
私は指を軽く鳴らす。
「改変:硬化」
ぱきり、という音がして、海竜の体が一瞬で硬直した。
生命活動を止めたわけではない。
体表を超硬度素材へと一時的に書き換えただけだ。
「ん、なかなか使えそうな材料」
私は動けなくなった海竜の背に飛び乗った。
そして、かつて世界経済を混乱させた錬金術を応用し、魔力を展開する。
「内装は……柔らかい絨毯が欲しいな。枯草から改変してくか。それから、あとは、風よけの防護壁と、自動操縦用の魔力回路を海竜の神経系に接続して……」
程なくして、そこには、海竜の背中に優雅な屋根付きのテラス空間が設置された、常識を完全に無視した、生体船が完成していた。
「それでは、神妙に脱出」
精神接続に応じた海竜船は滑らかに海面を滑走し始めた。
魔力制御された海竜は、波の揺れすらも吸収し、乗り心地は寝台を上回る。
私は空間収納から、先ほど島で採った果実を取り出し、優雅に齧る。
潮風が心地よい。
「さてと」
国へ戻って仕返し?
いや、面倒だ。私を見捨てた者達になんかに構っている時間は無駄。
それに、もし私が本気で力を使えば、またうっかり国家財政を破綻させるレベルの貴金属を生み出したり、気象を操作して農作物の価格を大混乱させたりしかねない。
恨みからやっぱり粛清の嵐を引き起こしたくなっちゃいそうだし。
この知識と能力は、扱いを誤れば毒にも等しい。
「見知らぬ大陸で、美味しい料理を食べて、昼過ぎまで眠って、時々お小遣いを稼ぐ……とか?」
恐怖の魔女王として世界を震撼させた私は、今生では、怠惰な隠居者として生きることを心に決めた。
もっとも。
私が乗っているのが、魔改造した伝説の海竜であるため、別大陸の港町に到着した瞬間、街全体が大混乱に陥ることを、今の私はまだ知らない。
「うん、やっぱり平和が一番。大人しく静かに」
海竜の背で大きく伸びをしながら、私はかつての自分が身につけていた、漆黒の仮面の記憶を、海の泡のように心の奥底へと沈めたのだった。
新作です。
お付き合い宜しくお願いします!




