猟奇的な捕食者と、それを肯定する背徳者
少年は震えていた。ただただ広がる草原の中、恐怖に震えていた。彼は村の者達にここまで連れてこられ、そして置いていかれたのだ。
少年の住んでいた村は辺境の小さな小さな村だった。騎士団も近くになく身を守る術を持たない、いつバリアントによって滅ぼされるかも解らない村。危険ゆえに外部の者はほとんどが関ろうとせず、唯一交流があったのは隣の同じく小さな村だけであった。二つの村はお互い、できる限りで助け合っていた。だがそれも所詮悪あがきにすぎない事で、こんな絶好の場所をバリアントが放っておく訳がない。最初は下位のもの、やがては注意のもの、そして村に大きな転機が訪れた。
ある晩、二つの村に同一の一体のバリアントが現れた。巨大な体、長く撓る尾、村人達を一睨みで麻痺させる瞳、そしてずらりと並んだ牙の間からは蒸気が靡いていた。村の誰もが初めて見る、しかし一目でそれと解る。そのバリアントは竜の眷属だった。眷属とはいえ、竜の血筋は上位のバリアントに値する。村の誰もが最悪の事態を想像した。
しかし、バリアントは村人全員を殺しはしなかった。見せしめに二、三人殺し、村を圧倒的な恐怖で支配した後、こう言った。
――――――月に一度、子供の生贄をそれぞれ一人ずつ差し出せ
竜は人語を解す。しかし、並べられた言葉はにわかには信じがたい事だった。
子供がいなくなれば、次の世代へと繋げなくなる。逃げ出そうと思えば、待機している下位や中位のバリアントに喰い殺される。贄を滞れば、代わりに大人達が数人喰い潰される。村人達は唯、緩やかな滅びへと向かっていく恐怖に耐え続けるより他に無く、中でも大人達は自分の安全を確保したいがために、子供を抵抗なく差し出すようになっていた。減っていく村人の数に反比例するように増していく悪意。皆殺しより残酷な仕打ちだった。
そうして今回、生贄に選ばれたのが少年だった。自分が次の贄と決まった時に両親に助力を求めたものの、すでに我が身の事しか思っていなかった彼らは聞く耳さえ持たなかった。
そして少年と背中合わせにもう一人、アーバン族の少年が座っていた。彼もまた、隣村から連れて来られた生贄だった。背中から感じる温もり、ただそれだけが今にも発狂しそうな少年をここに繋ぎとめていた。
少年とは対照的にその熱源は僅かも揺らいでいなかった。何かにじっと集中しているように、微動だにしない。
不安ではないのだろうか、それとももう精神が崩れてしまっているのだろうかと、その背中に問いかけようとした時、彼にとっての絶対的な『恐怖』は訪れた。
空から降ってきた巨大な質量は、死の予感を巻き起こした風と共に辺りに撒き散らしながら着地する。竜の双眸は品定めをするように少年達に注がれ、並んだ牙が剥かれた。バリアントが更に顔を近づけもっと良く見ようとした瞬間、少年は悲鳴を上げそうになった。
バリアントが怖かったからではない、心が折れないように支柱としていた背中合わせに送られてくる体温が途絶えたからだった。
アーバン族の少年は、恐れるべき対象である竜へ駆け寄っていた。やはり気が狂っていたのかと目を見張ったが、違った。アーバン族の少年は軽やかな足裁きであっという間に詰め寄り、その手にはどこから持ち出したのか歪に曲げ伸ばしされ先の尖った鉄棒が握られていた。子供相手という事あって油断していた竜は、まったくの不意打ちを喰らった。アーバン族の少年が握る鉄棒が右眼窩に突き刺さり、目玉や下についた瞼、周囲の肉を引きちぎりながら下へと降りていく。当たり前に眼球には鱗が生えている筈もなく、守る物がほとんどない。そこから下へと傷をつけられ、体液と黒血を撒き散らしていくバリアントの顔。表面では何もかも跳ね返す鱗も、眼窩に開けられた穴を糸口として攻撃されれば意味をなさない。抵抗はあるものの、確実に肉は引き裂かれていく。ついに痛みに堪えかねた竜が咆哮をあげ、逃れようと四肢と翼をばたつかせ空へと飛び立っていった。
――――――覚えていろ
夜空に消え入る前、竜は確かにそう言った。残った左目を爛々と暗闇に光らせながら。
アーバン族の少年はそれを狂喜とも呼べる笑みを浮かべて見送っていた。血と体液で濡れた顔が月に照らされてよく見えた。その時、少年は思った。それは一族特有の押さえる事の出来ない感情だった。
――――――美しい
そんな自分を異常だと自覚しつつも、少年はそれを享受した。
草原にただ黙って立つ少年達を迎えに来たのは村人ではなく、青い髪の男だった。
――――――そなた達の望むものはこちらに来ればいくらでも来るかの?
少年達は手を引かれ、竜の体液が染みる草原を後にした。