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“Variant”   作者: 犬野ミケ
Spring 二章
6/22

二話

 六つある馬車のうちの一つからルネは顔を出す。外にいたフィルがそれに気付いて振り返った。


「どうだ? やっぱそれも駄目か?」

「うん……やっぱ大きい」


 ルネは今、フィル達の軍服の試着をしていたのだが、どれもこれもサイズが大きく、ルネには合わないのだった。一番背の低いイオリの物でさえぶかぶかであり、服を着ているというよりも服に着られているという表現がしっくりと来る。

 フィルが困ったように頬をかく。


「それ以上小さいのは置いてないんだよな。暫く自分の服で我慢してくれるか? 寒かったら外套があるからそれを着ればいい」

「うん、ありがとう」


 ルネは満面の笑みで頷く。リムがルネを仲間に迎え入れると言った時は、本当に驚いた。反対する者もいなかった為、ルネは騎士団の仲間入りを果たすこととなったのだ。

 序でに、ルネのいた村にもよると言っていた。まだ村人達の埋葬が終わっていない。これ以上ないくらい、ありがたかった。


「あ、そうだ」


 ルネは馬車の中に引っ込めかけていた顔を、又戻す。一つ、聞きたい事があった。


「これって、騎士団の紋章だよね。なんて読むの?」


 サイズの大きな軍服の、右肩の刺繍を指差してフィルに問う。フィルも自分の右肩を見て、それを指先で丁寧になぞった。


「あぁ、これはローダ騎士団って書いてあるんだよ」


 紋章は、雀に似た鳥が大きく翼を広げる物だった。その姿は優美で、モデルはか弱い小鳥のはずなのに、どこか力強くさえある。生きる必死さが滲んでいるような、そんな強さだった。ルネには読むことが出来ないが、鳥の両翼の間にローダと刺繍されている。

 ルネも、フィルの真似として指先で紋章をなぞってみる。その刺繍は触れれば触れるほど、繊細にデザインされているという事が実感できる。


「凄い、格好いい……」

「そうか?」


 ルネが素直な感想を口にすると、フィルは照れたように笑った。


「俺とリムで考えたんだよ。小鳥が大空で羽ばたくように」


 そう言ったフィルの表情は、照れ以外の感情も含んでいるように見えた。ルネは首を傾げる。上手く表せないが、ルネの目にはフィルが寂しそうに映った。嬉しいのに、悲しい? そんな複雑な感情はルネには理解できない。

 しかし、ルネが口を開く前に、フィルが遮る。


「よし、ちゃっちゃと着替えて移動を始めようぜ、な?」

「う? うん、分かった」


 ルネは流されるままに馬車の中へと戻り、着替えを始めた。



      *      *      *



「おいで」


 その一言を聞き、一羽の鳥が目に染みる程鮮やかな黄色の翼を広げ、ゆっくりと下降する。そして声をかけた主の腕へと舞い降り、とく動く丸い大きな瞳で顔を覗き込む。大きな翼を畳み、主人の次の命令を待っている。

 鳥にとっての主人は、この場には二人いた。二人とも、まだ二十歳前後に見える男である。

 一人は、もう春だというのに焦げ茶の厚手のコートを着て、マフラーを巻いている。髪と目は蒼氷のような冷たい印象を宿した淡い水色。鳥を見て口の端を吊り上げたが、目からは何の感情の変化も読み取ることができない。押し殺しているのか、それとも何も感じていないのか、鳥の脳では理解できないし考えが及ばない。

 鳥が留まっている腕はこの男の物であり、呼んだのもこの男である。

 もう一人は染み一つない真っ白なカッターシャツを着て、指の部分が切り取られた手袋を左手だけに填めている。髪と目は混ざり気のない純白で、色素が抜けたというよりも上から白色を被せたという印象がある。その真っ白な出で立ちのために、この男の存在は周りから隔絶されているようにも感じられることだろう。こちらは鳥が来ても表情一つ変えずに一瞥したのむで、無関心さが窺える。


「報告を。できるだけ簡潔にね」


 コートと着た男が柔らかい口調で鳥に話しかける。鳥はそれに答えるように、太く短い嘴を開いた。嘴から出てくるのは、しゃがれてはいるがちゃんとした『語』だった。


「飛行艇バリアントからの襲撃、墜落。プルー、死亡」

「プルーが死んだ?」


 信じられないといったように、コートを着た男が鳥の言葉を反復し、顎に手を添える。カッターシャツを着た青年も、ほんの僅かに顔を顰めた。この青年は普段感情を顔に出すことが少ない為、強い驚きがあったことが窺える。

 首を傾げ丸い瞳でそんな主人達を眺めやってから、鳥は喉を空に向かって垂直に立てる。そして腹から胸にかけて波打たせると、喉の一部が大きく球体状に膨らむ。ふくらみは腹の運動にあわせてゆっくりと鳥の喉を遡り、やがて吐き出された。吐き出された物をコートの男が掌で受ける。鳥が吐き出したのは鮮やかな青い色彩を持つ眼球だった。しかしその眼球は本体から切り離されているというのに半透明の膜が張っておらず、作り物のような印象を見る者に与える。それは鳥の言葉を裏付けるには十分な物だった。


「間違いないね、プルーの眼だ」


 コートを着た青年が目を細める。

 ベルヴェルグはその能力を発動していなくても、独特の波長が常に漏れ出している。それは制御できる物ではなく、例外はない。波長は大気中や物体に残留し、やがて少しずつ消え行く。特に発動した場合は、濃く残る。二人の男はそれを敏感に感じ取る事が出来る。といっても、常人には絶対に不可能なことで、それが彼らの異質さを証明している。

 そして、プルーの眼球からは僅かながらベルヴェルグの力を感じる事が出来た。それはプルーが所持していた物ではなく、他の、しかもバリアントの物であった。


「僕達はバリアントが相手なら絶対に負けない自身があったのだけどね」


 コートを着た男が眼球をい鳥に差し出す。鳥はそれを再び嚥下し、大きな翼をはためかせる。

 それを無言で眺めていたカッターシャツの青年が弾かれたように背後を振り返った。コートの男のほうは余裕を感じさせる表情でゆっくりと振り返り、斜め上――――――寒い中でも葉をつけ続ける針葉樹林の中でも特に枝ぶりの良い木を見据える。膝を撓めそちらに向かって飛ぼうとするカッターシャツを着た青年、コートの男は目線で制する。コートを着た男の方に決定権があるのか、カッターシャツを着た青年は素直にそれに従った。


「出て来いとは言わないよ。でもそれ以上は近づかないで」


 口調こそはやんわりとしていたが、声音には並々ならむ迫力がある。真っ暗な崖の底を覗いてしまったような、寒気の走る雰囲気を漂わせている。青年達のいる森の中が、恐れ慄くように静まり返る。暫く続く、沈黙。コートを着た男は先程となんら変わらぬ笑みを口に刻んで、木の上を見つめているのみ。

 先に根負けしたのは、木の上いる相手の方だった。


「お主等には拙者は敵わぬ。用件を話そう」


 堅苦しい、低音の声音だった。その声が少々くぐもって聞こえるのは、木々の葉の中にいるからだろう。コートの男が顎を引いてそれを許可する。カッターシャツを着た青年も、彼に習いからだから余分な力を抜く。鳥は主人達の頭上を旋回していた。


「飛行艇が墜落したことは、いまその鳥から聞いたのでござろう? そこでモーリア様がお主等のうちどちらか一方を呼んでいる。ご同行願う」


 コートを着た男が口をへの字に曲げる。些かわざとらしいほどに、面倒だという意思が表現されている。そんな雰囲気をあからさまに出したまま、コートの男は横を見る。


「だってさ、ネジュ」

「嫌だ。グラード兄さんが行けば良い」


 ネジュと呼ばれた、カッターシャツを着た青年がぼそりと呟きそっぽを向いた。自分は絶対に行きたくないという意思がその背中からありありを読み取れる。コートを着た男、グラードがそれにたいして大袈裟に溜息を吐く。


「兄を敬うとかさ、そんな気持ちないのかな」


 そう言ってグラードは木の上にいるはずの男を見上げる。


「で、場所はどこ?」

「忝い。太陽を向いて五時の方向、この森の端だ」


 グラードが言われた方向へと歩き出す。だが、途中でなにかを思い出したように途中で立ち止まった。口だけが笑みを象った表情でもう一度木の上を見上げ、ゆっくりと口を開く。


「そういえば君、さっきの僕達の会話を聞いていたんだよね?」


 それを待っていたかのようにネジュが大きく跳躍する。残像の見えぬほどの速さで、春でも十分に葉をつける針葉樹の中へと飛び込んでいく。飛び込んだと分かるのは、今迄ネジュの立っていた地面がそこを中心にクレーターのように凹んでいる事と、針葉樹の枝が大きく揺れた事から推測できるためである。さほどの時間もかからないうちに、怖気の走る鈍い音と共に黒い影が枝の間を割って落ちてくる。爪先から顔面までを全て黒く覆った男だった。男の瞳は極限まで見開かれ、死ぬ直前にいかに恐怖を味わったかという事が分かる。その首は力任せに二回転ほど捻られ、折れた骨が肉と皮膚を突き破って出てきていた。脂肪や血液が付着しているせいか、それは本来の色である乳白色ではなく、黄色た橙に染まっている。すでに絶命した男の心臓は停止している為、血液は噴出せずゆったりと地面を張っていく。その隣にネジュが重力を感じさせない軽やかさで着地する。ネジュの白いシャツは返り血の一滴も浴びてはいなかった。


「別に聞かれちゃいけないほどやましい話もしていないけどね、後々面倒ごとになるから」



      *      *      *



「妖術師を知らない?」


 ルネと同乗しているフィルが素っ頓狂な声を上げた。ルネは先刻リムの口から聞いた「妖術師」という事場について尋ねてみたのだが、これは一般人にも常識だったらしくローダ騎士団の全員が驚いた表情でこちらを見ている。リムが馬車の中から身を乗り出してくる。


「テオファーヌからもシルヴィアからも、何も聞いてはおらんのか?」

「お婆ちゃんとお母さんなら、僕が小さい時に死んだよ」


 ルネは目を瞬きつつ答える。実をいうと、二人が死んだ時の事をあまり良く覚えていない。彼が生まれた時にはもう祖母は死んでいたし、母親は病気がちでほとんど寝ていて祖母と同じようにルネが幼いときに亡くなった。覚えていないのは当時の彼が幼すぎたというのもあるが、祖母も母も同様に死体を見ていなかったから、まだあやふやとした記憶に強烈に残りづらかったのだろう。「死んだ」と認識できたのは祖母の場合は母から聞かされていたし、母の時も村人達からそう聞かされたからだった。もっとも、後者は親切からではなく、自分の身を守るためにルネを混乱に突き入れようとする、何かを恐れる感情からくる物で、鋭く突き放すような口調だった。


「ふむ、そういう事か、なるほど」


 リムがルネを見つめながら顎に手を当てて呟く。


「諸事情あったという事じゃな。流石の儂も知らんかった。儂はセインの奴とは違うからのぅ」

「リムはお婆ちゃんとお母さんの知り合いなの?」


 名前を知っているくらいなのだから、顔見知りだったのだろう。それならば、騎士団にすんなりと入れた事にも説明がつく。入ったときはルネが入りたいというよりも、リムが入れたがっているという印象だった。だとしたら、一体どういう関係があったのだろうか。確かに、よくは覚えていないが祖母や母、リムはどこか似通った雰囲気があるように感じられる気がする。初対面のときも安心できるほどだった。

 一方でリムは懐かしむような表情で自分の掌と見つめていた。


「そうだの、同輩、大切なじゃ。それは今でも変わらんの」


 リムの浮かべた寂しげな笑みに、騎士団の誰もが彼に対してかける言葉を失っていた。質問を投げた本人であるルネさえも、口に出したことを後悔した。リムは今、旧友を失ったのを知ったばかりなのだ。その悲しみは途轍もなく大きい者だろう。

 しかし、その沈黙を破ったのもまた、リムだった。


「話に戻るとするかの。妖術師とは何ぞという話だったか?」


 ルネは無言で頷いた。向こうで双子が安心して肩の力を抜いた姿が見えた。ルネも同じような心境だった。考えもなしに質問を発してしまった自分に負い目を抱いていた。だから上辺だけでもリムが立ち直ったのを見て、そっと安堵の溜息をついた。


「妖術師とは、ベルヴェルグに携わるもの全般の事を指す。儂も、そしてテオファーヌとシルヴィアもそうだ」


 それはルネにとって初耳だった。確かに家には書物が沢山あったが、果たしてその中にベルヴェルグの物があっただろうか。良く思い出せない。


「じゃあ、僕も妖術師になれる?」

「訓練すればの。だが、ルネにはもっと別のものがある」


 リムが口端を吊り上げて笑った。それはもう、普段どおりのリムだった。



      *      *      *



 クレタ、という町がある。現存している物の中でも有数の大きさを誇る町であり、大小様々ではあるが多数の騎士団の本拠地ともなっていて、バリアントによる被害は比較的少ないといえよう。安全ならば人が集まり、必要な物資も集まる。結果、クレタにはギルドと呼ばれる同業者組合が多い。料理人ギルド、奴隷商人ギルド、その他様々なギルドが存在する。その中に行商人ギルド、という物がある。各地を巡りながら商品を売り買いしている、今の世では珍しいギルドである。旅をするのはヴェリェントによる被害の為、かなり危険なのだ。その危険をあえて冒してまで商品を売り歩く、あるいは買い取っていくのはひとえに需要があるからである。

 それは置いておき、クレタのとある町の酒場のカウンターに一人の男が座っていた。男、といってもその人物はまだ少年といっても差し支えない年頃であり、当たり前に飲酒を許される年齢を下回っている。どこにいても目を引くオレンジ色の髪は肩口に届く程まで伸ばされており、同色の瞳にはあからさまに疲れたという意思を湛えている。そんな少年が酒場のカウンターで然も有りなんという顔つきでグラスを傾けている。しかし、


「いつ私がこんな物を飲んでも良いと言いましたか?」

「いやっ、その、別に良いだろ!」


 背後から聞こえてきた冷ややかな声に背筋を強張らせる。背後にはギルドの副団長兼少年の保護者である、ルーファス・ノジャンが立っていた。色素の薄い金髪を長く伸ばしてはいるが、だらしなさは一切なく、清潔感が漂っている。それはルーファスが、尖った耳を持つエフェル族の美的感覚に従っているからであろう。髪とは対照的に深い青色をした瞳の左の方は片眼鏡で隠れていてよく見えない。もう片方の右目は、半眼で少年を見下ろしている。


「だんちょばっかりズルイよねぇ。あたしも飲みたぁい。ねぇ、ライリー?」

「僕はもう成人してるよ。でもアデラはまだ十二歳だから駄目」

「えぇぇ!! ライリーのケチ! ねぇ、ユーグ良いでしょ?」

「……」


 ルーファスの更に後ろでは、団員達のこんな会話が繰り広げられていた。酒を飲みたいと駄々を捏ねているのは、薄緑色の露出度の高いドレスを着た、踊り子のアデラ・カノルザである。強い輝きを放つ黄金色の長い髪はこめかみより少し高い位置でツインテールにされており、アデラが動く度に優雅に揺れる。紫色の大きな瞳はよく動き、愛嬌のある顔立ちに仕上げていた。

 アデラが最初に話を振ったのは、ライリー・エディッサという石工と宝石職人を兼ねている男である。子供であるアデラが子供扱いした通り、ライリーは子供のような外見をしたネルス族である。こげ茶色の髪を後頭部で大雑把に纏めてある。幼児のような容姿からは考えつかない静かで落ち着いた雰囲気の苔色の目はアデラを呆れたように見上げている。

 そしてアデラのねだりに無言で首を振ったのは、踊り子の為の音楽を奏でる楽士のユーグ・バルバロサである。アデラ程ではないが良く目立つ舞台用の裾の長い服を着て、六弦の楽器を手にしている。漆黒の髪の間からは同色の三角形の獣耳が覗いており、彼がアーバン族だという事が分かる。瞳孔の細い赤みがかった金の瞳は、黒髪とのコントラストが美しい。


「あ、ちょっ待てよっ」

「待ちません。これは没収です」


 ルーファスに取り上げられたグラスに少年は手を伸ばそうとするが、座っている人間と立っている人間、ましてや子供と大人では高さが大きく違う。少年の必死の抵抗も虚しく終わってしまう。

 しかし、ルーファスから更にグラスを取り上げる手があった。流石にルーファスも取られる事は予想していなかったらしく、あっさりとグラスから手が離れる。


「まぁ。そんなケチケチしないのさ。たまには良いんじゃないかい?」


 ルーファスからグラスを取り上げて笑ったのは、頭に赤毛の上からバンダナを巻いた女だった。メーディナ族の証である赤目が悪戯っぽく光っている。長身でスタイルも良く美人だというのに、豪快に口を開けて笑う姿や、腹の部分が大胆に切り取られた袖なしの服が女の恵まれた容姿を裏切っている。女の名前はポーレット・ラウランといい、主に青果から保存食まで幅広い食品を扱っている。ポーレットは赤銅色の髪を後ろにはらいながら、白い歯を見せてルーファスに笑む。


「お姉さんもそれくらいの年にはすでに飲んでたけどねぇ」

「貴女の様な人と一緒にしないで。ナハトも何か言ってください」


 ルーファスが溜息を吐きながら横を見る。カウンターの端には、男が一人寄りかかっていた。


「拙はノーコメントで頼む。見ているだけで楽しいのでな」


 ポーレットとは反対に穏やかな笑みを口元に昇らせたのは、占い師のナハト・ブロワである。少年やアデラと同じ人族ではあるが、褐色の肌をしていて神秘的な雰囲気の持っている。長めの髪や言葉遣い、そしてベールでよく見えない顔のせいもあり女性的に見える。痩身という事も少なからず影響しているのだろう。占い師、そしてアデラとユーグのような踊り子や楽士が所属する行商人ギルドは珍しい。少年に言わせれば、なにも売り物になるのは形だけではないだろう、という事で彼らのような『精神的に満足させる』商品も扱っている。ギルドと一座を足して二で割ったというのが表現としては正しい。

 ナハトの言葉を聞いたルーファスが、こいつに聞くべきではなかった、とでも言うように顔に不満を滲ませて少年に向き直る。


「とにかく! 私の目が届く範囲ではセインにもアデラにも一切酒は飲ませません!」

「えぇぇぇぇ、あたしまでぇ?」

「ちぇっ……ルーファスのケチ」


 唇の尖らせ、行商人ギルド・ヴォーリャの若き団長、セイン・ウスタスはギルドの移動型住居を改造したカウンターに頬杖をつく。その顔は先程までのような『情報屋』としての全てを達観したような表情ではなく、十八歳という年相応の物となっていた。



     *      *      *



 どうして? どうして急にそんな皆どうしたの? 震える震える震える。これは皆に対する恐怖なのかな。訳分からない行動を始めた皆に対する恐れなのかな。それとも……

 皆どうしたの? 何故誰も答えてくれないの? 斧鍬鉈包丁危ない危険。どうしてそんな? 痛い刺さる刺さる刺さる刺さった。皆は力が弱いから血は出てないけど痛い怪我しちゃう。首を胸を腹をそこは急所。


 あぁ解った理解できた察した。皆は僕を殺そうとしてる。


 止めて止めて止めて止めて僕は何も悪い事はしていないからそんな事をしたらそんな事をしたらあぁ止めてよ止めてってば――――――


――――――まだるっこい。



      *      *      *



 今夜は月が美しい。そんな事を取りとめなく考えながら、ルネは手の中のものに視線を落とした。

 ルネの両掌に収まっているの一振りのナイフだった。刃渡りは四十センチほどで、ナイフというよりも短剣といった方がしっくりくる大きさだった。しかしこれをルネに渡した本人がこれをナイフというのだから、そうなのだろう。確かに大きさには問題があるが、これは短剣のような両刃ではなく、片刃である。よい物があるといってリムが馬車から出してきたのが、これだった。さほど使い込まれていない感じではあるが、かといって新しい物でもない。川のまかれた柄は手になじみやすかったが、見た目以上にずっしりと重い。何故このような物を妖術師であるリムが持っているのか知りたかったのだが、先刻の反省もあり我慢した。かくして、ルネの得物はナイフという事に決まったのだった。

 これを眺めていると、夢を見ているような不思議な感慨が沸く。つい最近まで、自分は廃れた村の村人達の埋葬をしていたのだ。にわかには信じがたいという気持ちもまだ残っている。


「まだ起きているのか」


 不意に声がかかった。今迄の静けさが急に破られ、ルネは少しだけ肩を跳ね上げる。

 声の主はイオリだった。最初は寡黙だと思っていたこの男も、過ごす時間が長くなるにつれて随分と印象が変わってきた。というのも、イオリがルネの稽古相手、もっと大雑把にいえば師のようなものを引き受けて事が大きいだろう。彼の扱う武器が刀だという事もあり、周りから強く推されたのだ。西洋刀と東洋刀は違う、と文句をいいつつも結局は引き受けてくれた。

 イオリが胸の前で腕を組み、目を細めた。


「明日はクレタ入りだぞ。早めに寝ろ」

「うん、そうする」


 まったく、と彼は髪をかき混ぜた。


「お前の世話係はフィルじゃなかったのか」


 話題の人は、ルネの隣で爆睡していた。

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