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“Variant”   作者: 犬野ミケ
Spring 一章
4/22

二話

 別の部屋にて、椅子に座った男が恍惚とした笑みを浮かべていた。顔が朱に染まっているのは自分の欲望が半分達成されたという喜びからの興奮もあるのだろうが、先程まで飲んでいた葡萄酒のせいというのが大きいだろう。安い酒は悪酔いしやすい。酔いの回った男が焦点の定まらない目を輝かせ、気が違えたように叫ぶ。


「ふふあはふ……私の物だ。全ては! 私の物!」


 すっかり自分の世界に入っている男から若干操縦士が距離を取る。当たり前の事だろう。第三者から見れば男は精神異常者にしか見えない。たとえ雇用の関係にあったとしても、それは同じことである。

 しかし男にとってはそんなことはどうでもいい。気にすることはない。もう自分は勝者で、何者にも媚び諂う必要はないのだから。奴らにももう、デカい顔はさせない。


 それは自分を勝者だと勘違いした者の驕りと言えよう。何も悪酔いさせるのは悪質な酒だけではない。虚無の勝利もまた、愚か者達を酔わせる。

 完全に油断していた。警戒すらしていなかった。自分は絶対に大丈夫だと、そんな根拠のない自信が頭の中を占拠していた。不意に――――――


 鳴り響く警報、回転する赤いランプ。


 操縦士が慌てて振り返り飛行艇の前方を確認した時にはもう遅い。操縦士の喉から引き攣った叫びが上がる。どうしようもない程近くに巨大な影が迫り来ていた。


「大変です! バリ……ッ!」


 まるでそれ以上続きを言わせまいとしているかのように艇内を轟音と衝撃が襲う。



      *      *      *



 それよりも少し前、自分が軟禁されているとは露ほどにも知らないルネは暇つぶしに置かれてあった本に目を通していた。黙々と頁を捲る。別に本の内容が面白くて読んでいるわけではない。寧ろ彼にとっては内容は関係ない。ルネは字が読めない。今迄の生活では必要なかったのもあるが、それを教えてくれる人がいなかったのが一番の理由である。家には祖母と母に残した厚い書物が所狭しと並んでいたが、ルネには勿論内容は全く理解できなかった。その為、彼にとって本の内容は意味を成さない。ただ、規則的な文字の羅列を眺めているだけだった。しかしその意味不明さがルネにとってはこの上なく面白い。

 次の頁を捲ると、そこには絵が一枚載せられていた。ルネはその絵に魅せられたかのように釘付けになる。どうやら本の内容は人種についての物らしく、様々な人種が絵描きだされている。

 中央にいるのは最も数の多い人族。人族の中でも白、黒、黄と呼ばれる三種が描かれている。ルネは白色の人種である。

 ルネから見てその右にいるのがエフェル族。先の尖った耳を有し、男女共に華奢な者が多い。美には敏感で煩く、繊細で優雅なものを好む。

 人族の左側にいるのはアーバン族。猫科の三角形の耳と、瞳孔が縦に細長い瞳を持っている。狩猟に長けた一族で、バリアントの討伐には欠かせない。

 アーバン族の隣にいるのは、小柄で幼児のような容姿をしたネルス族。成人でもアーバン族の腰ほどまでの身長しかないが、手先が器用で技師になる者が多い。工芸品を扱う事も多いせいか、エフェル族とは仲が良い。

 更にその隣にいるのは、ネルス族とは一転して長身のメーディナ族。見た目には長身と赤目という事を除いて人族と違いは無いが、途轍もない怪力の一族である。

 最後に、エフェル族の隣にいるのがメーディナ族をも凌駕する巨体を持つカプラ族。但しメーディナ族とは違い無骨な体つきをしている。正に巨漢といった風体ではあるが、その性格は見た目に反して温厚で友好的である。

 ルネはしばらくその写真を見つめていた。かつてルネが住んでいた村もかつては様々な人種がいたのだ。今はもうルネを除いて誰一人として残っていない。良い思い出ばかりではないが、心残りもある。哀愁に駆られてルネは写真の縁をゆっくりとなぞる。憂う様に、慈しむように。しかし――――――

 その時、部屋と突如として異変が襲う。突然のことに、ルネは本を手放していた。

 まずは重み。部屋の中の重力が何倍にも膨れ上がったかの様にルネを押しつぶそうとしてくる。とっさに背中を丸めて膝を抱えるものの、なす術もなく腰掛けていたベッドに体が深く沈みこむ。

 続いて来たのは浮遊感だった。ルネの体はベッドでバウンドして宙に浮かび上がる。世界が反転して見えた――――――と思った瞬間、重みが戻ってきて下へと落ちる。運の悪い事に、ルネが落ちた場所は今迄いたベッドではなくタイルが貼られた硬い床だった。

 体を捩り背中を押さえようとしたルネに追い討ちをかけるように手放した本が上から降ってきた。しかもよりにもよって本の角が脳天に直撃する。


「いったぁ……ううぅぅ」


 背中を押さえようか頭を押さえようか迷い、結局両方を押さえようとして間抜けな格好をしているルネの上に影が覆いかぶさる。影は先刻の女中だった。何やら奇妙な荷物を脇に一つ抱え、余裕のない表情でルネに向かって手を差し伸べている。手が上下に動き早く掴めと催促してくる。


「逃げますよ、早く!!」


 事態を全く呑み込めないまま、ルネは女中に従って部屋を飛び出す。先を走っていた女中は途中で急に立ち止まり、持っていた荷物をルネに押し付けた。あたふたと受け取り女中の様子を窺うと、彼女のその青い目には強い光が宿っている。


「この飛行機は今、バリアントの襲撃に会っています……これを背負って」


 ルネは女中に押し付けられた荷物を検分する。箱状をした物に太い紐が通されていてリュックのような形になっている。ルネは紐の輪の中に腕を通しつつ女中に問う。


「これは何?」

「逃げるのです、貴方は」


 女中はルネを一瞥してそう答えた。彼女は廊下の壁に何かを探すような所作で手を這わせている。何をしているのかと首を傾げた時、女中の右足が高速で動いた。


「うぁぁッ!?」


 女中が放った蹴りは壁をいとも容易く破壊する。元々扉があったらしく、壁は綺麗な長方形に抜け飛んでいった。とはいえ遙か上空でも耐えられる丈夫で分厚い扉をただの蹴りで破砕したのだkら、その威力は計り知れない。

 壁に穴があいたことで艇内の空気がそとに流れ出し始める。ルネは足を踏ん張って留まろうとするが、その甲斐虚しく徐々に徐々に外へ押し出されていく。


「箱から赤い紐が出ているはずです!それを引けばパラシュートが開きます!」

「えッあ、うん!?」


 女中の叫びに曖昧な返事を返すと、彼女が微笑を浮かべた。綺麗で悲しそうな微笑み。ルネは目を離すことが出来なかった。


「さようなら、――――――」


 女中が何と言ったのかはルネには外の雑音が邪魔でよく聞こえなかった。ただ、唇が動いたのが見えたから、何かを言ったのだろうと予想できる。しかしそれを聞き返す前にルネの体は空中へと放り出されていた。女中がルネの背中を押したのだ。慌てて穴の縁に掴まろうとしたがもうすでに遅く、飛行艇との距離は見る見るうちに広がっていく。女中の悲しげでそれゆえに美しく映った笑みが脳裏に焼きついていた。


「――――――ッ!!」


 声を発する事も叶わぬまま、ルネは重力に従って落ちていく。春とはいえ、上空は恐ろしく寒い。すぐに指先や耳朶が悴んでくる。冷たく感覚の無くなってきた耳元で風を切る音が騒ぐ。

 序々に地に近づいているというのに、ルネはパラシュートを開こうとしなかった。女中のいう赤い紐を探そうともしない。彼は無知である。今迄俗世とは無縁に日々を送ってきた。ルネはパラシュートの開き方は愚か、パラシュートという存在さえも知らなかった。だからそれがどういった物で、何のためにあるのか分からない。


 彼は速さを増しながら落ちていく。



      *      *      *



「ん…う?」


 ルネは遠くに咆哮を聞いた気がして瞼を抉じ開ける。同時に強い揺れも感じぼんやりとしながらも内心で首を傾げる。しかしその疑問はすぐに解消された。


「やぁっと起きたか」


 突然頭上から降ってきた聞き覚えのない声に、ルネは勢い良く斜め上に向かって振り向く。その顔もやはり、ルネにとっては見覚えのない者であった。

 刃のような銀色の短髪に独特の鮮紅色の瞳は見る者に鋭い印象を与える。それに加えて、男は長身であった。赤目と長身をいう特徴から言って、男はメーディナ族なのだろう。更に藍色の軍服を着ているせいか、男の近寄りがたいイメージは強くなっている。

 男とルネは共に一頭の馬に似た動物に跨っていた。似た、というのはその生物が完全な馬の姿をしていないからである。その生物の顔は山羊に似ているが、指には鉤爪が生えている。体表は毛ではなく、鱗に覆われている。恐らくバリアントの一種だろう。その首にはベルヴェルグがかけられており、それによって人に従うよう制御されている。下位のヴェリェントなら従わせられるものの、生き物の意識を押さえ込む必要がある為術者には大きな負担がかかる事から、使用されるのは珍しい。男はその手綱をルネの背後から握っている。そして丁度その腕と腕の間に、ルネの体を収まる形をなっている。


「本当にびっくりしたんだぜ。いきなり上から降ってくるんだからよ。木に引っかかったから良かったけどな、一体何がしたかったんだ?」

「さ……さぁ?」


 矢継ぎ早に言葉を重ねる男に、誰なのかという疑問も忘れてしまう。何がしたかったのかと問われても、ルネ自身にも理解できていないので説明の仕様がない。どう答えようかと悩んでいた時、右方から別の声がかかった。


「フィル、無駄話をしている場合か……見つかったぞ」


 銀髪の男をフィルを呼んだ、二人目の男も藍色の軍服を着て騎乗していた。長い漆黒の髪を後ろで纏め上げ、赤い組紐で括っている。東洋人的な端整な顔立ちが特徴的だった。貧弱というわけではないが、フィルと比べ細身である。この男は人族だろう。髪と同色に黒瞳は鋭い眼差しで後ろを見据えている。

 その視線を辿っていくと、今正に飛行艇が浮力を失って落ちていくところだった。それは艇の故障などによるものではない。飛行艇は抗いながらもゆっくりと沈んでいく。鉄の塊が悲鳴をあげる。

 その背には巨大な体躯をした一体のバリアントが爪を立てていた。女中に教えられた通り、飛行艇がバリアントの襲撃にあっている。

 そのバリアントは胴が長くその両脇に節のある足を何十本と生やしている。長いどうを飛行艇を締め付けるように回し、顔の正面にある鋭い顎を音を鳴らして開閉していた。バリアントの特徴の一つでもあるベルヴェルグは赤く光る小さな瞳の間、額に印されている。全体として百足の形をしていた。しかしあまりにも巨大すぎるその体。そして体表を覆うのは殻ではなく鱗だった。その大きな体は此方に向けられている。額のベルヴェルグが点滅し、発動を始めている。バリアントの顎から滴り落ちた強い酸性の唾液が地面に落ちて蒸気を立てた。

 百足の節足が高速で動き長大な体が飛行艇から離れる。巨体の利を生かし、森の木々をなぎ倒しながらまっすぐこちらに走ってくる。その巨大な体からは想像も出来ない程の素早い動きだった。

 狙いは、その視線の先は――――――ルネ達。


「やっべぇ、急ぐぞイオリ!」


 フィルが黒髪の男に叫び、乗り物とするバリアントに強く拍車をかける。腹に蹴りを入れられたバリアントは、馬とも山羊ともつかない嘶きをあげ、足を速める。ルネは速度を上げ始めたバリアントに首にただしがみ付くことしか出来なかった。百足の姿をしたバリアントは、その間にも着々と距離を縮めている。巨大な顎が唾液の糸を引きながら開閉される。大百足の通った後は酸の唾液によって溶かされ、焼け爛れた道が出来ていた。その姿を見たフィルが舌打ちをし、左手を耳元に宛がう。


「リム、リム、何処にいる?」


 一拍おいて、


『今そっちに向かっておる。その状態では迎撃は難しいじゃろ?』


 気の抜ける年寄り言葉が、フィルの左耳につけられた赤石にピアスから発せられる。イオリも左耳に手をあて、そろいのピアスからそれを傍受しているようだった。

 通信の相手は誰なのか、そもそもこの男達は何者なのだろうかと首を傾げた時、後ろで破砕音がする。驚いて振り返ると、大百足がすぐ後ろまで迫っていた。顎が一層早く打ち鳴らされる。紅い目は喜悦に輝いていて、恐ろしい姿を際立たせている。内心の恐怖を具現化したような姿に、思わずルネが声を上げかけた、その時――――――


“GgkrrRKrガGKrGrgrるァrrGRるRlrrgRKgkラrrrklッッッ!!!?”


 百足の姿をしたバリアントが、叫びにさりきらないおぞましい咆哮をあげる。頭を大きく後ろに仰け反らせ、尾を地面に何度も打ち付ける。飛び散った唾液の飛沫が森の木々に穴を穿つ。予想外の苦しみに、先の尖った節足が痙攣していた。

 この世界の王者であるはずのバリアントに苦しみを与えている物、それはたった一本の矢だった。ただしそれは、バリアントの力の根源でもあり象徴でもある額のベルヴェルグに深々と突き刺さっている。バリアントのベルヴェルグは体内の器官と密接に結びついており、いわば内臓が進化して体表に出てきたような物である。それを攻撃されたという事は、彼らにとっては臓腑を抉られているのに等しい。

 フィルがそれを横目で確認し、騎馬の手綱を引いて止める。イオリもその隣に並んだ。騎乗しているバリアントは全速力で走ったせいか、胸から腹にかけて激しく上下させ苦しげな呼吸をしている。


 その間を、一陣の疾風が駆け抜ける。


 ルネがそう認識した瞬間、悲鳴を上げ続けるバリアントの口が縦に裂けた。一拍置き、桃色の肉の断面から赤黒い血が噴出してバリアントの胸元が染め上げられる。

 口から滴る酸性の液を、そして悲鳴を上げることすらも強制的に封じられたバリアントの鼻面に、風は降り立つ。それは丁度傷の上で、直に神経に触れる痛みにバリアントの尾がのたうつ。しかし誰かが降り立った顔だけは硬直したように動かない。人類を恐怖に陥れるはずのバリアントが、逆に恐怖で支配されている。


「ねぇ、小さい頃に聞かされた物語でさ、こういうのがあったんだよね」


 バリアントの顔面に降りたったのは、フィルやイオリと同じ軍服を纏う男だった。乾いた血を連想させる赤茶色の髪と瞳、そして何よりその男は頭頂部に三角形の獣の耳を有し、細長い滑らかな尾を揺らしていた。アーバン族の男だ。

 手首のベルトで強く固定されている手袋の、その指の付け根部分から左右三本ずつ、合わせて六本の鉤爪を模した金属の刃が生えている。それでバリアントの顎に切りつけたのだろう、鉤爪の先には鱗のついた肉片がこびり付いている。身のこなしが速いのは、アーバン族というのに加え、ベルヴェルグによる肉体強化も行っているのだろう。ベルヴェルグを彫った石を肉体に埋め込めば、大幅に肉体を強化することが出来る。

 アーバン族の男は無邪気な笑みを浮かべ、言葉を紡ぎ続ける。獲物を狩ることが至福の喜びをでも言うようなその笑顔は、狩猟を主な生業とするアーバン族の物だった。


「強くて無敵の大百足の話。ただ、ただね、その百足にも一つだけ弱点があった。さぁ、何処でしょう、フィル?」

「知るか」

「そう! それはね……」


 フィルの返事を無視し、笑顔を絶やさずに崩さずに男はバリアントの紅い目を覗き込む。


「眼、だよ」


 男は笑顔でバリアントの瞳に爪を突き入れる。その手つきには全く躊躇という物が感じられなかった。むしろ玩具で遊ぶ子供のような無邪気で嬉しそうな表情をしている。

 バリアントは今までの比ではない激しさで尾を地面に叩きつける。

 しかし捕食者からはどうやっても逃れられない。男は半分潰れたバリアントの瞳を覗き込み、そこに自分がしっかりと映っているのを見て、満足げに笑声を上げた。そして残酷に残忍に―――――― 爪に捻りを加えて引ききった。


 血と体液が森の木々に斑模様を作る。薄汚いそれは、あちらこちらにばら撒かれた。百足は悲鳴を上げることも許されぬまま、力尽きて地に伏せる。巨体の上半身が倒れた反動で下半身が跳ね上がる。衝撃で地響きが起き、土煙が舞った。

 酷い砂埃に、ルネは顔を背けて咳き込んだ。胸を押さえていると、また新たな声がかかる。


「大丈夫か?……よく見るとまだ子供ではないか」


 静かではあるが、良く通る気品を帯びた声。いつの間にか男がもう一人横に立っていた。空のように淡い水色の髪と、同色の瞳。美しい芸術のように整った顔の、その耳は先が鋭く尖っている。耳と同じくエフェル族の特徴である華奢な体に、不釣合いな長弓を携えている。先刻ベルヴェルグを射抜いたのは、このエフェル族の男なのだろう。この男も藍色の軍服を着ている。


「うん、大丈夫……です」

「なぁんだよ、またフィルはこんなの拾ってきちゃったのかい」

「こんなのって、おい、ストエカス」


 アーバン族の男が悪戯めいた笑みを浮かべ、こちらに近づいてくる。腰に手を当てて猫の尾をくねらせながら、子供に言い含めるように言葉を放つ。


「フィルはちっさいものとか可愛いものとか見たら、すぐ拾ってくるんだから。この前の、まだ懲りていないのかい?……噂をすればほら、来た」


 ストエカスと呼ばれたアーバン族の男は、森の奥に目を向ける。その視線を追ってルネが振り返ると、馬車の車輪の音と獣の足裏が地を叩く音が聞こえてきた。

 やがて森の奥に暗がりから姿を現したのは――――――


「……」

「どうだい、おちび?なかなか強烈だよね」


 強烈どころではなかった。馬車を引く生き物はあまりに歪な形をしていた。

 顔だけをみれば、それは兎で愛らしい。しかし、あまりにも大きすぎるのだ。小動物の枠組みを大きく超え、大型の牛ほどの大きさがある。さらに奇怪な事に、四肢は兎のそれでは無かった。明らかに霊長類、それも人間の四肢である。前足は腕に、後ろ足は足に、四足をついて四足歩行をしている。強烈を通り越してグロテスクだった。


「な、何あれ……」

「改造したのさ、改造」


 事も無げに言うストエカス。一方のルネは驚きのあまり落馬しそうになっていた。馬ではないので落馬という表現は正しくないのかもしれないが。それを下で受け止めたのは、この中で一番華奢なエフェル族の男だった。


「あ、ありがとう……えっと」


 ルネがあぐねていると、男のほうから口を開いた。


「ウィンストン・マーシュだ。ウィンと呼んで構わない」


 最後まで聞かずに兎のほうを横目で窺う忙しないルネを見て、ストエカスが笑っている。ウィンストンもそんなルネを見て微笑んでいた。一方、ルネは更に近づいてくる兎から隠れるように身を縮めた。流石のルネも、得体の知れない物は気味が悪い。ルネの疑問に答えたのは、暫く口を閉ざしていたイオリだった。


「言葉の通りだ。元々普通の兎だったのを、あのような姿に変えた」

「へえ、でも誰が?」


 この中にそんなことをしそうな人物はいない。なら誰が兎の姿を変えたのかと疑問を口にすると、返答は以外なところから返って来た。


「儂しゃよ、儂がこの兎を生み出した」


 聞くタイミングによっては気の抜ける、時代がかった声。先刻のフィルのピアスを通して聞いた声だとすぐに分かる。声は巨大兎の引く馬車の中から少しくぐもって聞こえてきた。物が落ちたり退けられるような音も聞こえてくるので、声の主は馬車を出ようとしているのだろうと想像がつく。

 一同は馬車に注目し、声の主の登場を待つ。

 離し方といい、随分と博識は好々爺なのだろうとルネは踏んでいたのだが――――――


「えっ、えッあれ?」


 ルネは驚きと感心の入り混じった声を上げざるをえなかった。


「あれ? とはなんじゃあれとは」


 現れたのは好々爺とは大きくかけ離れた人物だった。好々爺どころか、爺でもない。若いのだった。確かに声はよく通り綺麗な物だったが。見た目にはルネ以外も者達と年はそう変わらないように見える。

 人族の男だった。青紫色の髪の神秘的な長い髪を1本の三つ編みにして、前に垂らしている。髪留めには鈴が使われ、男が動く度に軽やかな音を奏でていた。男の顔の左半分は、道化のような麗々しい赤色で装飾された仮面に覆われていて見えない。右半分の目と口元には妖しげな笑みが含まれている。

 男も藍色の軍服を着ていたが、少々アレンジされていて。他の者達より裾が長く袖口が広がっている。上着は足の臑が中程まで隠れる長い物である。一見すると、御伽噺に出てくる魔法使いのような格好をしている。もっとも、若い風貌をしてはいるが。

 見た目こそは若いが、口調からも佇まいからも風格を感じさせる不思議な男だった。


「若い、と言いたいのしゃろう?」

「……うん」


 数秒の間を置き、ルネは素直に肯定する。この男には。嘘もお世辞も通用しないような気がした。しかし、男は気を悪くしたような素振は一切見せず、寧ろ可笑しそうに笑った。


「ふふ、全く臆せぬか。面白い奴が来たものじゃの。儂の名はリム・レム。妖術師じゃ。で、あの兎がイナバ」

「イナバ?」


 ルネは聞きなれない、この辺りでは使われそうに無い名前に引っかかった。聞きなれないといえば、妖術師という単語も気にはなったのだが、そちらの方が興味深い。


「む、イナバというのはな、ある東方の地域の昔話に由来するのぢゃよ。因幡の白兎という話を知っ「ところでまだぼうやの名前を聞いてないあるよ」

「話を変えるけど、まだ坊や自身の話を聞いていないある」


 リムとの会話に割り込んできた独特の訛りがある、響きも質も似ている二つの声。ルネが驚愕しながらも振り返ると、そこにはいつの間にか二人の人物が立っていた。全く気付かなかった。切れ長の印象深い目も、ルネに笑いかける笑顔も良く似ている。同じ人物が二人いるのではないかと錯覚しても不思議ではない位だ。但し髪の色だけが違う。ルネから見て右側にいる方は栗色の髪、左側にいる方は亜麻色の髪をしていた。

 双子は同時に顎をしゃくって早く言えと催促してくる。それに対してルネは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「ルネです。苗字はありませんけど。あ……もしかしたら知らないだけかも」


 ルネがやや困惑気味に口を閉ざすと、双子は嬉しそうに拍手をした。


「我はヴォット・ザクである。兄あるよ」

「我はスピキオ・ザクだる。弟ある」


 栗色の髪の方がヴォット、亜麻色の髪の方がスピキオらしい。先程とは打って変わった屈託のな笑みを浮かべ、ルネの手を上下に勢い良く振り回す。


「年寄りの話に割り込むのはいかんの」

「フィルがルネの世話係りで決まりだよ。拾ってきたんだし」

「おう、任せろ」

「動物扱いか?可哀想だ」

「フィルが世話なんぞ出来そうに無いな」

「無理あるよ」

「無理あるな」


 ルネを除く大人達の会話に、イナバが短く鼻を鳴らした。

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