溢れる程の罪を両手に抱えた無邪気な悪
一人の少年が穴を掘っていた。少し緑色を含んだ淡い金髪と、森を連想させる深緑の大きな瞳を有する、十七歳程のまだ年端もいかぬ少年。少年は一時も休むことなく、穴を掘り続ける。
少年の傍らには、山が出来ていた。今まで少年が掘って来た土の山、ではない。大きな物が積み上げられて出来た山だった。
それは、人だった。
人の屍によって、その山は築かれていた。死んでから相当時間が経っているらしく、死体達の体には蝿が集り子を産みつけ、子である蛆虫が肉を喰い荒らしていた。腐敗も進み、吐き気を催す臭いを撒き散らしている。しかし、少年は気にも留めない。屍達の傍らで、唯、黙々と穴を掘るのみ。
ようやく大人が両手をいっぱいに広げられる大きさの、深さも十分に穴を掘ると、少年は満足気にに息を吐き手の甲で額を擦った。擦った時に土が触れたのか、少年の額に茶色の一文字が浮かぶ。
穴を一つ掘り終えた少年が歩む先は、屍の山。一番上の死体の腕と思しき場所に手を掛け、一息に引きずり落とす。急な刺激に驚いたのか、蝿が一斉に飛び立つ。周りを煩く飛び回る蝿を少年は厭わずに穴まで引きずっていく。虚ろな死者の眼窩から、蛆虫が数匹転がり落ちた。
遠心力を使い穴の中に投げ入れた屍の足の先が、穴の端から出ていた。少年は、それを死者の膝を曲げてそっと中に入れる。そして、上から土を入れていく。
死者の体が完全に埋まれば、スコップの平らな面で土を均す。綺麗に整えば、どこからか拾ってきた粗末な木の枝を目印とばかりに突き刺す。それは、彼なりの墓標だった。そして彼は今、かつての同郷の者達を埋葬しているのだった。一人で、延々と。
少年は村の中の唯一の生き残りだった。
少年――――――ルネは、また穴を掘る作業に取り掛かる。
* * *
男はその日何度目かの溜息を吐いた。目頭を右手の人差し指と中指で摘み、少しでも疲れを取り除こうと揉む。しかし効果は今一つだったようで、すぐに右手を降ろし肘掛に置いた。苦渋の表情は少しも和らぐことはない。
「まだ着かんのか」
「もうすぐ、もうすぐです!」
男の静かな問いに、彼の部下が上ずった声で叫び返した。男はそれを聞き、僅かに眉間に皺を深くする。
手元にあったワイングラスを一気に呷り、乾いた喉を潤す。温くなった葡萄酒は安物という事も相俟ってか、吐き気を催す程不味かった。これでは悪酔いしたとしても不思議ではない。男の苛立ちが更に募る。乱雑に手を振ると、怯えて尻込みした給史がグラスを下げていった。
男は頭痛を覚え、こめかみを押さえる。そう、操縦士の言う通りだ。もうすぐだ、と男は誰にともなく呟く。もうすぐ自分の野望が叶う。全てが自分のものとなる。全てが始まり、全てが終わる時が来る。もうすぐ、もうすぐ……
「いそげ」
男はその日何度目かの溜息と共に、部下に命じた。
男の乗った乗り物――――――飛行艇は進む。
* * *
腹の底に響いて振動する、それでいて耳障りな音を聞き、穴掘りの作業に没頭していたルネは頭上を仰いだ。そして深緑の瞳を大きく見開く。瞳には抑えきれない好奇心が渦巻いていた。それはルネにとって夢のような話だった。
「凄い……!」
村の上空に堂々と浮かんでいたのは巨大な飛行艇だった。巨大な船体は日光を遮り、これまた大きな影を落とす。飛行艇、という表現は正しくないのかもしれない。あくまで形がそれに類似している、といっただけだ。また、飛行艇という言葉にも当てはまらない。プロペラなどは一切見受けられず、ガスも噴射されていない。全体的な形としては船形である。しかし帆や帆柱は無く、代わりに大砲が備え付けられている。軍艦、鉄を鎧う巨大な兵器だった。
そんなプロペラもエンジンも持たない重い鉄の塊が浮かぶのには訳がある。それは、船の腹の部分に大きく印されていた。巨大な飛行艇の丸みを帯びた腹には、大きく黒々と複雑な紋様が描かれている。線が交わりあい、絡み合いできだ優美かつ繊細なその紋様こそが、飛行艇の動力源であった。紋様が物質に力を与えているのである。その紋様はベルヴェルグと呼ばれるもので、元を辿ればバリアントから発見された技術だ。彼らの体には、必ず同じような痣が見られる。それが個々の扱う能力に影響している。
しかし、ルネはそのような経緯を知らない。辺境の村で育った彼は、最新技術と呼ばれるものに酷く疎かった。火を起こすような些細なものしか実際に起動したものは見たことが無かった。
理由は、村のせいだけではないかもしれないが。
兎に角、ルネは飛行艇というものを知らなかった。その為、感想は凄いとしか言い様がない。彼は夢中で飛行艇を見上げ、瞳にその姿を焼き付けようと目を凝らしていた。
「えッ……?」
そして見つけた。次々と飛行艇から飛び出してくる影を。
ルネが驚いたのはそれだけではなかった。飛行艇かた飛び出してきたいくつかの影は、重力に従って真下にいるルネの下へと急降下を始める。猛スピードで落下してきた影達を地面にぶつかる、と思った瞬間、ルネは思わず目を強く瞑っていた。
だが、いつまで経っても肉の潰れる音は聞こえてこない。何の音もルネの耳には入ってこなかった。恐る恐る目を開くと、まず目に入ったのは黒い人型、頭から足先までを黒く統一した集団だった。黒ずくめの集団はルネの周りを輪を描くようにして囲んでおり、それぞれ黒く細長い円筒状の物を携えていた。皆一様に、円筒の先をルネに向かって突きつけている。
ルネは世間知らずで無知だ。今まで常に周りから隔絶された生活を送ってきた。その為、世情に著しく疎い。故に自分に向けられているものが銃であるという事も、そこから噴出された白い煙が催眠ガスだという事も、知る由が無かった。
* * *
或るいは一時間前。
初春のまだ肌寒い風を僅かに感じる、薄暗い森の中。昼間だというのに足下が曖昧になる程日光を遮る生い茂った木の枝を見上げ、男が呆れて呟く。
「うげぇ、参るなこれは。こんだけ暗けりゃテンションもガタ落ちだっての……なぁ、イオリ聞いてるか?」
悪態を吐く男がイオリと呼んだ傍らの男は、憮然とした表情を見せて男を無視する。そして、置いていこうと騎乗した動物に拍車をかけて足を速めた。
「だっ!? 酷ッ酷いぞっ人を無視するな!!」
「煩い黙れ喧しい口を閉じろそこら辺の木の枝にでも突き刺さって死んでおけ」
人差し指を勢い良く突きつけ、罵声を上げる男――――――フィルに激烈な言葉を重ねに重ねるイオリ。
奇妙で珍妙な二人組み、フィルとイオリ。二人の纏う服は揃いの物だった。黒に近い藍色を基調とした、軍服。右上腕部には鳥が大きく翼を広げる図柄の刺繍が施されており、その下には同じく刺繍で文字が刻まれていた。
『ローダ騎士団』
それは小規模ながらも、広く名を轟かせている一団だった。実力は元より、別の意味でも有名なローダ騎士団。羽觴のローダの二つ名を拝し、騎士団の名を冠すローダ騎士団だが、その本質は他の騎士団とは大きく異なると言っても良い。むしろ、賞金稼ぎの集まりに近い。
まず、本部という物が存在しない。彼らには帰る地は何処にもない。その分、施設の維持費が必要なく、あちこちを自由に動き回れる事が利点である。次に、非常に少人数であること。その数――――――八人。かなり少ないが、個々の能力は高い。実力だけなら、どの実在する騎士団にも勝るだろう。少数ゆえに、消耗戦には堪えられないのが弱点ではあるが。
そのローダ騎士団が二人、フィル・カーソンと長沢イオリは迷うことなく森を進む。ある男に止めを刺すこと、その為に。
他愛無い会話をしながら進む二人を、瞬きすらせずに木の上から凝視する瞳があった。二人が視界から消えうせると、瞳の持ち主は大きく鮮やかに目に写る黄色の翼を広げ、上空へと羽ばたいていく。そして煌々と地を照らす太陽い向かって、一声甲高くしゃがれた鳴き声を上げた。
まるで挑戦を叩きつけるかのような鳴き声は、言葉の羅列にも似ていた。
* * *
「失礼いたします」
控えめな声とそれに比例した小さな声と共に扉が開かれ、ルネは慌ててベッドから飛び起きた。入ってきたのは濃紺のワンピースの上から白いエプロンを重ねた姿の女中だった。艶やかな髪を肩口で切りそろえ、引き締まった雰囲気のある女である。元気そうに振舞うルネの様子を見て、驚き目を見開いている。
「ど、どうして起きていらっしゃるのですか……?」
「どうしてって、部屋に誰か来てるのに寝てちゃ失礼だと思ったから」
ルネは女中の反応に困り、頬を人差し指で掻きつつ答えた。女中の言葉の意味が理解できない。然し女中はその言葉にはっきりと首を横に振る。
「違います。そういう意味で言ったのではありません」
女中は一瞬溜めるように間を置く。
「先程貴方が吸ったのは、下手をすれば一生目覚めない可能性もある毒でした。なのに何故、そんなにも元気なのですか?」
女中は真剣な表情で問いかけてきたが、ルネは今一つピンと来ないまま、そっか、という返事を返した。そもそも催眠ガスという物を知らないルネにとって、女中の言葉は意味の分からない物としてしか受け止められない。自分に何か危険があったのだろうが、それがどれほど危険なのかが分からない。事実として自分は起きているのだから問題ない、という勝手な解釈をする。
しかし相手は部屋に入ってくる時に自分に一声かけた。何故だろう。自分が起きているとは知らなかったはずなのに。寧ろ起きていないと思っていた節さえある。ルネが首を傾げていると女中は見透かしたように薄く笑った。
「癖ですよ、私のようなもののね」
ルネはその言葉にゆっくりと目を瞬いた。
「へぇ、いい習慣だね」
少なからず自嘲の篭った言葉の響きを気にせずにルネは女中に満面の笑みを返す。気付いていないというより、そう信じて疑わないといった言いようだ。ルネにとっては悪意の全く混ざらない心からの賛辞だった。ルネは笑顔を絶やさない。当然だといった顔で女中に裏表のない笑みを向ける。
「だって挨拶をする相手がいるってことでしょ?羨ましいな」
女中は暫く意味が分からない、といった顔をしていたがやがて優しく顔を綻ばせた。
「そう……かもしれませんね。さぁ、お顔が土で汚れていますよ。拭いて差し上げましょう」
* * *
あ?オッサン何の用だ?オレは小汚い中年オヤジと酒飲む趣味は無ぇ。
教えて欲しいこと……あぁ、そういう事かよ。つまりオレにとっての仕事だ。そういう事なら早く言えよ。小汚い格好しているからただの酔っ払いかと思っただろ。失礼じゃねぇ、事実だ。
で、何が知りたいんだよ。さっきも言った様にオレはオヤジと長話する趣味は無ぇ。オレの品位が疑われるからな。
あの辺鄙な村に住んでいた童顔のルネか?それなら知っている。何しろオレの親友なんだからな。
だがこの情報なら売らないぜ。
そう怒るなよ、オレは友達や仲間を売るほど落ちぶれちゃいない……そう、オッサンみたいにな、ハハッ!
知っているさ、オレは何でも知っている。それがオレに課せられた重要な役割だからよ。
ルネな。せめてもの慈悲だ、これだけは教えておいてやる。ただし、教えたところで何の迷惑もかからないような物をだがな。
一言で言えば良い奴だ。人間って言うのは誰しも薄汚い面があるもんだ。もちろんオレもオマエも含めてな。だがアイツはそれを感じさせないし、そう感じない。不思議な奴だ、見る奴が見れば不気味に思うかもなぁ。あまりにも無邪気すぎるんだよ。まぁ、無知故かもしれないがな。だが善悪で言えば……悪だろうな。本人に自覚があるかどうかは別として。
どういう意味だぁ?そんなもん自分で考えろ。考えられなかったらもっとはっきりした情報を自分で探せば良い。オレは出された金と必要に応じて情報を提供するだけだ。それが役割さ。
* * *
ルネが軟禁されている部屋を退出し、女中は部屋のドアに寄りかかって呆けたように宙を見つめる。彼女の指は知らず知らずのうちに自分の唇をなぞっていた。先程の感覚を思い出そうと女中はそっと目を閉じる。
あんなに笑ったのは、否、心の底から笑えたのは随分と久しぶりだ。最近は偽の笑みを貼り付けることはあっても、本心から笑うことはめっきり無かった。不思議な子だ。自分なんかが羨ましいだなんて。あの男の目を盗んでまでわざわざ足を運んだ甲斐があった。
ただ無知なだけなのか、女を励まそうとしているのか、ルネはしきりに彼女を羨ましがっていた。もし彼女の正体を知っていたなら。常人は羨ましがるどころか話そうとも思わないだろうに。やはり何も知らないだけなのかもしれない。
あの様子では自分が軟禁されている事にも気づいていないのではないのだろうか。有り得る。可能性としては十分に有り得る。不思議とそれを愚かだとは思わなかった。寧ろ好ましく感じる。明確な理由は分からないが、懐かしいとさえ思えるようになっていた。
本当に、面白い……
面白い、としか表現できない。女中の目にはルネは奇妙に映っていたが、嫌悪感は全くと言っていいほど無いのだ。そんな自分もまた、第三者から見れば奇妙に見えるのだろうと思う。
再びこみ上げてきた笑いを室内のルネに気付かれないように押さえようとしたその時――――――
彼女の細い体に巨大な振動が襲い来た。