三話
鮮やかに黄色い翼を持つ鳥が、悠々と空を旋回している。丸くキョロキョロとよく動く目が一つの廃屋を発見し、固定れた。見つけた、とでも言うかのように、鳥は甲高くしゃがれた一声を上げる。丸みを帯びた嘴の中で、他の種と比べると厚めの舌が踊る。厚い舌は人の言葉を真似する事ができる。鳥は少しずつ羽ばたきを弱め、滑らかな円を描きながら滑空を始めた。廃屋の屋根のごく近くまで降りてくると、入り口を探して暫くその周りを飛ぶ。一つだけ、周りの景色を写さない窓があった。つまりは、そこにはガラスが填められていないという事だ。鳥はそこから廃屋に飛び込む。
「おぉう、久しぶりじゃんよ。相っ変わらず色が俺様に似ていて気に食わねぇ」
「はっははぁ! インクをぶっかけようなんて、考えちゃ駄目だぞ。あ、ここにインクは無いか」
「……気に入らないなら、殺す方が手っ取り早いんだし……」
廃屋の中には、三体の人影がある。全てが男のものであった。
彼らは鳥が入ってくるなり気配を素早く察知して、それぞれ三者三様の態度を示した。
物騒な言葉の欠片を投げつけられても、鳥は恐れて逃げ出す事をしない。殺気は向けられても、彼らはそれなりの分別を持っているという事を理解している鳥は、逃げる必要がない。それにもしここで逃げてしまったとすれば、後でそれよりも更に恐ろしい罰が待っている。これは鳥の低い知能にも強烈に刻み込まれる事実であった。
「ぶっかける、か。それは良い案だぜ。インクの代わりに血なんてどうよ? 真っ赤だぜ」
そう言ってケラケラ笑ったのは、シルヴィア・ギルデンが造った対バリアント用戦闘擬人型の一体、五体目に造られ、現存する擬人型の中では三男にあたる、雷のグローム。
鳥よりも一段と鮮やかな黄色の短髪を持ち、同色の瞳には剣呑な光を湛えている。白い犬歯を覗かせて、獰猛な笑みを浮かべて見せる。白いワイシャツの上から、黄色く長いボアのようなものをストールを羽織るように肩にかけている。その長さは異様に長く両端ともグロームの膝まで届いているから、三メートルほどはあるだろう。グロームが笑う度に肩が揺れて、ずり落ちたボアが肘のあたりで引っ掛かった。
「ははっ、確かに血ならこの部屋には余る程あるな! だが、赤は俺と被るから止めてくれ」
軽い調子で肩をすくめるのは、同じくシルヴィア・ギルデンが造った対バリアント用戦闘擬人型の一体、四体目に造られ、現存する擬人型の中では次男にあたる、晴のパゴーダ。
原色である赤を宿した髪はオールバックと言うには無造作で、後ろに上げられているのは前髪のみである。それも、目尻からはもう前に垂れている。同色の瞳には無邪気な光が入っていた。
カーキ色のタクティカルベストの下には黒のティーシャツを着ているが、左袖だけ肩口で切り取られている。代わりに左上腕部には黒の布が巻かれ、その上から細いベルト二本で固定されていた。軍用の武骨なデザインのブーツを履いている。
二体の言う通り、部屋は血と肉片で溢れかえっていた。むせかえるような香しい血の臭気が充満している。ヌラリと光を反射する内蔵の欠片が壁にへばりつき、床は乾いた血と乾いていない血とで赤黒い色に埋め尽くされている。引きずり出された腸や肝臓は元々はどの肉体に収納されていたのかも分からなくなり、頭を破裂させられた死体が脳しょうと血液で大きく華やかな花弁を作り出している。肉片に混ざって、黒い布切れが血に濡れて落ちていたいた。黒い色のせいか、濡れたように見えるだけであまり血に染まっているようには見えないが、強く漂ってくる血臭がそれを裏切っている。全身黒で統一した衣服を着た集団。春先のローダ騎士団との殺し合いを生き延びた、ロベール・モーリアの部下達だった。今この瞬間、彼らは対バリアント用戦闘擬人型の兄弟によって完全に殲滅された事になる。
未だ乾いていない血溜まりの表面が、三体の顔を写し出す。
「……殺せば……皆、殺しちゃえば良いのに。嗚呼……生き物を感じる。気持ち悪い……」
最後の一体が、呟いて自分の体を抱く。彼もやはり、シルヴィア・ギルデンが造った対バリアント用戦闘擬人型である。六体目に造られ、現存する中では四男にあたる、曇のヴェルト。
僅かに青みがかった灰色の滑らかな長髪を、うなじの辺りで黒いリボンを用いて一つに纏めている。同色の瞳は深く澱んでいて気味が悪い。血色の悪い肌は青白く、病的に感じられる。
灰色のタートルネックシャツの上には裾の短いデザインの長袖の上着を羽織り、胴の部分には通常の五倍の長さはあろうかというベルトが幾重にも巻き付けられている。
ヴェルトの青く薄い唇が憎々しげに歪められる。
「嗚呼……本当に有り得ない……こんなに醜くて矮小な存在が、此処まで惨めにも行き長らえて来た事が……信じられないよ」
しゃがみこんだヴェルトの前には、舌を小さな針で串刺しにされて地面に縫い付けられた鼠の姿があった。鼠は四肢を千切り取られて、最期の痙攣を繰り返している。まるで、癇癪を起こした子供の仕業のようだった。力任せに千切られた手足の断面は、どこが皮でどこが肉でどこが骨なのか汚すぎて見分けられない。刃物で切り取るよりも、よほど残酷な仕打ちだった。
パゴーダがそれを、ヴェルトの背後から覗き込む。
「おや、鼠さんだな」
「鼠さんって何だよ。『さん』付けかよ」
グロームが露骨に嫌そうな表情を浮かべた。んべー、と赤い舌を突き出す。
「鼠『さん』は放っておいてよぉ、この幸せの黄色い鳥『さん』が何を伝えに来たのか、聞こうじゃねぇの」
キヒヒ、とグロームが白い歯を剥き出して笑う。
パゴーダが体を起こし、首筋に手を当てて鳥に目をやる。
ヴェルトが澱みの渦巻く暗い瞳を、鼠から鳥へと移す。
鳥は全員の視線を受けて、大きな翼を広げた。
「グラード、伝言。プルー、蘇生」
三体の間に、安堵の空気が流れる。姉の無事に、三体が三体とも胸を撫で下ろしたのが窺えた。やはり、戦闘用擬人型達の結束力は硬いらしい。
グラードからの伝言はまだある。鳥は再び口を開く。
「ルーネ、発見」
「おいおい! それはびっくりだな!」
パゴーダが身を乗り出して手を叩いて喜ぶ。十数年の間、探し続けた存在をやっと見つけたのだから、嬉しいに決まっている。
グロームも信じられないという顔をして、自分の頬をつねって引っ張っていた。夢ではないのか、確かめているらしい。擬人型が夢を見るのか、その点は些か疑問ではあるのだが。
「グラード、ネジュ、合流。目的地、エナサン」
それを聞いたヴェルトが、不意に立ち上がる。
「ヴェルト? どうしたんだよ」
珍しく、自ら殺戮以外の行為をしたヴェルトを疑問に思い、グロームが訝しげに声をかける。
問いかけられたヴェルトは、血色の悪い薄い唇に笑みを浮かべる。
ヴェルトのその反応に、表情には出さないもののパゴーダとグロームは驚いていた。
ヴェルトはネジュほど感情が剥落していないが、普段は喜怒哀楽のうち怒と哀しか示さない。喜と楽を表すのはいつも、目の前の生き物を全て死滅させた時だけだった。ヴェルトは殺戮が好きなのではない。生きているモノを憎悪しているのだ。例外は自分を含めて七体だけ。グラード、プルー、パゴーダ、グローム、ヴェルト、ネジュ、そしてルーネだけなのだ。
だからこそヴェルトが殺戮以外で笑った事に、二体の兄は驚愕していた。
「ルーネの所に行く……今すぐに。当たり前じゃない……」
そう告げてヴェルトは兄達に背を向け、開いた窓から飛び降りる。
「あーあ、ヴェルト。柄にもなく、興奮しているぞ」
パゴーダは別の窓を開き、ヴェルトが地面に身軽に着地するのを見ていた。まだ室内で鳥を突っつき回しているグロームを振り返り、ハッハッハと肩を揺らして笑う。
そのグロームが、ふと鳥を突く手を止めて首を傾げる。
「おい、そういや今って夏だよなぁ。グラードの兄貴とネジュはこんな時季にそんなクソ暑い所に行って、大丈夫か? くたばってたら、どうしようなぁ」
グロームが溢した言葉に、にわかにパゴーダが笑いを止める。笑顔が引き吊って、指先が少し震えていた。
パゴーダとグロームは暫し見つめ合い、無言。
パゴーダが顎に右手を当てて、反対の左手を窓枠にかける。
「それって、急いで向かった方が良いような気がするぞ」
「俺もそう思う」
「……やばいぞ」
二体は確認するように言葉を交わし、慌ててヴェルトの後を追って窓から飛び降りる。
そんな擬人型達を、鳥はよく動く丸い大きな瞳で見送った。
いつの間にか、四肢をもぎ取られた憐れな鼠『さん』は息絶えていた。
* * *
エナサンの宿で、ルネは開いた小さな窓からぼんやりと、宿に面した道の様子を眺める。
その道では店を出して営業を開始する為に、行商人ギルド・ヴォーリャの面々が暑い中で忙しそうに立ち回っていた。
「果物の店はそこだ! 需要があるから、一番大きなヤツにしろ!」
セインの指示が飛ぶ。
それを聞いてルネは、やはりセインはギルド・ヴォーリャの団長なのだな、と感心した。
実を言えば、ルネの部屋は四階にあり、道も往来する人々で非常に賑やかになっている為、セインの声を正確に聞き取る事は難しい。それを可能にしているのが、ルネの人並み外れた身体能力からなる聴力である。
「了解。これで良いんだよな?」
セインの指示に従って、組み立てていない露店のセットを持ち上げたのはフィルだった。流石、メーディナ族という生まれに加え、ベルヴェルグによる肉体強化を施しているだけあって、相当な重さだろうと思われる金属の支柱の複数本を軽々と持ち上げてしまう。
人手が足りないという事があり、ローダ騎士団のメンバーまでもが駆り出されている。リムは分からないが、フィルの他にも確実にイオリ、ストエカス、ウィンストン、ヴォットとスピキオの双子はセインにこき使われているだろう。
「んん、皆、頑張ってるなぁ……」
ルネは下の光景から視線を剥がし、室内へと向ける。太陽が強く照っている外から薄暗い室内へと急に目を移した為、実際よりも部屋が暗く感じられた。だがルネの瞳は一秒にも満たないうちに暗順応を起こし、慣れた視界にルネは大きな金緑の瞳を瞬かせる。
ルネが下でギルド・ヴォーリャの手伝いをせずに宿の部屋にいるのには、ちゃんとした理由があった。それはエナサンに入ってから目を覚まさない、グラードとネジュの世話である。セインとリムからの指示だ。
二体はエナサンに無事についた事に安心したのか、深い眠りに落ちたのだ。プルーによれば、これは睡眠というよりも仮死状態に近いらしい。ずっと稼働していればベルヴェルグの力を無駄に消耗してしまうから、力が使えないのならいっそ、稼働を止めてしまうという訳だ。
「でも……」
ルネには、自分がこの場にはあまり必要ではなかったような気がする。この状態ならば、下でセインの手伝いをした方が全体的に効率が良いように感じられる。しかし下に行ってもセインにすぐ追い返されるので、しかたなくここにいるのだった。だが、ルネの仕事はここにはない。
なぜなら。
「…………」
「ねぇねぇ、プルー。グラードとネジュが寝てる間に、服、ぬがせちゃってもいいかなぁ?」
「それは何故?」
グラードとネジュの二体には、アデラとユーグ、そしてプルーが張り付いているからであった。この二人と一体が何でもこなしてしまう為、ルネの出番は全くと言っていいほど無い。
問われたアデラが顎に人差し指を添えて、斜め上に視線を固定する。
「ええっとね? 仮死状態でも、涼しくしてた方がいいんじゃないかと思って。起きた時に体があったまってたら、いやでしょ?」
「成る程ね。それならば二人も納得してくれるんじゃないかしら」
プルーが敬語を使うのはルネとリムだけで、それ以外の人間や兄弟達には割りとフランクな口調で話している様子だった。ルネは自分には気軽な口調で話すよう言ったのだが「めっそうもありません」という一言であっさりと却下されていた。
プルーからのゴーサインを受け取ったアデラが早速二体の服を脱がせにかかる。
それに、慌てたプルーが止めに入る。
「ちょっ、何してるの!? 女の子なのに! 私がやるから」
「ふっふっふ。気にしない気にしない」
「…………」
アデラはグラードとネジュから剥ぎ取った服を、ユーグにぽいぽいと放っていく。
受け取った服をユーグが丁寧に畳み、グラードのもの、ネジュのものと分けて積んでいった。
プルーとルネの介入する余地など無い。
「あ、服」
思い出して、ルネはぽつりと呟く。
その呟きに反応して、二人と一体の視線がルネに集まった。
同時に、アデラとユーグの作業も一時停止する。
「プルーの服、まだ揃えてなかったよね」
「あぁ……そういえば」
たった今、気付いた、というようにプルーが自分の体を見下ろす。他ならぬプルー自身も忘れていたらしいが、彼女の格好はまだ、グラードのマフラー一枚を局所に巻いただけという状態だ。このままの服装でプルーを他人の目に晒せばどうなることか。ルネ達は変態のレッテルを貼られ、プルー自身にも要らぬ被害が及ぶだろう。余計な騒ぎは極力、起こさない方が良い。
「ねぇ。今、買いに行かない?」
何より、ルネは暇である。プルーの服を買うためなのだから、少しばかり言いつけを破ったとしても、責められる事はないだろう。
それに、ユーグとアデラがいるから、グラードとネジュの世話については安心である。
ルネの言葉に、プルーが頷きを返す。
「そうですね、ありがとうございます」
言ってから、プルーは少しばかり迷うような仕草を見せた。
「しかし、私はどのような物が良いのか分からないから……アデラ、悪いけど付き合ってくれないかしら?」
「え? あたし?」
プルーに指名されたアデラは青い大きな目をそれ以上に大きく見開き、次いで両手を自身の前でわたわたと振った。
その様子は、何かに慌てているようでもある。
「あ、あたしもそーゆーの苦手だし……ポーレットにたのんだ方が絶対にいーよ!」
プルーにはアデラの慌てる理由が分からなくて、小首を傾げる。
「でも、ポーレットさんは忙しいみたいだもの……」
「いや、ポーレットに一緒に来てもらおう」
泣きそうな顔のアデラに、ルネは助け船を出す。
というのも、ユーグが目線で訴えかけてきたからであった。
どこでどのような発言をすれば良いのか分からないルネは、アデラとプルーの会話に傍観を決め込んでいたのだが、声を出せないユーグの訴えにより口を開いたのだった。
たとえどんな言葉であったとしても、ルネに忠実なプルーならばその言に従うだろう。
「はい……解りました」
事実、ルネが口を挟むとプルーはあっさりと引き下がった。しかしまだ、納得の行かない顔をしている。当たり前だ、ろくになんの説明もされていないのに、アデラと共に買い物に行く事を諦めねばならないのだから。自分だけが知らない、輪から外れているのだという疎外感。それを彼女は感じているのだろう。
「じゃあ、ポーレットに声をかけて行こうか」
その容姿に影響されて、町で見た親子連れのように、ルネはプルーの小さな手を掴み、繋ぐ。
小さい頃にルネもシルヴィアにそんなことをされていたような気もするが、何せ幼少時の記憶であるためはっきりとはしていない。
プルーはしかし、子供扱いという事については何も言わず、ただ、ぎゅっとその手を握り返してきた。
「……いってらっしゃい」
心の底から申し訳ないと思っているのだろう。眉尻を下げたアデラが、口の中でもごもごと呟いた。
それによって、悪意はないのだと理解したプルーが微笑みを浮かべる。
「いってきます」
ルネとプルーは部屋を出て、店へと向かうために一階へと続く階段を降りる。
手は繋いだままであった。そして互いに、それを振りほどこうとはしない。
一つの階を下るには、二つの階段を降りる必要がある。五つ目の階段、つまり二階と一階の間を降りている時、プルーが躊躇うようにしながらも口を開いた。
「あの……ポーレットさん、忙しそうだったのですが。連れ出してもよろしいのでしょうか」
「うん。良いんじゃないかな」
ルネは頷いてほけほけと笑う。
プルーが「そんな適当な」と言って呆れた表情を浮かべた。
「きっとフィルが二人分やってくれるよ。フィルは何だかんだで優しいから」
「成る程。使いやすい人なんですね」
二人は、本人が聞けば怒ろうか喜ぼうか判断に迷うであろう品評をしながら、ようやく一階の宿の入り口に辿り着いた。今のプルーの体だと歩幅が小さく、彼女のペースに合わせると必然的に歩く速さがゆっくりになる。
「ところで……」
「なぁに?」
プルーが少しだけ緊張した面持ちで切り出す。本題を口にしようとしているのだろう。
「何故、アデラは私と買い物に行く事を拒んだのですか?」
そう言って痛切な瞳をしてルネを見上げてくる。アデラに突き放されたようで寂しかったに違いない。
アデラに深く関わるような者には隠すような事ではなく、プルーはすでにアデラと友情という関係を築いている。
とは言うものの、ルネにはそれを隠さなければならないという思いは皆無であり、むしろそれに気付いている事が当たり前だと認識していた。
「だって、男の子が女の子の着替えを見るなんて恥ずかしいでしょう? アデラの場合は特に意識しちゃう年齢だし。僕は別に無いけれどね」
「え?」
ルネの言葉をよく理解できなかったらしいプルーが、目を見開いて問い返してきた。言葉の意味を推し量ろうと眉を顰めたり、瞬きをしたりしている。
「どういう……事ですか?」
「どうもこうも」
ルネは戸惑いを隠せない様子であるプルーの青い瞳を見返す。
「――――――アデラは男の(・)子だから、女の子のプルーの着替えを見ちゃうのは悪いと思ってるんだよ」
『羅生門』に出てくるきりぎりすのように、時間の流れを感じさせる表現を使いたかったんですが……
……あ、鼠さんのことです。
あまり、うまくいかないものですね。