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“Variant”   作者: 犬野ミケ
Spring 六章
15/22

三話



                 *      *      *



「飽きたなら、チェンジするか?」


 弓を構えた左腕に下位の小型のバリアントをぶら下げたままウィンストンが背中合わせに提案すれば、やはり右肩にナイフを食い込ませたままのストエカスが顔を輝かせて振り返る。


「ウィンストン! それ、ナイスアイディア、流石!!」

「あまり褒められた気がしない」

「褒めてるよ?」


 そのやりとりを合図として、二人とも右斜め後ろに歩を進めて、場所を百八十度入れ替える。その際に、ウィンストンは限界まで引き絞った弓に番えた矢でストエカスの右肩をナイフで刺している男の眉間を至近距離で打ち抜き、一方のストエカスも鉄爪を閃かせてウィンストンの左腕に噛み付くバリアントを両断していた。血液と混ざった薄桃色の脳漿を撒き散らしながら倒れた人間の死体と、分断された上半身と下半身から温かそうな蒸気を上げる内臓を零したバリアントの死体、二つの骸が地に落ちる音がやけに大きく響く。


「それじゃあ、改めて」


 ストエカスが、無邪気な笑みを再び浮かべる。


「――――――楽しもうよ!! ねぇ、アハッ?」



      *      *      *



 情報はいくらあっても足りる事はない、かなり価値のある物だ。それを好意で与えてやっているのだから、感謝して欲しいものだとセインは思う。たとえそれが、情報を受け取る側の人間にとって好ましくないものであったとしても。


「戦闘用擬人型の事だろ?そいつ等はな――――――ま、ぶっちゃけた話、ルネの兄弟みたいなモンだ」


 パーシーが驚きのあまり、阿呆丸出しの顔で口を開ける。つまりセインは、パーシー達は長らく獲物の兄弟達と行動を共にしていたと言っているのだ。

 セインはこんな局面で嘘を吐くような事はしない。「限りなく嘘に近い噂話も情報の一つ」と言う者と「真実のみが情報と呼べる」と言う者がいるが、セインは後者にあてはまる。

 セインは男の表情から強い驚愕を読み取り、満足して先を進める。


「あの戦闘用擬人型達は全員、ルネの母、シルヴィア・ギルデンの作だ。彼らはルネを守護する役目にある」


 セインはだるそうに上げた左手の人差し指をパーシーに向かって突きつけてから、蜻蛉の目を回させようとするかのように、指先で円を描き始める。パーシーには体の左側面を向け、右手はカウンターに頬杖をついている。見下した角度の顔の前で、オレンジ色の前髪がハラリと動く。


「手を組んでいたのは、ルネを探す為だけ。見つけたら、直ぐにお前達とは縁を切っちまおうって訳だ……お前等は使われたんだよ、しかも使い捨てで」



      *      *      *



 耳の痛くなるような静寂。全ての動きが完全に止まっていた。

 今にもネジュを飲み込もうとしていた、竜、もといルネさえも。

 やがて、ルネはそろそろと首をを戻す。ネジュには、一切の傷をつけないままに。

 竜の体が解けていく。鱗が一枚一枚剥がれ、螺旋を描いて宙へ緑光の粒となって消えていく。牙や爪が縮み始め、小山のようだった体躯が元の大きさへと戻っていく。全ての変化が終わった後、竜が占めていた場所には、一糸纏わぬ姿の人間の姿のルネの小柄な体があった。先刻、人から竜へと変化した時に、膨張したルネの体に耐え切れず服が破けてしまった為、仕方のない事である。

 ルネは静かな足取りで進む。


――――――その先には、ルネに向かって跪く、ネジュの姿があった。



      *      *      *



 冷たく見下ろすセインの瞳と、何かを懇願するようなパーシーの瞳がかち合う。


「彼奴等はもう、リオネル・ギルデンとは接触したみたいだからな……お前等は三行半突きつけられたようなモンだ」

「た、助け……」


 パーシーは一縷の望みをかけて、セインを見上げる。この男に、無力な人間を見逃してくれるだけの良心がある事を願って。

 しかし、その幻想は一瞬の後に粉々に砕け散った。

 パーシーは見てしまった、セインの唇が刻む、思いやりというものが欠片も感じ取れない笑みを。


「後の障害になると面倒だから、断るーーーーーーヴォット、スピキオ」


 首筋に、僅かな違和感。勘違いかと思ってしまうくらい些細なものであったが、直後、視界が異常に歪む。おそらくは、双子の持っていた針によるものだろう。針そのものにはそれ程の殺傷力はなさそうだったから、原因としては毒が塗ってあったか。

 パーシーはそこで冷静に状況を分析している自分に気付いて、自嘲の笑みを浮かべる。自分もいよいよ、命根つきたという事だ。

 そして、はたと思う。セインから与えられた自分自身の情報の中に、なぜか自分の知らない事があった。


――――――何度も話に出てきたリオネル・ギルデンとは、一体誰だ?



      *      *      *



 目の前には、頭部を半分を胴体にめり込ませもう半分を霧散させて、折れた鎖骨や肋骨を胸部から飛び出させ、辺りに汚らわしい血飛沫を飛ばしたロベールの死体があったが、グラードの意識は今はそちらには向けられていなかった。


「リム・レムなんて、随分と変な偽名を使っているんだね。それに、喋り方も」


その言葉を聞いて、長い青紫色の髪を三つ編みにした男は、苦笑を浮かべる。


「けじめじゃよ、名も、口調もな」

「名前は最初の一文字しかかすってないし、名字なんて、元の欠片もないよ」


 グラードの指摘に、リム・レム――――――もとい、本名をリオネル・ギルデンとする男が諦めたように首を振って、彼の方に向き直る。

 首を軽く竦めて、常に飄々とした態度を崩さないリム・レムとしての顔でグラードに返答する。


「一文字でもかすっていれば、十分ではないか。あと、レムというのは、テオファーヌの旧姓ぞ」

「あー、はいはい、お熱いね」


 夫としてのノロケが出かかっているリムに対し、この手の話があまりよく理解できないグラードは受け流そうと試みる。しかし、その精一杯の努力は悪い方向に働いたようで、リムは腰に手を当てて完全にお説教モードに入ってしまった。顔に常に笑みを張っているグラードさえも、これには流石にげんなりとした表情を隠せない。


「何じゃ、その投げやりな調子は! テオファーヌはお前等の祖母にあたるというのに!」

「解ったから、早くプルーの体を回収して帰ろうね、お爺ちゃん」


 プルーの体は良好のまま保存されているだろうか? もしパーツが足りなかったら、直せないかもしれない。他の兄弟が荒れるのは少々面倒だから、ちゃんと揃っていればいいのだが。グラードはそんな事を考えながら、未だに何かを言い続けているリムと共に、プルーの体を探していた。

 擬人型は、ベルヴェルグに大きな欠陥がない限り、何度でも修理する事ができる。ただし、壊れてから大分日にちが経っているから、完全に前のように直す事は出来ないだろう。調子を取り戻すには、それなりの時間がかかるはずだ。

 廃墟の部屋を一つ一つ見て回る。その時に黒服の死体の顔を見て、グラードは僅かに眉をしかめる。

 何故これが、と。



      *      *      *



 イナバの隣にあちこちが痛む自分の体を横たえて、メーディナ族特有の紅い目を僅かに細める。メーディナ族の瞳が紅いのは、色素を持たない為、血管を流れる血液の色が透けて見えるからである。色素を持たないという事は、紫外線から瞳を守る事が出来ないという事で、季節はずれの雪が止んでから顔を出した太陽は、フィルにとっては少々眩しかった。雪が大気中の塵や埃を洗い流してしまった後だから、尚更の事である。雲一つ無くなった綺麗な蒼穹を、フィルは眺める。あの空を、自由に飛びたい。 檻を抜け出した自分は、その願いを叶えられているのだろうか。フィルは手袋を脱いだ手を、青空に翳す。光に透かされた指先が紅い、これは血の色、生きている証。大丈夫、ちゃんと生きている。


「何をしている? 地面と同化したいと言うなら、手伝ってやろうか?」


 不意に声が落とされた。フィルと並んで丸くなって目を閉じていたイナバの耳が立って、周りの音を沢山拾う為に外側に向けられる。

 声の主が日の光を遮って、寝ているフィルの顔を見下ろす。赤い組紐で一つに纏めた長い黒髪を微風に遊ばせているのは、イオリだった。相変わらず辛辣な言葉だと、フィルは苦笑する。


「お前の方も満身創痍だな。つか、何だよ、その左腕。幾ら生きるのに興味がない、つったって、それはヤバいだろ」


 二の腕の半場で千切られたイオリの腕を見て、フィルはぎょっとした。戦闘の最中に失ったのかとも思ったのだが、千切れた部位が右手に握られているのを見て安心する。欠けずにあれば、リムがまた再生させてくれる。イオリもそれを理解しているから、持ってきているのだろう。

 フィルの視線を辿って、イオリが自身の左腕を見下ろす。その様子はどこまでも無頓着だった。


「止血はしてあるみたいだな」

「火起こしのベルヴェルグがあったから、断面を焼いた……止血が必要なのは、俺よりもお前だろう」

「んー、まぁ、な」


 歯切れの悪い返事に、イオリの眉がしかめられた。人が折角心配してやっているのに、と言わんばかりの顔だ。

 確かに、剣が貫通したフィルの腹からは、僅かではあるが未だに血が滲み出ている。横に斬られていなくて良かった、とフィルは口には出さずに呟く。そんな事をされていれば、腹圧で溢れ落ちる腸だとか、自分ではあまり見たくない物との対面を果たしていただろう。


「イオリ、悪いが、手を貸してくれ。一人じゃ起きられない」

「ん」


 イオリの行動に、フィルは暫しの間、沈黙する。

 差し出されたのは、左腕だった。本体と切り離された左腕の肘の部分を右手で持ち、フィルに突き出している。実に滑稽な形ではあるが、やっている本人は疑問を感じていないらしく、真面目な顔で左手を突きだしている。


「……ま、いっか。確かに手ではある」


 フィルはイオリの左手を掴み、それを支えにして立ち上がる。握った指は蝋のような手触りで、死体のように冷たかった。未だ収まらぬ腹部の熱を押さえながら、フィルは思う。

 例え今は飛べなくとも、生きていれば飛ぶ事ぐらい簡単だ。自分はもう、檻の中の小鳥ではないのだから、と。



      *      *      *



「お主の命期はどうやら今日のようじゃの」


 リムは廃墟の一番奥の部屋の隅でみっともなく震えている男――――――ロベール・モーリアに向かって声をかけた。ロベールの傍らには、安物の葡萄酒の空瓶が幾つも転がっていた。これでは、悪酔いするだろう。

 ロベールの視線がリムに向けられ、その背後に立つ男の姿を捉える。

 その男が誰なのか解った途端、ロベールが情けない悲鳴を上げて涙と鼻水と涎を垂らす。


「妹が……プルーが世話になったみたいだね、ロベール」


 リムの背後から現れたのは、感情の全く感じられない表面だけの笑顔を浮かべたグラードだった。


「プルーを殺したのは、ルネじゃなくてお前だよね? ヴェリェントと対峙するあの子を、後ろから刺した」

「と、いう事じゃ、ロベール。お前は調子に乗り過ぎた。『竜の心臓からは不死の妙薬が調合できる』だと? ふざけるな」

「リ、リム・レム……だが、お前は現に……」


 青紫色の瞳を冷徹に細める。ロベールの戯言など、全く聞く価値がない。愚かしさに苛立ちが募るばかりである。

グラードもそう感じたのか、右手を掲げ、指揮をするように指を優雅で滑らかな動きで横に薙ぐ。突如。

 轟音。土煙と廃墟に溜まった埃が濛々て舞い、煙幕のように視界を奪っていく。リムは思わず、肺を保護する為に長い袖で口元を押さえた。

天井を易々と貫いてロベールの頭上に落下したのは、拳大の氷玉。意外にも、硬い氷玉は遥か上空、雲から落とされるだけで石の厚い壁を貫き、防御を紙屑同然とかせる威力を持つ。土煙でよく見えないが、そんな物をまともに食らったロベールは生身の人間であるのだから、生きているはずもない。


「流石は、雹のグラードじゃな。孫達に手を出した代償は高くついたぞ、ロベール」


 その光景に、リムは爽快感を覚えて笑った。



      *      *      *



 上機嫌に鼻歌を披露するストエカスと、黙ってそれに聞き入るウィンストンが、血の匂いを身体中にまとわりつかせたまま、二人と一匹の足跡が残る獣道を辿っていく。


「あんなに大漁だったのは久しぶりだね、凄く楽しかったよ」

「良かったな、お前が満足したなら、私はそれを肯定しよう」


血に狂った会話をしながら、二人は歩く。体の傷は、ウィンストンの手によって適切な応急処置がなされていた。ストエカスは最初は面倒だと渋ったのだが、化膿すれば狩りどころではないとウィンストンに諭され、仕方なしに右肩を差し出したのだった。

突然ストエカスが鼻歌を止め、考え込むような仕草をする。


「そういえばさ、ルネは半分バリアントなんだよね? しかも、竜」

「そうだな」

「もしさ、僕がルネの事を狩っちゃったら、ウィンストンはどう思う?」


 竜、と強調したのは、ストエカスの最初の獲物が竜だったからだろう。片目を抉っただけで、仕留めるには至らなかったが。その竜には、ウィンストンも思う所がある。二人が出会った時の、強烈なものが。

ウィンストンは間髪入れずに返す。


「駄目だな、それは美しくない。ルネは味方だ。味方を殺すのは、汚らわしい三下のようだ」

「だよねぇ! ウィンストンならそう言ってくれると思った!」


 ストエカスが、無邪気な微笑みを浮かべる。ウィンストンの答えに、大いに満足したようだった。



      *      *      *



 客達は、大半がもう逃げ帰った。そうではない者や野次馬も、ルーファスが追い返している。


「あーぁ、人の店、好き勝手に荒らしやがって」

「セイン、パーシー某の残党、生きてる奴等は持っていってもいいあるか?」


 ヴォットが、場から激しく逸脱した朗らかな笑顔で問うてくる。酒場をぼろぼろにさるたセインの苦悩は、全く気にしていない様子だった。

 足の折れた椅子やテーブル、それに割れたグラスと酒瓶が散乱していて、仮設酒場の壁は所々が抜けている。後片付けには、最低でも丸一日はかかりそうだった。

 といっても、この状態にしたのは半分程がスピキオの責任である。彼ら双子はローダ騎士団の戦闘要員ではない。兄のヴォットは拷問吏、弟のスピキオは暗殺者の役割をそれぞれ持っている。酒場の惨状は、縦横無尽に跳ね回り後ろを取っては速やかに命を奪っていくスピキオを怖れたパーシーの部下達が、やたらめったらに武器を振り回した結果である。そしてヴォットが、途中で気絶したため標的にもならなかった生き残りを持っていこうとしているのは、これから拷問にかけるつもりだからだろう。

 彼らはその役割故に、毒物を扱う事もある。だから、万一の時にもすぐに対応できるように、ちょっとした耐性があるのだろう。大量に混入されたとはいえ、たかが睡眠薬ごとき、短時間で分解できるという訳だった。

 スピキオが残党達の脈拍を測る兄を手伝いながら、こめかみに手を当てるセインに顔を向ける。


「こいつ等は奴隷商人ギルド・カニンガルを裏切ったと言っていたあるな。あれは大分前に消えたと思っていたが?」

「ん? あぁ……聞いてたのか」


 先程とは打って変わった真面目な顔を見て、そういえばこの双子は奴隷商人ギルドが嫌いなのだったと、今更ながらに思い出す。


「パーシーは裏切る前に、当時団長だったスコット・カニンガルを殺した。その後に、奴の息子のエリック・カニンガルが立て直したんだよ。今は……十七歳だったかな。俺と同じくらいだ。メンバーは団長のエリック、ベス・リチェット、ペネロピ・プロクターの三人だけだ――――――潰したいか?」


 その言葉を聞いたスピキオが黙り込んでしまう。脈を計っていたヴォットの作業の手も、弟と同じように止まってしまっている。同じ造形の二つの顔からは表情と呼べる物が全て消え失せ、作り物めいた無表情だけが後に取り残されていた。

 些か踏み込みすぎた事を言ってしまってから、セインは地雷だったかと冷や汗を浮かべる。もしもヴォットとスピキオが怒り等の感情のままに手当たり次第に暴れ散らせば、とてもこちらの手には負えない。ローダ騎士団のメンバーである双子は、戦闘要員ではなくとも能力は果てしなく高い。素人とはいえそれなりに力を持つ大の男達を相手にして、たったの数分で全員を伸してしまったのだ。足止めできるのはせいぜいユーグと、少しだけならポーレット、といった程度である。

 しかし良かった事に、頭の中で様々な逃走経路を思い描いて低回していたセインの心配も杞憂に終わった。数分前に聞いた言葉など耳に入っていないとでもいうように、途中で中断された作業を変わらぬ手早さで再開する。


「それは、エリックとかいう奴による。潰したいという願望は無いが、苦しめばいいとは思うある」

「エリックが善人だったとしても、一般人を奴隷に下らせるという行為自体が生者に対しての冒涜ある」


 それは決して断罪ではなかった。かといって、反対に免罪でもない。純粋な恨み、たったそれだけがそこにあった。それだけではあるが、それ故に暗く、重い。かつて死を覚悟させる程の苦痛を与えられた恨み、自分達に似た二人を深く傷付けた恨み。だが、それはエリック達が直接彼らに手を出したのではなく、『奴隷商人ギルド』という括りの中にエリック達が身を置いているだけなのである。だから、彼らの中に恨みという感情しかなくとも、それは薄く、そして揺れ動いている。つまりは、完全にエリック達を恨みきれていないのだ。

 精神的な傷は、他人にはとても計り知れない。ましてや、それが理性と反発するようなものであれば、尚更である。自分でもよく理解出来ぬ事柄を他人に理解しろというのも酷な話であって、仮に相手が理解したような素振りをしたとしても、それはあくまで振りでしかない。余計な口を知ったようないい加減な態度で挟めば、逆に相手を苛立たせ、最悪の場合、何らかの一線を越えさせてしまう事もある。

 だからセインは、そうかと一言呟いて目を閉じた。



      *      *      *



 イオリは丸くなって規則正しい呼吸を繰り返すイナバの背に寄りかかり温かさや毛の柔らかさ等の心地よさを甘受しながら、隣に座るフィルを一瞥する。フィルは今、上半身裸になってせっせと腹部の傷の止血に勤しんでいた。銀髪を持つ事から推測するに、身体に纏う色素が元々薄いのだろう、引き締まった体は男にしては白い肌をしている。ウィンストンと良い勝負だろうか。その肌に固まった血がこびりつき、白さの上に赤黒さが映えて見えた。

 何故だろう、とイオリは疑問に思う。口にこそ出してはいないが、何回も自分の内で反芻した疑問だ。何故、フィルは生きようとしているのだろう。生きようとしているだけではない、生きてその先に彼は望みを持っている。イオリにとっての止血は、この方が今の場合には都合が良いだろう、という判断によるものだ。フィルとは悲しい事に全く違う。大きな理由に、フィルの方は生きたいと願う訳がある、という物がある。それがないイオリは、生死でさえも単なる出来事として片付けてしまう。フィルに限らず、ローダ騎士団のメンバー、更にはギルド・ヴォーリャの団員の殆どが生死のどちらか一方を選ぶ根拠になる理由を持っている。それがイオリにとって不思議であり同時に妬ましくもあったが、後者の感情はそれを抱く当人も良く理解していない微細なものだった。


「おーい! やっほー、元気ー?」


 底抜けに明るい声がした方に目をやれば、満面の笑みで腕を振り回すストエカスと、その隣で小さく手を振るウィンストンの姿が見えた。

 どうやら向こうもそれなりに何かあったようで、満身創痍である。しかし二人とも嫌な顔は一切せず、寧ろ満たされたような表情をしていた。特にストエカスの方は顕著で、決して軽くはない怪我をしているというのに足取りは軽く、鼻歌などを披露している。

 そんな二人の目がイオリの左腕に釘付けになる。


「イオリ、それは元通りになるのだろうな?」

「さぁ?」


 自分でも、にべもない返事になってしまったとは思う。しかし他に言葉を考えろと言われると、これ以外にも思い付かないのも事実だった。自分は人とのコミュニケーション能力が低いのかもしれない、とイオリは考える。ないよりはある方が便利なのだろうか。自分には必要がない気もする。おそらくあっても持て余すだろう。

 ようやく止血を終えたらしいフィルが、Yシャツに腕を通しながら立ち上がる。


「ところで、ルネはどこに行ったんだ?」

「あぁ、ルネならここに来る途中で見かけたよ?」


 事も無げに笑顔で言うストエカス。隣のウィンストンが否定しないところを見ると、どうやら本当にルネを見かけたらしい。見たのなら連れて来ればいいのに、とイオリでさえも思う。

 イオリでそうなのだから、フィルはその倍以上の反応を示すに決まっている。現状ではルネの保護者的立場にある彼が、目を剥く。


「何で放っておいた!? まさか、まだ戦ってたとか言うんじゃないだろうな」

「もしそうだったら、喜んで参加してるよ」

「だが、取り込み中のようだった。先に村に向かっていた方がいいだろう」


 意味が分からない。イオリはそう思ったが、面倒だったため口にはせずに黙っていた。そもそも途中で抜けたので状況がよく把握できていない事があるし、ルネならば自分達が手を出さずとも何とかするだろうと、口を閉ざしてイナバの柔らかい頭に手を置いた。ルネならば、ナイフさえもいらないかもしれない。それでもリムがそれを持たせたのは、何か理由があったのだろうか。イオリはそれを考えようとして――――――止めた。意味を考えるなど、これほど自分には一番似合わない事はないのだ。 

 イオリは動き出したイナバに鼻先で急かされ、歩みを始めた。



      *      *      *



「よもや、ルーネ・ギルデン様とは知らず、御無礼の程をお許し戴きたい」

「え? あぁ、別にいいよ、そんなの。様とか、止めてよぅ」


 先刻までの殺意が嘘であったかのような態度で頭を下げるネジュに対し、ルネはあっけらかんと手を振る。驚きはしたものの、大した怪我もしていないため、誤られる程も気にしてはいない。むしろ、何があっかのかはよく分からないが誤解を生むような行動を取った自分にも非があると思っていた。

 ルネは今、ネジュのカッターシャツを貸してもらっている。しかし、高くはないが成人男性の平均近くの身長を持つネジュに対し、ルネの方は頭一つ弱ぐらい小さいため、悲しい事にぶかぶかである。下の方も隠れる、という点では便利ではあるのだが。手を振る度にヒラヒラと揺れる袖を見てリムのようだと軽く失笑してから、ふとネジュの方は寒くないのかと思い、横目で彼を窺う。が、心配には全く及ばないようだった。擬人型である彼にとってこれは特に気になる事でもないらしく、至って平然としていり。それに、例え彼が擬人型ではなかったとしても、日の出てきた今は風も暖かい為に酷い寒さは感じないだろう。だから、全くの杞憂だったのである。唯一つ、問題があるとすれば、ネジュの鳩尾の辺りにあるベルヴェルグが露になってしまっているという点だろうか。引き締まってはいるものの、全体としては細く白いネジュの上半身の中心に据えられたベルヴェルグは、よく目立つ。これでは、人混みの中には入られないだろう。周りから変に浮いてしまい、好意的な視線を向けられる

事は先ず無いだろうから。そう、かつてのルネのように

 ルネの視線に気付いたのか、ネジュが静かな目でこちらを見返してくる。


「僕達は造られてすぐにシルヴィアとはぐれてしまってルーネさ……ルーネと会う機会が無かったから、ベルヴェルグの波形を知らなかった。かなり無謀だった」

「はぁ……なるほど」


 と言いつつもあまり良く理解できていなかった。最初の一言だけでは相槌として剰りにも味気無さ過ぎると思い、慌てて付け足した結果が「なるほど」という言葉なのだった。

 ネジュ達は母、シルヴィアの造った擬人型なのだと言う。ならば、これは兄弟の感動の再会と読んでも良いのだろうか。ルネが悩んでいると、ネジュが歩み始める。方向からすると、フィル達と落ち合う為だろう。置いていかれては困る、と思いルネもその後を追う。


「僕達は全部で六体、行方不明の個体も合わせれば七体いる。最初に作られたのは、霧のニエブラ。次が、雹のグラード。それに続いて雨のプルー、青い髪と目をした給士服の」

「あぁ、あの人が!」


 そういえば、そんな人物と飛行艇内部で会った。彼女はルネにとっての命の恩人だ。ネジュの話を聞いていると、どうやら死んでしまったのだろうと推測できる。できれば彼女が生きているうちにもう一度会いたかったと、ルネは軽く唇を引き結ぶ。

 そういえば、プルーもルネが『ルーネ・ギルデン』であるという事に気付いていない様子だった。比較的最初に造られた彼女もルネのベルヴェルグの波動とやらを知らなかったという事か。


「次が、晴のパゴーダ。それから、雷のグローム。次に、曇のヴェルト。最後に僕、雪のネジュ。この中で行方不明になってるのが、霧のニエブラ。僕もグラ兄……グラード兄さんから聞いただけだから詳しくはしらないけど――――――」


ネジュが言葉を探すように、一旦、口をつぐむ。


「――――――不良品だったとか。完成した途端に消えてしまったらしい」

「……あのさ」


何故、消えてしまったのか。そう問おうとしてルネは隣を行くネジュの顔を見上げたが、彼も口を閉ざしている事から知らないのだろうと察して、喉元まで出てきた不毛な質問を止める。

 代わりに、努めて明るい声で質問の内容を切り替えた。


「あのさ、皆と会えるかな?」


 ルネの問いに、ネジュが淡い微笑を浮かべる。

 こるは彼をよく知る人が見れば、天変地異の前触れかとも思ってしまうくらいの大事なのであるが、もちろん、ついさっき初めて会ったルネはそんな事は知らない。


「今すぐ会えるのは、グラ兄だけ。他の四人は、夏ぐらいまで待たないと無理かも」

「四人?」

「そう、四人」


 その言葉に、ルネは指を折って人数を数える。パゴーダとグロームとヴェルト、これで三人。ネジュはもう会っているし、グラードはこらすぐに会えるという事なので除外。ニエブラは行方不明なので、元より選択肢には入っていない。となると、残りはプルーだけ。


「んんう?」


 話が掴めない。ルネは首を傾げて唸った。



      *      *      *



 プルーの残骸を全て回収し、グラードとリムはクレタへと戻る道を歩いていた。

 グラードは手に持っていたものを、親指で弾いて真上へと飛ばす。やがて重力にしたがって落ちてきた『それ』を、横から拐うようにしてキャッチした。その行為を不思議そうに見つめてきたリムに、手の中にある『それ』を投げ渡す。

 リムが長い袖の中から手を出して掴み取り、受け取った『それ』をまじまじと見つめてから苦笑した。


「なんじゃ、死人から抉り取ってきたのか? 親に似て、やる事が大胆だのう」


 リムが人差し指と親指で『それ』を摘まんで、仮面に隠れていない右目を眇めて見つめ合う。

 『それ』の正体とは、荒っぽく視神経の毟り取られた眼球だった。虹彩によく目立つ橙の色を持つ、目玉だった。

 グラードは普段から浮かべている笑みの形を忌々しげに歪めて、全く別の場所で見た覚えのある色彩を指差す。


「その目、クレタで同じような物を見たんだよ。彼奴は何? 僕の知識の中にも、あんなのは存在しないんだけど」


 クレタで遭遇した、鮮やかな橙色の髪と瞳を持つ少年。笑みを浮かべて眼球を眺めるリムを見ると、どうやら敵ではない様子なのだが、未知の存在と出会った感覚はどうにも気味が悪く、今もまだグラードの内に蟠っている。

 しかし、今リムが持っているその目玉はクレタにいた少年からではなく、おどおどとした表情が似合いそうな、操縦士と思われる男の眼窩から抉り出した物だった。更に言えば、その男の左目は橙色をしていたものの、右目は至って普通の青だった。


「さぁ? 本人に聞けばいいのではないか? 儂も詳しくは知らんのぅ」

「……嘘」


 飄々と嘯くリムから目玉を取り返し、グラードはまた親指で弾いてはキャッチ、弾いてはキャッチを繰り返す。橙色が回転しながら上下に動く様を何の気なしに見つめていると、リムが肩を震わせて笑う。


「それは、フフッ、仕返しのつもりか?」

「は? 何の事?」


 それでも目玉を弾くのを止めずに、グラードはリムに問いかける。しかし、リムは笑うばかりで何も答えてはくれなかった。



      *      *      *



「うぅぅ……ぅえ」


 後片付けに追われている酒場店内で、セインは奇跡的に無事であったカウンターテーブルに突っ伏して頭を抱えていた。そうしてずっと低い音で唸り、時々、体を震わせる事を繰り返している。片付けに参加しないと言うよりも、参加できないのであった。

 それに対して見るに見かねたユーグが、彼を就寝用の仮設テントに連れていこうと抱き上げる。珍しく文句の一つも言わず、されるが儘になっているセインの蒼白な顔を、流石に心配したルーファスが覗き込んできた。


「あんにゃろ……俺の目に何してくれやがる……うぎぇ……」

「あぁ、そういう事ですか。理解しましたよ」


 食い縛った歯の間から押し出した言葉から、ルーファスが状況を的確に読み取って頷く。

 ユーグの足元にいるアデラがセインに気の毒そうな視線を向けてくる。年下にまで心配される謂れはないと愚痴を言いかけたが、アデラの目に浮かんでいる情は本物だったので、寸での所でそれを飲み込む。

 普段は罵りのような軽口を叩き合ってはいても、このギルドは一人でも欠ければ崩れてしまう。互いに互いを支え合うなどという生半可なものではなく、少しでもバランスが崩れてしまうと粉々に砕け散るほど依存してしまっているという、最悪の構図がこのギルドの中では出来ている。崩れ具合は、中心であるセインが抜けてしまえば悲惨なものとなるだろう。そうなるように差し向けたのも、セイン自身ではあるのだが。

 トントンと規則的に背中を軽く叩いてくれるユーグの手が、今はとてもありがたい。子供扱いするな、などと言っていられる余裕はない。


「リムも……何が『詳しくは知らん』……だよ……てめぇが一番、知ってるくせに……」


 遥か遠くでされたばかりの会話に愚痴を垂れ、セインは目眩から逃れるために眉を顰めて目を閉じた。



      *      *      *


――――――二週間前。


 ルネは村中を走り回っていた、否、逃げ回っていた。正真正銘、命をかけた鬼ごっこ。逃げているのはバリアント。追いかけているのは村人。通常とは、立場が逆転した鬼ごっこ。

 村人達は、全員が手に手に斧や鍬を持っていた。使い方次第では、農具のそれも頭をかち割る立派な武器になる。

 村人は怖れを抱いていた。いつか竜が空腹と欲求を満たす為に、自分達を喰らってしまうのではないだろうかと。

 ルネも恐れを抱いていた。今までも冷たかったとはいえ、村人達が直接的な行動を起こすのは初めてだったから。


――――――互いに、正当防衛だったのだ。

――――――勝ったのは鬼。負けたのは人間。その結果が、この村で起こった事の全てだった。


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