二話
「おーおー、随分の躾のなっていない犬どもよのぉ?」
森の端にひっそりと佇む廃墟。その中に、時代がかった口調の嘲笑が響き渡る。唇を酷薄そうに歪め、大きく長い袖を振りながら、リムは優位に立った者の余裕を持って周りをゆっくりとねめまわした。
彼は円を描くように大量の黒服の男達に囲まれていた。いや、線の細い者も幾人か見受けられるから、女も少し混ざっているのかもしれない。しかし、どちらにしろ、リムにはどうでも良い事だった。
「儂はこの先の奴に用があるのだが。ふぅむ、これは困った。儂が扱うのは主に『強化』と『変異』で、戦闘は専門外なのじゃが」
真意の読み取れない科白を次から次へと吐き、青紫色の瞳を閉じたリム。隙だらけにも見えるその仕草だったが、リムという人物像を今一つ掴みきれていないのであろう黒服達は、誰一人としてかかってこようとはしなかった。
それも計算のうちであるリムは、目を瞑ったまま首を何回か横に振る。
「お座なりな注意力じゃのう。中身は薬漬けの素人と見える」
再びリムの瞳が晒された時、口元にあった人を嘲るような冷笑は姿を消していた。そして笑みが消えた事で、今迄和らげられていた触れれば忽ち凍るような視線が包み隠されずに露わにされる。普段の飄々として掴みどころのないリムにしては珍しく、年を考えれば不気味にうら若い外見とあった表情を浮かべていた。
「俺もいい加減、いい年だからな。敵のアジトに一人で乗り込むような無鉄砲さは持ち合わせていない」
別人のような口調の言葉がリムの唇から発せられた瞬間、入り口付近にいた黒服の血霧が舞った。
* * *
日光を跳ね返す、金緑の鱗。まだ子供という事や不完全な存在という事もあってか、それ程強靭ではないのだろうが、それでも内臓を守る鎧をしては十分な強度がありそうだった。
体色と比べるとやや金色が勝っている瞳は、瞳孔が縦に長く、見つめ続けているとともすれば引き込まれてしまいそうになる。
何もかもを一息に切り裂く事が可能であろう爪は、見る者に根強い恐怖を与える。強度と鋭さなら、爪と同様にずらりと並ぶ牙も上げられる。
竜。それがルネのもう一つの姿だった。
爬虫類のような顔と長い首、四足が支える胴体の背からは蝙蝠のような翼を生やし、その後ろには長くしなる尾を持ち合わせた竜。
間違いない、とネジュは呟く。プルーの眼球や、人の屍から読み取れたベルヴェルグの波動が、確かにルネが変化した目の前の竜から感じ取れる。
ネジュはその姿を冷静に観察している自分に気付いた。シルヴィアから与えられた思考回路に異変が生じたのかと一瞬だけ逡巡する。確かに、尼まで竜とは何回も対峙してきた。その度に命を奪ってきている。だが、今回は話が別だ。人間がバリアントに変化した。否、それともバリアントが人間の皮を被っていたのだろうか。しかし、ネジュはその二つをあっさりと否定したどちらかがもう一方に成りすましているのではない。この少年は、人間を竜の二面を同時に持ち合わせているのだろうと推測する、どちらも彼自身の姿、都合が良いように使い分けているのだろう。
しかし、何故そんな事が可能なのだろうか。何かその答えを示すものはないだろうかとネジュはルネの竜としても体を注視する。そして、彼は見つける事ができた。
「う、そ……何それ……」
今は四足になっている為解りづらいが、今の体勢だと心臓の真下、人間の姿だとネジュのベルヴェルグの上あたり、つまり体の前表面としては最も心臓に近い位置に『それ』はあった。
* * *
「さっきからだんまりを決め込みやがって。それとも、あれか? 本当はルーネ・ギルデンについての情報を持っていないのか?」
男が口ではそう言いながらも、そんなはずはないだろう、と確信しきった目でセインを見上げてくる。一方のセインは、人質という汚く退屈な手段で迫ってくる男達に飽きて出てきた欠伸を、一応彼らを刺激しないように噛み殺す。それに気付いたルーファスが、非難めいた視線を送ってきた。
セインは、この男達にどんなに高く金を積まれても、下らない情報の一つも売らないだろう。それでも、自分が情報屋として舐められているという件については、むかっ腹が立った。一時の事とはいえ、自分の大切な部下が汚らわしい手で人質に取られているという借りもある事だから、意地の悪い仕返しをしてやろうと口端を吊り上げる。
「パーシー・モーリア三十七歳独身奴隷商人ギルド・カニンガルを裏切った首謀者両親は兄が一人名はロベール・モーリア四十歳同じく独身」
息継ぎを一切せずにセインの口からスラスラと出てきた情報に、男――――――パーシーは全ての動きを完全に凍結させている。当たり前だ、普段パーシーは『ジャック・スミス』という在り来たりで当たり障りのない偽名を名乗っているし、その他の情報も決して外には漏れない、そして漏れてはいけない物なのだから。無論、セインはそれを知った上で口に出しているのだが。
セインはそれだけの反応では飽き足らず、更に続きを舌に乗せる。
「七年前『死』に怖気づいた兄と共に不死の妙を探し始める三年前リオネル・ギルデンにより組織を壊滅まで追いやられたものの戦闘用擬人型達と手を組みギリギリで建て直し兄がルーネ・ギルデンの捕獲に成功しかしバリアントの襲撃によってあえなく逃がした」
「だ、だ黙れぇぇえぇぅああぁあぁ!!」
パーシーが高く掲げたナイフを突き降ろそうとして――――――途中で止める。なぜなら、彼の固く握り締めた拳の中には、ナイフそのものが無かったのだから。信じられないというように、パーシーが己の手の平を目の高さまで持ってきて見つめる。だが、その姿も一瞬のうちに消え失せた。
切り飛ぶ右手。それを成し遂げたのは、皮肉な事に先程まで確かに彼が握っていたナイフだった。一拍置いて、断面から勢い良く血が噴出してパーシーの顔面を赤黒く染め上げる。溶けた鉄を押し付けられたように顔を苦悶に歪めている。
体の一部を失う、そんな種類の痛みをセインは知っている。もう失った箇所は神経が繋がっていないというのに、そこに集中すれば普段通りに動くような気がして、その感覚が酷く不気味なのだ。セインは無意識に己の左目を押さえた。
「ぐあぁあぁぁうぅぁぁああああッッっっっ!!!」
痛みに耐え切れず左手で右手の断面の近くを巾着で閉めるように閉じて止血させようとするパーシーの腕の中から、アデラが転がり出る。
その小さな体を受け止めて後方の安全な場所まで後ろ向きのまま跳躍したのは、ユーグだった。流石、狩猟を得意とするアーバン族であるだけあって、左手一本でアデラを抱えたままでも危なげなくテーブルの上に軽やかに着地する。
パーシーが残りの人質であるポーレットとライリーに目を向ける。その慌てた仕草さえも、セインに取っては余興の一つとしか成り得なかった。
パーシーの合図で、ポーレット達の首に刃が侵入しようとする。しかし、それは二本の針によって阻まれた。一本目はナイフを握る男の親指の付け根、貫通してナイフで接着されている。二本目は、少し贈れて男の右目に突き刺さった。二本の針の餌食となった男は、苦しみにのた打ち回る。
「こっちに」
その声を聞いて、ポーレットが意識不明のライリーの腹の下に爪先を捻じ込み、足を跳ね上げる。ネルス族であるライリーの小さな体はメーディナ族の怪力によって宙に投げ飛ばされ、針を投げた人物達の下へと落ちていく。ポーレット自身もまた、男達の注意がライリーへとそれている隙に、現れた味方の足下へと転がり込んでいた。
「うわー、きつそう、大丈夫あるか?」
「て、ててめぇ……!!」
暢気な調子で縄を解いていく二人組みに、男達は目を剥いて叫ぶ。
「あの時、確かに眠って……!?」
「あの時は、ね」
行儀悪く人差し指を突きつけてくる男に、新たに現れた二人組み――――――ヴォットとスピキオはカラリと笑う。銃砲やのあの余裕はここから来ていたのかを、パーシーが痛みに堪えながらも呻く。その証拠に、今はもうセインは出てくる欠伸を隠そうともしていなかった。欠伸の影響で滲んだ涙を人差し指の背で拭い、セインは男に問いかける。
「さて、人質はいなくなったぜ。どうする?」
「う、ぐ、だ誰か!グラードはネジュを呼んで来い! いないのか、いないなら、パゴーダでもグロームでもヴェルトでも呼んで来い!!」
パーシーが半狂乱で次々と固有名詞を並び立てていく。もう誰も自分で戦おうとはしない。戦闘由印ではないとはいえ、広く名を轟かせるローダ騎士団が二人を前にして、素人同然の男達は尻込みしている。
それを見たセインは橙色の瞳に憐憫の情を浮かべた。
「一つ、教えておいてやろう。安心しろ、これはサービスだ」
サービスといいつつも、その情報は男達にとっては喜ばしくないものだと自覚して、セインは続きを舌に乗せる。
「お前等が言ってるのは、自我がある戦闘用擬人型達の事だろ? そいつ等はな――――――」
* * *
「え……擬人型……?」
ネジュの呟きは半分当たり、そして半分外れだった。前体表の一番心臓に近い部分にあったのは、奇妙な形をしたベルヴェルグであった。どこが奇妙なのかと言えば、それはそのベルヴェルグが左右非対称な点である。基本的に、ベルヴェルグは左右が線対称になっている。しかし、ルネのそれは右と左で全く違う種類の物だった。全体的に一つのベルヴェルグとしてまとまってはいるものに、中心ですっぱりと切り替わっている紋様は、犬の胴体に馬の首を無理矢理に接合させたような、激しい違和感を抱かせる。
ネジュから見て右にあるのは、竜のベルヴェルグ。竜のベルヴェルグは『支配』の力を持っていて、この力があるが故に竜は異形の王として君臨している。そして左にあるのはネジュも良く見慣れた――――――
「――――――自我を持つ、戦闘用擬人型……」
* * *
イオリは無感動に、自分の左の二の腕に深々と突き刺さる槍を見下ろす。その槍の持ち主は既にイオリの手で始末されている。死体は口の中にあった刀を横に薙がれて、口が大きく横に開いて笑っているようにも見える。ただし、状況と笑顔を彩る黒くなりかけた血のせいで、喜劇のようにはどう頑張っても見えない図だった。
横から襲い来る男を、右手一本で握った刀で心臓を一突きにしたまま、イオリは辛うじてぶら下がる左腕を見下ろしていた。もう、血や肉片が顔に飛んでも気にしていない。
「……」
イオリの放つ沈黙が圧力となって周りの男達をたちまちのうちに凍らせ、その場に足を縫いとめてしまう。
やがて、イオリは抜いた刀を足下のしたいに突き刺し、自由になった右手を指先が動かなくなった左腕に添える。
そして、顔色一つ変えずに、淡々とやってのけた。
「な、あ……うぶ、ぇげッ……」
男のうちの一人がその光景に耐え切れず、吐瀉物を撒き散らす。そこまで過敏に反応しなかった者達もイオリの行為に怖気を感じたのか、自身の体を掻き抱く。
――――――イオリは、皮一枚で辛うじて繋がっていた己の左腕を、何の躊躇いもなく千切りとって見せたのだ。
イオリはもぎ取った左腕を、少し離れた位置にある木の根元に置いてから、再び手に取った刀を完全に固まっている男達に向ける。
「ぶらぶらしたままだと、戦いの最中に邪魔になる。邪魔な物を捨てて何が悪い? 吐く程の事ではないだろう」
イオリは大きく一歩を踏み込む。
* * *
「痛ぇ」
フィルは呟く。確かに、剣が貫通している腹はかなりの痛みをフィルの脳に訴えてくる。普通はその一言で済まされるような生半可な傷ではない事も理解している。そんな事は、幼児や畜生でも理解できるだろう。しかし、フィルはその傷にのたうちまわる様子も無く、自分の腹に突き刺さった剣を握る空路服の男の頭を掴んだ。
「痛ぇよ」
もう一度同じ言葉を繰り返し、フィルは掴んだ男の頭を自分の背後まで振り被る。あまりの勢いと力に、黒服の男の指は剣の柄から離れ、宙を掻く。
フィルは、今もまだ、剣が腹に突き刺さっているという事実を忘れさせる程の大声で叫んだ。
「誤りやがれえっ、コノヤロォォォォオ!!!」
生死をかけた戦いの中、少々理不尽な事を口に出しつつ、男の体を前方、宙高くへと投げ飛ばす。フィルの度が外れた怪力で、男の体は容易く吹き飛び、そして骨の折れる音を立てながら首から着地する。
地面ではない場所に。
「あ、悪い、イナバ」
黒服の男が落ちたのは地面ではなく、黒服集団の更に背後にいたイナバの背だった。首の骨を折って即死した男の体が、ゆっくりと息を吸い威嚇として体を膨らませていくイナバの背からずり落ちる。しかし、怒り心頭に達したイナバはそれを見向きもせずに、元はか弱い小動物とは到底思えない雄雄しい咆哮を上げる。
「やっべぇ、怒ってるぞ、どうしてくれる」
フィルはそう言いながら、左手で腹の剣を引き抜き、右手で近くにいた男の顔面を裏拳で叩き潰す。一瞬で頭部を吹き飛ばされ司令塔である脳を失った男が脳漿と血液を垂れ流しながら倒れこむ。その体を蹴り上げて、走りよってきた男新たな黒服を押しつぶし、フィルは困ったように首筋に手を置く。
「こりゃ、どっちかっていうと、黒服よりもイナバの方を相手にしなきゃだな」
* * *
たわめられた竜の首が、勢いをつけてこちらへと伸ばされる。その赤い口腔を見ながら、ネジュは自分の中で満たされていなかった場所が綺麗に埋まるのを感じていた。
――――――嗚呼、やっと……