⑥ 義弟を信じてみようか
婚約破棄されたあとの学園生活は、それはもう憂鬱だった。
私は「捨てられた女」になったのだと、誰もが勝手に納得した。
しかもそれだけじゃない。天使みたいな義弟を虐げた、悪魔みたいな義姉──そんな肩書きまで勝手につけられて。
アニタとその取り巻きたちは、楽しそうに高らかに噂を振りまいていた。
彼女たちは公爵家の庇護があるから、怖いものなんてないのだろう。
──滑稽なほどに、私を見下ろす目だった。
ヒューイ様は、今日も私を無視。
だが、最終的には、話し合いが必要になる。
どちらに非があるのか、曖昧なままでは済まされない。いずれにせよ、けじめは必要だ。
婚約なんて、解消すればいい。それは一見、簡単な選択のようにも思える。
けれど、これは私たちの気まぐれで結ばれたものではない。王家の意向が働いた婚約だった。
私を外に嫁がせ、代わりに養子として迎えたユーリィに侯爵位を継がせる。その上で王女を降嫁させ、血筋と立場の均衡を保つ。それが、父の説明だった。
その筋書きを、ヒューイ様が一方的に破った。ならば当然、理由が要る。
初めて婚約の話が持ち上がったとき、私は跡取りであることに強い執着はなかった。ただ、ヒューイ様の傍にいられるなら、それでよかった。
その望みは叶わなかったけど。
だからといって、王家の不興を買うわけにはいかない。婚約破棄という選択の責任は、しかるべき形で背負わせるしかない。
だから両家は、互いに引くわけにはいかないのだ。
*
婚約破棄の話は、まず互いの弁護士が間に立って進んだ。
我が家が頼ったのはポートマン卿。若くして名の知れた法務官で、背中まで届く赤毛を一つに束ねている。年の頃は二十四か五といったところだろうか。目元は鋭く、声は落ち着いていた。
その彼が届けてきた報告書に、父は目を通していた。私とポートマン卿は父の言葉を待っている。
「……概ね、予想通りの内容だな」
そう言いながら、ページをめくる手が止まった。次の瞬間には、信じられないという表情を浮かべて、私に報告書を差し出してくる。
「なんと……本当にユーリィを引き取りたいと申し出ているぞ」
その一文を見つけた瞬間、私の胸の奥はひどくざらついた。
「……そうみたいですわね」
義弟に、負けた気がした。とても不愉快だった。
おまけに、私がアニタに“嫌がらせをした”などという、根も葉もない証言まである。
「彼女はいつもヒューイ様の横にいたのですよ? どのタイミングで、どんな嫌がらせができるというのです?」
ポートマン卿は静かに答えた。
「証拠はありません。ただ、そう証言する生徒たちがいるというだけです」
……曖昧な印象だけで語られた“事実”ほど、厄介なものはない。
「こちらの言い分はどうなの? アニタは……彼の“ただの幼馴染”じゃないはずよね?」
「アニタ嬢が言っていた『彼』とは、婚約者のことだそうです。公爵令息と親しくしていたのは、あくまで幼い頃からの付き合いだったと。今後は距離を取るよう配慮するとのことです」
「……はぁ? 何なのそれ」
じゃあ今まで言っていた“彼”の話は、ロジモンド子爵のこと?
私が勝手に勘違いするよう、誘導されていたってこと?
「恐らく、ナタリア様が婚約破棄を申し出るよう、仕組まれていたと見られます」
「……悪質ね。でも、それだけ──ヒューイ様に、心底嫌われていたということね」
ポートマン卿がちらりと私に同情するような視線を寄こしてきて、思わず目をそらした。
そのあとの彼の言葉が、予想外すぎて、私は固まった。
「義弟を虐待していたという証言については、ユーリィ様ご本人が明確に否定しています。その……学園で、仲良くはできませんか?」
「ユーリィと……? 仲良く……? 血の繋がりもないのですよ?」
「恋人になれと申しているのではありません。あくまで“姉弟”としてです」
ぶわっと、顔が熱くなった。いったい私は、何を勘違いしたのか、恥かしい。
「……義弟の方が、嫌がると思いますわ」
そう返した私に、彼はさらりと爆弾を落とした。
「ああ、これはユーリィ様からのご提案です。“姉上は優しい女性だと、皆に認識してもらいたい”と仰っておられました」
──ユーリィが?
思いがけない言葉だった。
まさか、私を困らせようとしている?
今さら、仲良くなんて私に、できるのか?
でも……そう、もしも、ほんの少しでも……私を心配してくれるのなら――
ユーリィを信じてみようか。
読んで頂いて有難うございました。