④ やっと……(ユーリィ視点)
──やっと姉上の婚約が破棄される。
馬車の中、思わず独り言が漏れる。
「ずっと待ってたんだよ、ヒューイ。ようやく、だね」
……ナタリアを取られてたまるもんか、って思ってた。ずっと。
だって、誰よりも先に、僕がナタリアを好きになったんだ。なのに。
「生意気だとか、高慢だとか……笑える。ナタリアのこと、何にも分かってないくせに」
姉は、高潔で、臆病だ。
自分の気持ちを、自分で認めたくないんだ。僕のこと、怖がってるくせに、愛してるんだ。
それを認めたら、全てが崩れそうだから。
「義弟だから、だって。くだらない」
以前、ナタリアは、たしかにヒューイに好意を向けてた。
ヒューイも、寄り添おうとする素振りをしてた。
だから僕は見せてやったんだ。
ナタリアに、僕の手を叩かれるところを。ヒューイに。
痛くなかったよ。むしろ、嬉しかった。ナタリアが僕に触れた、それだけで。
それからヒューイは、露骨にナタリアを避けるようになった。
代わりに傍に置いたのが──あの、アニタ。
時々僕に熱い視線を送ってくる。
「……気持ち悪いよ、ほんと。あんなのを恋人にするなんて」
幼馴染だって? それがなんなんだ。
ナタリアを見ようともしない。信じるべき人を見誤るなんて、バカな男。
帰宅して、二階の窓を少しだけ開けた。
風が抜けていく。どこか淋しい風だった。
そこから見えるんだ。遠くに、本宅の青い屋根が、ほんの小さく。
きっと、ナタリアはもう帰ってる。
義父に会って、婚約破棄の件を伝えて──叱られて、否定されて、傷ついて。
また、泣いてるんじゃないかって、思った。
貴女が泣くと、僕の胸まで痛くなる。
「本当は、今すぐ会いに行きたい……抱きしめたい」
泣き顔を隠すみたいに、僕の胸に顔をうずめてほしい。
でも、僕にはまだその資格がない。
“弟”であることに縛られたままじゃ、
ナタリアの心を手に入れることはできないから。
ナタリア……
笑って、僕だけを見て──愛してほしい。
──あの頃みたいに。
義弟になった僕に、ナタリアはずっと、優しかった。
膝枕して本を読んでくれて、昼寝も一緒で、欲しいものは全部くれた。
僕が八歳になったときだった。
ナタリアが突然、僕から距離を取るようになったのは。
「“侯爵家の令息として礼儀を覚えましょうね”だってさ」
そんなの知ってるよ。僕は頭がいい。
でも、ナタリアの前だけは、理性が利かないんだ。
ナタリアの部屋から、いろんなものをこっそり持ち出した。
ハンカチ、手鏡、ぬいぐるみ──香りが残ってるものを選んで。
見つかると、ナタリアは怒る。
「どうしてこんなことをするの?」って、僕だけを見て、叱ってくれる。
……嬉しかった。
母さんだけは、僕の気持ちに気づいてた。
幼い僕が、ナタリアに、もう恋をしてたことを。
ある日、ナタリアが昼寝している隙に、そっとキスをした。
そのとき、母さんが見ていたんだ。
それで、僕は別宅に移された。
母さんは、義父に知られるのを恐れて、ナタリアが僕を虐めているって嘘をついた。
メイドたちも口裏を合わせた。
結果、義父はそれを信じて、ナタリアから僕を引き離した。
ナタリアは「違う!」って泣きながら訴えたのに、義父は信じなかった。
ごめんね、ナタリア。悪いのは僕なのに。
父は僕の意見なんて最初から聞いてくれなかった。
それからナタリアは僕を、徹底的に避けるようになった。
学園に入ってからは、ナタリアの立場は酷かった。
「愛されない婚約者」
「捨てられるのを待ってる可哀想な女」なんて。
──おかしいでしょ?
ヒューイが他の女と親しげにしてるのに、悪者にされるのはナタリア。
誰も分かってなかった、ナタリアの孤独を。
だから、僕がそこに入り込もうとした。
僕が寄り添って──ナタリアの世界に、僕を入れてもらおうとした。
僕と姉上は本当は仲がいいと、アピールしたかった。
なのに、学園で姉上に声を掛けても、ピシャリと突き放された。
……そして、ヒューイから呼び出されて、今日の婚約破棄の宣言。
「ありがとう、ヒューイ。……やっと、僕の番が来た」
ここからが勝負なんだ。
ナタリアに愛されるか、憎まれるか。
その境界に、僕は立った。
でも、どちらに転んでも構わない。
だって僕は──ナタリアを、誰よりも愛してるんだから。
「……僕は勝つよ、姉上」
必ず、貴女の隣に立つから。
読んで頂いて有難うございました。