㉜ 降参する (ユーリィ視点)
婚約式が終わった。長い、長い一日だった。
今日は、いろんな顔のナタリアを見た。
焦ったり、青くなったり、赤くなったり、落ち込んだり。
くるくる変わる表情が可愛くて、目が離せなかった。
彼女の部屋の前で、おやすみのキスをしようとしたら、すっと避けられた。
「お疲れさま」その一言だけだった。
ああ、まだ攻防戦は続くんだな……
そう思いながら、「おやすみなさい」と返事した。
自分の部屋に戻って、使用人たちを下がらせた。
疲れた体をベッドに投げ出す。
胸の奥に、やっとここまで来たんだ、という小さな達成感が広がった。
義父を納得させるのに、どれだけ骨を折ったか。
義父にとって僕は、アドニス殿下に託された大事な存在だった。
実の娘よりも、僕を優先しなければと考えてしまうほどの。
それがどれだけナタリアを傷つけてきたか。
だから一生かけて、ナタリアを僕が守る。償う。
ナタリアが婚約破棄されたとき、僕は義父に言った。
「ナタリアと婚約したいのです」
でも返ってきたのは、冷たい拒絶だった。
「ナタリアは、お前の手には負えない」
……そして。
──ポートマン卿。
言われなくても、直感で分かった。
僕がナタリアを慕っていると知って、義父が急遽探し出したナタリアの婚約者候補。
年上で、生真面目で、ナタリアの理想に合っていた。
正直、焦った。だから僕は、彼が既婚者だと、嘘までついた。
王家が仲裁に入ると決まった時、僕はポートマン卿に先手を打った。
出自の秘密も、ナタリアへの想いも、侯爵家に婿入りしたいことも、
全部話して報告書を作成してもらった。
それが僕からの牽制だと、黙ってポートマン卿は悟ってくれた。
もし僕がいなければ、ナタリアは彼と幸せになったのだろうか……そう考えると、苦しくなる。
──その次は、義父の番だった。
ナタリアが家督を継ぐと決めると、ポートマン卿を婿に迎え、
僕を他国に追い出そうと考えていたのだが──
「困った……」
王宮に呼ばれた義父は、深く頭を抱えていた。
王家に真実を話さなければならない。僕の出自が問題になれば、侯爵家は責任を問われる。
だから義父に言った。
「僕が全部、責任を取るから任せて下さい。うまくいったら、ナタリアとの婚約を許して欲しい」
「あれはきっと、お前を婚約者と認めんぞ?」
「父上に策はありますか? ないでしょう? 何も言わずに、僕と約束してくれるだけで良いのです」
冷えた声で、義父を脅すようにして黙らせた。
義父はきっと、僕の本性を知っただろう。
控えめで優等生の義理の息子は、実は真逆の人間だったと。
──そうして挑んだ謁見の間。
王妃に僕の存在は危険だと遠回しに伝えた。
陛下が、王弟に抱いた愛情を、僕に向けてくれるかは謎で、かなり危ない賭けだった。
それでも、王家に婚約を認めさせ、ようやく、義父を乗り越えたと思った。
──だけど、その後、ナタリアの反発に僕は戸惑った。
一筋縄ではいかないと、覚悟はしていた。
清廉潔白な彼女は、僕のやり方を認めなかった。
僕に味方はいない。
嘘だって、王家だって、何だって利用して、一人で戦うしかなかった。
全てはナタリアのために。
ヒューイの血が白だったのは、さすがに想定外だった。
彼の処罰に、ナタリアが今も心を痛めているのは、分かっている。
そのうち王太子殿下が王になれば、恩赦もあるだろう。
石牢から出られる日が、来るかもしれない。
──でもアンダーソン家を僕は許さない。
ナタリアの負傷は、僕の一生の不覚だ。
あの傷に触れるたび、僕の胸に狂気が宿る。
ナタリアを傷つける者は、全て潰す。
怪物にだってなってみせる。
彼女を奪う可能性のある存在は、ひとつ残らず──この手で排除する。
今夜は頭が冴えて眠れそうにない。
新年会は三日続く。初日からこんなに心が騒いでいては、体がもたないのに。
控えめなノックの音がした。
きっとメイドだ。温かな湯を用意させて、着替えようか。
「入っていいよ」
そう言って上着を脱ぐと、入り口にナタリアが立っていた。
「ナタリア……どうしたの?」
その姿を見ただけで、全身の疲れが消えていく。
「さっきは……ごめんなさい。その……気になって」
謝りに来たとわかって、胸があたたかくなる。
僕を気にかけてくれたんだ。
「傷つきました。まさか避けられるなんて」
「だって……メイドが見てたもの。恥ずかしいじゃない」
「じゃあ、今は?」
「額になら……許すわ」
そう言ってナタリアは目をつぶった。
額に一つ、頬に一つ。
そして、抑えきれず、最後に唇に触れた。
ナタリアの頬がさっと染まる。
「こ、こ……今夜だけだから!」
その言葉ごと、腕の中に閉じ込めた。
「僕たちの戦いはまだ続くの?」
「……ユーリィが負けを認めたら、終わりよ」
ほんとに、ナタリアは意地っ張りだ。
「いいよ。降参する」
幸せ過ぎて、泣けてきたから負けてもいいよ。
この瞬間を、僕はずっと待っていた。
全ては愛するあなたのために……
──もしも時間を止められるなら、今がいい。
読んで頂いて有難うございました。




