㉘ アンダーソン姉妹
騒ぎの中心に、ヒューイの姉たちがいた。
長女ダイアナは真っ赤な顔で怒鳴り、青ざめた次女マリアンナがその影に隠れている。
「おじい様がこんな目に遭うなんて……! あなた方、何をしたんですの!?」
スエリス卿に責め寄る声が、廊下に響く。
「落ち着いてください。医師に任せ、回復を待ちましょう」
「落ち着けるわけがありませんわ!」
ダイアナの声が甲高く反響した。
「うるさいから、スエリス卿が廊下に連れ出したようですね。彼も災難です」
ユーリィがつぶやいた瞬間、ダイアナと目が合った。
彼女とは挨拶程度だが、妹のマリアンナとは数度言葉を交わしたことがある。
対照的な姉妹。マリアンナは、ただ静かに俯いていた。
ヒューイの不祥事で、姉妹は母方の実家に身を寄せている。
老人が動いたのは、気の毒な姉妹の為でもあるだろう。
ツカツカとダイアナがこちらに歩み寄ると、ユーリィが前に出た。
「ナタリア! いったい何があったの?」
「ご老人に尋ねるべきです。僕たちは何も言えません」
ダイアナは義弟を無視して、私から視線を逸らさない。
「ヒューイがあなたと婚約したのが、そもそも間違いだったのよ! 全部あなたのせいよ!」
「……私の、せいですか?」
「そうよ。最初から、その義弟と一緒になりたかったのでしょう? ヒューイは何度も謝罪し、復縁を願ったのに、あなたは受け入れなかった!」
「最初から相性が悪かったのです。互いに婚約の解消を望みましたが、父親が許さず……結果、ヒューイが破棄を宣言し、責任を負いました。王家の介入でようやく終わった話です。それでも、彼は罪を重ねた。それが、どうして私の責任になるのです?」
「あなたが復縁を受け入れていれば、誰も不幸にならなかったわ!」
彼女たちは、全て私のせいにしたがっている。
一生、憎まれるのだろう――そう思うと、怒りがにじんだ。
「責めるべきはあなたの実弟だ。王女との婚約まで取り沙汰されながら、アンダーソン家を壊したのは彼です」
ユーリィの言葉に、ダイアナの瞳は潤み、唇が震える。
姉妹は、年の離れた弟を溺愛していた。だから、私に憎しみを向けたいのだろう。
でも、考えてみれば残酷な事実だ。
ヒューイは白い血だった。この姉妹だってそうかもしれない。
アンダーソンの血筋でない者が、由緒ある公爵家を潰してしまったのだ。
──それを知った老公は、どんな気持ちだっただろうか。
「これ以上の対話は必要ない。行きましょうナタリア」
ユーリィがそう言った時、ダイアナが目を見開き「あっ!」と叫んだ。
次の瞬間、ユーリが私を引き寄せたが、側頭部に激痛が走った。
「ナタリア!」
ユーリィが叫んで……痛む頭に触れると、私の指が真っ赤に染まった。
「ナタリア!」
もう一度、遠くで私を呼ぶ……ユーリィの声がした。
***《ユーリィ視点》***
ナタリアが崩れ落ち、白い床に赤い染みが点々と落ちた。
「ナタリア!」
抱き起こし、震える手で、ナタリアの傷を押さえた。
ブロンズの飾り燭台には血が付いていた。
それを握ったまま、マリアンナが歪んだ笑みを浮かべる。
「ナタリア……あなただけが幸せになるなんて、許さない」
振り上げた燭台が僕に向かうが、スエリル卿が押さえ込んだ。
「衛兵!」
スエリス卿の叫びに衛兵が駆け寄ってくる。
「医療室へ、こちらです!」
衛兵の声に従い、ナタリアを抱えて走る。
「離して! 殺してやる!」
背中にマリアンナの絶叫が突き刺さった。
油断した。警戒すべきは彼女だったのに。
青白い顔、隈の浮いた目、壊れた瞳――もう正気は残っていなかった。
「ナタリア、ナタリア……」
その名を呼びながら、僕は夢中で長い廊下を駆け抜けた。
医療室に駆け込み、すぐに医師たちが群がる。
「止血急げ! 意識は?」
「戻りません!」
僕は壁際に追いやられ、血で濡れた手だけが震えていた。
「どうして……」
声に出した瞬間、胸の奥がきしむ。
ナタリアの顔は真っ白で、唇まで色を失っていた。
「助かるんでしょうね!?」
思わず詰め寄ると、年配の医師が短く言った。
「手当を続けます。下がってください!」
僕は一歩下がり、額に手を当てる。
あの時、もっと警戒していれば――。
「ナタリア……僕を、置いていかないで」
治療の手が一段落すると、医師が言った。
「命に別状はありませんよ。ショックで気を失ったようです。刺激は控えてください」
「はい、有難うございます」
ナタリアの手に触れると、まだ冷たかった。
細い指を包み、そっと握る。
「……ナタリア」
頭の白い包帯を見つめながら、小さな声で繰り返す。
「お願いだ……目を開けて」
何度「ナタリア」と呼びかけただろうか。
彼女の指先がかすかに動いた。
「ナタリア?」
そのまぶたが、ゆっくり震える。
「……ユーリィ?」
かすれた声が耳に届き、泣きそうになる。
「うん。もう大丈夫だよ」
彼女の目が、焦点を合わせようと揺れる。
握っていた手が、わずかに握り返された。
「……頭……痛い……」
「ああ、守れなかった……ごめん」
込み上げるものを抑えきれず、ナタリアの手を、僕の額にそっと当てた。
「……泣いてるの?……」
その一言に、力が抜ける。
僕はただ、彼女が生きている事実に、声もなく感謝した。
読んで頂いて有難うございました。




