㉕ 膝枕
ヒューイ様が捕らえられた。
知らせを持ってきたのは、試験最終日の夕方。
ユーリィが、私の部屋をノックしたときだった。
「王家への叛意、だそうです」
少しだけ、寂しそうな声。
「……あの日の秘密、漏らそうとしたのね」
ユーリィは、静かにうなずいた。
「アニタも関わっていました。両家とも、爵位は剥奪です」
アンダーソン公爵夫妻は離婚。公爵は、引退した父親の元に身を寄せたようだ。
ブリル子爵家も同じ末路。
まさか、ヒューイ様が、あの王家との誓約を破るなんて。
アニタを使って、商会に封筒を届けようとした。
けれど、それは途中で阻まれた。花売り娘の手から、義弟が手配した密偵が取り上げた。
「アニタは王家が取り押さえました」
さらりと告げたユーリィ。
そんな備え、私は思いつきもしなかった。
「あなたがいれば、ガートナー侯爵家は安泰ね」
心からそう思った。
あの秘密が外に出ていたら、想像したくない未来があった。
王家の罰は容赦がない。
婚約を破棄されたあの日から、まさかこんな未来が待っていたなんて。
いっそ、最初から婚約なんてしなければよかった。
でも。
――どうして、婚約が終わったのに、ヒューイ様はここまで執着したのだろう。
まるで、自分こそが“青い血”を引いているかのように。
もう、関係ない。そう思いたかった。
けれど、胸の底に、哀しい何かが残った。
「忘れてください、姉上。これは、僕と王家のことですから」
「……ユーリィ」
「試験も終わりましたし、ゆっくり休んでください」
そう言って、義弟は椅子から立ち上がった──そのとき。
「そうだ、姉上。もうすぐ僕の誕生日なんですけど」
え……?
直接そんなふうに言われたの、何年ぶりだろう。いつもは執事長を通していたのに。
「そうね。今年は、何が欲しいの?」
「なんでも持ってますから。特に欲しいものは、ありません」
「……それが一番困るのよ。ちゃんと考えておいて」
あっ……しまった!
もっと優しく、もっと甘く言えばよかった。
こういう時こそ、少し重めの愛情を伝えるべきだったのに。
「な、なにか“必要な物”ってあるでしょ? 遠慮しないで言って」
「うーん、じゃあ……姉上に、膝枕してほしいです。子供の頃みたいに」
「そ、それは……いつでもしてあげるけど? 今は誕生日プレゼントの話よ?」
「じゃあ、試験が終わったから、お疲れ様って、癒してください」
……えええええ。
いつもなら、「甘えないで!」と跳ねのけたわ。
でも。
「い、いいわよ。それとは別に、ちゃんと“プレゼント”も考えてね?」
「はい──では、ディナーの後で、楽しみにしています」
そう言って、ユーリィはくるりと背を向けて歩き出し、
その肩が小刻みに揺れているのが見えた。
義弟……笑ってる?
まだ、足りないのだわ。
もっと甘く、もっと重く。じゃないと、この義弟には勝てない。
「姉上、もう……ウンザリです。そういうのは、やめてください!」
そう言わせるまで、私は負けない。
*
ディナーが終わって、静かな部屋に、控えめなノックがした。
……ほんとうに、来たのね、こんな時間に。
「ユーリィね、どうぞ」
「姉上、失礼します」
男女が夜に同じ部屋なんて、本来なら断固拒否。
でももう私たちは婚約者。誰にも非難されることは無い。
扉が開くと、ユーリィはぬいぐるみを抱えていた。ふわふわした、昔私の部屋にあった子熊の。
「扉は開けたままにしておきます。外にはメイドがいますから、悪いことはしませんよ?」
“悪いこと”って、なによ?
そう口に出す前に、ぐっと飲み込んだ。
「ええ、信じてるわ」
私はソファに腰を下ろして、ぽんぽんと自分の膝を軽く叩いた。
「いらっしゃいな」
ユーリィは素直に膝に頭を預けてきた。私の顔を、下からじっと見上げながら。
なんだか、昔のユーリィを思い出した。まだ小さくて、泣き虫だった頃の。
──私の可愛い義弟。
もうすっかり背も伸びて、幼かったころの面影はわずかに残っているだけ。
……だけど。
「どうしたの? ぬいぐるみを抱いて、子どもみたい」
「これ……最初に、姉上からもらったぬいぐるみです」
そう言いながら、彼はぬいぐるみを私に差し出す。
「ええ……覚えてるわ。私のお気に入りだった。クマちゃん」
義弟が勝手に部屋から持ち出して、私が怒ったら、泣いて、どうしても欲しいって言うから、しぶしぶ譲ったものだ。
「……姉上がこれを一番大事にしてるのが、嫌だったんです。僕より、この子が大切なんだって思って、嫌いだった。だから、姉上から離したかった」
「……き、嫌いだった、ですって? クマちゃんを?」
「ええ。でももう、返します。今は……僕が、姉上の一番になったから」
この子、何を当然みたいに言ってるのよ!
私は無言でぬいぐるみを受け取ると、そのまま――ボスッと、ユーリィの顔に押しつけた。
「そんなの、もういらないわ! それに、言っとくけど、私の一番は貴方じゃないから!」
「えっ、違う? 僕じゃない?」
「当たり前でしょ。私の一番は、私よ。私はいつだって、自分が一番。癒やされにきたなら、もう十分でしょう? 部屋に帰りなさい」
ユーリィは膝から起き上がって、「あはははは」と愉快そうに笑った。
「うん、やっぱり姉上はそうでなくちゃ」
そう言って、ぬいぐるみを私の腕に戻し、
すっと立ち上がると、私の頬に――軽くキスをした。
「おやすみなさい、僕のナタリア」
扉の閉じる音を聞きながら、私は腕の中に残されたクマちゃんを、ぎゅっと胸に抱きしめていた。
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