㉓ アニタ視点 破滅
両親は怒っていたわ。どうしようもないほどに。
ロジモンド子爵との婚約も、あっさり解消された。
先のことを考えるだけで、夜も眠れない日が続いた。
次はどこかの家に、後妻として嫁がされる?
修道院や教会で奉仕活動かも?
怖かった。だから、大人しくしていたら、
反省していると勘違いされたらしく、監視付きで買い物くらいは許されるようになった。
――たかが噂を流しただけよ。
そんなに大ごとになるなんて思わなかった。
第一、アンダーソン公爵家が後ろ盾にいたのよ? 私はヒューイに協力しただけで、悪くない。
……ナタリアが羨ましかった。
私の大好きなヒューイの婚約者になって、
それだけじゃなくて、あんな天使みたいな義弟、ユーリィにも慕われて。
侯爵家の令嬢ってだけで、全部手に入れるの。不公平だ。
だから、悪口を言いふらした。
気づけば尾ひれがついて、残酷な噂になって……ナタリアが追い詰められていくのが、見てて楽しかった。
……でも、最初から敵う相手じゃなかったのよね。
久しぶりに友人たちを呼んで、お茶をした日、
その場で、とんでもない話を聞かされた。
「ナタリア様とユーリィ様が婚約されたらしいわ。王家が認めたんですって」
は? ヒューイに捨てられたくせに、今度はユーリィ様と?
――胸の中が、ぐちゃぐちゃに荒れた。
「ヒューイ様には、リゼッタ王女が次の婚約者候補らしいわ」
「高位貴族だもの。私たちとは縁のない話よ。ねぇ、アニタ?」
私を見る友人たちの目に、うっすらと侮蔑が混じっていた。
学園にいた頃が、恋しい。
ヒューイの恋人みたいにふるまって、
時々、ユーリィ様と声を交わした、あの頃が。
お茶会が終わって部屋に戻ると、胸のなかが急に空っぽになった。
ずっと、椅子に座ったまま、空を見ていた。
ヒューイも、もう王女と婚約するのね。
私のことなんて、最初から踏み台くらいにしか思ってなかった。
「ヒューイ……あなたが一番、悪いのに」
軽いノックの音にハッとした。
メイドが手紙を差し出す。
封筒が妙に重たい。聞けば、下女が買い物途中に酔っ払いから預かったらしい。
「そんなの、捨てて…」
……そう言いかけた時、
封筒から、仄かにヒューイの匂いがした。
破ると、中から小さな封筒と手紙。
──やっぱり、ヒューイからだった。
《この小ぶりの封筒を、我々の足がつかないよう、大衆紙発行の商会に届けてほしい》
読んだ瞬間、ロクでもないと思った。
この期に及んで、まだ私を使う気なの? 本当に、都合のいい女だと思ってる。
だけど、手紙にはこうも書かれていた。
《これはナタリアとユーリィの婚約を阻止するものだ。あの二人を不幸にしてやりたくないか?》
心がざわついた。
きっと何か、秘密がある。
中身を見たい衝動に、手が震えた。
《手紙は直ぐに燃やせ。実行すれば……私の出来る範囲で、お前の望みを叶えてやる》
……わかってるくせに。
私が断れないって。
私の望み——それは、今の惨めな状況から、とにかく抜け出すこと。
……いいえ。違う。
ヒューイ、あなたが私を救うべきなのよ。わたしに、報いるべきなの。
公爵家の威光で、ロジモンド子爵なんかよりずっといい縁談を、ね?
持参金も、もちろん手厚く用意してちょうだい。
私は“それに見合う”ことをしたつもりなんだから。
この手紙は、燃やさない。
交渉の切り札として、ちゃんと手元に置いておく。
あなたが裏切らないように。私が、忘れないように。
*
翌日の午後、私は護衛とメイドを引き連れて、あのカフェへ入った。
ヒューイと何度か来たことがある。お金さえ積めば、奥の個室に通されるし、裏口からこっそり抜け出せる——そんな便利な店。
「ヒューイ様と密会の約束があるの」
そう言ってメイドを店内に残し、私は奥の通路から外に出た。
石畳の通りに、みすぼらしい花売りの少女がぽつんと立っていた。
抱えたかごの中には、しおれかけた花が数本だけ。
私はフードを深くかぶって、声を落とす。
「お願いがあるの」
金貨を一枚、音を立てて、かごの中に落とす。
少女の手に封筒を握らせながら、続けた。
「この先のフェイク商会、わかるわよね? “特ダネ”って言って、それを渡して」
少女は目をまるくして、それから勢いよく頷いた。何度も。
金貨の重みは、やっぱり効く。
ぱたぱたと、小さな背中が商会に向かって走っていった。
——ふふ。簡単だったわね。未来は、私のもの。
そう思って踵を返しかけた、そのときだった。
「動くな」
背中に、冷たい声。
片腕が、ぐいっと背中にねじ上げられる。
「声を出すと、折るぞ」
「……え?」
不意に漏れた声を、荒い手で布がふさぐ。
息が詰まって、視界がゆらいだ。
——ああ、また、私、間違えたんだ。
ぐらつく身体を、誰かの腕が支えた。
そのまま意識が、ふっと、落ちた。
読んで頂いて有難うございました。




