㉑ 反撃
王宮の廊下を、義弟に腕を取られて歩いていた。自然な笑みをたたえて。
貴族たちの視線を浴びながら進むこの時間が、どれほどの波紋を広げるのかは、考えなくても分かる。
訪れた時は緊張して王宮の素晴らしい装飾の数々は目に入らなかった。
白い壁には巨匠が描いた絵画。花を生けた大きな花瓶。……ブロンズの飾り燭台。
見回しながら歩いていると──
「ナタリア様」
ふいに聞こえた声に振り向けば、そこにいたのは――リゼッタ王女だった。
「ご婚約、おめでとうございます」
私はユーリィの腕からそっと手を外し、深く一礼した。
「……ありがとうございます」
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。けれど、王女様は悪戯っぽく、私と義弟を交互に見た。
「ナタリア様を誤解していましたわ。ヒロインは貴女、ヒーローはユーリィ様ね」
無邪気な笑顔だった。
「私は、悪役令嬢でも構いません。でも……名前だけは、変更していただきたいと思っております」
「あら、読んでくださったのね! 感想、とっても気になりますわ!」
「そうですね……いずれ、また」
軽やかで、可愛らしい方だった。
この方に、ヒューイ様は釣り合わない。
そう思ってユーリィの顔を見上げた。
罪の意識など、少しも浮かばない涼しい顔をしていた。
「私、本当はどこに嫁いでも構わないの。ただ、執筆さえ許してもらえれば。ユーリィ様でもヒューイ様でも、誰でもいいのよ。結婚に興味はないの」
「でも私は、王女殿下には……パートナーに愛されて、幸せになっていただきたいと思っています」
まだ十四歳。選択肢も夢も、これからいくらでも増えていくはず。
「そうね、不幸にはなりたくないわ。今日のことも、いつか物語にしてみたい」
「……願わくば、何十年も先になさってください」
王女様はくすりと笑った。
「ええ、そうします」
そう言って、従者に促されるまま小柄な背を向けた。
赤いドレスの裾が、白い回廊に鮮やかに揺れていた。
私の横で、また笑顔で腕を差し出すユーリィ。
──貴方はまた嘘をついたわね。
王女様は貴方に執着などしていなかったわ。
どこまで私を騙し続けるのか……
ユーリィ。
いつまでも私を手のひらの上で転がせると思ったら、大間違いよ。
やられっぱなしで、いるわけにはいかないわ。
私は微笑んで、義弟の腕に手を添えた。
貴方はもう、勝利を掴んでつもりで、余裕の表情ね。
だから。
次はこちらから仕掛けてあげる。
貴方が嫌っている、アニタのようなやり方で。
そう、重たくて、面倒で、息苦しいくらいの愛情で──反撃してみせる。
今の私を捨てて、暑苦しい女性になってみせよう。
貴方が「参りました」と音を上げるまで!
――戦いは、まだ終わっていないのよ。ユーリィ。
いつか、絶対に。
貴方を敗北させてあげる。
* * *
再び、私は学園に通い出した。
私とユーリィが婚約したことも、ヒューイ様がその責任を取ったことも、もう皆の知るところになり、私の名誉は回復された。
「ユーリィと婚約……なんでそうなったの?」
シャロンが、私に詰め寄る。
「ユーリィがそう望んだのよ」
「信じられないわ。 貴女が無理強いしたんじゃないの?」
そんな酷い言葉。
そう、シャロンはずっと、ユーリィのことが好きだった。
私に近づいたのも、私が彼の義姉だったから。
そのことに気づくまでは、彼女を親友だと思ってた。
だからこそ、「ヒューイ様は私の初恋なの」って、彼女にだけ打ち明けたのに。
――ヒューイ様は、それを知っていた。
うちのメイドが外で、侯爵家の内情を話すはずはない。
「そう思うなら、直接ユーリィに聞きなさい」
悲しいけど、シャロンはアニタとつながって、私を裏切っていた。
もう、前みたいに笑い合えない。
さようならシャロン。
――あれからのユーリィはというと。
父の傍で、侯爵家の婿養子という立場を固めようとしている。
賢く、優秀な義弟に、父は全幅の信頼を寄せている。実の娘より、ずっと。
……まあ、元々ユーリィを後継にする気だったのだから、それは全然構わないけれど。
気になるのは、ユーリィの態度だ。
時々、冷たい態度で私を悩ませる。
まるで「義姉としての役割は終わりました」とでも言いたげな、そっけなさ。
馬車の中でもずっと本に目を落として、無関心な顔をしている。
……かと思えば、学園ではあからさまに仲良しアピールをして、周囲の視線を牽制している。
また何か企んでいるのかしら?
私の場合、義弟に反撃しようにも、どう接していいのか分からず、迷ってばかりだ。
ヒューイ様はというと……アニタがいなくなってからは、ずいぶん影が薄くなった。
けれど、遠くからユーリィを睨みつけているのが見えて、不安になる。
「ねぇ、ヒューイ様には気をつけてね。私たちを恨んでいるから」
「……何をしても、彼は墓穴を掘るだけです。でも、ナタリアも油断なさらないで。決して一人にならないように」
そう言う彼の顔は真剣そのもので、少しだけ、胸がくすぐったい。
以前とは違い、最近は私の周りに令嬢たちが集まってくれるようになった。
だから一人になる機会なんて、そうそうない。
けれど――
ここは、重い愛を見せつけておくべき場面だわ。
「……怖いわ。守ってね、ユーリィ。それに、貴方こそ気をつけて。もし貴方に何かあったら……私…」
そう囁いた瞬間、ユーリィはぴくりと眉を寄せ、横を向いた。
――効いている。
ふふ。こういう私は、気に入らないでしょう?
なんて思いながら、「ほほほほ」と笑いそうになるのを飲み込んだ。
読んで頂いて有難うございました。




