② 義弟
それでなくても、ヒューイ様に貶められた私の立場を、
義弟は、さらに見事に、悪化させてくれた。
入学して間もないある日、ユーリィは私を見かけた瞬間、まっすぐに駆け寄ってきた。
その手は確実に、私に触れようとしていた。
「姉上!」
――何度言えば……彼は理解するのか。
だから私は、とっさに彼を突き放した。
「私に触れないで。立場を弁えなさい」
悲しそうな顔をしたユーリィを見て、皆、露骨に同情した。
誰も、何も知らないくせに。
ハニーブロンドの髪に、澄んだ青い瞳。
神様が気まぐれで作った、あまりにも整いすぎた顔立ち。
ユーリィは、天使のような容姿を持って生まれてきた。
だが、その内側に棲んでいるのは、いたずらな小悪魔だ。
彼はいつだって、私を困らせることに夢中だった。
いつだって、こっそりと策略を練っていた。
――この婚約破棄にだって、彼の影が見え隠れする。
証拠は、あの時のヒューイ様の言葉。
婚約破棄の理由を、ユーリィに対する“虐め”だと言い放ったのだ。
……それは、本当に“虐め”だったのだろうか。
私が三歳の時、実母は亡くなった。
その後、父は再婚し、私が六歳になった頃、五歳の男の子が家にやってきた。
――ユーリィ。
義母の連れ子であり、私の義弟になる男の子だった。
一時期、父の隠し子ではないかと疑ったこともあったけれど、父からはキッパリと否定された。
なので私は、あの天使のような義弟を、普通に可愛がった。
義母とも、よい関係を築いていたと思う。
けれど、私が十歳になった頃、ユーリィは父によって別宅へ移された。
理由は、メイドたちからの報告――
「ナタリアお嬢様が、ユーリィ様にひどいことをしている」とのことだった。
心当たりが、なかったわけではない。
だけど、それは貴族の令息としての礼節を教えようとしていただけだった。
むやみに抱きついてはいけない。
許可なく私の部屋に入るのは、規律に反する。
嘘をつくことも、盗みを働くことも――それは、してはいけないこと。
小さな頃は甘やかしてきた分、ある程度の年齢になってからは、きちんと躾けなければと、私は本気で叱った。
私に触れようとすれば、ピシャリと叩いたこともある。
それが、傍目には“虐め”に見えたのだろう。
でも、彼は――
悲しそうな顔の下に、どこか楽しげなものを滲ませていた。
私を困らせることを、彼は確実に、楽しんでいた。
義弟が学園に入ってからというもの、私と顔を合わせる機会なんて、数えるほどしかなかった。
それなのに、なぜ“虐めている”なんて噂が立つのか。
どう考えたって、ヒューイ様とアニタが意図的に流している。悪意を込めて。
……ユーリィも、知らぬふりして混ざってるかもしれない。
いつだって、義弟は私を擁護さえしてくれなかった。
そんな義弟の件もあって、学園に入ってからも、私は父に婚約破棄を何度も願い出ていた。
父は、渋い顔をした。
「……だが、破棄となれば問題もある。金銭的にもな」
「慰謝料はこちらが請求したいほどですわ!」
引くわけにはいかなかった。
これは、私の誇りの問題だ。
──アニタ。
あの女を恋人と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう。
私の視線をちらちらと盗み見ながら、わざとらしくヒューイ様に身を寄せて。
「昨日は、彼とあのお店に行ったの」とか、「このネックレス、彼が選んでくれたの。お誕生日にくれたの」なんて……。
恋人ぶった話を振りまいていた。
──婚約者のいる人間が、堂々とそんな振る舞いをするだなんて。
あれはもう、無礼を通り越して、恥知らず。
そして、ヒューイ様。
あの人は、公爵令息であるというのに、無知で無神経で、礼儀も節度も知らない。
「破棄できないのなら……尼僧になります」
父は目を見開いたが、
「卒業まで我慢しろ」と言った。
ただの時間稼ぎだ、待ったところで何も変わりはしないのに。
──そして今日。
その決心に神は応えてくれた。
卒業を待たずに、婚約破棄をヒューイ様は宣言してくれたのだ!
読んで頂いて有難うございました。