⑯ 白い血
最初に和解を避けたのは、王家の介入を警戒してのことだった。
だからこそ、破棄し、責任の所在をはっきりさせておきたかった。
なのに――王妃と王太子は、あっさりと言ってのけた。
「和解で、よろしいのでは? 婚約も……解消、もしくは継続で」
王太子殿下の声に、胸の奥が鈍く冷えた。
我々としては、アンダーソン公爵家にしかるべき責任を負わせ、正式に“破棄”としたかった。あちらの非を明確にするためにも。
だが。
「宜しいでしょうか」
私は手を挙げた。抑えた声で。
「許す」
王太子殿下の短い応答。
「婚約の継続は断固、お断りします。私はガートナー侯爵家の一人娘であり、いずれ家を継ぎます。ヒューイ様は長男であり、婿入りは不可能。立場が噛み合いません」
すると王太子が、静かに言った。
「それは義弟に家を乗っ取られることを、危惧しての判断か?」
その言葉が、胸に突き刺さって、本音が勝手に口をついて出た。
「……いいえ。ヒューイ様との婚約を、なきものにしたいからです」
王妃様が、堪えきれぬように扇で口元を押さえ、笑った。
「ほほほほ。女性の恨みほど、恐ろしいものはありませんね。長年の積み重ねが、今ここに結晶として現れたわけですわ」
――その通りだった。私はヒューイ様を、ずっと恨んでいた。
アニタと手を組み、周到に婚約破棄の仕掛けを張ったその人が、いまさら「継続を望む」などと、どの口が言うのか。
「姉上の決心は固いのです。もし破棄できなければ、尼僧になる覚悟だと申しておりました」
すっと、隣のユーリィが声を上げた。
王妃様が即座に、冷たい目を向ける。
「……弁えなさい」
私は小さく叱ったが、彼は止まらなかった。
「それから、リゼッタ王女殿下と私の婚約の話も、白紙に戻していただければと。殿下には、私よりも……アンダーソン公爵令息の方が相応しいのではないでしょうか」
あぁ……言っちゃった。
私は無意識に、こめかみを指で押さえていた。
当然のごとく、意を唱えるヒューイ様。
「ユーリィ!! それでお前は、侯爵家に婿入りするつもりなのか? 私と王女との婚約は認められない。なぜなら私は王家の血筋だ。ナタリアは私の妻になる。お前の手には、決して届かない!」
彼の言葉は、すでに理性を欠いていた。
リゼッタ王女はといえば、自分の名前が出たあたりから、やけに楽しそうに身を乗り出してこちらを見ていた。
きらきらと、まるで物語を見ているような瞳で。
「殿下の御前です。静粛に!」
宰相の大きな声が飛ぶ。
私の中に、さらに怒りが積み上がる。
ヒューイ様は、ユーリィと張り合っているだけなのだ。
義弟が姉を慕っていると知って、その“姉”を奪おうとしている。
それはもう、愛でも執着でもない。ただの――
子どもが、お気に入りのぬいぐるみを横取りしようとするような、そんなものだった。
話の流れがさらりと変わったのは、宰相の低い声だった。
「王女殿下の降嫁について、先日行われた、血液の検査結果が出ました」
その瞬間、ヒューイ様は得意そうに胸を張った。
自分が王家の一員であるとでも言いたげな、誇らしげな横顔。
血液の検査をしていたなんて。
たしか、彼の曾祖母が王家の血を引いていたはず。
特殊な薬液を使えば、王家の血筋の色が青く可視化されるらしい。
王家以外の血筋だと白くなる。
「曾祖母の代なら、もうかなり薄くなってるんじゃないかしら?」
私は声を落として、隣の義弟に囁いた。
すると彼は、唇の端を少しだけ持ち上げて、こう返す。
「王家の血は“ダークブルー”。白くなるまでは……何世代もかかるのですよ」
「他家から白い血が混ざり、いつしか青は輝きを失っていくのね」
「でも公爵家の場合、それなりに薄い青になっているはずです。リゼッタ王女と婚姻しても問題ない程度には」
宰相の声が、広間に響いた。
「アンダーソン公爵令息の血液は……“白”でした」
途端に、どよめ気が起こる。
この瞬間、声を荒げたのは、ヒューイ様ではなくて――その父親、アンダーソン公爵だった。
「ばかな! 白くなるなどあり得ん! 白など……!」
「再検査を申し込みます!」
ヒューイ様の声も、明らかに焦っていた。
そのとき、私の耳元に、くすっと笑う気配。
「……つまり、公爵家のご夫人の誰かが、不倫してたってことですね」
ユーリィ。耳元で、そんな悪戯っぽい声を出すのはやめて。
それに――
……今、キスした?
言葉にできない違和感が、私の耳に残る。柔らかくて、ちょっと熱い感触。
ユーリィに確認など出来なかった。
ああ、きっと近づき過ぎて、耳に唇が当たっただけよ。
――こんな静粛な場所で……。キスなんて、ないはずよ、ないない。
読んで頂いて有難うございました。




