⑮ 王宮での話し合い
王宮へ向かう朝。私は落ち着いた色味のドレスに身を包み、髪をゆるやかにまとめた。
階段を下りる足取りも、意識して優雅に整える。誰に見られているわけでもないのに、こういうときの所作には、無意識に気を配ってしまう。
王宮を訪れるのは、あの夜会以来だった。デビュタント……父とともに出席した、あの苦い夜。
今日の馬車には、私とユーリィだけ。父は義母を伴って、先に向かったらしい。
乗り込んですぐ、ユーリィが真面目な顔で口を開いた。
「……公爵家が、王家に仲裁を求めました」
「そう。本来なら、裁判所で争うべきところよね」
「今日の話し合いで決着がつかない場合、裁判所行きになるかと」
「向こうの望みは、和解でしょう? 話し合いでは終わらないと思うけど」
そこで、ユーリィが少しだけ首を傾げた。
「決着……つけますよ?」
何を根拠にそう言うのか、妙に自信ありそうな義弟の表情。
「それができるなら嬉しいわ。勝算、あるの?」
「あります。けど……」
「けど? ……何よ、はっきり言いなさい」
しぶしぶ、といった様子で口を開く義弟。
「姉上が、それで納得できるか、どうか」
「勝てるなら、納得するわよ? ……ポートマン卿が頑張ってくれたのかしら」
その名を出した瞬間、ユーリィの表情がぴくりと引きつった。
「彼……お気に入りなんですね」
「ええ、いい方よ」
義弟の拗ねた空気が馬車の中に充満する。
「ヒューイ様と破局したとなれば、侯爵家の名にも傷がつきます。父上は、彼よりも優れた令息を求めるはずです。……ポートマン卿は、その対象にはならないかと」
「既婚者だもの、当然でしょう」
この国でヒューイ様以上の立場となれば、王子殿下くらいしかいない。でも、その王子たちにも、すでに婚約者は決まっている。どこをどう切っても、先が見えない。
そんな私の思考を破ったのは、ユーリィの告白だった。
「……僕、嘘を言いました。あの人、独身です」
「……ユーリィ」
ため息交じりに名前を呼ぶ。嘘はよくないって、何度も言ってきたはずなのに。
「ごめんなさい。……嫉妬したんです。姉上を取られそうで」
ふいに、無垢な少年の顔に戻るからずるい。
怒る気持ちも、責める言葉も、どこかへ行ってしまった。
「……もういいわ。今は、目の前の問題に集中しましょう」
私は視線を窓の外に向けた。
王宮はもうすぐ。
ユーリィの言葉が不意によみがえった。
『姉上が、それで納得できるかどうか』
もうすぐ、確実に、私の運命が変わる。
* * *
謁見の間に足を踏み入れると、すでにほとんどの関係者が揃っていた。
護衛騎士達に、記録係と見届け人の貴族が数名。
父と義母、そしてアンダーソン公爵とヒューイ様。
ポートマン卿に、公爵家側の弁護士スエリル卿の姿もある。
私は淡々と視線を巡らせながら、所定の位置についた。
ほどなくして、重厚な扉が開いた。
王妃様と王太子殿下が姿を現し、そのすぐあとにリゼッタ王女。そして最後に、宰相が続いた。
玉座には王妃様が着き、隣には王太子殿下。その隣に宰相が控える。
国王陛下のお姿はなかった。誰が実権を握っているか、言葉にせずとも分かる構図だった。
少し離れた席に座ったリゼッタ王女は、面白がっている様子でこちらを見つめていた。まるで舞台を観に来たかのような、そんな顔。
「では、アンダーソン公爵家とガートナー侯爵家の話し合いを開始する」
宰相の言葉で、場が静まり返る。
「王妃殿下、王太子殿下は、すでに両家からの報告書をご覧になっています」
徹夜続きなのか、両家の弁護士の顔色はひどく悪い。
先に口を開いたのはスエリル卿だった。
「アンダーソン公爵家としては、あくまで和解を求めております。婚約破棄は一時的な誤解によるものであり、すでに謝罪の意は複数回、正式に伝えております。にもかかわらず、侯爵令嬢は応じようとされない。これはいささか、不当ではないかと」
その言葉に、ポートマン卿が静かに前へ出る。
「誤解で婚約破棄を告げるなど、軽率ではないでしょうか。報告書にもあります通り、ヒューイ様は子爵令嬢アニタを常に側に置き、ナタリア嬢を公然と蔑ろにしてきました。昨年のデビュタントでもエスコートされず、侯爵令嬢は大きく名誉を損ねております。そうした長年の冷遇により、ガートナー家としては婚約破棄を決断し、責任の所在はアンダーソン公爵家にあると認識しています」
言い終えたところで、王太子殿下が短く頷いた。
「両家の主張は理解した。しかし、婚約を破棄すれば、双方の家名に傷がつくことになるのでは?」
殿下の問いかけに、王妃様が扇を口元に当てながら、こう続けた。
「ええ、そうですわね。穏やかに和解という形で、落ち着かれてはいかが?」
ああ、これはもう公爵家と通じている。そう思った。
話し合いではなく、形だけの儀式。結論は、すでに決まっているのだろう。
──そう思っていた、その時。
「私は、ナタリアとの婚約の継続を望んでいます」
静けさを破ったのはヒューイ様だった。
私の隣で、義弟――ユーリィが、小さく舌打ちをしたのが聞こえた。
静かなはずの謁見の間で、それは妙に響いて、私の耳にだけ届いた。
読んで頂いて有難うございました。




