⑬ 可愛さ余って憎さ百倍 (ヒューイ視点)
殴ってやりたかった。
あの義弟を。
でも、できなかった。ユーリィの頬はすでに赤く腫れていた。
それを、ナタリアの仕業だと思い込んだ自分が情けなかった。
ガートナー侯爵家のエントランス。
後ろには、若くて頼りなさそうな執事が、おずおずと立っていた。
「……おい。ユーリィは、本当に転んだんだな?」
問いかけると、執事は目を泳がせながら、ひくりと口元を動かした。
「あ……はい。階段で、手すりにお顔をぶつけて……」
「ナタリアが殴ったんじゃないんだな?」
「め、滅相もございません。お嬢様は決して……」
「お前が殴ったのか?」
「はい……あ、いえ、違います!」
こいつか……
そうやって言い淀むから、こっちは確信してしまう。
──お前が、わざと殴らせたんだろ、ユーリィ。
私を嵌めたな。
可愛さ余って憎さ百倍。どうしてくれようか。
……でも、マズい。
本来の目的は、謝罪だったはずだ。
それなのに、ナタリアをまた怒らせた。
復縁を命じられているのに。父から、きつく。
王家が関わっている婚約だと、もちろんわかっていた。
それでも、ナタリアを、私は好きになれなかった。
理由は誤解だけじゃない。
あの力強い瞳。澄ました顔。恐れもあった。
妻にすれば、私のすべてを拒否されそうで。
ナタリアも──私を拒んだ。はっきりと。
隣に、義弟を立たせて──私の手を払った。
留まって、膝を付いて謝罪するべきだったかもしれない。
でも私のプライドがそうさせなかった。
*
帰路につくと、屋敷には父が待っていた。執務室の椅子に深く腰を下ろしたまま、まるで報告を当然とでもいうように。
「謝罪は済んだのか」
「受け入れられませんでした」
視線が冷たくなる。
「……私も油断していた。お前は利口だから、うまくやると思っていたがな」
「申し訳ありません。対策を練り直します」
「まさか、アニタがいいなどと考えているのでは、ないだろうな」
「いいえ。彼女は……妹のような存在です」
ナタリアからの、迷惑料の請求を受けたアニタの実家からは、協力の見返りとしての援助を求められている。
『娘はヒューイ様に協力しただけです』──そう言われれば、確かに否定はできない。だから金は出すつもりだったが、学園の留年は、取り消しできなかった。
子爵との婚約も破棄されそうで、揉めていると聞く。
申し訳ないとは思うが、アニタはやり過ぎたのだ。
「全く……情けないやつだな」
そう言って、父は視線を外した。
吐き捨てるような言い方。
いつからこうなったのか。
ほんの少し前までは、すべてが思い通りだった。
ナタリアに婚約破棄を言い渡してから、全てが裏目だ。
「……もう、王家を頼る他あるまい」
我が家は、王家に次ぐ筆頭公爵家。
曾祖母から受け継いだ、王家の血が私にも流れている。
最終的に、侯爵家に頭を下げて、家名を汚すくらいなら、王家に話を持っていった方が、よほどましだと父は考えている。それが、この家のやり方だ。
今、頼れるのは、王妃とその親戚筋である宰相と、王太子殿下。
国王陛下は、もう退位の時期だと、誰もがそう口にしている。
かつて寵愛していた王弟を亡くされてから、急に力を失われた。
実権は、王妃と王太子の手に移っていた。
王家を、信用できるだろうか。
王妃は貪欲で、王太子も狡猾だ。
ガートナー侯爵家にも、ユーリィに王女を押しつけて、勢力を広げようとしている。
だが、父の言う通り、王家に頼ればすべては元通りになるだろう。
生意気なナタリア、侯爵家も王家には逆らえない。
そして、ユーリィ。お前の悔しがる顔が、目に浮かぶようだ。
悦に入る私に向かって、父は忌々しそうにつぶやいた。
「対価は求められるぞ。東の鉱山、もしくは南の港町だな」
東の鉱山も、南の港も、どちらも家の柱だ。
それを差し出して、王家に仲裁を頼む。
そこまでして、ナタリアに価値があるとは思えなかった。
誰のせいでもない。
これは私の失態の代償だ。
「……申し訳ありません」
それしか、言えなかった。
読んで頂いて有難うございました。




