⑫ 青い血
若い執事にヒューイ様のお見送りを頼んでから、私は義弟と一緒に応接室にいた。
静かな部屋。
テーブルには、私の分のお茶もすでに用意されている。
フルーツのような甘くて爽やかな香り。こういうとき、香りが救いになる。
お茶に口をつけてから、ようやく、視線を前にいる義弟に向ける。
何から話せばいいのか、少し迷ったが。
「……顔の手当てをしましょうか」
義弟──ユーリィは、赤く腫れた頬を指先でそっとなぞって、くすっと笑った。
それから、真剣な顔を私に向けた。
「大丈夫です。それより、姉上に話したいことがあるんです」
あら、呼び方が“姉上”に戻ったわ。
いったい、どういう気分で切り替わるのかしら?
「コホン、その前に……。ヒューイ様は公爵家の令息なのだから、もう少し敬意を払ってちょうだい」
「……気をつけます」
私だって人のことは言えないわね。二人して似たような態度だったと思う。
「……それで、話って?」
ユーリィは少しだけ姿勢を前に寄せて、声を落とすようにして言った。
「……王家の“青い血”について、ご存じですか?」
「ええ、もちろん」
それは、口に出すのもはばかられる王家の秘密。
けれど、貴族のあいだでは誰もが知っている話。
王家には時折、才能に恵まれた子が生まれる。
その血を絶やさないために、かつては近しい血族どうしで婚姻を重ねていた。
でも、長い時間を経て、それがどういう結果をもたらすか、皆が気づいた。
体が弱い子や、精神が不安定な子が生まれることもあるから、今では他家から配偶者を迎えるようになっている。
それが青い血と呼ばれる所以。
けれど、それでも──。
「……今の陛下が、そうなのよね」
彼は末弟を異常なほど、溺愛していた。
美しく、儚い弟君に、必要以上に心を向けて。
王妃と仲違いするほどに。
その弟君は身体が弱くて、若くして亡くなった。
陛下が何日も遺体にすがりついて泣いていた、という話は、もう広く知られてしまっている。
「それが、どうかしたの?」
私が問い返すと、ユーリィは真剣な眼差しのまま、うなずいた。
「僕がリゼッタ王女の婚約者候補の一人であることは、ご存じですよね?」
お見かけした事はある。王家特有の銀糸の髪、そして海のように澄んだ瞳の、美しい王女様。
「ええ。お父様から聞いてるわ」
「……王女は、僕に少々執着しているようなのです」
「それは単純に、あなたに恋しているだけなんじゃないかしら」
軽く返す私に、ユーリィはゆっくりと首を振る。
「最近、毎日のように手紙が届くんです」
「毎日?」
「多い日には十通以上」
……それは、さすがに少し、異常な気がした。
「……望まない婚約ほど、苦痛なものはないって。姉上が一番、わかってくれますよね?」
その言葉が、胸の奥にささる。
「……ええ、まあ、そうね」
そのとき、ユーリィが、私の隣に移動すると、そっと私の手を握った。
「姉上……僕を、助けてください」
サファイアのような瞳、あまりに真剣な声に、義弟の手を跳ねのけるのも忘れて、声が詰まった。
「……た、た、助ける?」
「ええ。僕を救えるのは、姉上だけなんです」
私に、何ができるというの……。
「でも、愛されるって……本来は、幸せなことじゃなくて?」
王女の気持ちは本物かもしれない。
ただ、それが少し重すぎるだけで。
「……本当に、そう思いますか? 愛されさえすれば、幸福だと?」
「……愛されないよりは、ずっと。あとは、お互いの気持ち次第じゃないかしら」
「僕は重い愛なんて、いらない。負担なだけだ。ただ、自分の気持ちをちゃんと受け止めてくれる人が、いい」
……それが義弟の望む愛のカタチ。
「でも、恋愛って、人それぞれじゃないのかしら」
どんなに望んだって、すれ違ってしまうこともある。
「僕の理想は姉上のような女性です。クールで高潔で、芯の強い人」
「あら、男性って可愛げのある、頼ってくれる女性が良いのではないの?」
「アニタの事ですか? ヒューイと僕は違います。むしろ、彼女は僕の嫌いなタイプです」
話しが逸れたけど──義弟は私を嫌ってはいないってことね。
「話を戻していいですか?」
「……私が、助けになんて、ならないと思うけど?」
そう返すと、ユーリィは握っていた手に力を入れた。
「姉上は、この家の正当な跡継ぎです。姉上が継ぐべきなんです!」
「それは……私は、特に気にしてないわ」
すると義弟は、息がかかるほど、顔を寄せて来た。
「ちょっと……」
「いいえ。姉上が継いでください。そうすれば……僕と王女の婚約は行われません」
……ああ、そういうこと。
「……なるほど。……近すぎるわ、ユーリィ」
手を離して、彼の胸を、そっと押した。
「王女はヒューイ様と婚約なされば、いいと思うんです」
「……え?」
そこにあるのは、どこまでも私の心をかき乱す、美しい小悪魔の微笑だった。
読んで頂いて有難うございました。




