第2章-2
ラウルに蟠っていた闇を吸い上げた後、アルスは初めて苦痛が来ないことにまだ戸惑っていた。
突然悲鳴を上げたかと思うと、双眸を赤く染め、自我を失って暴走した。アルスはヘイレンとミスティアを部屋から出し、ラウルをどうにか抑え、そして闇を吸い取った。その際腕を負傷したのだが、闇を取り込んだおかげかその傷は綺麗に無くなっていた。
そのラウルは、深い眠りについている。蒼白な顔でまるで屍のように見えるが、呼吸と鼓動は止まっていない。ただ……。
「ラウルの核にヒビが入ってた。レントよりは軽度だけど、当面は起きないでしょうね」
火の国の首都モントレアから駆けつけたルーシェはそう言うと、呆れながらため息をついた。
「居場所を突き止めるのに共鳴の力を使ったなんて。エルビーナが闇毒に侵されたことを知った上でやったのなら、なおさら命知らずだわ」
ルーシェの言葉に呆れに加えて怒りを感じ、アルスは一瞬眉間に皺を寄せた。怒りの靄が少しずつ増えている。……頼むからこれ以上増えないでくれ。空気が悪くなる。
「ルーシェ先生、レントさんも核にヒビが入っていたんですか?」
ヘイレンの質問に、ルーシェは少し表情を和らげて頷いた。今度は不安の靄がほわりと彼女を囲み始める。
「フレイがお見舞いに来てた時に急に痙攣したそうよ。彼女がいなかったら、レントの核は割れていたかもしれない……そのくらい、核のヒビは凄かった。むしろ、よく形を保ってたなと思うほどよ」
ルーシェは憂いを帯びた表情でひと息つく。
「エルビーナに何かあったのでしょうね。あのヒト、どこにいるのかしら」
その時、アルスは頭痛を感じて俯いて額に手を当てた。目を閉じると、暗闇の奥で何かがぼんやりと映し出される。
それはひとりの女性のように見えた。
そのヒトは、誰かと話をしているようだった。
突然目を見開いた。身体が動かないようだ。
そして、直立不動のまま吐血した。
「っぐ」
頭部に矢が刺さったような鋭く激しい頭痛に、思わず声が漏れた。隣に座っていたヘイレンが、倒れかけたアルスをしっかりと支えた。ルーシェは「何なの?」と驚くしかなかった。
「今になって反動が来たのかな」
「反動って?」
ヘイレンの言葉に、ルーシェは首を傾げる。ヘイレンはハッとした。そうか、先生はアルスがあの魔術の使い手であることを知らないんだ。ヘイレンは躊躇していた。アルスは自分の一族のことを隠してきたヒトだ、勝手にバラされるのは嫌だろう。ヘイレンは聞こえなかったフリをして口を噤んだ。
少しして、アルスはゆっくりと顔を上げた。まだ頭痛がするのか、表情は少し歪んでいる。ミスティアとルーシェが心配そうに彼を見ていた。
「……何の反動か知らないけど、大丈夫?」
ルーシェの言葉に、一瞬アルスはヘイレンを横目で見た。彼もアルスを見ていたらしく、目が合ってしまった。が、互いに何も素振りを見せず、アルスはヘイレンにもたれていた身体をそっと起こした。
「……あれはエルビーナか?女のヒトが誰かに身体を潰される『記憶』を見た」
「……は?」
ふたりの女医が同時に発したので、思いの外鋭い声が部屋に響いてしまい、なぜかヘイレンがビクついた。
「ちょっとあなた……闇の種族なのに闇に囚われてないわよね?」
不審な目で見てくるルーシェに、アルスは首を横に振った。
「囚われてねぇよ。俺は正常だ」
「あらそう。……で、その『記憶』は何なの?何であなたはそんなの見たの?」
なかなかの尋問にアルスは圧倒されつつあった。この女医に『黒の一族』であることがバレたら、何を言われるだろうか。別に軽蔑されようが恐れられようが、俺はどうってことねぇんだが。
それよりも隣で怯えているヘイレンが気になった。鋭い目で睨んだ風になってしまったようで、目を向けられた彼はますます怯えた。口元がわなわなと震えている。余計なことを言ってしまった、と思っているようだ。……気の毒に感じて、ついにアルスは口を開いた。
「ラウルに溜まってた闇を取り込んだら、エルビーナの『記憶』が流れ込んできたんだ」
一瞬、静寂が降りた。ヘイレンもミスティアも表情を変えない。アルスがルーシェから目を逸らした瞬間、女医はようやく声を出した。
「そう……なの……。で、エルビーナは……?」
アルスのことよりエルビーナが心配だったようだ。バレると腹を括ったのに、拍子抜けしてやや焦る。
「ああ……その、わからん。潰されて、血を吐いて、それで『記憶』は終わりだ。潰した相手の顔は出てこなかった」
「血を吐いたのなら、内臓をやられたかもしれないわね……。死んではいないと信じたいけど……」
そう言ってルーシェはラウルに視線を移した。気まずい空気になり、居心地が悪い。アルスは立ち上がり、部屋を出ようとした。当然ながら、扉の前でミスティアにどこ行くの?と止められる。
「……海岸に。外の空気が吸いたい」
アルスは呟くように言って部屋を出た。
ヘイレンはアルスが部屋を出て行った後も、震えが止まらないでいた。ボクも……外に出たい。そんな気持ちが身体を支配し、自然と立ち上がって同じように扉へ向かっていた。
「あら、あなたも出るの?寒いわよ?その格好で大丈夫?」
ヘイレンは心配するミスティアに大丈夫だよと愛想笑いをして、そそくさと部屋を脱した。
外は真っ白になっていた。雪に覆われた港町は、一層寒々しく映るが、今のヘイレンにはちょうど良かった。
アルスはどこへ行ったのだろう?足元を見ると雪が足跡を作っていたが、たくさんあってどれがアルスのものかわからなかった。とりあえず、近くの桟橋へ行ってみようかな。
療養所から桟橋までは、街の中心街を通っていくのだが、こどもたちのはしゃぐ声と、おとなたちの活気ある声が町の雰囲気を暖めていた。特にこどもの声は不思議と元気をくれる気がした。
桟橋に着くと、黒いコートを着たヒトが佇んでいた。ヘイレンは少し気合を入れて、近づいて行った。アルスの横に立つと、潮の香りが鼻を刺激して、ひとつ小さくくしゃみをしてしまった。
「……風邪引くぞ」
視線は海を向いたまま、アルスはもそもそとコートを脱ぎ、それをヘイレンにわたしてきた。これでも厚手の長袖チュニックだし今は大丈夫……と思って受け取らないでいたら、わさっと両肩を覆われた。アルスの体温をほのかに感じて暖かい。
「あ……ありがとう……」
アルスは何も言わなかった。雪はほとんど止んでいるが、ふわふわの一粒がヘイレンの頬にピタッと着いた。一瞬で水滴になったので、あまり冷たさを感じなかった。そんなことよりも、ヘイレンはアルスにどう切り出すかとひとり焦っていた。
「……気にすんな」
低い声が、ヘイレンの心の臓を跳ね上げた。身体がすくむ。
「魔術使ってりゃいずれバレる。俺が『黒の一族』だと知られたとしても、その後どうするかは相手の勝手だ」
アルスは少し気怠そうに言った。ヘイレンは俯いて聞いていた。気にすんなと言ってくれてても、たにんが勝手にひとさまのことをベラベラと話すのは気分が悪いはずだ。事によっては心を酷く傷つけてしまう。……それを身をもって知っているから。
「……俺が見た『記憶』だが」
空気を変えるかのように、アルスは口を開いた。ヘイレンは顔を上げた。
「エルビーナと対話してた相手、多分あいつじゃねえかと思う。お前とシェラが戦ったオッドアイの……」
「……どっちだろう?」
「……?」
ヘイレンは『時空の裂け目』を経て『過去』からやってきた。同じように今の世界に飛んできたジンブツはふたりいるが、ひとりは聖なる国ホーリアを滅亡させようとしたのをアルスやシェラたちと阻止した際に葬られた。
もうひとりは通称『赤毛のオッドアイ』と呼ばれているジンブツで、風の国ヴェントルの首都エクセレビスでヘイレンを一度襲ったことがある。その後も同じ国の領地にあるトア・ル森でヘイレンはシェラと一緒に一戦交えたが、以降行方がわからなくなっている。
ヘイレンが言う「どっち」の片方は赤毛のジンブツなのだが、まだもうひとり同族がいたことにアルスは眉間に皺を寄せた。
「アルスがいない間に、バルドって魔導士と戦ったんだよね。そいつはめちゃくちゃ強かった。シェラも死にかけるほどに。ボクも全然ダメだった」
そうか、とアルスは呟く。
「さっきも言ったが顔は見えなかった。だが、エルビーナの内臓を一瞬で潰しちまったから、凄まじい魔力を秘めているはずだ」
「それじゃあ……バルドかもしれない。何か喋ってた?」
ヘイレンはアルスの様子を窺う。彼はしばし思い出そうとやや俯いて目を閉じた。思い出す際に頭痛がきてたら申し訳ないなと、今思い至ってヘイレンは内心焦る。
「……いや、声は聞こえなかったな。酷い頭痛で聞けなかったと言う方が正しいか」
「そっか……。低い声だったら確実にバルドだと思うけど」
「赤毛の奴は違うのか?」
「うん。そのヒトはロキアっていう女のヒト。ボクがテンバだった時のご主人様らしい。テンバを育ててきたヒトだった」
ほう、とアルスは少し驚いた声でヘイレンを見た。視線の高さがシェラと同じくらいになっていることに、アルスはまだ違和感を覚えていた。
何と言うか……慣れない。
「なぜ『ご主人様』が命を狙うようなことを?」
アルスは率直に思ったことを聞いた。するとヘイレンは首を横に振った。
「ボクを捕まえて、元いた時代へ一緒に帰る為だったらしい。殺すつもりはなかったって」
「……お前、その、ロキアと話をしたのか?」
「……夢でね、そう話してた」
「夢……」
案の定、アルスはやや呆れ顔でため息をついた。そりゃ信じられないよね、とヘイレンもため息をつく。ロキアは今、どこにいるのだろうか。夢で話したことが事実なのかを確かめないといけないのに、バルドという男の脅威で探しに行けなかった。あいつこそヘイレンの命を狙っており、単独行動は絶対にしてはいけないとシェラから口酸っぱく言われていた。
今シェラは王宮都市ダーラムにいる。アルスたちがそばにいてくれるからと、彼はひとり地の国へ向かった。そういえばそろそろ戻ってくるだろうか。
「シェラ、いつ帰ってくるのかな」
ヘイレンは海を眺めながら呟いた。
夕方、召喚士が療養所に戻ってきた。ここは宿屋の役割も果たしているので、今夜はここで一泊するとシェラは言った。その声は疲れきっていて、どこか不安気だった。
アルスはヴァナの様子を見ると言って樹海へ帰って行った。明日の朝、療養所で待ち合わせることになっている。それまでにエルビーナの居場所を、取り込んだ闇の『記憶』で何とか探ってみてくれるらしい。
早めの夕食を摂り、食後のティータイムと題してシェラはハーブティーを淹れた。2つ並んだベッドの反対側に小さな丸テーブルとソファが置かれていて、ふたりはソファに座っていた。
「そう……ラウルがそんなことに……。目が覚めた時に核を通じてまた闇を移されたら怖いな……」
シェラはそっとハーブティーを一口飲んだ。
「アルスが吸い上げた闇で、エルビーナさんの『記憶』を見たみたい。その時エルビーナさん、誰かに内臓を潰されたらしい。強い魔力で」
「……それってバルドだね、相手は」
「うん、ボクもそう思った。ロキアはそんなことしないと思うし」
ロキアの名を聞いた途端、シェラはハッとしてティーカップを持つ手が一瞬緩んだ。落とすことはなかったが、どうしたのだろうか?
「ヴァルゴス様のことで頭がいっぱいになっててすっかり忘れてた。そのロキアなんだけど……今ウィンシス城にいるんだ。ライファス遺跡で拘束されたんだって」
捕獲劇は去年の涼期の終わり頃だったそうだ。今度はヘイレンがカップを落としそうになる。
「バルドと最後に戦った場所にいたなんて……」
「あの一戦も3年半ぐらい前か……。その後に潜んでいてもおかしくはないね」
衣食住は大変だったのでは、とヘイレンは余計な心配をしてしまったが、心に留めておいた。
「ウォレスがヘイレンと一緒に城まで来て欲しいって。……やっと答え合わせができそうだね」
そうだ。ヘイレンが見た『夢』のロキアが彼に話した事……彼女はテンバを扱うヒトで、ヘイレンのいわば『ご主人様』である。元いた時代へ連れ戻す為、自らも時空の裂け目に飛び込んでヘイレンを追いかけてきた……が真実かを確かめられる。ヘイレンは大きく頷いた。
「明日ウィンシス城へ行こう。対話は早い方がいいでしょ。……ヘイレンの殺害未遂の罪で拘束されてしまってるんだ。未遂でも被害者が許せなかったら極刑だ」
つまりは、死刑。ヘイレンは身震いした。
「ロキアの極刑を阻止するなら、ヘイレンの意見が重要になってくる」
「ボクの……意見……」
うん、とシェラはひとつ頷く。
「極刑を阻止できたとしても、何年……いや、何十年かは投獄されると思うけど」
「……ボクはロキアが牢屋から出てくるまではこの時代にいられるってことだね」
「そういうことになる……ね……」
シェラはヘイレンをまじまじと見つめる。金髪の青年はやや首を傾げた。どうしたの?と視線で聞いてくる。言葉では言い表せない感情が湧き上がってくる。
シェラは以前、いつかヘイレンを元いた時代へ帰したい、そのような話を彼にしていた。その時彼はうんともいやとも言わず、記憶の一部が戻ったのかその場で倒れてしまった。なので、その後ヘイレンの気持ちは確認できず、今日に至っている。
しかしどうやらヘイレンは、気持ちの整理というか、自分は今後どうすべきかを心に決めているようだとシェラは感じた。
ヘイレンはおそらく過去へ戻るつもりでいる。
そもそも過去へ戻る術は今のところ、無い。だが、ヘイレンのように過去からやってくる術があるのだから、その逆もきっとあるはずだ……。
シェラは「何でもないよ」と言葉を濁した。ヘイレンはそっか、と言ってこれ以上追求してこなかった。
「ところで、ヴァルゴス様で頭がいっぱいって言ってたけど、何かあったの?確か去年からいなくなってて探してたよね?見つかったの?」
ヘイレンはシェラの『付きビト』なので、召喚士の事情はある程度共有している。ヴァルゴスが行方不明だったことも伝えていた。シェラは少し間を置いて、それから小さく頷いた。
「見つかった、というか、ダーラムの家に帰ってきた。でも、瀕死だった。何が起きたのか全然わかっていないけど、1年も行方不明だったし、どこかで捕らえられて痛めつけられてたんだな、とみんな思ってる。今はヒールガーデンで治療を受けているんだけど……」
シェラは胸元をそっと押さえた。ヘイレンは察してシェラの背中をさすった。
「……きっと、大丈夫。ヴァルゴス様も強いヒトでしょう?だから……死なないよ、うん」
ヘイレンの不器用な慰めが、何だか酷く申し訳なく思い、徐にシェラを抱きしめた。それがシェラの涙腺を破壊してしまい、召喚士はしばらくヘイレンの肩を借りて静かに泣いていた。
昨日とは打って変わって、今夜は不気味なほど静かだった。アルスはベッドの上であぐらをかいて目を閉じていた。意識を取り込んだ闇に集中している。
だいぶ体内に浸透して己の生命力の糧となってしまい、『記憶』は消えかかっていた。やがては見返せなくなり、エルビーナの状況がわからなくなってしまう。
わずかに残った『記憶』をじっくりと確かめる。
エルビーナは……魔物の影すらいない場所にいた。風が吹いているのか砂埃が舞っている。手には果実。この果実はどこのものだろうか。誰かわかるかもしれないから覚えておこう。
次に映されたのは洞穴の中だろうか。やや薄暗い。それから……誰かの足元が見えた。そして、血と……低い声。
『お前……とば……だ』
アルスは眉間に皺を寄せながら目を開けた。エルビーナは何だって?聞いたことのない単語を、低い声の主は発していたように思えた。低い声だけに集中する。
そして。
「……ヒトバシラ?何だそれ」
意味がわからない。シェラならわかりそうだな。覚えておこう。ヒトバシラ、とアルスは復唱して脳みそに染みつかせた。
頭痛が酷くなり、そろそろ限界かとアルスはあぐらを解いて横になった。大きく息を吐いた直後、痛みが全身を支配した。息が詰まり、声が出なくなる。
アルスは身体を動かそうとした。しかし、ガチガチに鎖で絞められたように動けず、痛みだけが走る。目はかっ開いたままだ。瞬きすら許されず、眼球が乾き始める。いよいよアルスは焦りだした。
「……んぐぁ!」
ベッドに仰向けで寝ているはずなのに、背後から首を絞められた。鎖でゆっくりと絞めていく感覚。自然と口が開く。そして、アルスは乾ききったオッドアイで『ヒト』を見た。
それは、白髪の老爺だった。凄まじい魔力と生命力。その眼はアルスと同じ、赤と紫のオッドアイ。黒いローブを纏い、フードをかぶっていた。
『アーデルの血を引くものが、まだ存在したとはな。同族の吸い取りは禁忌……それは己の子孫を絶やさぬ様アーデルが勝手に決めた事。お前は……滅びてもいいと思っている。ならば滅ぼしてやろう』
取り込んだ闇を通じてアルスの心境を読み取っていやがった。心の臓がびくんと大きく痙攣した。生命力が、意識が消え始める。
「あ……」
身体が軽く感じる。視界が暗くなり、老爺の姿がわからなくなる。鼓動がイヤに大きく聞こえる。それは破裂しそうなほどに速かった。
そして。
ばちん!と盛大に何かが弾けた。首、身体の締め付けが消えた。瞬きができ、息が吸えた。反射的に飛び起きて、咽せた。
咳が止まらない。あまりの苦しさに涙が目元を濡らした。咳き込みながらも瞼をゆっくり開けると、狼の鼻と口が見えた。顔を上げると、ヴァナが額の紋様を青白く光らせてこちらを見ていた。
ヴァナはアルスに顔を埋めてきた。狼の額が胸元に触れる。アルスはそっと抱きしめる。胸の苦しみが治まり、咳も止まった。光が柔らかくなったので、アルスは抱擁を解いた。
「ヴァナ……助かった。ありがとう」
声が酷く掠れている。喉がカラカラに乾いて痛い。アルスはゆっくりベッドから脱した。ヴァナの身体を支えにキッチンへ急ぐ。
コップに水を注ぎ、近くの椅子に座って一気に飲み干すと、身体にまとわりついていた重たいものが流れ落ちていった。ようやく一息つけたところへ、ヴァナが話しかけてきた。
『あいつ、危ない。間に合って、よかった』
ヴァナもしばらく相手の魔力で身動きが取れなかったらしい。奴がアルスに集中した瞬間呪縛が解け、アルスを助けることができたそうだ。
「ヴァナの光の力が、奴を断ち切ったみたいだな……。お前がいなかったら俺は……死んでいた」
こんなところで息絶えると、そのまま腐って朽ち果てて、骨となって残っていただろう。あるいは、臭いを嗅ぎつけた魔物に食い荒らされていたかもしれない。
取り込んだ闇はもう感じられない。奴が取っていったのだろう。だが、手掛かりはある。それを明日、シェラたちに話せばきっと、場所がわかるはずだ。
身体は休息を求めていたが、眠り直すには目が冴えてしまっていた。窓に目をやると、空が黒から深い青へ変わっていた。半刻(約1時間)程経てば夜が明けそうだ。
アルスはゆっくり立ち上がり、カモミールティーを淹れ始めた。