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第6章-3

 翌朝、浮島の下は雲にびっしりと埋め尽くされていた。時折稲光が走り、ややあって小さく雷鳴が轟いていた。


「嵐はまだ止まねぇのか」


 シーナの上で一夜を明かしたアルスはため息をついた。こんな雲の中を突っ切って地界へ降りなきゃなんねぇのか。季節の変わり目は必ず大嵐が起きる。この世界の『次の季節への知らせ』はかなり荒い。


 この嵐が過ぎれば暖期に移りゆく。寒さは緩和され、植物たちが芽吹く。新しい生命の誕生も、暖期が盛んだ。


 グルル、とシーナが喉を鳴らした。ゆっくり肩辺りまで移動すると、シーナのそばに一頭のグリフォリルがこちらを窺っていた。目を合わせると、そいつは話しかけてきた。


「ポルテニエまで帰るんなら、オレが送ってくぜ!……ヘイレンに頼まれたんだけどなっ」


 皆、シーナに乗ってホーリアの様子を見に行くらしい。そうか、とアルスは呟いた。




          * * *




 聖なる国ホーリアが見えた瞬間、闇の波動が放たれた。フレイはシーナを加速させたのだが、国の大地を見下ろせるあたりまで上昇した時、飛竜は回避行動を取った。


 やや離れたところで旋回し続けている間に状況把握を試みる。氷の壁を作るシェラ、真正面から突っ込んでいくレント、壁を強化させるヘイレンと、踏ん張るアルティア。その死闘に突っ込む隙がどこにも無い。アルスは呆然としていた。


「シーナ、力を溜めて」


 フレイがそう叫ぶと、口を少し開けて火を集め始めた。バルドに直接炎のブレスをお見舞いするつもりらしい。


「シーナに悪いが、簡単に取り込まれるぞ、それ」

「怯ませるくらいなら出来るんじゃない?相手はレントに集中していて、私たちに気づいていないわ」

「いや、気づかれてる」

「うそっ?」


 バルドは確かにレントとやり合っていてこちらに視線が飛んでこない。が、シーナが力を溜めながらも徐々にホーリア国土から離れていっている。飛竜は魔導士よりも敏感に気配を捉えられる。ということは、突然こちらに火種が飛んでくる可能性が大いにある。


 霊体がシェラに飛びつきにかかった。召喚士は魔法を放ったが、もう一体が戦斧(せんぷ)を振り回して魔法ごと吹っ飛ばしていった。広場の壁を突き破り、遠くの建物が崩れた。


「え……」


 あまりの衝撃的な光景に、フレイは言葉を失った。その刹那、広場で爆発が起きた。アルスはフレイの肩を掴んで体勢を低くさせた。


 シーナは急上昇して爆風を避けた。雲に紛れ込んだ瞬間、赤い光が雲の反射で視界いっぱいに広がった。アルスは身体を起こすと少し拗らせ、右手をかざし、右目を光らせた。


 闇と闇がぶつかって、雲が払われた。闇の波動がシーナを怯ませる。


「耐えろ!」


 フレイの代わりにアルスが叫ぶ。(あるじ)以外のジンブツの命令を聞くのか一瞬戸惑ったが、シーナはグルルルと唸りながら耐えてくれた。大きく羽ばたいて、高度を保つ。


「あっ……」


 アルスの傍らでフレイが小さく声を上げた。瞬間、アルスは竜騎士に背を向け、自らの身体を盾にして、バルドの魔法を受け止めた。もちろん自分の魔法で壁を作りながらだが、それごと持っていかれそうになる。


「ぐっ……」


 フレイはこの時、身体を見えない闇の鎖で縛られていた。この鎖も解かないと、いずれバルドに操られてしまう。しかし解放するには、彼女に傷をつけなければならない。アルスの(すべ)にフレイの身体は耐えられるのだろうか……。


 魔力を奪いにきたバルドの魔法に対し、アルスは自らの魔力を半分ほど奪わせた。アルスの身体から、闇の(もや)が出てきて、遠く離れたホーリアヘと伸びていく。


 ばちん!と魔法の弾ける音が轟いた。奪われていく感覚が無くなったと同時に、炎のブレスが放たれていった。シーナが自らの意思で吐いたようだ。飛竜は大きく羽ばたいてホーリアから離れようとしたが、途中でフレイの身体が引っ張られるようにフッと動いた。


「あ……」


 ふわりと浮きかけたフレイの身体を、アルスが引き寄せた。シーナもこれ以上離れられないと察したようで、その場でホバリングした。


「から、だが……」


 意識も囚われ始めている。アルスは目を凝らして鎖の状態を確認した。上半身をがんじがらめに縛っているが、引っ張られた先……バルドのいる方向にわずかな隙間があった。そこに鉤爪を引っ掛けられたら鎖は切れそうだが……。


 ぐっ、と引っ張る力が強まった。アルスも力を込めてフレイを抱きしめるが、竜騎士が悲鳴を上げた。身体の内部が締めつけられている痛みは相当なものだ。連れ去られてしまえば、バルドの餌食となる。


「いやあああああ!」


 フレイの橙色の眼に涙が溜まり、溢れ出る。アルスはフレイの頭を自分の胸に引き寄せると、しっかり掴んだ。


「ちと傷つけちまうが、耐えてくれ」


 フレイは震えながら頷いた……と思う。短剣を持ってフレイの背に当て、鉤爪に変えると、素早く鎖を切り裂いた。


「ああああああ!!」


 鎖は壊れた。が、体内に残った鎖の破片を魔力で取り出す際に、脇腹と背中が裂けた。全ての鎖を取り出すと、アルスは火の魔法でそれを燃やした。


 あまりの痛みと突然の出血で気絶した竜騎士をそっと横たわらせると、アルスは己の左腕を鉤爪で少し刺した。当然血が滲み出てくるのだが、それを右掌で押さえながら、魔力を込めた。


「シーナ……竜騎士じゃねぇけど俺の指示を聞いてくれるか?フレイの代理ってことで……」


 そう思念を送ると、ややあって飛竜は返してきた。


『フレイは?死なせないよね?』


 ちょっと怒っている。そりゃそうだよな。


「必ず助ける。それにはちと場所が悪い。ヴィルヘルの近くまで行ってくれないか。そうすればデカめのオーブができる。フレイの身体を治療できる」

『ヴィルヘル。そこに降りる?』

「ああ、着地してくれると助かる」


 シーナはぐぅ、と鳴くと、降下を始めた。引っ張る力も、魔力を奪う力もない。バルドからようやく解放されたとわかると、少しだけ安堵した。


 ホーリアの聖なる力から遠ざかると、オーブの成長が促進した。掌サイズになったところで、それをフレイの脇腹にあてた。拒絶反応が起こらないか不安だったが、フレイの身体は少しずつ受け入れてくれた。


 竜騎士がびくついた。ゆっくり目を開けて、浅い呼吸を繰り返す。


「……オーブ、大丈夫そうか?」

「……うん。から……だの……中が……治って……いきそうな……なにこの……感覚……」


 細胞の再生が上手くいっている。アルスは確信した。


「もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ」

「うん……」


 フレイはふう、と一息ついた。それから程なくして、シーナが喉を鳴らした。


『ヴィルヘル、見えた』


 アルスはもう一度、傷つけた左腕に手を当てた。滴り落ちていた血が蒸発して右手に集まる。先ほどよりも早くオーブの形になる。


 オーブって……自分の血で作ってるの!?


 フレイは朦朧としながらも、大きくなっていくオーブから目が離せなくなる。ヒトの血、しかも種の違うもので作られたオーブを、私の身体は拒絶反応もなく取り込めちゃったのね、と唖然とする。


 身体をすっぽり覆いそうなほどの、大きなオーブが出来上がった。アルスはそれを宙に浮かせると、フレイをそっと抱き起こした。


「いっ……」


 背中に痛みが走って、咄嗟に手がアルスのコートを掴んだ。直後、じわんと背中がお湯に浸かったように温まった。心地良くなってきて、コートを握る手から力が抜け、微睡んでいった。


 シーナがヴィルヘルに着地した時には、フレイの身体の傷は浅くなっていた。流血もほぼ止まり、呼吸も安定している。峠は越えたようだ。


 腕の中ですやすやと眠る竜騎士を起こさないよう、アルスは彼女が目覚めるまでじっとしていた。


「ひと眠りすれば、もう大丈夫だ。心配かけたな」


 アルスはフレイの相棒に思念を送った。シーナは広げていた翼を畳んで、ゆっくり伏せの姿勢をとった。


 フレイが回復したらホーリアヘ戻ることになるのだろうが、さて、どうしたものか。アルスは空を仰ぐ。昼夜の境のない世界。ヴィルヘルは同じリヒトガイアの空に存在する国なのに、どこか切り離されたような感覚になる。陽光は届かないが、真っ暗闇ではない。いつも通り不自由なく見える。


 ぐぅ、とシーナが唸りながら顔を上げて遠くを見据えた。ホーリアの様子を感じ取ったのだろうか。


『光が……広がっていく……』


 その方位はホーリアだった。シーナが見えているのは真っ白な光……聖なる力の、かなり強力なものだった。肌がほんの少しピリついた瞬間、黒と紫の靄が素早く国を覆った。聖属性の波動を感知すると、国を守る壁(靄)ができるようになっている。光はあっという間に見えなくなってしまった。


 シーナは驚いて頭を上げて翼を少し広げたが、アルスが宥めたことで飛竜はすぐ落ち着きを取り戻した。


 靄の壁ができるほどに、空は聖なる力で満たされたか。こうなるとアルスは国を発つことができなくなる。特に何もすることなくここで行く末を見守るしかないのか……。アルスはため息をついた。


 小半刻(約30分)程経って、フレイがもそりと動いた。薄目を開けてうーんと伸びをして、目を軽く擦り、口元に手を当てて欠伸をした。


 アルスと目が合い、一瞬固まった。一部始終を見ていたので少し気まずくなり、つい目を逸らしてしまった。


「……調子はどうだ?」


 靄の壁に目を向けながら様子を窺うと、フレイはうん、と小さく返事をした。


「うん、身体が軽くなったような気がする。痛みも無いし、大丈夫みたい」

「オーブを受け入れられたのが救いだったな」

「あ、そのオーブ、あなたの血で作ってなかった?」

「……見てたのか」


 アルスはゆっくりフレイを起こした。竜騎士は軽く腕を回したり、身体を捻らせたり、足を屈伸したりして、己の容体を確認すると、「うん、大丈夫」と呟いて振り返った。


「ありがとう、アルス」


 その笑顔はアルスの鼓動を速めた。何と返せばいいかわからなくなり、咄嗟に返した言葉も「おう」で終わってしまった。


 シーナも安堵して、ふう、と鼻を鳴らした。






 アルスはヴィルヘルの外の様子をフレイに話した。こくこくと頷くも、表情は険しかった。


「ホーリアにいるみんなが心配ね……。でも、このまま向かおうとしたら、アルス死んじゃうよね」

「……シーナの上で消失してるだろうな」

「何か方法は無いかしら……」


 顎に手を当ててうーんと唸りながら考えるフレイ。アルスの中で気まずさが増していく。


「……俺を置いて行ったらいいんじゃないか?」


 え、と竜騎士は顔を上げる。少しだけ見つめ合う。


「それは……やだ」

「何でだよ……」

「だって、ひとりじゃ次は……本気で死んじゃう」


 手を降ろし、しゅんと俯いてしまった。バルドの見えない力に相当怯えている。何もできずに闇の鎖に囚われてしまった事を悔やんでいるのか。それとも、そうなってしまったことへの自己嫌悪か。


「バルドがあんなにも恐ろしい魔導士だったなんて。姿は小さくでしか見てないからはっきりとはわからないけど、でも……あいつは……私では絶対無理」


 すっかり自信喪失というか、奴から逃げたい気持ちが先行していた。わからんでもない。俺だって奴から仕掛けてこなければ放っておきたいくらいだ。


 ふたりで途方に暮れていると、シーナが喉を鳴らした。音からして警戒、威嚇に近いものだった。見ると、ジンブツがひとり、こちらにゆっくりと近づいてきていた。アルスはその相手が誰かすぐにわかった。


「シェイドだ。ちと降りるぞ」

「え?ええ……」


 きょとんとした竜騎士を置いて、アルスはシーナから降りた。大股でシェイドに近づき、挨拶も交わさずアルスはこれまでの経緯をざっくり一方的に伝えた。


 シェイドなら、この難題を突破させてくれそうな知恵を持っているはずだ。そんな確信があった。


「……なるほど。だから靄が国を覆ったんだね」


 腕を組んで、納得したようにひとつ頷くと、口角を少し上げた。


「あるよ、突破口。でも、季節の変わり目の嵐を抜けなければならないんだけど、それでも行く?」

「……教えてくれ。ホーリアヘ近づける方法を!」

「ん。じゃあ、そこの竜騎士さんも一緒に聞いてもらおうかな」


 ふたりはシーナに近づいた。フレイが降りてくると、警戒心を解かない相棒の鼻面を撫でてから振り返った。


「えっと……アルス、そちらの方が……?」

「初めまして、竜騎士殿。シェイドといいます。アルスの兄です」

「お……お兄様……!どおりで似てると思った……」


 がたいの良い立ち姿だが、背は風の国ヴェントルの王ウォレスよりも大きいのではと思うほどだ。アルスも十分に背が高いヒトだと思っていたのに、こうやって並ばれると不思議と小柄に見えてくる。


 ふふ、と小さく笑うその声は少し高めで、不思議と包容力を感じさせる。シーナも敵ではないと認識したらしく、ため息をついた。


「あ、私はフレイといいます。こちらはシーナです」


 とりあえず紹介すると、シェイドはよろしくね、と微笑んだ。


「じゃあ本題に入ろう。アルスが消失しないでホーリアヘ近づく方法だね。……ふたりは天空界の大陸の特徴を知ってるかな?」

「特徴……?私はずっと地界で育ってきたからわかりません」

「俺も知らん」

「あら……そっか、アルスに教えてなかったか。ごめんよ」


 シェイドは軽く謝ると、こほん、と咳払いをした。


「天空界の大陸の真下は、その属性を持たないんだ。……言ってる意味、わかる?」


 えっと、とフレイが呟く。アルスも一瞬首を傾げたが、すぐにピンときた。


「地界の空気も属性の影響が無ぇよな。それと同じってことか」

「そう。空の国は自国を覆うように主属性の波動を常に放っている。波動の届く範囲はどの国も同じだから、ある程度離れたら波動の効力は無くなる。けれどもその波動は国の大地の真下にだけはいかないんだ。なぜかは知らないけどね」


 フレイがなるほどと頷いた。シェイドは続ける。


「で、今は聖なる波動がヴィルヘルに届くほど強くなっている。だから危険を察知して国防機関が守りの靄で国を覆った。出入りは変わらず出来るけど、私たちが今の状態で国を出る場合も、ここの真下から地界へ降りる感じになるね」


 ここ、と言う時にシェイドは大地を指差した。


「あの、ヴィルヘルの真下ってどこの国なんでしょう?」


 素朴な疑問をフレイが投げかける。シェイドは首を横に振った。


「それは私もわからないな。真下の出口使ったことないし。レジェーラント大陸外かもしれないし、海かもしれない。けど、飛竜に乗って降りるなら、着地の必要はないでしょう?地界の空間に入れば、ホーリアの真下を探して上昇すればいいわけだし」


 確かにそれはそうですね、と竜騎士は納得していたが、『ホーリアの真下』の目印などあったか?とアルスは眉をひそめる。


「目印は無い。でも、飛竜ならわかるはず。彼らは目が良いからね」


 シェイドはシーナを一瞥した。フレイが振り返ると、飛竜は目を閉じて鼻先を竜騎士に優しく押し付けた。フレイは額を撫でた。


「……この国の真下の出口から一旦地界へ降りる。ホーリアの真下から天空界へ戻る。その後はどうすんだ?この波動ならバルドも屠られていそうだが」

「レントたちを見つけて、簡易テントのある浮島へ避難しましょう。アスール様がハヌスと対話をした場所なの。ホーリアからはそこそこ離れているけど、この波動の力だとやっぱりダメかしら……」


 浮島へ一旦避難することはアルスも賛成だ。地界へ降りるにも、バルドとの死闘で体力を消耗している状態で猛吹雪の嵐に突っ込むと、凍死するリスクが高い。しかし、フレイの懸念はアルスにもあった。が。


「……行こう。とにかくあいつらと合流しよう。俺のことはいいから」


 フレイはいろんな方面から考えてくれているが、俺のことよりもレントたちを優先してくれ、とアルスは重ねて言った。でも、とフレイの表情が曇っていたところへ、シェイドが何か差し出してきた。


「これをシーナの背の角に着けさせてもらえないだろうか?アルスの持つ耐性と合わせれば、消失は免れるはず」


 それはアメジストで作られたバングルだった。アルスの乗る位置に着けることで、目には見えない闇のヴェールが守ってくれるらしい。


「肌を火傷してしまうかもしれないけど。肉が溶けるかもしれない。でも、何もしないよりはずっとマシかと」

「そう……ですね……お借りします。ありがとうございます」


 フレイはバングルを丁重に受け取ると、早速シーナに飛び乗った。そう待たないうちに戻ってくると、シーナはゆっくり動き出し、それから飛び立った。


「先にヴィルヘルの真下に行ってもらったわ。私たちも真下への出口へ向かいましょう」

「ああ。じゃあ……案内してくれねぇか、シェイド」


 アルスの故郷ではあるが、出口の場所は知らなかった。シェイドは快く引き受けてくれ、急ぎ足で向かった。


「無事に仲間たちと地界に戻れることを祈ってるよ。気をつけて」


 別れ際、シェイドの言葉にフレイは心にじんとくるものを感じた。必ずみんなを助ける。イルムの無事を確認する。みんなと地界へ戻る。誰ひとり欠けることなく。


 フレイはお礼を述べながら強く頷いた。






 出口から飛び降りると、すぐにシーナの背上に着地した。バングルが引っ掛けてある角のそばにアルスが騎乗したのを見て、フレイは降下を命じる。真っ直ぐ降りて分厚い雲に突っ込む。轟音と吹雪にしばし耐え、やがて抜け出すも、猛吹雪は止むことを知らない。降下から水平飛行に移る。眼下の景色は海だった。


「シーナ、ホーリアの真下を探して!」


 こんなにも視界不良の中、フレイは無茶とも言える指示を出した。相棒はぐぅ、と了解の意の声を上げると、少し頭を上げて上空の様子を窺い始めた。いつ上昇してもいいように、アルスは角をしっかり掴んだ。


 吹雪が頬を、手を、凍らせようとしてきたところで、シーナが熱を発した。身体の表面が凍りかけていたらしい。その熱でかじかんでいた手が和らいだ。


 飛竜が小さく鳴いた。しっかり掴まって!と叫んだ直後、垂直に急上昇した。再び分厚い雲に突っ込んで、そして抜け出した。ホーリアの大地は広大だった。シーナは垂直から平行飛行へ変えた。真下から外れないように、慎重に飛行する。


「アルス、大丈夫?」


 フレイは前を向きながら様子を窺う。ややあって、低い声で「ああ」と返ってきた。


 天空界は静かだった。少しずつ旋回しながら上昇する。小さな浮島を見つけるたびに、レントたちがいないか確認するが、なかなか出会えなかった。


 そして、聖なる国の地の裏が視界いっぱいに広がろうかというほど近づいた時、グリフォリルの集団がこちらに近づいてきた。シーナにホバリングを指示し、目を凝らしてみると、ポセイルの騎士たちだとわかった。


「フレイ様!ご無事ですか!?」


 ひとりがシーナのすぐそばまでグリフォリルを近づけた。フレイは大きく頷いた。


「皆さんもご無事ですか?」

「はい、なんとか!しかし、レント様たちとはぐれてしまいまして……」

「私がレントたちを探してきます。皆さんは一旦あの浮島へ向かってください!」

「承知しました!お気をつけて!」


 そんなやり取りを、アルスは隠れるようにして聞いていた。グリフォリルたちが去った後、シーナは前進した。フレイは前方を、アルスは後方を確認する。真っ白過ぎて、方向や距離の感覚を失いそうだ。


「あれ……アルス、あそこ!」


 フレイが何かを見つけた。指差す先には浮島。ヒトらしき姿が複数見えた。そこから飛び上がったのはグリフォリルか。こちらに向かってきた。


「アルティア!」

「フレイ!?」


 なんで?と幻獣は驚いていた。フレイは手短に事情を話し、それからレントたちの安否を聞いた。


「あの浮島にみんないるぜ!ヘイレンがちりょーしてる。レントが大ケガしちまってて……」

「シーナ、向かって!」


 飛竜は大きく羽ばたいて加速した。その刹那、アルスはバルドの気配を感じ取った。近づいてくる浮島の少し先に、皆には見えない、俺にしか見えていない黒い靄が横に伸び始めている……!


 アルスはふと手元に視線を落とした。シェイドのバングルがシーナの角にハマっている。それをさっと外すと、自分の左手に着けた。ゆっくり落ちないように、よじ登るようにフレイに近づいた。


 あと少しで浮島に着地できるという時に、靄が開眼のごとく広がった。シーナが咄嗟に火を吐いた。黒い塊はそれを吸収すると、ぬう、と悍ましい手を伸ばして、竜騎士を掴もうとした。


「ひっ!」


 フレイは尻もちをついた。シーナから落ちはしなかったが、黒い塊は彼女を飲み込もうとした。


「ああ!」

「フレイ!」


 アルティアの悲痛な叫びと、浮島でレントを治療していたヘイレンの叫びが重なった時、黒い塊は突如吹っ飛ばされた。


「うそ……アルス!?」


 フレイの目の前で、アルスが黒い塊に体当たりし、共に落ちていった。黒い塊はあっという間に小さくなって見えなくなる。


「アルスうううう!!」


 と叫びながらアルティアが追いかけに行ってしまった。あまりにも突然でフレイは頭が真っ白になり、しばらく動けなかった。


「フレイ、大丈夫!?」


 ヘイレンの呼び声で我に返る。シーナは浮島に着地しており、目を覚ましたレントが歯を食いしばってよじ登ってきたところだった。傷だらけの腕や足、血に染まった腹部にギョッとした。


「ヘイレンを」


 レントは背上に着くと、シェラを背負うヘイレンに手を伸ばす。フレイも同じようにして、青年の手を掴んだ。それを見たレントはシェラを掴み、一気に引っ張り上げた。


 皆シーナに乗れたところで、飛竜はゆっくり浮島を発つ。フレイは迷っていた。アルスの後をアルティアが追っていったが、すぐに向かうべきか。それとも一度簡易テントの浮島へ皆を降ろして向かうか。考えている時間など無いはずなのに、仲間を助けに行くのは当然だろうと思っているのに、私は何を悩んでいるの?


「向かえばお前が狙われる」

「そうかもしれないけど、アルスを放ってはおけないじゃない。ホーリアの真下から外れてしまったら……」

「そこはあいつもわかってんだろ。アルティアが後を追ってんだ、多分大丈夫だろ」


 フレイはレントを見た。ヘイレンが後ろから治癒の魔法を出しているが、レントの表情は辛そうだった。


 アルスは無事に帰ってくる。そう信じて、フレイはシーナに命じた。


「簡易テントのある浮島へ向かって」


 シーナは2、3回羽ばたいた後、グルルと同意した。






 フレイを襲おうとしたバルドと一緒に落ちていきながら、首を絞め合っていた。


「ぐっ……」


 老魔導士のくせに膂力もある相手の鳩尾に、アルスは渾身の力を拳に込めて一発お見舞いした。


 がはっ!と喀血し、バルドの手がアルスから離れた。顔面に降りかかってきたのを避け、その勢いで首を掴んだ腕を振り回す。全身に魔力を行き渡らせると、空を()()()


 うっすらと見える聖なるヴェールがもう目の前だという時に、バルドが抵抗してきた。アルスの腕を掴むと、氷魔法でそれを凍らせようとした。アルスはもう一度鳩尾を、今度は膝蹴りを入れて阻止する。


 バルドと目が合った。その刹那、互いに赤目を光らせる。身体が痺れて硬直した。バルドの方が先だったようだ。


 アルスの手を引き剥がすと、バルドはアルスの()()を取り込み始めた。魔力を、血を、生命力を。あっという間に意識が薄れていく。……死んでたまるか!


『失せろ』


 バルドはアルスから吸収した力を一つの大きなオーブにして、放った。吹っ飛ばされてヴェールを突き抜けてしまった。皮膚が、身体が熱される。


「あああああ!!」


 終わった。と思った瞬間、アルスの身体が何かにぶつかった。両腕をがっちりと掴まれると、顔がもふもふの毛に埋もれた。


「んん!?」


 何が起きたのか理解するまで少し時間を要している間に、グリフォリルが咆哮し、バルドに突っ込んでいった。


 とてつもない速さだったのだろう。バルドはアルティアの頭突きに対抗する間もなく吹っ飛ばされていった。当たった瞬間、ミシッ、バリッ、ゴリッと、それはもう聞くに堪えない音が幻獣を伝って響いていた。


 バルドはヴェールを越えて、音もなく姿を消した。


 アルティアはアルスを鷲の前脚で掴みながら上昇した。レントたちと避難した浮島まで戻ってくる。フレイたちの姿がない。安全な場所へ避難したのだろう。


 浮島に着地すると、アルスを掴んでいた前脚を広げた。そっと横たわらせようと思ったのにどさっと落としてしまった。案の定、アルスは声を漏らした。


「あっ、ごめん」

「雑だな相変わらず……」

「そ、そんなつもりじゃなかったんだぞ!そぉーっと……が下手くそなんだよ俺は!」


 なぜか逆ギレしてしまったが、ぐったりとして動かないアルスを見て不安になった。尻尾を巻いて、耳をアルスにピンと向けて様子を窺う。胸が上下に動いているし、呼吸の音も聞こえる。薄目を開けていて、びっくりして顔を上げた。


「何だよ、死んでねぇぞ」

「びっ……くりした……なぁもう。てか、聖なる力をモロに受けたのに、生きてるって……」

「これのおかげだ」


 アルスは左肘を曲げた。手首に紫色のバングルがはまっていた。コイツがアルスを守ったらしい。


「よかった……死んでなくて」


 アルティアはホッとして四肢の力が抜けた。じわじわと頭に痛みが侵食してきた。でっけぇたんこぶができたかな……。


「アルティア……助かった。ありがと……な」


 のそのそと身体を引きずりながら、アルスはアルティアの前髪に触れた。不思議なことに、痛みがすうっと和らいでいき、そのまま少し意識が飛んだ。




          * * *




 その後、日が暮れる頃にフレイがレントを連れてアルスを回収した。アルティアは自力でシーナについて行ったらしい。


 聖なる力は衰えてきたのか、ホーリアの真下を離れても痛みを感じる事はなかった。バングルの効果もあっただろうが。


「てか、アルスはどーする?ホーリアヘ行くんなら寄るけど……」

「行かねぇ。行ったところですることねぇし、そもそも近づいたら死ぬ」

「ダヨネー」


 目の前の浮島でさえも、着地したら肌が火傷をするレベルだ。……シーナからアルティアへ乗り換えるのに、一度降りなきゃなんねぇじゃねぇか。


「アルティア、シーナの横に来てくれ。浮島には降りたくない」

「あ、オッケー」


 シーナはアルティアの様子を見つつ、乗り移りやすいように少し体勢を変えた。親切な飛竜に、アルスは「ありがとな」と愛撫した。


 スムーズにアルティアへ乗り換えた時、ふと近くにヘイレンが立っていたことに気がついた。


「ポルテニエに帰る?」

「……ああ。ヘイレンはホーリアの様子を見にいくんだろ?気をつけてな」

「うん……ありがとう。どうなってたか知らせに行ってもいい?」


 別にいらねぇけどな、と思ったが口には出さず、「好きにしろ」とだけ言って、アルティアに行けと指示を出した。幻獣はヘイレンに「じゃっ!」と元気よく挨拶してから地面を蹴った。

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