幕間-5
王宮都市ダーラムに、マクトゥーモはグリフォリルに乗って来ていた。
地震が治まり、ポルテニエに海が戻ってきたと知った後、都長宛に依頼書が届いた。ラウルを拘束しダーラム城の地下牢に収監、コア族の長と共に彼の処罰を協議せよ、とのことだった。
副都長が困っていたので、マクトゥーモは代わりに行こうかと提案した。副都長は、レントの代理でマクトゥーモが赴く旨をしたためた書を彼に託した。
大きな怪我もなく、消耗していた体力はすっかり元通りになり、核の状態も良好との診断が下り、ルーシェから外出の許可を得た。
「ここからグリフォリルでまでは半刻(約1時間)もかからないと思うわ。地下牢へは城の門番に聞けば案内してくれるはずよ」
「わかった。ありがとう、ルーシェ。いろいろ世話になった」
「いいえ。たいしたことなくてよかったわ。……で、レントに共鳴で知らせた?」
「まだ。向かいながらでもいいかなって」
確かにそうね、とルーシェは微笑む。黄玉の女性はなぜこうも眩しくて美しいのか。つい見惚れてしまう。
「早く行きなさいよ?お父様を待たせてはいけないわ」
「あ、ああ、そうだった。じゃあ行ってくる」
マクトゥーモは慌てて厩舎へ駆け込んだ。
そうしてダーラムに入り、いつぶりかわからないくらいにお父様と対面した。
「そうか、レントはフレイ殿とアスール王の護衛に。マクトも無事で何よりだ」
「なんとか……」
マクトゥーモはそれ以上言わなかった。ヴォンテとエルビーナの死は、報告しなくてもお父様は知っているからだ。
「では参ろうか」
お父様の後にマクトゥーモは続いた。そのさらに後ろには、お父様の側近がふたりついてきていた。
地下牢はひんやりとしていた。水脈が近くにあるのだろう、流れる音が心地よく響いている。少し湿り気のある廊下の最奥に、魔封じの術が施された牢獄が見えた。その出入口に半獣の騎士が立っていた。
半獣はお父様を認めると、最敬礼をした。
「苦労かけたな、ガロ殿。其方に怪我はござらんか?」
「……はい、私は何も」
「それはよかった。……して、ラウルの状況は?」
「はい……こちらで……ずっとあのままです」
牢獄を覗くと、後ろ手に拘束されたラウルが、首を垂れて跪いていた。
「……開けてくれんか」
「はっ。少々お待ちください」
ガロは牢獄の施錠を解いた。お父様はゆっくり入ってラウルの前にしゃがんだ。手を肩にかけ、反対の手でラウルの顎を上げた。マクトゥーモはぎょっとした。
「ラウルの……眼が……」
「……うむ」
美しい瑠璃色だったはずの眼は、瞳孔との境目もなく真っ黒だった。闇毒は抜けたものの、核そのものが汚染されて黒石へと変わり、取り返しのつかない状態になっていた。
核が黒石に変われば、魔力はもちろんラウルの自我も失われる。お父様の向かいに座る罪ニンは、もはやただの『ニンギョウ』である。
「ラウルの罪ですが……まず、ポルテニエに対する大干魃被害。こちらは幸い死者はおらず、町も元通りになったということで、刑は軽くなる見通しです。もう一つはエルビーナの殺害という、極刑に値するほどの罪を犯してしまっていますが……」
ガロは一旦息を吐いた。このような報告を仲間にさせるなど、ラウルはとことん罪深い奴だとマクトゥーモは密かに思う。
「然るべき罰を与えよう。この場で。今から」
「今!?」
ガロとマクトゥーモは同時に叫んだ。
「マクト、報告書の準備を」
「あ……はい!」
慌ててポーチから羊皮紙とペンを取り出す。ペンの先を少し温め、羊皮紙に『記録』と書く。それを己の魔法で燃やした。火にペン先をあてて念じると、それが包み込まれた。
ビー玉のような丸い物体の中に火が灯っている。これから行われる事が、この玉に記録されるそうだ。実に興味深いと、ガロは見守った。
「準備できました」
「ん、では始めよう。……ラウル」
一瞬時空が歪んだように感じた。ガロは額を押さえた。じわじわと、身体を何かが這ってきている感覚が気持ち悪いが、じっと耐えた。
「あ……お……」
ラウルはようやく、目の前のジンブツの気配を感じ取ったようだった。『お父様』はラウルの胸に手を当てた。その刹那。
「うあ!」
ずん、とラウルが反り返った。ガクンと顔が後ろに倒れる。『お父様』が手を当てたままゆっくり立ち上がると、ラウルは跪いた格好のまま浮き上がった。
魔力の流れる音、骨がミシミシと鳴る音が、ガロの耳に痛く刺さる。前脚の力が抜けそうになる。少し開いて前屈みになった。
ばきん!と盛大に骨の折れる音がした直後、真っ黒な塊がぬるりと取り出された。それを『お父様』が、その大きな手でしっかりと掴んだ。
あれが、ラウルの核。ガロは我が目を疑った。
ラウルの身体がどさりと落ちた。血を流し、骨を見せ、目は見開き口から泡を吹いている。……今度は後肢が脱力しかける。踏ん張り直そうとして、石畳がゴン!と叫んだ。
「ラウルの核を取り除いた。この身体は数刻もしないうちに朽ち果てる。死体同様のものだ、土葬なり火葬なり、執り行ってくれんか」
「……し、承知……致しました。早急に行います」
「この核は命の湖に沈める。水流で磨かれ、洗われた暁には、瑠璃色の輝きを取り戻すであろう。ラウルにはその地獄を生き、己を磨き直してもらう。それがコア族が課すラウルへの罰だ」
そう言って、『お父様』は核を懐にしまい込んだ。それから片手をあげて合図を送ると、マクトゥーモは『記録の玉』に手をかざした。玉の中にあった火が消えた。
発汗が著しく、汗が腹を伝い、石畳にシミを作っていた。一歩動けば四肢がくず折れそうなほど、ガロは驚き慄いていた。
目の前で、ラウルは処刑された。
牢から出てきたお父様は、ガロの前で立ち止まった。お父様はやや俯き加減で、顔を曇らせていた。
「……すまなかった。突然このようなことをして。あのまま審判を待っていたら、ラウルは本当に魔物と化していた。黒石は魔物の心の臓と同じ素質である故に、時間が無かったのだよ。……辛いところを見せてしまった」
「……ラウルは」
ガロの声が震えている。蹄のズズッ、と小さく擦れる音がした。
「……死んだ……のですよね……」
弓の名手として、風の国の弓隊長に君臨していたラウルは、これから先も共に国を守っていく最高の相棒だと確信していたのに。それが今しがた、その命が潰えた。
「いいや……先ほど申し上げたように、この核に瑠璃の光が戻れば、ラウルもラウルとして再びこの地に立てるだろう」
ガロはハッとしたが、すぐに困惑した顔になる。
「コア族は……核が壊れない限り生き続ける種族だと認知しておりますが……身体を失ったコア族は、核さえあれば『死んだ』わけではないのですか?」
「……左様。我々の核は心の臓であり、魂である。身体が無くても、その核の主であり、核という姿で生き続ける。……ラウルの身体はそこに朽ち果てておるが、『命』はここにある。今は自我を失っているが、この漆黒の瑠璃が美しい瑠璃色に蘇れば、ラウルも自我を取り戻す。身体もまた生まれ変わる。そうなるまでには相当な年月を要するがな……」
改めてコア族の『命の定義』を聞いたが、やはり不思議な一族だなと、マクトゥーモは自分もコア族のくせに思い耽る。
「……いつか、ラウルがラウルとして戻ってきたとして、彼に我々の記憶はあるものなのでしょうか?所謂『新しいラウル』として、記憶も無くなるのでしょうか?」
弓の名手であること、それゆえに風の国の弓隊隊長に就いていたこと、ラウルを慕う多くの仲間がいるということ……。その記憶が失われていたら、皆きっと心が苦しくなってしまうだろう。半獣の騎士はそう訴えた。
「……記憶は基本的には失われる。しかし、過ちを犯したことへの戒めとして、その記憶を残すこともできる」
エルビーナを殺害した、大干魃を起こした、という記憶なら残すことができる……。ガロは「そうですか」と落胆した声で呟いた。
ラウルには、親しくしていた仲間が、友がいたという記憶を継承しておいて欲しい。そう願いたかったが、叶わぬものなのか……。
「……そろそろよいか。コア族の故郷に戻らねば」
「……お引き止めし、申し訳ありません。もう一つだけ……お願いします」
お父様はうむと小さく頷く。ガロは姿勢を正すと、一息ついた。
「ラウルがラウルとして蘇り、またこの地に戻ってくるまで、我々は何年、何十年と待たなければならないと思うのですが……生きているうちに戻ってくるのでしょうか?」
お父様と半獣の騎士は、しばらく見つめ合っていた。やがて、お父様は口を開いた。
「それはラウル次第だが……戻るなら早く戻れと、私も言うつもりだ。何せラウルは、地の賢者であるからな……。しばらくは私がこの精霊を預かることになる。私が侵されない限り、大地の崩壊はない」
「賢者の交代、継承はない、ということです?」
ついマクトゥーモは口を挟んでしまったが、お父様はガロを向いたまま頷いた。
「地の賢者を継承できる者がおらんからな。……この精霊を宿す資格のある核は瑠璃。瑠璃はこの……ラウルの核のみなのだから」
だから蘇らせねばならないのだ、とお父様は言った。
随分と長話を強いてしまったとガロが陳謝すると、『お父様』は首を横に振って構わんよと微笑した。コア族たちが去った後、ガロはダーラム城の騎士たちを召集し、これまでの出来事を話した。
彼らは言葉を失って唖然としていたが、やがて牢獄に残された遺体を然るべき場所へと運んだ。
全て片付き、ガロはダーラム城を後にした。風の国へ戻る足取りはとても重かったが、マクトゥーモから受け取った『記憶の玉』を複製したものをウォレス王に届けねばと、気合いを入れて駆け出した。




