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第5章-4

 エールがアルスを聖なる力から離して戻ってきた瞬間、強い衝撃が身体を伝っていった。


 ポセイルの魔導士たちがそれに耐えきれず、吹っ飛んでいった。氷と聖なる力で作った壁にも亀裂が入った。ライアを模した霊体は、彼女の力をもコピーしているのだろうか。


 シェラは槍を突き出したり薙ぎ払ったりして氷の刃を放った。ヘイレンは壁の修復に魔力を注いでいたが、少し光が一瞬弱まって、また強くなってとムラが出ていることに気がついた。


「これ……まずいな」


 このバリアを解いた瞬間、2体の霊体のうちライアでないほうに突っ込んでいくか……とシェラは覚悟を決めた。


 亀裂はまもなく地まで走りきり、壁を壊すところまできていた。シェラは氷の攻撃をエールに任せて、ヘイレンに近づいた。


「限界だ、これが壊れたら奴に突っ込む。ライアの霊体を……とめて。どんな手でもいいから」

「……わ、わかった」


 この時シェラはヘイレンの微妙な変化を察知し、確信した。自分自身でも幾度となく感じたことのある気……。


「一回思いっきり魔力を放つんだ。魔漏症(まろうしょう)になりかけてる」

「え?別に痒くないんだけど……」


 ヘイレンには、兆候として身体の内側が痛痒く感じたら気をつけてと伝えていた。だが、それは発症寸前の状態で(と言っても魔力を溜めて放つまでの猶予はある)、初期症状は魔法の変化だ。


 持続して魔法を放っていたのに、一瞬弱くなっては元の強さに戻る……単に魔力を使い過ぎて減っているのと違うのは『魔力にムラがあるかどうか』である。


 自身で気づくのは難しい。シェラも感覚を掴むまで苦労した。何度父親に言われて対処しただろうか……。


「魔法にムラがある。それが初期症状」

「ムラ?」

「変わらず出してるつもりだろうけど、バリアの光がゆっくり点滅しているように見えるんだ」


 ヘイレンは周りを警戒しながらバリアを眺める。光が弱まった時に亀裂が伸び、強くなった時に少し修復されるも、また亀裂が走っていく。


「ムラ……なんとなくわかったけど、でもなんで魔法を出しているのに?」

「ヘイレンは使い続けると発症するタイプなんだ」

「ええ!?」


 驚きのあまり、ヘイレンは力を弱めてしまった。バリアが無くなりそうになったのを、シェラが自分の魔力で補った。その刹那、再び強い衝撃に見舞われ、シェラはバランスを崩した。が、それをヘイレンが支えたので、なんとか持ち堪えた。


「杖にありったけの力を込めて!放った後は僕がなんとかするから!」


 ヘイレンは言われた通りに杖に集中して魔力溜めた。足の先から頭へと、ぞわぞわと何かが走っていった。杖自体が白く光り出し、光玉がずんずんと大きく成長していく。


 ヘイレンは目標を定めた。突然、前方の木々の向こうに霊体が2体、並んでいるのが見えた。ひとつはテラ・クレベスで見たやつ……つまりはライアを模したもの。それは氷の刃を壊すことに必死になっていた。もうひとつは逞しい腕を持ち、巨大な斧を薙ぎ払おうとしていた。こいつが強い衝撃を断続的にお見舞いしてきているのだと察した。


「うおおおおおあああ!!」


 ヘイレンは雄叫びをあげた瞬間、バリアが壊れた。とんでもない波動が来ると直感したシェラは、おそらく吹っ飛ぶであろうヘイレンを受け止められるよう構えた。そして……。


「うわっ!」


 轟音と共に聖なる光線が、杖を中心に全方向に放たれた。ヘイレンは後ろにひっくり返った。シェラは構えもむなしく後方に吹っ飛んだ。咄嗟にフィリアを召喚して受け止めてもらうも、一緒になって更に彼方へ飛ばされた。


 聖なる波動が樹海を覆い尽くしていく。フィリアにしがみつきながら、シェラはその光景に戦慄していた。


 やがて波動は消えながら樹海の木々を全て洗っていった。黒く(もや)っぽかった森は、緑色を湛えた美しいそれへと変わっていった。きゅう、とフィリアもつい鳴くほどに、樹海が()()()()()()()


 戻ろう。シェラはフィリアの背に移動して、降下を指示した。大鷲はゆっくり羽ばたきながら、ログハウスを目指した。水色の光がぼんやりと見える。エールが場所を示してくれていた。


 再び樹海へ降り立ったシェラは、エールに駆け寄った。氷狐はぐったりとしていたヘイレンの額を冷やしていた。シェラは鼓動を確かめた。……かなり速い。次に首に手を当てる。……熱い。だから冷やしていたのか。


 ややあって、魔導騎士たちがぞろぞろと集まってきた。吹っ飛ばされた後、皆その場で身を守っていたらしく、重傷者はいなかった。


 しかしながら、皆疲労困憊の様子だったので、シェラはポセイルに帰還するよう伝えた。騎士たちは申し訳なさそうな顔をしながらも、一礼して樹海を後にしていった。


 一息ついて、シェラはエールからヘイレンを預かり、氷の魔法を額に当てた。その間に、エールには周囲を確認してもらう。


 澄みきった空気。樹海ではありえなかった光景に、警戒心が緩みそうになる。


 と、エールが一方を注視した。耳がぴくぴくと動いている。音を掴んでいる証拠だ。いつでも守りの壁が作れるように魔力を確保した。


『きゅーう?』


 氷狐は尻尾を振って鳴いた。ややあって『くぅーん』と狼の鳴き声が返ってきた。


「ああ、アルス!無事でよかった……」


 ヴァナが姿を見せると、エールは狼の顔を一瞬抱きしめた。アルスの表情は硬いままだった。


「……この空気、アルスには毒?」


 何せ聖属性の波動である。アルスでなければ消失していいレベルだ。となると、バルドはおそらく葬られているかもしれない。


「……バルドを見たか?」


 話を変えられたが気にせずシェラは首を横に振った。


「いや、見てない。アルスは見たの?」

「屠ったと思うんだが……」


 歯切れの悪いアルスに、今度は首を傾げた。詳しく聞くと、アルスはエールと別れた後、ヴァナと霊体に近づき様子を窺っていたところ、背後からバルドが襲ってきたらしい。身体を真っ二つにした……らしいのだが、その瞬間バルド自体が消えたそうだ。


「魔導士が死ぬ瞬間で『突然消える』ってパターンなんか、聞いたことないな……」

「じゃあやっぱり逃げられたか」

「だとしても、真っ二つにしたのなら、逃げた先で事切れていてもおかしくはないけど……どんなものでも糧にしてしまえるくらいの、異次元な肉体を持っているだろうから……わからないね」


 魔導士の寿命をはるかに超えた、一筋縄ではいかないジンブツだ。そんな老魔導士が霊体を蘇らせて何をしようとしているのか。今のところ、ヘイレンを屠るためとしか思いつかない。


「他の騎士たちはどうした?」

「ポセイルに戻ってもらった。結構ダメージ受けていたし、魔力切れも起こしていたからね」

「……樹海が晴れたのは、ヘイレンの魔法だよな」

「うん。魔漏症になりかけてたから、放出してもらったらこれだよ……。吹っ飛ばされたのは初めてだ」

「シェラが吹っ飛ぶって、相当だな。まともにくらってたら俺は……今頃消失してたな」


 ヴァナが見つけた窪みに入り込み、事なきを得たそうだ。シェラはアルスもヴァナも無事でよかった、と改めて安堵した。


「アルスと合流できたし、ヘイレンもぐったりしてるからポルテニエに戻ろうと思うんだけど、アルスは……」


 どうする?と言いかけたのだが、ヴァナがアルスの腕に擦り寄っていた。離れたくないのだろうなと思ったが、うっすらと発汗しているのを認めてシェラは察した。


「アルスもここを離れたほうがいい。消失してないとはいえ、ダメージは受けているはず……!」


 アルスがよろめいた。ヴァナが支えるも、アルスはくず折れてしまった。エールが捕まえ、突っ伏すのを防いだ。幻獣と召喚獣は、アイコンタクトを取った。アルスを抱えると、ヴァナは額を光らせてヴェールをアルスにかけた。


「……ありがとう、ヴァナ、エール。急いで戻らなきゃ」


 シェラはヘイレンを背負った。アルスほどの体格は無理だが、同じような体格ならなんとかなる。準備ができたタイミングで、ヴァナが先頭に立つ。緑が映える樹海を抜け、海岸沿いの途中でヴァナは止まった。


 エールがヴァナと思念を送り合うことしばし、狼は踵を返した。シェラと向き合うと、頭を下げて小さく鳴いた。紋様に手を当てるとヴァナと話ができるのだが、今は手が塞がっているので、シェラは額を当てて話した。


「アルスは良くなるよ。ただ、聖属性の力が無くならないと樹海に戻れないけど……」

『樹海、元に戻す。……魔物も、戻ってくるけど』

「それは……まあ、仕方ないよね。魔物も生きている限り、住処は必要だろうから」


 シェラは額を離した。ヴァナは甘え声を出しながら来た道を戻り始めた。樹海に消えていくまで、その場で狼を見送った。








 レントは今しがたポセイルから戻ってきたフレイと合流した。松明の火が元通りになった話をすると、彼女はよかったと胸を撫で下ろした。


「火という火、全て元通りになったのね。よかったけど……」


 フレイの声が萎んでいく。


「都で知り合いが言ってたんだが、ラウルがエルビーナをやっちまったって」

「……え?なんでラウルが?あのヒト封印されてるんじゃ……」

「あー、それな、解決したって。……ちと情報整理しようか。俺もわかんなくなってきた」

「神殿に向かいながらでいい?護衛する方と待ち合わせているの」


 フレイが歩き出したので、レントは慌てて後を追った。彼を乗せてきたアルティアもなんとなくついてきていた。


 レントはひとつずつフレイに伝えていった。


 エルビーナはラウルに葬られた。その後ラウルは封印された。ここまでは俺たちがホーリアにいた頃だったらしい。


 ホーリアから都へ戻った時、地震が頻発していた。ラウルが封印を解こうと暴れていたから。あいつはテラ・クレベスにいると知り合い……マクトが教えてくれた。行こうかと思ったが、俺はそれよりもフレイと合流したかったからポルテニエに向かった。


 で、向かっている間に事態が一転した。テラ・クレベスでラウルの封印が解けた。それをシェラがひとり止めに入っていた。


「ちょっと待って、どうしてシェラを援護しに行かなかったの?」

「アルティアが拒否ったんだよ」

「オレのせいか?」


 背後にいたことに気づかなかったレントとフレイは驚いて同時に振り返った。ばつの悪そうな顔をするレントは放っといて、アルティアはフレイに視線を向けた。


「あんな()()()()()に降りられる場所なんか無かったからな。どっかねぇかとウロウロしたんだけどな……そーこーしてるうちに半獣の騎士が走っていくのが見えてな。アルスとヘイレンが乗ってたから、まあ何とかなるだろって……」

「なんだか楽観的ね」


 アルティアの心の臓に、サクッと言葉のナイフが刺さった気がした。


「じ、実際に何とかなったんだ!静かになったからな……」


 フレイの、アルティアを見る目がじとっとしている。前脚を開いたり閉じたりする癖すら忘れるほど緊張してしまい、もふもふの体毛の奥から大量の汗が吹き出していた。


「……で、みんなは無事なの?」

「……たぶん。ダーラムに向かっていくのを空から見届けた。そこから港町に着いたら、海が戻ってきたー!って大騒ぎだった」

「それは私も驚いたわ。ここに着いた途端、景色が元通りになっていて……これってどういう?」


 フレイはレントに問いかけた。同じコア族なら何か知っているだろう。するとレントは腕を組んで眉間に皺を寄せた。


「ラウルを侵していた闇毒が綺麗さっぱり無くなったってことだ。でも精霊の解放はされていないから、あいつはまだ生きているっぽいんだよな……」

「……なんでそんな顔するの?」


 不思議そうな、不可解だなと思っている顔をしていたレントに、フレイは少しだけイラついた。ラウルが生きていたらいけないのか?そんな風に受け止めてしまったからだ。


「いや……別にいいんだぜ?生きてるってのは。むしろ良かったと思っているからな。……ただ、どうやって生き延びたんだろって。あの時の大干魃と同じ状況だなって」


 ふとフレイは、アルティアの話を思い返した。半獣の騎士に、アルスとヘイレンが乗っていた……。それからポセイルで聞いた話を思い出す。闇毒はコア族のみが取り込める、自死の為の毒。故に、(コア)を破壊するか闇毒を抜く黒魔術でなければならない……。


「……まさかね……」

「ん?」


 フレイの呟きに、レントとアルティアが同時に彼女に注目する。フレイはハッとしてぱたぱたと手を胸元の前で振った。


「何でもないわ。気にしないで」

「んなわけねぇだろ。思いついたそれを言え」


 レントはさっさと神殿へ向かおうとするフレイの腕を掴んで止めた。「ちょっと!」と睨まれたが、レントの鋭い眼差しにやや怯んだように見えた。


「あいつは……ラウルはなぜ生き延びていると思う?」


 なぜかそんな質問をしてしまったが、フレイはひとつため息をついてから口を開いた。


「アルス」

「あ?」

「アルスって闇の種族でしょ?だったら闇毒も扱えるんじゃないかなって」

「……ああ、なるほど。ラウルから取り出す力くらいはありそうだな。闇毒の塊はテラ・クレベスにでも落ちてるかもな」

「それって大丈夫なの?」

「……あんまりよろしくないな。魔物に食われてるかもしれねぇけど。あいつらにはご馳走だろうから」


 じゃあきっと大丈夫ね、とフレイは微笑して、再び歩き始めた。レントもゆっくり後を追った。……ついでにアルティアも。






 神殿に着くと、何やら騒ついていた。付近にいた召喚士に尋ねると、静養室にシェラとヘイレン、それからがたいの良いヒトとウォーティス王が入っていったと早口で返してきた。フレイは静養室の場所を聞いて先を急いだ。アルティアは厩舎に戻ると言ったので、レントはお礼を言ってからフレイの後を追った。


「護衛する方ってまさか……」

「アスール王よ。ホーリアの内紛を懸念していらっしゃったの。イルムとハヌス様と仲が良いから、仲介に入るって仰って……」

「なんだって!?……お前、ホーリアの話を?」

「ええ。私も本当は言いたくなかったわ。でも……」


 フレイは静養室の前で立ち止まった。追いついたレントが横に並ぶ。


「……王ならきっと、ホーリアを変えてくださるわ」


 レントは何も言えなくなった。王に話すことも、これから護衛に出ることも、フレイの意思で決めたことだ。外野であるレントは、その行く末を見守るしかない。


「……俺もついてっていいか?」

「……え?王には私のほかに近衛騎士を連れていらっしゃるはずよ。私はホーリアヘの往復の護衛だけで話し合いには関わらないわよ」

「にしても、お前ひとりは危険過ぎるだろ?」

「……なんか、いつかの『ついていく』って言ってきた時みたいね」


 フレイは小さく笑った。レントは少し赤面した。そうだ、『ついていく』にしても、シーナに乗せてもらわなきゃならねぇんだった……。また頭を下げなきゃならねぇのか……。


「……お前になんかあっても嫌だからな」


 レントはぼそっと聞こえないように言ったつもりだった。フレイは「なに?」と聞き返してきたが、レントは「なんでもねぇよ」と首を振った。


 フレイは黙って扉にノックして、そっと開けた。ポセイルの騎士がふたりを見て一瞬矛先を向けかけたが、王がそれを制した。


「やめ。フレイ殿だ。槍を退け」

「は!……ご無礼をお許しください、フレイ殿」

「お気になさらないでください。騎士たるもの、当然の行動でしょうから」

「……ありがとう……ございます」

「フレイ殿のお隣にいらっしゃるのは……?」


 ウォーティス王アスールはレントの気配を読み取った。都長はその場で最敬礼する。


「火の国ファイストの首都モントレアの長を務めています、レントと申します。勝手にフレイについてきたことをお許しください、アスール王」

「レント……殿。構いませんよ。貴方の立場上、この先都を空けても構わないのなら、私と共にホーリアヘ赴いてくださいませんか?」


 まさかの依頼にレントは面食らった。フレイも目を剥いている。なんなら、周りの騎士が騒ついた。


「強い力を持つ者は多いほうが心強い。正直なところ、この騎士の数では厳しいと感じておりまして。彼らも頼りになる存在なのですがね」


 気配どころかレントの力を読み取ったのね、とフレイはひとり思う。


「先ほどシェラ殿と話をしておりました。フレイ殿から聞いたホーリアの状況を、共有させていただきました」


 フレイとレントは王と、ベッドのそばに座っていたシェラの近くまで寄った。シェラの背後にベッドが2つ並んでいるが、ヘイレンとアルスがそれぞれ眠っていた。何があったのかは今聞くことではないわねと、フレイは小さくため息をついた。


「聖なる炎を戻したのは、フレイだったんだね。ありがとう」


 シェラはエーテルを片手に言った。その声は疲れていたが、顔色は悪くないように見えた。


「でも」とシェラは声を落とす。「王宮を占拠されているのは、相当まずい状況だよね。イルム様はどうなさるんだろう?勝手に闇の種族を擁護していると騒がれてしまって……」

「そうね。イルム……様も困惑していたわ。腹を括るしかないのかなとも言っ……仰っていたし。悪いのは王じゃないのに。殲滅派が元凶なのに」


 イルム相手につい敬語を忘れがちになる。フレイは言葉を選ぶことに必死になっていた。


「ハヌス様が殲滅派の主にしてこの混乱の元凶か。仮に闇の種族を殲滅させたところで、闇そのものは消えることのないものなのにね。ハヌス様自身が闇に囚われ堕ちてしまっている。そのことに気づけないのが『闇』の恐ろしさだよね」


 シェラの言葉に、本当にそれね、とフレイは何度も頷く。召喚士はエーテルを飲み干すと、テーブルに置いてあった羊皮紙に何やら書き始めた。


「いきなり訪れると交戦は避けられないでしょ?アスール様をお守りしながらだし、より一層慎重にいかなきゃならない。だから、一応……通達しておこうかと」


 召喚士が黙々と書き綴っている様子を見守りながら、フレイは自分が実は冷静さを欠いていたのではと感じていた。私ひとりでアスール様を護衛していたらどうなっていただろうか。自分の考えが浅過ぎて、甘過ぎて、恐ろしくなって身震いした。


「今、ハヌス様は投獄されてるんだっけ」


 唐突に聞かれてフレイは我に返った。羊皮紙を折りたたんで封筒に入れ、宛名を書こうとしていたシェラの空色の眼と合った瞬間、頭が真っ白になった。


「ああ。それがクーデターを起こして王宮を占拠するトリガーになっちまったみてぇだ」


 異変を感じたレントが代わりに答える。シェラはうーんと少し首を捻りながら考え始めた。


「ハヌス様の側近みたいな立場のヒトに送っとこうか……。どう書いてたら失礼にならないかな」

「そこは『通達』くらいでよろしいかと。私の側近に、そちらを届けてもらいましょう」


 アスールが提案する。シェラは「承知しました」と言ってサラッと書くと、書を側近に手渡した。側近は一礼すると、そそくさと部屋を出て行った。


「……さて、私たちも向かいましょう。武器を持たず、魔力を使わない、対話のみでこの混乱を静めましょう。ハヌスならきっと……聞いてくれるはずです」


 レントが優しくフレイの背中をぽんと叩いた。


「いつまでボーッとしてんだ、行くってよ」


 フレイは動かなかった。レントはフレイの前に回り、両肩を掴んだ。びくっと跳ねた竜騎士の眼から、すうっと涙が伝っていった。


「お、お前……大丈夫か?」

「……あ……わ、私……」


 口元が震えている。ついでに身体も微かに震えていた。これから起きることに重圧を感じているのだろうか。イルム王の安否も心配しているだろうし、この対話も無事に行えるのか不安もあるだろう。それは彼女だけが感じているわけではない。レントだって、おそらくアスール王だってそうだろう。


「……怖い」


 フレイは本音を吐いた。その声は、シェラにも王にも届いていた。王は騎士たちを先に外に向かわせると、レントに近寄った。レントはフレイから離れ、出入口付近にいたシェラの隣まで移動した。


 王はフレイと向かい合った。手のひらをフレイに見せるように両手を上げた。


「フレイ殿、手を」


 言われてそっと王の手に重ねると、王はフレイの手を握った。それからしばらく、ふたりはじっとしていた。


「……思念で会話してんのかな」


 レントが呟くと、シェラは「だろうね」と呟いた。


「……あいつ、ホーリアの生まれだったんだってよ。知ってたか?」

「……いや、今初めて知った。僕が修行で里に滞在していた頃からいたから、火の国の生まれかと思ってた。なんならカヤの妹かと思ってたよ」

「ああ……それは……そう見えただろうな。いつも一緒だったし。カヤの背中を追いかけ回してたな」

「ふふ、そうだったんだ」


 シェラはフレイの幼き頃をしっかりとは記憶していない。時々見かける程度だったので、彼女も覚えていないだろう。面と向かって話をしたのは、シェラが召喚士として光の国ルクシアへ帰った時だ。あの時は確か、竜騎士として初めての護衛任務だったか。終始緊張の面持ちだった印象だ。


「……僕は後でホーリア入りする。巡礼という形で入国して、民の話を聞いてみるよ」

「おう。んじゃ俺は、フレイに頭下げてくっかね」

「シーナに乗せて、って?」

「……ああ。都はしばらく安泰だろうし、あいつひとりはちとな……」


 レントはため息をついて己を落ち着かせた。シェラはフレイと王の様子を見守りながらひとつ頷いた。

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