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第5章-3

「あの時ルクシアで御魂送りの儀を行ったのは私です」


 ダーラムの、召喚士が集う大きな家で聞き込みをしていたシェラとヘイレンは、探していた召喚士にあっさりと出会ってしまった。紺のローブを纏った、シェラの胸元あたりまでの背丈の、小柄な女性召喚士。金色の髪は長く、三つ編みに結ってある。


「シェラはあの時、大怪我をなさってあの場にいなかったでしょう?御魂が留まれる限界の日まで待っていましたが、残念ながらあなたは現れなかった……」

「……そうか。やっぱり僕は間に合わなかったんだな。そうだよな……」

「ご報告ができず申し訳ありませんでした」


 召喚士は深々と頭を下げた。シェラは慌てて姿勢を戻させた。


「そんな……仕方ないよ。あの時は世界中大変なことになっていたし、まだ竜騎士だったから儀式があることを知らなかったし……。送ってくれてたとわかればそれでいいよ。ありがとう、カシェ」


 シェラにカシェと呼ばれた召喚士……カシェリアは、緑の眼で空色のそれを見た。


「ですが……どういうわけか、4、5年ほど前からライア様の御魂の気配を感じるようになっておりまして。本当に彼女のものなのか確信できなかったので、巡礼の合間にずっと探っておりました」

「え、そんなに前から!?」

「はい……。あの……あの事件……トア・ル森で起きた虐殺事件の前後あたりから……」


 その事件とは、風の国ヴェントル領にある森で、おとな数名が何者かに殺されたというもの。生き残ったのはこどもひとりで、オッドアイの大柄なジンブツがやったと証言していた。当時男性か女性かわからなかったのだが、今ははっきりとはんにんを特定しており、国の騎士が捜索にあたっている。


 はんにんは、バルドである。


 そこまで思い返したところで、シェラはハッとした。


「霊体を召喚……」

「え?」

「トア・ル森の事件の時点で、ライアは霊体として召喚された……かも。確か『霊体を召喚した大柄なオッドアイの男』って言われてたし」

「そんな……」


 カシェは口元を両手で隠しながら驚愕した。


「あいつなら……バルドなら霊界から御魂を呼び戻す力を持っていてもおかしくない」

「でも、どうしてライアさんだったんだろう?」


 黙って聞いていたヘイレンが口を挟んだ。シェラは少し考えた。


「彼女は生前、光の国ルクシアの神殿『カルヴァ神殿』の神官長だったんだ。光属性の魔導士で、その力は僕より強かった。魔物は彼女の光で瞬殺されてたな。その一方で、ヒトビトの傷を瞬時に癒してきた。ライアの力は偉大だったんだ」


 シェラは目を細めて天を仰いだ。純白のローブに身を包み、自分と同じ背丈ほどある杖を持って佇む姿は、それはもう美しかったな……。


「亡くなったってことは、ライアさんの(かく)は壊れちゃったの?」


 物思いに耽ってしまっていたのを、ヘイレンに引き戻された。シェラは目を伏せてひとつ頷いた。


「神殿ごと、邪神竜のブレスで。ライアの守りの壁なんか全く効かなかった。建物も、中にいたヒトたちも、跡形もなく……。そう、僕があの場所に着いた頃には、土台が少し残っていたくらいだった」

「なんてこと……」


 ヘイレンは胸元を押さえてやや俯いた。カシェも伏目になって憂いた。


「何が何でも、あの邪神竜は屠らなければならない。強く殺意を覚えたな。あの時の悲しみと憤り、怨みは相当なものだったなと、今でも思うよ」


 シェラの、握り拳が少し震えている。ヘイレンはどう宥めたらいいかと焦り始めていた。


「ごめん、話を戻すね。えっと、なぜライアだったのかだけど、たぶん、その強い魔力を持つ魔導士を横に置いておきたかったのかなって。用心棒として。なぜそんなことをしているのかはわからないけど」


 シェラは自身を落ち着かせるため、大きくため息をついた。


「私の知る限り、霊界から呼び戻された御魂というものは、前例がありません。再び御魂を送ることはできるとは思いますが、それまでにライア様の御魂が……」

「魔物属性に変わりきっているかもしれないよね」

「……はい」


 カシェはぎこちなく俯いた。アルスが『半分ライアの魂だ』と言っていたので、魂の属性が変わるのもそう遠くないかもしれない。しかし、あの霊体に接触すれば、シェラはまた囚われる。……彼女を愛している限り、それは繰り返されるだろう。


「ライアをバルドから助け出すことができればいいのかな」


 シェラの考えに、でも、とヘイレンが言う。


「あの霊体自体バルドが生み出したものだよね。バルドの意思で操れるよね、きっと」

「……ああ……そうか、そう……だろうね」

「あの……すごく言いづらいけど……あれは……ライアさんだと思わない方がいいと思う。ライアさんをコピーした霊体風の……」

「魔物だ」


 シェラはヘイレンではない、別の角度からそう言われて振り返った。最上位召喚士のヴァロアが情報誌を片手に歩いてきた。3にんとも揃って挨拶をする。


「それはライア殿と別の個体もあるようだ。これを」


 ヴァロアは持っていた情報誌をシェラにわたした。丁重に受け取ると、トップの見出しと画像を見て、それから内容を読み、驚愕した。


「……樹海の魔物が……ほぼ全滅!?」


 その個体と出会った者は幸い殺されることはなかったが、魔力を抜き取られてしまい、現在ポルテニエにて静養している、と記事は語っていた。


「この事件が起きたのは2日前。地震が繰り返し起きていた日だな。ああそうだ、ポルテニエの干魃が(おさま)ったとの記事も載っていたぞ。『突然海が戻ってきた』とな」


 シェラはカシェに情報誌をわたした。彼女が目を通している間に、ヘイレンに大体を説明した。こくこくと頷きながら、険しい顔になっていった。


「ポルテニエに残っていたポセイルの魔導騎士たちが、樹海の調査に向かっている。魔物ではない、樹海に生息する野生動物が巻き込まれている可能性があってな。特にフェンリウスが生き残っているかを調査するとのことだ。そこに加わってもらえないか?」


 この家に向かう際、アルスが樹海が気になると言って足早にガーデンを後にしていったのはこのことかと、シェラは戦慄した。アルスがひとりで別個体と遭遇していたら……。ラウルの闇毒を取り込んで復活したとはいえ、本調子じゃないかもしれない。


「樹海へ行ってきます。あと……魔力を抜き取られてしまった方から話が聞けたら聞いてきます」

「そうだな、それも頼む。……召喚士なのに、国の騎士のような仕事をさせて申し訳ない」

「そこは……お気になさらないでください。むしろ、召喚士なのに召喚士の仕事をしていなくて申し訳ありません」


 シェラが謝ると、ヴァロアは笑った。








 樹海は今までにない静けさだった。アルスは住処にしいたログハウスにいた。何日空けていたかはもう覚えていないが、特に荒らされた形跡はほぼ無かった。一ヶ所だけ、アルスがここを発つ前と違うところがあった。


 長期保存が可能な食料を保管していた箱が空っぽになっていた。ヴァナは家に入れるが、この箱を開けることはしない。『アルスの大事なもの』が入っていて、触れてはいけないものだと認識しているからだ。


 アルスは一旦家を出た。神経を研ぎ澄ませ、ヴァナの気配を感じ取ろうとした。しかし、それは掴めなかった。アルスは一息ついて、それから大声で呼んだ。


「ヴァナ!!」


 木々がアルスの声を吸収した。しん、と静まり返る。じっと待つ。足音を掴むために、目を閉じて集中する。


 少しして、アルスは感じとった。しかしそれは、ヴァナのものではなかった。短剣を取り出して鉤爪に変えて構えると、木々が作る暗闇からぬうっと姿を表した。


「……な?」


 目の前のものにアルスは唖然とする。それはヴァナと同じ狼だった。毛は顔周りだけで、肉は溶け落ち、骨と内臓があらわになっている。垂れ出た腸を引きずってよたよたと近づいてきた。


「……まさか……?」


 これがヴァナの成れの果て……か?アルスも近づき、顔に触れた。額に手を当てて、疎通を図ってみる。


 この狼はヴァナとは別の個体だった。突如現れた白いヒト型が、魔物という魔物を屠っていったという。そして、幻獣である彼ら……フェンリウスも犠牲となってしまった。白いヒト型は、彼らの魔力と血肉を吸い上げた。


 この個体はギリギリ意識を保っていたが、それももう限界だった。どさりと身体を地に落とすと、そのまま蒸発していった。アルスの手に頭を残したまま、その幻獣は事切れた。


 しかしまだ、額に手を当てたままでいた。絶命しても、何かしら負の闇が残っていれば『記憶』を読みとれる。アルスはもう少し教えてくれと念じた。


 ……白いヒト型は魔物と幻獣を葬った後、大きなヒトに吸い込まれていった。そして、樹海の奥地へ消えていった……。


 頭部が光を放って消えた。その先に一頭、見慣れた狼が佇んでいた。アルスは駆け出した。狼も少し歩いて、アルスに顔を埋めた。


「無事だったか……よかった」

『みんなが、守ってくれた』

「なんと……」

『さっきの狼が、お前だけは生き残れって……。(あるじ)のためにって』


 アルスの存在、ヴァナとの関係性を知っていたようだ。滅多に姿を見せない幻獣だが、どこかで見守ってくれていたのか。


「ほかのフェンリウスは?本当にヴァナだけになっちまったのか?」


 ヴァナは顔を上げて周りを確認した。耳をぴんと立て、鼻をひくつかせる。それは長く続かず、あっさりと耳の力を抜いて頭を下げた。


『樹海にはいない。ここから逃げ出せたモノが、いるといいけど』

「……そうか、そうだな。別のところに逃れられていればいいな……」


 アルスはヴァナの首元を撫でながら、ふと小屋に視線を移した。ドアは閉まっていたが、確実に中に入ったジンブツか何かがいる。ヴァナに聞いてもわからないだろうが、一応尋ねてみた。案の定、狼は首を少し捻った。


「やっぱわかんねえよな。逃げることに必死だっただろうし」

『……いた』

「え?」

『中に入ったヒト。黒くて大きいヒト』


 最後に白いヒトを吸収して去っていった奴か。アルスはなんとなく、そいつはバルドだろうと思っていた。白いヒトは霊体……ライアを模したあいつだろう。


『もうひとりいた。黒くて大きいヒトが入る前に。白い服のヒト』

「白い服……」


 基本的に地界のヒトビトは白い服を着ている。この小屋の持ち主はフィエドだ。様子を見に来ていたのだろうか。それでいて巻き込まれていたとしたら……アルスはゾッとした。


「フィエドかもしれねぇ。港町に行くか……」


 アルスは軽く首元をトントンと愛撫して、ポルテニエに向かおうとした。が、ヴァナがコートを噛んでアルスの動きを止めた。振り返るもヴァナは口を開こうとしない。不安と恐怖を示す靄が狼を覆っていた。


「ヴァナ……離してくれ」

『行かないで』


 悲惨な光景を目の当たりにし、一頭だけ生き残った。そりゃ置いてけぼりにされたくないか。しかし、フィエドのことも心配だ。


『連れてって』

「ヴァナ……」


 アルスは悩んだ。テラ・クレベスへは連れていったが、さすがにヒトビトの住む街へは連れていけない。フェンリウスは森の守神ともいわれている幻獣。グリフォリルと違ってヒトビトの前には滅多に現れない。ポルテニエに連れていくと大騒ぎになりそうだ。しかも、連れているヒトが、闇の種となれば……。


 ポルテニエの騎士だか誰だか様子を見にきてくれないだろうか、もしくは状況を知らせてくれないだろうかなどと、無駄な期待を(いだ)いてしまう。アルスはヴァナの額、口元……下顎を撫でてどうにかコートを離すよう宥めたが、連れていってくれないなら離さない、と意地を張られてしまった。


 そんなことをしていると、ヴァナが突然コートを離した。顔を下げて森の中を睨み、うう、と低く唸った。アルスも鉤爪を構えて警戒したが、魔物の気配ではないとすぐにわかった。アルスは狼の前に立つ。進路を塞ぐことで、目の前の相手は敵ではないと示すのだ。


「シェラ?」


 アルスは鉤爪を短剣に戻し、腰に差した。氷河召喚士は付きビトと数名の魔導騎士を連れていた。


「ああ、ヴァナは無事だったんだね。よかった」

「なぜここに?」

「樹海の魔物がほぼ全滅したって情報誌で知って。フェンリウスをはじめ動物たちの安否を確認するために、ポセイルの騎士たちと調査してたんだ。今のところ、ヴァナしか確認できてないけど……それは?」


 ヴァナのそばに落ちていた、フェンリウス()()()()()にシェラは視線を向けた。


「……亡骸だ、フェンリウスの。白いヒトが魔物と彼らを屠っていったらしい。白いヒトはその後、大きなヒトに取り込まれていったんだと」

「それもう、バルドの仕業だよね」

「だろうな。白いヒトは霊体を模したライアか……」

「この仕業、ライアとは別の個体だって。魔力を抜き取られた被害者の証言も取れたよ」

「なんだって?」


 ヴァナが言っていた白い服のヒトか。アルスは詳しく聞かせろと促した。


「被害者は薬草摘みから帰ろうとしていた療法士。ああ、ティアじゃないからね。でも、僕の知り合いでもあるヒト。彼は戦う力を持っていないから、見つからないように隠れていたみたいだけど……」


 霊体に気を取られていて、大柄なジンブツを見落としていた。療法士は突然身体が麻痺し、そのまま魔力を吸い取られていった。気を失うまで、大柄なジンブツの左眼が赤く光っていたのを見ていたそうだ。


 アルスはフィエドではなかったことに、ホッと胸を撫で下ろした。……その療法士には悪いが。


「で、霊体……ライアのほかにいたのか」

「うん。だからバルドは、2つの霊体を従えていると考えていていいと思う。何がしたいのか……」

「……それは……世界を滅ぼしたいらしいぞ」

「えっ……」


 シェラは絶句した。魔導騎士たちが少し騒つく。ヘイレンがピンときたらしく、アルスに問いかけてきた。


「もしかして、ラウル?」

「……ああ」


 闇毒を抜き取った際に見えた『記憶』を、アルスは皆に共有した。


 ……エルビーナの闇毒をほぼ取り込んだラウルは、己の矢で彼女のコアを破壊した。その瞬間、青白い光が飛び出した。それは一瞬周りを白に染めて、エルビーナの亡骸を包んだ。


 程なくして、何者かに羽交い締めにされると、魔導士に心の臓を潰されかけた。闇毒は残され、その力で世界を滅ぼせと言われた後、ラウルは意識を失った……。


「エルビーナ様の身体から青白い光?」


 シェラは顎に手を当てて首をひねる。エルビーナは火の精霊を宿す賢者だった。その光は精霊だったのだろうか。


「……あのさ、ちょっと話逸れるけど、ひとつ聞いていい?」


 ヘイレンが遠慮がちに胸元まで手を挙げた。どうしたの?とシェラが返すと、青年はラウルのことなんだけど、と疑問を投げてきた。


「エルビーナさんを殺してしまったんだよね?それってラウルは裁かれるの……?」


 シェラとアルスは互いに見合った。何と言ったらいいのかな、とシェラが目で訴えてくる。アルスは小さくため息をついた。


「シェラ、ラウルはこれまで何をやらかしてきた?」

「……ポルテニエに干魃の被害を与え、テラ・クレベスの洞窟でエルビーナ様を屠った」

「なら2つの罪で裁かれるだろうな」


 ふたりのそれぞれの言葉を受けて、ヘイレンは身震いする。


「闇毒に侵されたことで自我を失った結果、事を起こしてしまった、と少し配慮されたとしても……極刑が下される可能性はとても高い……ね……」

「そんな……」

「エルビーナ様自身が魔物と化していたのなら、『魔物を討伐した』とみなされるから、干魃の被害を与えた罪だけで裁かれると思うけど、実際彼女がどうなっていたのかは、ラウルにしかわからない。だから、彼の証言次第では……というところかな」


 生き延びるためには、エルビーナはもう魔物になっていたと証言せざるを得ないのかと、アルスは複雑な気持ちになった。『記憶』で見たエルビーナは、確かに彼女の自我があり、ラウルに愛されていて、口付けを交わしたのだ。……こんな状況を話せる雰囲気ではなかったので黙ってしまったが。


「アルス?」


 険しい顔つきになっていたのか、ヘイレンの不安そうな声に無意識に睨んでしまった。ひっ、と息を吸って身をすくませるのを見て、アルスはハッとした。


「……すまん」

「いや、ボクは……大丈夫」


 何が大丈夫なのかはアルスにもヘイレンにもわからないが、とりあえずヘイレンの身震いは治っていた。


 話がひと段落したところで、アルスはふと思い立った。


「フェンリウスの亡骸が事切れる前に教えてくれたんだが、黒いヒト……バルドは霊体を取り込んで樹海の奥地へ消えてったらしいぞ」

「そうか……」


 刹那、皆、一斉に構えた。ヴァナも再び頭を下げて小さく唸り始める。生暖かい風が、血の匂いを運んできた。アルスの背後にいた狼がくしゅん、とくしゃみをした。


「なにこの匂い……」


 ヘイレンも眉間に皺を寄せる。なんとも形容し難い匂いの中、魔導騎士たちが陣を組んだ。シェラが杖を槍に変えて匂いの元へ歩いていった。ヘイレンがそれに続こうとしたが、立ち止まった。


「シェラ!」


 突然ヘイレンが叫んだ。その声に反応した召喚士は、アルスたちやログハウスを囲むように、ドーム上に氷の壁を張り巡らせた。それを見てヘイレンが杖をかざすと、その先から白い光が壁に向かって放たれた。反射して眩しい光に包まれ、アルスは縮こまった。


 ヴァナはアルスを屈ませると、跨いで狼の足元にアルスを置いた。額を光らせ、周囲を紺の光で覆った。ややあって、アルスは目を開けた。


「やべえな……これは……」


 聖属性の魔力を持っていることはわかっていたが、実際に目の前で使われたのはおそらく初めてだ。即消失しない体質でよかったとホッとしたのも束の間、このままでは加勢できないと気づく。ヴァナの作ったヴェールは、周りを見えなくしていた。


「シェラたちは?」


 ヴァナに聞くことしかすることがない。狼はしっかりと状況を把握し、主に伝えた。


『壁に、衝撃が。でも壊れない。はね返してる』


 はね返す、だと?と唖然としていたが、ヴェールが少し明るくなって、じわりと身体が熱くなった。


『ヘイレンが、魔力を、強めた。……キケンかも』

「ヘイレン!ちょっと待て!」


 どことなく情けない気分になるが、ここで、この力で死んでしまったら報われない気がする……。


「エール!アルスを!」


 シェラの号令と共に、ヴェールにするりと氷狐が入り込んできた。ヴァナがアルスから離れた瞬間、痺れるような痛みが全身を駆け巡った。エールがひょいとアルスを拾いあげると、瞬時にその場から離れた。


 暗闇の中、少し湿り気のある木の根元に避難した。エールはアルスを降ろすと、全身に少し氷を吹きかけた。火炙りにあったような身体から徐々に余計な体温が取り除かれていった。


「……助かった」


 ゆっくり体を起こし、よろめきながら立ち上がる。まだ痛みはあるが、まあ大丈夫だろう。


「ありがとな。エールはシェラのもとへ戻れ。俺はここから奥地へ向かってみる。バルドがいたら、霊体ごと屠ってやる」


 エールはアルスの言葉を聞いて、小さく頷くと、軽やかに去っていった。入れ替わりでヴァナが走ってきた。


『乗って』


 アルスは狼に従った。背に跨ると、ヴァナは駆け出した。魔力の『匂い』を頼りに、迂回して近づいていく。アルスは両手に魔力を込めておいた。


 ヴァナが減速した。アルスは止まる前に飛び降りると、屈んで様子を窺った。ヴァナも隣で伏せて耳と鼻を動かす。白いモノが2つ。ひとつは先日見たライアを模したものだ。もうひとつは屈強そうな男だった。鎧で身体を覆っている。腕の筋肉が半端なくでかい。そして、持っている武器もでかくて重そうだった。


 と、アルスは素早く立ち上がり、鉤爪を胸前に構えて振り返った。がん!と相手の武器が当たる。それは杖だった。ぎり、と互いの武器の擦れる音が続く。


「ようやく姿を拝めたな、バルド」

『……我が名を知っていたか。どこから聞いたか知らんが』


 互いに武器を薙ぎ払う。バルドは同時に杖から魔法を放っていた。アルスはそれを左手から放った炎で相殺した。距離を取り、一旦着地して、飛びかかった。


 鉤爪を下から上へ、左右へと振る。その身のこなしは、バルドを翻弄させたようだった。全て右手に持っていた杖で受けていた。防御しきれず、爪の傷がひとつ、またひとつと増えていく。しかし老魔導士も対抗した。左眼をを光らせて動きを止めようとした。アルスは目を逸らしてそれをかわす。


 そしてついに、バルドの懐に潜り込み、鉤爪を突き刺した。ずぶりと腹部を貫いた。んぐっ、と老魔導士は声を漏らして飛び退ろうとしたのを、アルスが右腕を掴んで阻止した。右手に火の魔力を溜め込み更に鉤爪を押し込む。腹部に触れそうなあたりで、その魔力を放った。


『ぐぉあああ!』


 肉と骨が粉砕し、鮮血が豪快に飛んだ。アルスはとどめをさすように、鉤爪を横に殴った。バルドの胸から上が吹き飛んだ。右腕を掴んでいた手を離して少し距離を取った。


「なっ!?」


 バルドの上半身は、地に落ちる前に靄を纏うことなくふっ、と消えた。もう半分も視界に入ってこない。


 屠ったのか?いや、まだ闇の力が漂っている。アルスは警戒した。その時、ヴァナが吠えた。


『乗れ!』


 命令口調になるほどのことだった。流れるように騎乗すると、今までにない速度で樹海を駆け抜けた。あまりの速さに、アルスはしがみつくことで精一杯になっていた。


 背後から爆発音と、アルスを消失させそうな光が追いかけてきた。熱が到達して頬がピリッと痛んだ。


『穴!はまる!』


 そんな思念が飛んできた刹那、身体が少し浮いた。毛を両手でむんずと掴み、身体を必死に狼に寄せた。穴というより、少し大きめの窪みにはまり込んだ。着地の瞬間、反動で放り出されると、窪みの壁に身体を強打した。その上を狼が覆い被さって、聖属性の波動からアルスを守った。






 轟音が鳴り止んだ。ヴァナが退いたので、アルスはゆっくり起き上がった。身体が痛い。聖なる波動を受けた時より、壁にぶち当たったほうがダメージは大きかったらしい。顔をしかめながら、そっと窪みから様子を窺う。


「……んん?」


 違和感を覚えた。樹海は魔物の巣窟でもあるので、木々が重なり合う場所は暗くて見づらいのだが、緑色がはっきりと認識でき、かつ空気が澄んでいるように思えた。魔物が一掃されたせいか、それとも聖なる力のせいか。


 空気は吸い込んでも害は無さそうだったので、窪みから出てログハウスのある場所へ戻ろうとした。が、そもそも自分がどこにいるのかがわからない。


「ログハウスの方角はどっちだ?」


 ヴァナは周囲の匂いを嗅いで、ログハウスの場所を探し始めた。窪みの周りを一周し、もう一周したが、しゅんとして戻ってきた。……マジかよ。


「……どこから窪みに飛び込んだか覚えてるか?」


 アルスはヴァナの青い眼を見つめてみる。不安そうな眼差しを返される。無我夢中で駆け抜けて、俺を聖なる力から守ってくれたんだな……。


「……しょうがねぇ、適当に行ってみるか。そのうち匂いも掴めるだろ」


 幸か不幸か魔物の気配が全く無いので、変に襲われることもないだろう。アルスはとりあえず目の前に伸びている道を進み始めた。


 それにしても、今のヘイレンの力は脅威だ。耐性があるとはいえ、まともにくらえば死ぬな……。そんなことをぼんやりと思いつつ、アルスはヴァナと樹海を彷徨った。

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