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第5章-2

 ウィージャに診てもらい、「大丈夫そうだからいつでも退院していいよ」と言われたので、シェラは身支度を整えていた。


 ヘイレンはアルスの病室にいると聞き、そこへ向かおうかと思った矢先、地面が小さく一瞬揺れた。


 ……やっぱり魔封じ術をかけておくべきだったな。


 ラウルを取り押さえることに必死過ぎて、彼の魔力を封じ込めておくのを失念してしまった。魔力を封じておけば、結界の内側から破られることはなかったはずだ。……まだ破られていないが、時間の問題だ。


 再び封印し直すことは即ち一度封印を解くことである。魔封じの術を上からかけてもラウルにかかるのではなく、封にかかるので意味がない。というか、封が魔力を失って破れてしまう。


「アルス……動けるといいけど」


 どうか回復していますようにと祈りながら、シェラはアルスの部屋へ赴いたのだが、その祈りは塵に帰した。


 呼吸器を付けられ、心拍を測る機器は鈍い反応だった。枕元が薄赤く汚れていた。ヘイレンはソファに横たわり眠っていた。眠るほど魔力を使ったのか。アルスはまた命の危機に瀕していたのかもしれない。医師の姿が見えないので、ひとまず落ち着いているのだろう。


 シェラはそろりと音をなるべく立てないようにして、アルスのそばに置いてあった椅子に腰掛けた。血の気のない肌に、玉のような汗が乗っている。


 と、また少し揺れた。それでヘイレンが飛び起きた。彼が出した音でシェラの身体が跳ね、椅子が少しズイッと音を立てて動いた。


「あ、シェラ!もう大丈夫なの?」

「あ、あ、う、うん、だい……じょぶ……」

「……ホントに?」


 軽く過呼吸になり、胸を押さえて必死になっている様子なんて、どう見ても大丈夫とは言えない。駆け寄ろうとするヘイレンもまた、回復しきれてないのか足元がおぼつかない。


 頑張って深呼吸をして、なんとか落ち着いたので、ヘイレンに改めてもう大丈夫だよと伝える。彼が背中を摩ってくれたおかげか、発作はいつもより早く(おさま)った。


「この地震、ラウルが封印を破ろうとしているって、アルスが言ってた」

「そう、ね。魔封じの(じゅつ)をかけ忘れてしまったのがいけなかった」

「今からかけてもだめ?」

「……うん。封印にかかっちゃってラウル自身にはかからないから」


 じゃあ、とヘイレンは何が言いかけた時、どんっ、と今までとは違う揺れがきた。ひゃっ!と悲鳴と共に、ヘイレンはシェラに抱きついた。身体が震えている。相当怯えていたのだなとシェラは悟った。


「……怖い、よね」

「……うん。でも、ビビってないで気をしっかり持たなきゃって思ってるけど……やっぱり怖い」

「大地が揺れる、なんて、滅多にない……からね……」


 今度はシェラがヘイレンの背中を摩ってあげる。抱きついてくる力がなかなかに強くて息が詰まっていたが、彼が落ち着くまで我慢した。


「ラウルが暴れる前にどうにかしないと。でも、アルスがこの状況じゃあもう……」


 屠るしかない……のだろうか。気がとてつもなく重いくてそんなことはできない。背中を摩る手が止まる。他に方法は無いのか。その二択……闇を抜き取るか屠るしかないのか。


「……ろ」


 ベッドから小さく声がした。ふたりは抱擁を解いてアルスを見る。機械が音を出す。程なくして、ウィージャが駆けつけてマスクを外す。


「……んー、悪くはないけど良くもないな」


 シェラが来る前にヘイレンとしばし話をしていたらしいが、吐血したのは話し過ぎたわけではなく、内臓を損傷していたからだという。聖属性の鞭は、時間差でアルスの体内を傷つけていたらしい。


「ヘイレンの早い処置でどうにかなったけど、本来なら鞭で打たれた時点で死んでてもおかしくないんだよね。そういう属性だもんね……。ただ、アルスには特別耐性があるのかもしれない。だからまだ生きていられてる」


 聖なる力は闇の種族にとって最大の脅威だ。光に照らされるだけで皮膚は溶け、触れた瞬間消失する。そう云われてきたので、確かにアルスにはそれを阻止するほどの耐性があるのだろう。


 シェラはそういえばそうだなと今更気づかされていた。アルスと知り合って随分月日が経つのに、何度も聖なる力に翻弄されてきたのに、彼は消失していない。


「……ん」


 アルスが目を開けた。首を動かしてシェラを見る。


「アルス……」


 どう話せばいいのだろうか。戸惑っていると、アルスは口を開いた。


「抑え……られるか?ラウルを」

「え……?」

「何でもいい、あいつを、氷なり何なりで、固定させておけるか?」


 掠れた声で、けれども視線は鋭くシェラに突き刺さる。ややあって、シェラはゆっくり頷いた。


「やってみる。テラ・クレベスで封印しているから、遠くに逃げられなければそこで」

「……わかった」


 まさかその状態で向かうつもりなのだろうか。ウィージャが許可するとは思えない。シェラはチラッと医師を窺ったが、案の定険しい顔をしていた。


「起き上がることさえもできないのに、行くつもり?」


 医師も当然同じことを思っていた。


「他に誰が、ラウルの闇を、抜き取れんだ?」

「あのね、そういうのは自力で起き上がれてから言いなさいよ。何日寝込んでると思ってるの。体力だけじゃなく筋力も落ちてるんだから」


 ピリピリした嫌な空気に変わってくる。アルスはむっとして黙ってしまった。


「先生、ボクの力でもう少し治療しましょうか?なんだか思った以上にアルスの治癒力が……無いように感じてて……」


 アルスに失礼なこと言ってごめん、と小さく謝りながらも、ヘイレンは医師の顔色を窺った。うーむと悩むウィージャだったが、アルスを一瞥して、それからシェラに視線を向けた。


「いいかな?ヘイレンをもう少し借りても……」


 一応はシェラの付きビトであるので、召喚士の許可を要請した格好だ。もちろん、とシェラは頷く。


「ヘイレンの意思に任せたいですし、それでアルスが動けるようになったら、とも思いますので」

「ありがとう。じゃあヘイレン、よろしく頼む」

「はい!」


 シェラは椅子をヘイレンに譲った。彼は早速アルスの腹部あたりに手を当てて光を集めた。


「では僕は……行ってきます。ガロに伝えておくから、ヘイレンはアルスと一緒に彼の背に乗せてもらって来て」

「シェラひとりで向かうの?」


 ヘイレンはアルスの様子を見ながら問うてきた。


「……うん。そのほうが他のヒトを巻き込まないから。まだ犠牲者は聞いていないけど、これから出るのも嫌だし」


 今のラウルに対する不安や恐怖は拭えないのが正直なところだが、闇を抜く(すべ)はアルスしかできないし、満身創痍の状態でそれをしに行こうとしている彼を見て、シェラもやるべきことをやらねばと覚悟を決めた。


「じゃあまたあとで」

「……あっ」


 いつまでも留まっていたら不安に押しつぶされてしまうので、ヘイレンが何か言いかけていたのを気づかなかったことにして部屋を出た。


 ……僕には頼もしい相棒が2頭、いや、3頭いる。力を借りて、みんなでラウルを抑えられたら。闇毒による魔法は、フィリアの光魔法で相殺できるはず。エールの氷と僕のそれを合わせれば、きっと動かせないはずだ。


 そして、とシェラはふと足を止める。己の右手をしばし見つめ、ぎゅっと拳をつくった。再び歩き出す。……そしてここに、ディアンがいる。切り札として、ラウルをこの手で抑えよう。その時は……よろしく。








 どん、と鈍い音に合わせて、氷に亀裂が少しずつ走る。ラウルの魔力は、闇毒によって増幅し、水の結界の鎖を壊していた。


 魔物のような咆哮が洞窟を震わせ、闇の波動がついに氷を粉砕した。一気に湖の水が干上がり、底に手と膝をついて荒い呼吸を繰り返すラウルがいた。


 ゆっくり立ち上がる。少しふらつくが、しっかり地に足をつけると、カッと目を開いた。そこここに転がる岩の破片か石かがラウルの手に吸い寄せられると、右手に弓、左手に矢を数本生み出した。


 素早く番えて、天に向けて放った。それは、地上から放ったシェラの氷を壊していった。


「やめろ、ラウル!」


 シェラはひたすら氷を放ち続けたが、ラウルはシェラの足元に矢を放った。地面が崩れ始めるが、シェラは飛び退いて移動し、徐々に距離を詰めていった。


 ラウルが地を蹴り飛び上がろうとした瞬間、シェラはエールを召喚した。ラウルの両肩をがっしり掴むと、湖だった穴の底に押し倒した。地に叩きつけられた瞬間、ラウルはその地を陥没させた。エールの前脚を掴み、捻るように押し返すと、氷狐の手がラウルから離れた。それを見計らって、エールは氷を放った。


 氷はラウルの身体を覆いつくすと、洞窟の壁に叩きつけた。この程度では簡単に壊される。シェラはフィリアを召喚した。


 大鷲は渾身の羽ばたきで光線を放った。それはラウルをぐるぐる巻きにきつく縛りつけると、もう一度地の底に仰向けに叩きつけた。


 闇毒の魔力は光の力で抑えられ、陥没させる力は失われていた。シェラが氷の魔法で首から下を包ませると、ラウルは完全に動けなくなった。


「うあああうあううう!!」


 いくらもがこうとも、びくともしない。言葉を発しなくなったラウル……姿は変わらないのに魔物をしとめたような感覚に見舞われて、胸が痛んだ。


「ラウル……ラウル!」


 シェラは精一杯声を出すも、ラウルに届かない。うるさく騒ぎ続けるのを、顔をしかめながら眺めているしかなかった。


 取り込んだ闇はラウルという自我を奪い、目の前のものを破壊させる魔物に変えてしまった。闇を抜き取ったとしても、ラウルはこのままなのだろうか。シェラたちを忘れ、魔物のように生きていくのだろうか。


 と、シェラは強い魔力を感じた。手を空へ向けると、氷の壁を作った。強い衝撃が伝わってきたが、氷はヒビひとつ入らなかった。


 この魔力……おそらくバルドだろう。この洞穴から飛び出していったということは、ラウルとも接触しているはずだ。彼の暴走を止めるシェラを屠りに来たか。


 次々と相手の魔法が壁に激突する。シェラはフィリアに命じた。


 フィリアは攻撃魔法の主に向かって大きく羽ばたいた。無数の光線が空に放たれる。黒い物体が音速で降下してきた。それは氷の壁を突き破った。シェラは杖を槍に変化(へんげ)させて構えた。ガツンと互いの武器が衝突する。黒い物体と思っていたものは、白い光を纏う霊体だった。


「えっ……」


 シェラは力を抜いてしまった。霊体はシェラの槍を払いのけると、勢いよく押し倒した。しこたま背中を打ち、反動で頭も打ちつけて視界が一瞬暗くなる。


 霊体はシェラの両腕を押さえ、馬乗りになると、じっと彼を見つめた。シェラはなんとか目を開くと、そこにはありえない光景が飛び込んできた。


「……え?」


 さっきまでラウルを抑え込んでいたことすら忘れてしまうほどだった。シェラの上に乗っているのは……。


『やっと、会えた』


 白い光が消えた。声も姿も、生前の彼女だった。


「ら……いあ……なの?」

『そう。私、この世界に戻ってこれたの』


 これはまやかしか。しかし、紛れもなくライアだった。霊体のはずなのに、重みを感じる。霊体だから、その重みは冷たかった。


 ライアの顔がぐっと近くに寄ると、唇が触れた。短いキスは、シェラが我を忘れるのに充分だった。


『一緒に……いきましょう』


 その「いきましょう」は、生きましょうなのか逝きましょうなのか、そんなことすらどうでもよくなっていた。ライアはシェラから降りて身体を起こさせた。互いにゆっくり立ち上がると、ライアはラウルを見下ろした。


『このヒト、解いてあげて。苦しんでる』

「それは……今はできない。闇毒を抜くためにこうしたんだ」

『抜くなんて……できないでしょう?このままでは完全に魔物に変わってしまうわ』


 ライアはシェラの右腕を優しく掴んだ。ぴくりと反応する。シェラはラウルに少し近づいた。左手を浮かせ、ラウルにかざす。自分が放った氷を溶かそうとした。背後でふふっ、とライアが笑ったその刹那。


 爆音と共に背後を何かが掠めていった。いや、シェラが吹っ飛ばされていた。また背中と頭をを強く打った。両肩を掴んでいたのは、自分の相棒だった。


『シェラ!』


 氷狐が鬼の形相で、グルルと低く喉を鳴らしながら主を押し倒していた。


『あれはニセモノ!』

「なっ……え……あっ……」


 目を白黒させるシェラを引っ張り起こすと、エールは加減なく主の両頬をばしん!と挟むように叩いた。


「いいっ!!」


 このとてつもなく痛くて冷たいビンタで、ようやくシェラは我に返った。じわじわと頭部に痛みが侵食してきた。四つ脚の音と魔法が放たれる音、そしてラウルの悲鳴が耳に届いた。


 シェラは目の前で起きていることを茫然と見つめていた。半獣の射手から降りたがたいの良い戦士が、ラウルに手を当てていた。きんっ、とつんざくような音がしたかと思うと、ばきんと氷の割れる音がした。


「うああああああああああ!」


 ラウルが海老反りになっている。そこからどす黒い靄が、アルスの身体へと流れていっている。徐々にラウルの悲鳴が弱くなっていく。


「シェラ、大丈夫?ほっぺが真っ赤だよ」


 いつの間にか隣にしゃがんでいた付きビトと目が合うと、シェラを縛っていたものが壊れた。熱を感じ、口元が震える。反射的にヘイレンに抱きついた。


「ごめん……」

「大丈夫……間に合ったから。危なかったけど」


 涙が止め処なく頬を伝っていく。背中を優しく撫でるヘイレンの手は、とても暖かかった。






 ラウルが静かになった。フィリアはラウルにかけていた拘束を解くと、静かにその場から消えた。ややあって、アルスが大きくため息をついた。


「ったく……お前まで囚われてどうすんだ」


 アルスは少し顔をしかめながら、ぺたんと座り込むシェラを見下ろしていた。掠れていた声は元に戻り、体格もがっしりとしている。闇毒を全て取り込んだおかげで、彼の身体は完治していた。


 シェラは返す言葉が無く、ずっとアルスの足元を見ていた。頬を赤く染めて、おまけに少し腫れている。エールにビンタされるとこんなにも酷い顔になるのかと、アルスは少し滑稽に思った。


「……帰ろっか。ダーラムに」


 ヘイレンが声をかけるが、シェラは動く気配を見せない。やれやれと、アルスはしゃがんでシェラの肩を掴んだ。召喚士は表情を変えずにこちらを見上げできた。


 掴んだ肩を伝って、闇が生み出す『記憶』がアルスの脳を震わせた。霊体と思しきもの、それは女性だった。彼女はシェラに口付けをした……。


 アルスはシェラの心の臓に手を当てると、魔力を集中させた。びくんとシェラの身体が痙攣し、首が少し反り返った。黒と少し白い靄が入り混じって沸き出した。それを躊躇なく取り込んだ。女性の『記憶』が断片的に、強制的にアルスに押し寄せてくる。


 靄を全て取り込むと、シェラはゆっくりアルスに寄り掛かった。肩で担いで立ち上がると、軽く目眩がした。ヘイレンが回収したシェラの杖を持ってそばに来る。


「白い靄、取り込んで大丈夫だったの?」


 色からして聖属性だったのではと心配になっていたようだ。アルスはああと小さく頷いた。


「わずかに青みがかってたからな、霊体の靄だろうと確信した。まあ、シェラの肩を掴んだ時に『記憶』が流れ込んできたんだが……その話はまあいい。ここを出るぞ」


 うん、と青年は素直に頷く。ガロがラウルを抱えて空を見上げていた。尻尾を左右に1回振ると、ううむと唸った。アルスとヘイレンも同じように見上げると、青白いヒト型のものが崖の上にいた。アルスが『記憶』で見たあの女性だった。


 どこか微笑んでいるように見える。アルスはだんだんと、その女性に見覚えがあるような気がしてきていた。シェラとキスをするほど親密な関係にあるとなると、恋ビトであることは確かだ。その考えに至った時、アルスは思い出した。


「ライアか……」


 アルスの呟きに、ヘイレンが振り向いた。


「正確には『ライアを模した霊体型のニンギョウ』だ。だがあれは……ライアほんにんの魂が宿ってる」

「え、それってつまりライアさんの霊体じゃないの?」


 それはそうなんだが、微妙に違うというか……とアルスも眉間に皺を寄せる。


「御魂送りの儀で霊界へ送られた魂が、現実世界に戻ってくる、なんてことはありえない。なぜなら霊界へ送られた魂は、次の生命へと転生するから、と言われています」


 と、ガロが入ってくる。ヘイレンは首を傾げた。


「でも、そのありえないことが起きてるんだよね?」

「ライアほんにんの魂を『模したもの』が宿ってたなら、あれは完全なるコピー体と言える。でもなんだ、この……なんて言えばいいんだ……」


 ヘイレンの言う通り、ありえないことが起きているのだ。だがその魂も、ほんにんではあるが、全部ではない。半分は闇が生み出したまがいものだ。


「闇に囚われているライアの魂が宿っている……ってとこか?だがライアの自我は生きているんだ……」

「ええナニソレ……中途半端だな」

「……それな」


 ヘイレンは首を起こしてライアを再確認した。気がつけば空が明るくなってきていた。霊体はふっと立つと、くるりと背を向けて消えていった。『またね』と言い残して。


 その一言は、その場にいたシェラ以外が聞いていた。








 ヒールガーデンの病室に戻ってきてしまった。シェラは目覚めながら落胆した。そして、どこか空虚感を抱いていた。


「おはよう、シェラ」


 ヘイレンの声がした。やや遅れて視線を彼に向ける。自分でも不思議なほどに、反応が鈍い。


「なんだか抜け殻みたいになってるね。アルスに闇を抜かれたからかな?」


 シェラは言葉が出なかった。どの言葉がしっくり来るのかわからなくて、出せなかった。


 身体の痛みが引いていたので、ゆっくり起き上がったところへ、ウィージャとアルスが部屋に入ってきた。


「あ、起きてる。なんだかまだぼんやりしてるね」


 ウィージャは手際よくシェラの様子を診た。……特に頭部を。たんこぶができていたのを調べたところ、頭蓋骨にヒビが入っていたらしい。2度も強く打ちつけていたからそうなるよな、とシェラは納得した。


 ヒビはヘイレンの力で修復されたらしいが、まだ少し腫れは残っていた。


「記憶障害とか起きてない?大丈夫?自分の名前覚えてる?」

「……はい、大丈夫、です」


 それはよかった、とウィージャは安堵した。じゃあ何かあったら呼んでね、と言って部屋を出ていったタイミングで、アルスが口を開いた。


「あの霊体のことだが」

「……ライアのこと?」

「あれには絶対に接触するな」

「えぇ?ちょっとなに、いきなり……」

「お前、本気であれをライアの霊体だと思ってたのか?」

「……違うの?」


 アルスは一瞬言葉に詰まった。ヘイレンもなぜか頷きかたがぎこちない。


「あの霊体そのものは、強い魔力で作られたニンギョウだ。だから、本物の霊体ではない」


 魔力で作られた霊体そっくりなもの、だと言う。ふむとシェラはひとつ頷いて、続きを促した。


「だが、あれに宿っていた魂は、半分ライアのものだった。……この意味がわかるか?」

「……ああ、だから僕はライアだと認識でき……え、でもちょっと待って、それってありえないよ。だって彼女は……」


 シェラは記憶を巡らせた。ライアは数年前に亡くなった。死者は御魂送りの儀で霊界へ送られる。放置していたら彷徨い、魔物へと変化(へんげ)してしまう。そうなると転生も叶わず、討伐されて全てが終わる。


 ライアも送られたはずだと思い込んでいたが、さて、彼女の御魂送りの儀は行われたのだろうか?その記憶が全く無かった。


「……送られてなかった……のかな」

「は?」

「御魂送りの儀……してない気がする」

「なんだと?」

「僕の知らない間にやったのかもしれないけど、僕の記憶には無くて……」

「婚約者に黙って魂送りの儀を行うような召喚士はさすがにいねぇだろ」

「じゃあ、本当に儀を行なっていないかも?そうだとしたら、ライアの魂がこの世に(とど)まっていてもおかしくはない。でも年月が経ち過ぎているから、その魂は魔物のそれに変わってしまっている可能性はある。半分ライアだったんだよね?もう半分は魔物属性になっているのかもしれない」


 ライアのようで、ライアでなくなってきている。このままではライアは完全に失われる。ヒトとして生きてきた証……記憶も、シェラが愛したことも、永遠(とわ)に、共に生きようと誓いを立てたことも、すべて。


「……彼女を探して霊界へ送らないと。『ライアというジンブツが生きた』という記憶が、この世界から消えてしまう。無かったことになってしまう。そんなの……嫌だ!」


 シェラは、自分の記憶が失われることに酷く恐怖を覚え、頭を抱えて俯いた。


「ねえシェラ、御魂送りの儀を行ったのかどうかを確認してみない?」


 至極真っ当なことをヘイレンは言った。シェラは顔を上げた。見つめ合うふたりを、アルスは黙って見守っていた。


「……そう……だね……調べてみようか……」


 闇雲に探しに出ようとしなくてよかったと、アルスは内心安堵した。が、調べがつけば、結局あの霊体を探し回るに違いない。どうしたものか。


「あ、そう言えば」とシェラが思い出したようにアルスに振った。


「どうしてライアと……その、『彼女に似せたモノ』と接触しちゃいけないの?」


 アルスはどう言おうか少し悩んだが、言葉を選んでいると伝わらない気がしたので、ストレートに言ってやった。


「ライアを……今も愛してるだろ?」

「……へ?」


 変な声を出して少し頬を赤らめる。


「あの霊体……正確には霊体じゃねえけどめんどくさいから霊体って言うが……あいつもシェラを愛したままだ。だから一瞬のキスでお前を陥れた」

「な……んて……」


 頬どころか顔全体が熱っぽくなっていくのがよくわかる。なぜかヘイレンも紅潮し、アルスの鼓動も速くなる。


「だからよ……また出会ったら同じことが起きる。あのニンギョウからライアの魂を抜き出して、霊界へ送ることができるならいいんだが」


 そんなこと……とシェラは両手で顔を覆って俯いた。恥ずかしい気持ちの中に、少しばかり苦しみの感情が混じる。愛するヒトの弔いは、計り知れないほどの悲しみと苦しみがある。ましてや、自分が御霊を送るとなると……。


「……おそらくあれは、バルドだったか?ヘイレンがとんでもねぇ魔導士だとか言ってたヤツ……あいつが生み出したニンギョウだろうな」


 アルスはここでようやくため息をついた。バルドか、とヘイレンがぽつりと呟いた。


「あいつ、何がしたいんだろう。しばらくボクたちの前に出てこなかったのは、その霊体を生み出すために力を蓄えてたのかな……。でも、何のために?」

「そんなこと今考えても答えなんか出ねぇ。今後のバルドの動向を気をつけておくしか、今は出来ねぇんじゃねえか」


 ややあって、そうだね、とヘイレンはため息をついた。

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