第4章-1
アグニスの水瓶を湛える聖水を
ホーリアの炎の大元に
さすれば聖なる炎が蘇り
地界の瘴気を払うだろう
* * *
フレイはゆっくり瞼を開ける。初めて鮮明な『声』が聞けた。今のは夢だったのかと思うほど、不思議な感覚だった。
窓の外は闇。瘴気のせいで、モントレアは昼も夜もわからなくなっていた。
身体を起こしてうんと伸びをする。レントの屋敷に滞在して、今日で何日目だろうか。日毎に『炎の声』が聞き取れるようになり、そして今、一度も雑音なく聞けたのだった。
フレイは布団から出て身支度を整えると、大広間へ移動した。廊下の空気はひんやりとしている。レントが貸してくれた、ふかふかの半纏が体温を保ってくれていた。
「おう。よく眠ってたな」
大広間の中央にある囲炉裏のそばで、レントがあぐらをかいていた。時刻を聞いて、フレイはギョッとした。
「やだ……もうお昼時なの!?酷い寝坊だわ」
「毎日鍛錬してたらそりゃなぁ。自分の思っている以上に疲労が溜まってるもんだよ」
レントはチラッと目配せをすると、立っていた側近が部屋を出ていった。フレイはレントと向かい合うように座ると、半纏を脱いで傍に置いた。
「聞けたの。やっと。鮮明に聞こえた」
何となく小声でレントに言うと、都長は黙って何度か頷いた。続けて聞こえたことを伝えると、片手を顎に当てて「ほう」と呟いた。
「アグニスの水瓶は、ホーリアの王宮の庭園にあるってイルム様が仰っていた気がするな」
イルムがまだ王子だった頃、地界で1年過ごした際にレントやエンキに話してくれたらしい。
「水瓶も炎の大元もホーリアか……。今行くと確実に内紛に巻き込まれちまうな。どうしたもんかね」
レントは顎をさすりながらやや上を向いた。しばらく一点を見つめ、やがてさすっていた手が止まる。
「な」
不自然に声を出すレントに、フレイは首を傾げる。レントは固まったままだ。思わず同じ方角を向いてみた。ぼんやりと淡い赤い光の玉が浮いていた。
「……え?何これ?」
「お、見えるようになったか?この光」
目を丸くするフレイに対し、レントはニヤッと笑う。
「お前を屋敷に住まわせ始めた頃からいたんだけどな、どうやら俺を賢者に選んだっぽいんだ」
「賢者に!?」
フレイの目がさらに見開く。
「前はエルビーナってヒト。俺の核に傷をつけやがった女だ。聖なる炎を変化させたはんにんだな」
「えええ!?」
レントは驚愕しっぱなしのフレイに、コア族のことや今日までに起きた異変を、全て話した。あまりの情報量に頭がパンクしないかと心配になったが、彼女は黙って頷くだけだった。話を終えると、お互いに一つ深呼吸をした。
「……で、賢者を継承したってことはだ、エルビーナは死んだ可能性が高い。そういや火は元の色に戻ってるって厨房係が喜んでいたな」
「火が元の色に戻ったのは良かったけど、エルビーナ様の死の可能性は良くないわ」
それはなぁ、とレントは顔を曇らせる。
「あいつな、結構自分勝手で上から目線過ぎるところがあって、みんなから嫌われていたんだ。魔力もあんまり待ってないくせに、賢者になって……候補だったヴォンテが怒り狂ってあいつを虐げた。止めるヒトは誰もいなかった。みんな、ヴォンテの味方だったからな……」
「……レントはその時そばにいたの?」
ここに住まわせているうちに、ようやく敬語で話すことをやめてくれてレントはホッとしている。竜騎士の先輩後輩の関係で、かつ都長だから、本来は敬語だろうが、レントにはむず痒くてしょうがなかった。
……それはさておき。
「……事が終わってから、な。ボロボロになったエルビーナが村を出ていく姿は見た。あいつのそばに寄り添うやつは誰も……」
レントはふと言葉を切った。エルビーナというジンブツを、不思議と愛していたジンブツがいた気がする。村を出ていく彼女を追いかけたが、結局はトボトボと帰ってきてたっけな。
「レント?」
フレイの呼びかけに我に返る。橙色の眼に見つめられ、レントの鼓動が少し早くなる。
「あ、いや……ひとりいたなぁって。あんな変わり者を好きになっていたヒトが」
眉間に皺を寄せたフレイは、視線を外してため息をついた。エルビーナのことは気分のいい話ではない。
不意に、赤い光の玉がレントの視界に入ってきた。強くなったり弱くなったりと、点滅を繰り返している。
「火は元に戻っても、聖なる炎は戻らない、か……。やっぱり、聖水をかけに行かなきゃいけないのね」
フレイは窓の外を眺めていた。屋敷は都の高台にあり、松明の天辺、つまりは聖なる炎の部分がよく見える。炎は相変わらず禍々しい色だ。
都の民は、日を追うごとに瘴気で倒れるヒトが増えていっている。体内に取り込まれた瘴気を消す投薬治療を主に、ルーシェたちは東奔西走している。
聖なる国ホーリアで内紛が起きていることは知っていて、ヒトビトはホーリアの民に不満を募らせていた。闇の種族を殲滅するかしないかで殺し合いにまで発展するなんて。地界の事情を知ってか知らずか、とにかくも無駄な戦争を起こすな!と声を上げるヒトもいた。
瘴気は都だけでなく、火の国ファイスト全域に充満してしまっている。隣国にまで影響を及ぼすのも時間の問題だ。解決の糸口が見つからないまま今日まで来てしまったが、フレイが『炎の声を聞いた』ことで、ようやく道が開けた。
「お前、行くのか?ホーリアに」
レントはフレイに尋ねた。炎の竜騎士は視線をこちらに向けて黙って小さく頷いた。私が行かなきゃ誰が炎を元に戻すの?……という思いが伝わってくる。レントは「だよな」と微笑した。
「じゃ、支度するか」
「え?レントは都長だからここに……」
「お前ひとりで行かせる長がどこにいんだよ」
「……都のヒトたちを放っておくの?」
「あのな、都を守るのは長だけじゃねぇんだぞ。長の仕事を代行してくれる『副都長』ってのがいましてだな、俺がホーリアヘ行くことを承知してんだ。だから、な」
フレイの目が点になっている。
「お前の護衛でついて行く。ついて行くんだが……シーナに乗せてくれないか?」
レントの相棒は地竜。大地を素早く駆け抜け、山や崖を苦なく登り降りでき、穴を掘る能力にも長けていて、緊急時の避難穴を作ったり落とし穴を作って敵を落としたりするなど、多彩な能力を誇るのだが、空は飛べない。天空界へ行くには飛竜騎士に乗せてもらうしかなく、頼りになる相棒も置いていかなければならない。
飛竜に乗せてくれ、と頼む声が、副都長がいて云々の話をしていた覇気のあるそれと天と地の差ほどあって、フレイは思わず吹き出してしまった。何がおかしいんだよ、とレントが頬を膨らませる所もまた、おかしくてしょうがなかった。
ひとしきり笑ったところで、フレイはもちろんと了承した。散々笑われたレントは、シーナに乗ってホーリアヘ向かうまで、一言も喋らなかった。
聖なる国ホーリアの、王宮のある中心部から遥か離れた最南端の小さな村に、一頭の飛竜が舞い降りた。
くすんだ赤い色の身体とオレンジ色の鬣。彼女の相棒シーナだとわかると、イルムは側近と共に出迎えた。頭を下げて目を閉じる飛竜の鼻面を、王は優しく撫でた。
飛竜から降りてきたのはモントレアの長レントと、竜騎士フレイ。ふたりともイルムと親しい関係にある。ふたりを降ろしたシーナは、どこかへ飛び立ってしまった。竜騎士曰く、イルムを守るため、と。
「居場所は伝えていなかったのですが、なぜここだとわかったのです?」
王らしい格好とは程遠い、麻布のチュニックとズボンに、濃い灰色のフードの付いた羽織りを着たイルムに問われ、フレイは言いあぐねた。ややあって、王は側近たちを部屋から出した。ふたりをソファに座らせると、自分は簡素な椅子を持ってきて向かい合うように座った。
「……目覚めましたか」
イルムの一言に、フレイは目を見開いた。王は首から下げていたものを取り出すと、外して竜騎士に差し出した。フレイがホーリアで騎士に託したペンダントは、ちゃんと王に届けられていたのだ。
「忘れないうちに返しておくね。これはフレイのものだから」
フレイは静かにそれを受け取ると、自分に着けてしまい込んだ。
「イルム……私……教えて欲しいの。私自身のことを。私は空の民だと里長から聞いて……私の生まれ故郷や両親のことを知りたくなって。イルムなら何か知っているかと思ったの」
イルムはしばし俯いて目を閉じた。息づかいが嫌に大きく聞こえる。フレイとレントは、固唾を呑んで見守っていた。
「……そうだな……何から話そうか。もう少し整理させて」
そこそこに待っての一声がこれだった。口調も王らしくなくなり、『ひとりの青年』と向かい合っている感覚になった。それからもうしばらく待って、イルムは臙脂色の眼を覗かせた。長くなるよ、と前置きして、王は口を開いた。
まず、エンキ様のおっしゃる通り、フレイは空の民。聖なる国ホーリアの、僕と同じく王族の血を引く半竜族のひとりだ。僕の父、つまり先代王には兄と弟がいて、父のお兄様の娘が……君だ、フレイ。だから、僕とフレイはいとこの関係になる。
フレイのご両親は、残念ながらもうこの世にはいない。僕もシノの里から国へ戻ってきた後に聞かされた。
フレイの母親は、君を産んですぐに亡くなり、父親は君の命を守る為に国を離れ、地界へ降りようとした。けれども蛮族に目をつけられていて、地界へ向かう途中に襲われて……叔父は死んだ。フレイはおくるみに包まれたまま落下していった……と、当時の王だった父は側近からそのような報告を受けた。
けれどその後、君がシノの里の長エンキ様に保護されて無事であるとわかり、君が王族のひとりであると悟られないように、ひとりの地界の民として育ててもらうことをお願いしたんだ。……君が半竜族の力を覚醒させた時に本当のことを話す、と、エンキ様は父とそう話し合ったんだって。
「……ここまで僕の話を聞いて、君はきっと困惑や戸惑い、ショックも受けていると思う。少し時間を置こうか。お茶でも淹れてくるね」
それは俺が……とレントがソファから立つも、イルムは「いいのいいの、僕に淹れさせて」と都長をやんわりと制した。レントはフレイのそばにいてあげて欲しい、と王は微笑んで、それから部屋を出て行った。
レントはゆっくりソファに座り直すと、一点を見つめたまま微動だにしないフレイを見守った。今、ものすごく、情報を整理している。そんな風に見えた。
「……まさか。イルムが……いとこだなんて……嘘でしょ」
王が嘘ついてどうすんだよ、と心の中でツッコミを入れる。そんなレントも、まさにフレイと同じことを思っていて静かに驚いていたが、いとこだとわかった途端、ふたりとも同じ髪の色だし、眼の色は僅かに違うけど、どことなく少し似ているような気がしていた。
フレイは大きくため息をついて、ソファの背もたれに身体を預ける。天を仰ぎ、吊り下げられているランタンをぼんやりと眺める。
「……おくるみのまま落ちていって、どうして無事でいられたのかしら?蛮族に空中で回収されちゃった、とかじゃないのも不思議ね」
「ご両親のことよりそっち?」
「え、何か変なこと言った?」
「いや……別に。ふたりとも亡くなっているって事実を聞かされると、普通はでかいショック受けるものだと思うんだが」
それはそうかもね、とフレイは天井を向いたまま呟く。エンキも親の話はしなかったし、多分亡くなっているんだろうなと予想はしていたらしい。……そんな予想すんなよ、と口に出そうなのを堪える。
「……お前を助けたのはシェキル様だ」
「ええ!?」
フレイは飛び上がった。どうしてレントがそんなことを知っているのか、そんな疑問も当然飛んでくる。
「あの時俺は、たまたまシェキル様と里で談話しててな。俺の相棒が騒ぎ出したから何だと見上げたら、ちょうど何かが爆発してな……」
シェキルは素早く相棒の蒼竜ヘルトに騎乗して飛び立った。レントはエンキに知らせに屋敷へ走った。エンキを連れて中央広場に着いたところで、ヘルトが降りてきた。飛竜が浮遊した状態からシェキルがおくるみを抱いて飛び降りてくると、皆で屋敷に戻った。
「すげぇ爆発だったのに無傷だった。おくるみは煤けてたけどな。で、お前は爆睡してたぞ」
「爆睡は言わないでほしかった……」
しょぼくれるフレイだったが、それにしても、とすぐに切り替える。
「シェキル様に救われたのね……。聖なる炎の件が済んだら、お礼を言いに行かないと」
そうだな、とレントも頷く。
「イルム様が仰っていた『蛮族に目をつけられていた』理由だけどよ、お前の左の二の腕に印があったんだ」
フレイは咄嗟に二の腕を押さえた。そのまま摩りながらそういえばと回顧する。
「いつだったか、腕に不思議な模様があるなと気になったことがあったわ。痛みも無いし、悪さをすることもなかったからすぐに興味無くしちゃってたけど、これがその……半竜族の印なの?」
袖を捲り上げてみたが、団子になった袖が半分以上隠してしまい、しっかりと見えなかった。
「表には出すな。蛮族は天空界にも蔓延っている。迂闊に見られたら捕らわれて喰われる」
「喰われるってそんな……」
フレイはレントの視線に硬直した。レントは竜騎士を見つめたまま、そっと捲り上げた袖に触れて元に戻した。空気がピンと張り詰める。
「半竜族の血は不老、肉は寿命を100年伸ばす。骨を砕き煎じて飲めば、竜の力を得る。……これは言い伝えじゃねぇ。実際に半竜族を狩って得た事実だ」
「……誰がそれを証明したの?」
竜騎士の声が震えている。レントは口を閉ざした。証明したのは……。
「ハヌスだ。先日アルティアに拘束されて送還されてきた。この紛争の元凶だよ」
側近に扉を開けてもらって入ってきたイルムが代わりに述べた。フレイはゆっくりと王に視線を移した。王は3にん分のティーカップとポットを収めたトレイを静かにテーブルに置いた。
「ハヌスはこの国の大臣を勤めていたんだけど、闇の種族に対して相当な恨みがあるみたいで。父の代の頃はそうでもなかったように見えていたのにな……」
今はもちろん更迭処分を受けて投獄されている。が、それがかえって殲滅派の怒りを買ってしまい、紛争へと発展してしまったという。
「……フレイはテラ・クレベスのギルドの件はご存知です?」
「ギルドがあることは里長からチラッと聞いていたけど、実態はよく知らないわ」
「そうか。そのギルドのリーダーがハヌスで、僕はクレベスに生息する狼の魔物。ハヌスは僕たちに、地界に住む闇の種族を捕らえるように命じ、捕らえてきたヒトを痛め、僕たちに見せしめてきた……。力を持つ闇の種族を野放しにしておくと、いつか我々は支配される、と言って……」
なんてこった、とレントがつぶやく。フレイも信じられなかった。まさかホーリアの民が、悪い心を持つ魔族のようなことをするなんて。
「……どっちが闇なのか問いたくなるわね。ハヌス様こそ闇に堕ちた『悪のヒト』じゃない」
「……そう、そうなんだよ。『心の闇』は種族関係なく宿るモノ。誰かを恨めばそのヒトに対して闇を抱くものなのに、ハヌスはそれに気づいていないみたいで。獄中でも、僕が『闇の種族を擁護している』と主張して、『ホーリアの民として存在してはならない』に発展し、ハヌス派……殲滅派がクーデターを起こして今に至っている。正直この状況に戸惑っているんだ」
武力は武力で抑えるしかないのだろうか。対話ではどうにもならないのだろうか。犠牲者を増やしたくないのに、それも叶わない。ホーリアは自滅していくだろうとイルムは懸念していた。
「半竜族を狩っていたジンブツが大臣を勤めていた……。それは最近発覚したことなの?」
「……ああ。先日、ハヌスが全部吐いた。更迭はそこも含めての処分だ。裏で王族以外の半竜族を狩っていたことに、とても心を痛めたな」
イルムはため息をついた。フレイは胸騒ぎがした。半竜族を狩っていた蛮族の正体がハヌスだとしたら、フレイの父は彼に殺されたのだろうか?罪ニンだが、会って問いただしたくなった。
「……イルム様、この紛争の主の目的は、闇の種族の擁護云々ではない気がします。半竜族の特性を知った以上、ハヌス様がその種の力を得て王座をも奪う……って魂胆も考えられます」
レントは恐るおそる口を開くと、イルムの顔がどんどん青ざめていった。
「闇の種族を何らかの理由で恨んでいる……というのは少なからずあるかもしれませんが、本質はそこではない。痛めつけて見せしめたのは、あなたに対して『次はお前だ』という脅しだったのではと、俺は思いました」
あくまでも俺の憶測ですがね、とレントは語気を強めて付け加えた。イルムはそんな、と声を震わせる。
「……ハヌスは、僕を……半竜族を恨んでいるのか?恨まれることなどしていないつもりだったのだが」
「恨むというよりも、『羨む』だったりするかもしれないですね。半竜族は不老長寿の種。といっても寿命は500年ぐらいと聞いたことがありますが、彼らの血肉を喰らえばもっと長生きする。ハヌス様は、種を喰らって何百年も生き、ホーリアの王の座を我が物にしようと考えてしまった……とか」
レントの考えは生々しく、恐ろしいものだったが、思い返してみればハヌスの不在はしょっちゅうあった、どこへ行っていたと問うても言葉を濁していたな、とイルムは呟いた。
「ああ……紛争を失くすにはどうしたらいいんだろう。僕が全面に出たら相手の思う壺だろうし、だからといって、逃げてばかりも民に不信感を抱かせてしまう。僕を守ってくれている側近たちも、いよいよ疲れが見えてきている。……腹を括るしかないのかな」
俯くイルムに、レントもフレイもしばらく返す言葉が出てこなかった。
「……あのさ、レント」
イルムが思い悩んでいるところ悪いんだけど、とフレイは断りを入れながらレントに疑問を投げる。
「レントはどうして、半竜族の特性を知っているの?」
イルムからハヌスのことを聞きつつも、やけに詳しく話していたことが気になっていた。レントは視線を逸らしてあさっての方向を見つめた。その目は少し泳いでいる。フレイは訝しんだが、それよりも、と話題を変えた。
「そうだ、イルム、もう一つ教えて。『アグニスの水瓶』は、王宮の庭園にあるって本当?」
レントがそう話していた、と加えたタイミングで、イルムは顔を上げた。
「庭園にあるね……。その水が必要なの?」
フレイは地界で起きていること……聖なる炎が毒されてしまったことを話した。王は目を丸くして「そんな」とまた唸った。
「地界が……火の国が瘴気に覆われてしまっていたなんて。他の国は大丈夫?」
「今のところは。けれども時間の問題ね」
「ハヌスは知らなかったのかな、聖なる炎が毒されたことを……。テラ・クレベスにこもっていたらわからないか。ああそれにしても……そんな状況に陥っていたなんて」
イルムは頭を抱えた。アグニスの水瓶の聖水でないと、聖なる炎は解毒されない。その炎の大元もまた、王宮の近くにある。大元の炎は、禍々しい色には変わっていなかったので、誰も地界の異変に気づかなかったのだった。
「……『火』を毒したヤツがいまして、そいつが聖なる炎も変えてしまったんです。そいつが死んで『火』は元に戻ったんですが、松明の炎は変わらないままで、今も瘴気を吐き出してるんです」
レントが事情を補足する。イルムを真っ直ぐに見るも、フレイを見ようとはしない。
「王宮は殲滅派に占拠されてしまっています。聖水を得て炎にかけるには、彼らとの衝突は不可避でしょう」
「それでもやらなきゃいけないわ。都の民を、地界の民を助けなきゃ」
フレイとイルムは見つめ合った。王は竜騎士の覚悟の眼差しを受けとると、そっと目を閉じて小さく頷いた。
「城下町のある場所に、庭園に繋がる地下通路がある。入口は誰が見てもわからないように隠されているんだけど、フレイならその場所がわかるはずだ」
「……わかった。探ってみるわ」
「無茶はしないでね。彼らは話を聞いてくれるヒトじゃなくなっている。見つかったら殺されてしまう」
「……あなたこそ気をつけて。私がここを離れたら、イルムも別の場所へ移動したほうがいいわ。目をつけられているかもしれないから」
「うん。そうする。ありがとう、フレイ」
イルムはようやく笑顔を見せた。すると、重かった空気が少し軽くなったように感じた。フレイは何としてでも聖なる炎を元に戻し、さらにはイルムを救わねばと、ひとり腹を括った。




