第3章-4
テラ・クレベスで、大規模な地盤沈下を起こしてしまった。しかし、こうでもしないと彼女を見つけることはできなかっただろう。
地を沈めたことで現れた、地下の洞窟。ラウルは激しい頭痛に耐えながら、エルビーナを見上げていた。
一点を見つめる彼女の眼は虚ろ、口元は血を滴らせた跡がある。棒のように手足を身体ごと縄で縛られて、巨大な鍾乳洞に固定されていた。
「……ラウ……ル」
エルビーナはまだ生きていた。が、全ての内臓は潰されている。自ら縄を解く力はもう無い。それにしても、彼女の姿を見るのは何年ぶりだろうか。……今までで一番酷い有様だ。
「……して。ワタシを……こ……」
「精霊は……もう、解放したんだな?」
エルビーナの眼が少し動いた。少し口角を上げた。
「した。次は……誰だろう……ね……」
ラウルは弓を出し、足元に転がっている石から矢を生成すると、無言で番えた。弦が小さく唸る。彼女の核に狙いを定める。核は、鎖骨の下にわかりやすくぼんやりと赤く光って場所を知らせていた。
「……ごめんね」
エルビーナがぽつりと謝った。ラウルは力を緩めて弓を少し下ろす。
「共鳴してきたのが……あなただったから……調子に乗っちゃった。おかげで……ワタシは……少し楽になった」
「……火は毒されたままだがな。だが……俺が君を屠れば……君は望み通り死ねるし、火も元に戻る。……俺の闇毒は気にするな。覚悟の上でやったことだから」
ラウルは弓を完全に下ろすと、右手で弓と矢を持って彼女に近づいた。エルビーナは、やはり目だけ動かしてラウルを窺っている。
口元の血を左手で拭ってやる。肌は冷たく、死ニンのようだったが、構わず顎をクイっと上げた。くすんだ紅玉色の眼が、少し見開いた。
「ラウ……」
核だけで生きているエルビーナの眼がじわりと潤みだす。その涙が頬を伝う前に、ラウルは彼女に口付けした。
ゆっくり唇を離すと、ラウルは微笑んだ。エルビーナもまた、微笑んでいた。くすんだ瑠璃の眼から涙が伝った。
「俺こそ……すまなかった。村を出てからも、行く先々で酷い扱いを受けていたにも関わらず、助けに行けなかった俺を恨んでくれ」
「いいや。ワタシは……あなたを恨むつもりはないよ。ワタシだって……あなたを突き放したし、あれで終わったと思っていたもの。なのにこんな……」
エルビーナは一瞬微笑んだ。ラウルも微笑む。この勢いで彼女の拘束を解いて救えばいいものの、闇毒がそれをさせなかった。ラウルは自我を保てなくなりつつあった。
「俺は……エルと幸せになりたかった。それなのに……俺は……」
「ラウル。最期にワタシのわがままを……望みを叶えてくれるんだもの。それで充分、ワタシはシアワセだよ」
「エル……その望みは……っつ」
ラウルは激しく襲う頭痛に耐えながらも、たまらなくなってもう一度キスをした。
……もう、二度と共に生きていけないのか?今更になってそんなことを言ってすがったところで、エルビーナの意思は変わらない。わかっていても、思いをぶつけてしまう。
「ほかのオンナを愛しなよね……こんな見窄らしいワタシじゃなくて。ワタシよりもそのヒトは、きっと……あなたを支えてくれる。シアワセにしてくれる。……そんな気がするよ」
再び唇を離した時、エルビーナは笑いながらそう言った。ラウルの顔が涙で酷いことになっているのを、彼女は笑っていた。
「そろそろ……終わろうか。終わらせて。ワタシの……ジンセイを」
そう言われて、ラウルは彼女を見つめたまま4、5歩後退して、矢を番え直そうとした。手が震えていたが、頭痛がより酷く押し寄せてきて目を固くつぶった。そのまま腕を上げ、ゆっくりと弓を引いて、目を閉じたまま核に鏃を向けた。
カッと見開いたラウルの双眸は、美しい瑠璃色だった。
「エル、愛している!」
射手の左手から矢羽が離れると、矢はまっすぐに飛び、エルビーナの核を貫いた。刹那、エルビーナの咆哮が洞窟を震わせた。
「!!」
核が粉砕された瞬間、青白い光が飛び出した。それは一瞬周りを白に染めて、エルビーナの亡骸を包んだ。ラウルはよろめき、くずおれた。頭を金槌で強く叩かれるような頭痛と吐き気、目眩が襲う。
「あああああ!!」
弓が消える。頭を抱えて地をのたうちまわる。心の臓が破裂しそうになる。
その時、何かがのしかかってきた。うつ伏せで大の字になると、頭を掴まれた。首が折れるかと思うほどに顔を上げられた。その視界は、黒い靄をまとった魔導士の足元を映し出した。
『ようやくだ……。ようやくあの霊体を蘇らせることができた。よくやった』
上半身を起こされて羽交締めにされた。赤と紫のオッドアイの大柄な魔導士。ラウルを締め上げているのは、蘇った霊体だろうか。冷気が伝わってきて、体温が奪われていく。
目を合わせるために、魔導士は片膝をついた。右手を上げ、人差し指を立てると、小さな円を描くように動かした。心の臓が圧縮され、激痛が走る。
「ぅあ……!!」
このまま闇毒を吸い出してくれたら、大地も自分も元に戻るのに……!そんなことを思いながら、魔導士の見えない魔法に呻く。一方魔導士は、ラウルの心を読み取ったのか、不敵な笑みを浮かべた。
『お前に蟠る闇は取り除いてやろう。だがしかし、闇毒に溺れ続けるがいい。そうして地界を滅亡させろ。天空界をも破壊させられればなお良しだ。……世界を、終わらせろ』
魔導士の赤眼が光った瞬間、ラウルの身体の中で嫌な音がした。目の前が真っ暗になった。
音も、気配も、冷たさも、何も感じなくなった。
ヘイレンはガロの背上で「あっ!」と突然叫んだ。彼の後ろに騎乗していたシェラの身体が一回跳ねた。ガロの後をぞろぞろとついてきている騎士たちも「どうした?」と少しざわつている。
「何を感じたの?」
シェラは落ち着いてヘイレンに問う。上半身を少し拗らせ、顔をこちらに向けた。もともと白い肌だが、それがいっそう蒼白なそれとなっていて、思わず目を剥いた。
「……バルド」
「なんだって!?」
ガロは止まって「構えろ!」と一声する。騎士たちは各々の武器を握り直した。
「近くにいる?」
「……いや、ごめん、もう少し先にいる。でもあの……地面がないところに」
ヘイレンはそろりと指差した。情報誌が語っていた通りの、ぽっかりと深い穴が開いている。地鳴りがして、崩落する音がした。
ここから先はガロから降りて向かってみることにした。彼を先頭に、一同はゆっくりと近づいていく。
ガロが足を止めた。素早く矢を取り番えると、弓隊が一斉に同じ行動を取った。シェラは杖を取り出して槍に変化させ、ヘイレンも杖を前に構えた。
「来る!」
ヘイレンが叫んだ直後、穴から黒い靄が青白い光と一緒に飛び出した。それは空高く飛んでいき、やがて見えなくなってしまった。
「今のは……バルドか?」
ガロは引き絞っていた矢を緩める。ヘイレンは空を仰ぎながら答えた。
「……たぶん。黒い靄はそうだと思います。でも、あの白い光は何だろう?」
空に気を取られていた。突然大地が再び揺れたかと思うと、足場が崩壊した。
「退けぇ!」
ガロの号令も虚しく、皆深い穴へと吸い込まれていった。シェラはエールとフィリアを召喚した。エールはヘイレンとガロの腕を掴み、フィリアは穴の底近くまで降下して、それから上に向かって大きく羽ばたき風を起こした。
「シェラは!?」
ヘイレンは召喚士を見失っていて軽くパニックを起こしていた。一方ガロはエールに腰あたりを抱えてくれと請うていた。氷狐は器用に抱え直すと、半獣は弓を引いた。そして、真っ暗な穴の底に向けて放った。
その矢は光を伴いながら落ちていくと、底に刺さって深淵を照らした。刺さった場所は岩場のような地だったが、彼らが落ちる位置にはフィリアが翼を広げて受け止めようとしていた。
幸いにも大きな怪我をしたヒトはいなかった。翼を伝って足場にたどり着いた騎士たちは、フィリアの翼に着地できなかった仲間を救出した。
地盤沈下のせいか、そこには深い湖ができていた。びしょ濡れになった騎士たちは、一旦武装を解いていた。ポセイルの魔導騎士たちは、己の魔力で浮遊していたので事なきを得た。シェラもその中に混じっていた。
体勢を立て直している間、ヘイレンは先に伸びる洞窟に意識を集中していた。かすかにラウルの気配を感じるが、いつものラウルではないような、ラウルだったもののような、複雑なものだった。
佇むヘイレンの隣にシェラが並んだ。彼もまた、気配を感じ取ろうとしていた。
「ねえシェラ、ボクたちに今のラウルを抑えることってできるのかな?なんかすごく……嫌な感じがする」
ヘイレンは怯えていた。ラウルの矢を避けるのも至難の業だが、大地をも武器にしてしまえるので、近づくことすらままならない。
「捕らえたところで地面を壊されて逃げるだろうし……下手に挑まないほうがいいのかな……」
シェラも思い悩んでいた。アルスやシェイドの力が使えたら……あんな相手でも簡単に取り除けるのだろうか。しかしアルスは意識不明だし、シェイドはどこへ消えたかわからない。
「……シェラ殿、少しいいですか」
ガロの声に、ふたりは振り返った。
「ここで封印の結界を張ってみては、との声が上がりまして。大地を破壊する力を持っている故に、あまり効果は無いかもしれませんが……」
ポセイルの魔導騎士たちの得意とする『水の結界』は、対象物を魔法の鎖でそれをきつく拘束し、さらに『水の膜』で閉じ込める。そして、錘を付けて湖や海の底に沈めておく、というものだ。
シェラが方法としてあげていた「核を抜き出して埋めるか湖に沈めておく」と少し似ているが、水の結界はラウル本体を沈めるため、彼の魔力が有り余っていたら結界も破られる可能性が十分にある。
「湖はあちらを使います。結界でラウルを封じた後、シェラ殿の魔法で湖を凍らせていただけませんか?」
普通なら凍死するが、相手はコア族だ。シェラは湖を一瞥すると、黙って頷いた。
「ラウルはおそらく魔物のように我々を襲ってくるでしょう。私が湖上までおびき寄せますので、封印のほどよろしくお願いします」
「わかりました。……お気をつけて」
ガロは小さく一礼すると、弓を持って洞窟の奥へと消えていった。シェラはヘイレンを呼んで、湖から3馬身程離れた岩陰に潜むように指示した。
「矢が飛んできた際に、そこから光の壁を作って欲しいけど、いけそう?」
角度が少し気になったシェラだったが、大丈夫と返ってきたので、頷いて自分の位置についた。
湖の際。見上げると空はすっかり漆黒のそれとなっていた。ガロが射た光の矢があたりを照らし続けていて、比較的明るいが、湖の色は空の色と同じだった。
「構えよ」
魔導騎士隊長のの号令で、緊張が走る。3呼吸程して、蹄の音が聞こえてきた。一定のリズムで、しかしながらかなり速い。咆哮が後を追って洞窟の空気を震わせた。そして。
ドゴン、ドゴンと壁を壊しながら、それはやってきた。矢ではなく、飛礫が鏃の形を成してガロを襲う。半獣の騎士は悪い足場ももろともせず、湖へと駆ける。
「ヘイレン!」
青年が隠れていた岩が一瞬のうちに粉砕した。間一髪、ヘイレンは壁を作って己を守った。強い衝撃に耐えきれず尻もちをついたが、ラウルの更なる攻撃が来ることはなかった。
ついにガロが湖に到達し、力強く地を蹴って飛越した。宙を舞いながら身体を拗らせてラウルの方を見た。それはすぐそばまで来ていた。双眸を赤く光らせ、ガロに手を伸ばした瞬間、それまで静かだった湖が水飛沫をあげた。
水は蛇の如く伸びていき、ラウルの足を捕えた。金の鎖が続いて足に絡みつくと、一気に身体に這い回った。
ガロは躊躇なくラウルの両肩を偶蹄の前脚で蹴り、後脚で更に蹴り落とした。動きを鎖で封じられていたラウルは、なす術なく湖に飲み込まれていった。
水の結界がしっかりと張られたのを確認し、今度はシェラがエールを伴って湖上に舞う。氷狐がガロを回収している間に槍から杖に戻し、魔力を集中させる。杖の先が青白く光り、それはどんどん大きくなる。
どぅん、と湖が振動する。ラウルが波動を起こしているのだろう。湖の表面だけでは破られると察した。
シェラは溜め込んだ杖を一旦頭上に掲げると、勢いよく湖に向けて振り下ろした。青白い光が放たれ、湖に触れた直後、一気に凍りついた。湖全てが凍ったところで、ようやく振動も収まった。
皆の息遣いだけが響く。しばらく様子を窺っていたが、ラウルが暴れだしそうな雰囲気はない。シェラはふう、とひとつため息をついた。
「たぶん、しばらくは大丈夫でしょう。皆さん、一旦ここを脱しましょう。弓隊の皆さんは召喚獣たちでお運びします。魔導騎士の皆さんは、申し訳ありませんが浮上の魔法で自力でお願いします」
エールはひとまずそのままガロを地上へ連れていった。フィリアは何回かに分けて弓隊を運んだ。
凍った湖に、シェラはそっと着地した。まだ暴れていたら、少しばかりは振動するだろうと思っていたが、何も伝わってこない。軽く目眩がする。かなり魔力を使ったせいだろう。振動がわからないのも、魔力が弱ってしまってるからなのだろうか。シェラはやや俯いて眉間を押さえた。
「大丈夫?」
ヘイレンが湖の際に立っていた。シェラは眉間から手を離してヘイレンと向き合う。目眩のせいで焦点が合いづらい。
「あまり大丈夫じゃないかもしれない。ちょっと……」
急に貧血のような状態に陥って、立っていられなくなった。ふらつく召喚士を見て、ヘイレンは慌てて駆け寄ろうかと踏み出しかけたが、氷に乗った衝撃でヒビが入ったらまずいと思って留まった。
「シェラ!!」
ヘイレンは叫ぶしかなかった。その時、上空から氷狐が降りてきて、倒れかけるシェラを抱えた。エールはそのままヘイレンの元へ行き、彼を抱えて飛び立った。
地上は洞窟よりも寒かった。冷たい風は強く、一気に体温が奪われていく。テラ・クレベスは季節関係なく強風が吹き荒れるらしい。ガロがそう教えてくれたのは、皆でダーラムに戻ってからだった。
弓隊と魔導騎士隊は、ヒールガーデンでしばらく英気を養った。
ガーデンに着いた直後、シェラはガロの背上からするりと落ちた。すぐそばにいた弓隊のひとりが受け止めたが、脇腹からは濃い血が溢れ出ていた。ガロが抱えて運んだおかげで、素早く手当てができた。ヘイレンも癒しの力で手伝ったが、気分は酷く落ち込んでいた。
ボクの力はまだ、シェラの傷を完治できていない。塞いだはずなのに、深い傷がまたできるなんて。カードゲームができるほど元気になっていたはずなのに。
ベッドをぼんやりと眺めながらため息をついた時、扉が開いてウィージャが入ってきた。医師はシェラの様子を一瞥して、変わりないねと呟いた。
「魔力を一気に消費した影響もあるけど、脇腹の傷が開いた原因はこれだったよ」
ウィージャは白衣のポケットから手のひら程の大きさの瓶を取り出した。中には石の欠片が入っていた。
「コイツが傷の奥に潜んでいて、魔力が減ったことでコイツの力を抑えられなくなった……って感じかな。でも、もう悪さをするモノは無いし、ひと眠りしたら大丈夫」
瓶をポケットに戻しながら、ウィージャはもう一度シェラを見た。召喚士はすやすやと眠っている。顔色も悪くない。快方に向かっていると見えた。
「決してヘイレンの力が足りていなかった、ってわけじゃないからね。ラウルが放ったコイツが全部悪いんだから」
落ち込んでいる原因を悟られていて、ヘイレンはビクッとした。ウィージャは「むしろ」と微笑む。
「あっという間に傷が塞がってびっくりしたよ。背格好だけじゃなくて、魔力もしっかり成長してる。助手になって欲しいくらいだよ」
私もそんな癒しの力が使えたらなぁ、と羨むウィージャに、ヘイレンは少し気分が晴れた。
「……そうそう、話変えるけどさ」
ウィージャはそばにあった椅子に腰掛ける。
「今朝、うっかりキッチンの火を灯しちゃったんだけど、変な色じゃなくなってたんだよね。これ、ラウルがエルビーナの闇毒を全部取り込んだからなのかな?」
「火が……元に戻ったのですか!?」
瘴気を吐き出す火ではなくなったのは、確かにウィージャの言う通りかもしれない。エルビーナは闇毒から脱した。代わりにラウルが侵された。だから、大地は干魃や地盤沈下が彼のいる先々で起きるようになった。
しかしヘイレンは、それだけではないような気がしていた。穴から飛び出していった青白い光を伴った黒い靄。あの光の正体はわからずじまいだ。
バルドが何かやったのでは?もしかして……
「エルビーナさん、無事なのかな……」
ヘイレンの不穏な言葉に、ウィージャは首を傾げる。
「え、その……洞窟にいた、とかじゃないの?」
「……あ!」
あの洞窟の奥にエルビーナがいた可能性を、誰しもが考えていなかったとはこれ如何に。ヘイレンは慌てて立ち上がると、ポーチを持った。
「ガロさんってどちらにいらっしゃいますか?」
「ええっと、彼は軽傷だったからガーデンにはもういないと思うよ。たぶん、グリフォリルの厩舎じゃないかな……って」
話の途中でヘイレンは部屋を飛び出していった。ウィージャは目を瞬かせながら少し固まっていた。
……まあ、『厩舎』まで聞いてたでしょう。そう思うことにした。




