幕間-2
なぜエルビーナが、精霊に選ばれたのか。
虚弱体質で魔力も微弱、使いものにならないと揶揄されていたのに。
なぜ「わたし」は、選ばれなかったのか。
体力も魔力も申し分ない、皆から慕われていたのに。
「……ヴォンテ」
火の国ファイストの小さな村イフラン。ここで生まれ育った「わたし」……ヴォンテは、村に佇む橙の火が灯る松明から視線を移した。わたしを呼んだのは、長年連れ添ってきた友であった。
「何か進展はあったか?」
「ああ。ホーリアの騎士からの情報だが、テラ・クレベスで闇毒の混じった血溜まりがあったそうだ。属性の特定をしたところ、微かだが火属性を感知したらしい」
「なぜホーリアの騎士が、そんなところに?」
「どうやら例のギルドのアジトがあったらしい。ギルドの長はホーリアの種族だったそうだ。闇の種族を捕らえて半殺しにしていたとか」
「ギルドの長を連行する為にホーリアの騎士が来た、といったところか。しかしギルドの長も不運だな。闇の種族を殺す前にお縄になるとは」
ふん、とわたしは鼻で笑った。
「それはさておき、エルビーナはクレベスで見つかったのか?血溜まりだけか?」
「血溜まりだけだ。姿は誰もみていない」
「早く見つけて核を破壊せねばこの国は滅びる。やがては地界が滅びていくだろう。なんとしても阻止せねばならない」
そうだな、と友も呟いた。
わたしはエルビーナの行きそうな場所を必死に考えつつも、昔のことを思い出していた。あいつは街や村へ行くと必ず身体を傷だらけにして追い出されていた。何度かその光景に出くわした。賢者として全く相応しくない器だな、とその度に罵声を浴びせたが、それらが積もり積もった結果、己を闇毒で侵し、火を毒したか。
わたしの場合、賢者という立場を奪われた腹いせにエルビーナに強く当たってきた。他のヒトビトにも酷く虐められていたことに、わたしはざまあみろと嗤ってやった。
火を毒した行為は、あいつなりの復讐ということだろう。『ワタシを虐めた全員を許さない』と言いたいのだろう。……愚かなやつだ。
「あれはなんだ?」
友の声で我に返ったわたしは、彼の指差す方向を見た。村の入口の門に、黒い靄がヒト型を成して留まっている。実体がぼやけていてよくわからない。
ぼうっ、と背後で松明の炎が小さく暴発した。見ると、美しかった橙の炎は、赤と紫の入り混じるそれとなっていた。
せっかくわたしの魔力で浄化させたのに!苦労が水の泡ではないか!
わたしは再度黒い靄を睨みつけた。絶対にあいつのせいだ。友が止めるのを振りきって、わたしはズカズカと早足で近づいていった。
「お前……何のつもりだ?せっかく火の毒を綺麗にしたのに、お前が来た途端に毒されてしまったではないか!」
怒号は小さな村によく響いた。数少ない家々からヒトが何事かと出てくる。そして靄に気がつくと、おとなはこどもに「中に入ってなさい!」と叫んだ。
「毒と化した炎を綺麗にしろ。そんな魔法が使えるのなら、ね。出来なければ別の方法でやれ。さあ早く!」
わたしは靄に命令したが、相手は何の反応もない。イライラが募る。
「姿を表せ!臆病者め!それともそれがお前の姿か?わたしがその靄を剥いでやろうか?……何とか言え!」
わたしが手を伸ばしたその刹那、靄から赤い閃光が放たれた。きん、と耳をつんざく高音が響くと、手を伸ばした格好のまま動けなくなってしまった。
まるで、石化したかのように。
『では貴様の言う別の方法を取らせてもらおう』
初めて靄が喋った。その声は低かった。わたしは「この金縛りを解け!」と怒鳴りたかったが、できなかった。息が詰まり、身体が締め上げられていく感覚がまとわりついている。そして。
ぐしゃあ!と嫌な音と共に、ヴォンテの身体は鮮血を四方八方に巻き、内臓を飛び散らかせた。骨も皮も肉も、服だけを残して靄に吸い取られていった。
悲鳴を上げたかった。しかし、靄のかけた魔術はヴォンテだけではなく、この村全体にかけられていたため、皆動けなくなっていた。
ひとり、またひとりと、声も無く倒れていく。その度に白い靄のようなものが身体から出ていった。家の窓やドアからも白いものがすうっと伸び出てきて、全て黒い靄に吸い寄せられていった。
そして、「俺」だけが残った。呼吸が浅い。身体は固まってしまっているのに、唇だけはわなわなと震えている。瞬きができず、目は乾いて涙すらも出なかった。靄がようやく、実体を表した。
『……そういう奴だから、精霊は貴様を選ばなかったのだよ、ヴォンテ』
大柄な、見るからに闇の種族。随分と皺を刻んでいたはずが、みるみるうちに消えていく。
『お前も苦労したな』
目の前のジンブツはなぜ、ヴォンテを、俺が苦労してきたことを知っているのか。しかしその疑問も、もうどうでもよかった。
あとわずかしかない命。俺もコイツに生命力を吸い取られておしまいのはずだった。
『……エルビーナのいる場所へ、行くか?』
魔術が解け、瞬きができるようになった。大きく息を吐いて、少し咽せた。
「エルビーナ、だって?」
掠れた声で聞き返した。魔導士は黙って頷く。
『ヴォンテにこき使われていたジンブツは、お前のことだろう、マクトゥーモ。エルビーナがそう言っていた』
そんな風に見られていたのか、と俺は鼻で笑った。
『エルビーナがお前を連れて来いと言っていた。だからお前だけ生き残した』
「へぇ……そうかい。で、何で俺なんだ?」
『……知らん』
知らねえのかよ、と突っ込みたくなったが、相手への恐怖を拭えぬままだったのでやめた。とにかく今は、こいつに従っておけば生き延びられる。俺は「わかった」と頷いた。
村の門を通り過ぎて数歩、俺は立ち止まって振り返った。あったはずの門も家もない。どれも土台だけ残っている状態だった。
そう、先ほどまで見えていたこの村は、ヴォンテが生み出していた幻影だったのだ。そうでもしないと松明に火を灯せず、この一帯も瘴気に侵されてしまう。
幻影が無くなった。つまり、俺は瘴気に侵され始めたということだ。こいつに殺されるほうが苦しまずに済んだのにな、と思っていたが、道中は全くと言っていいほど正常だった。俺は不思議と首を傾げていた。
もしかして。
「なあ……ここの空気は既に瘴気が充満しているんだが……あんた、それをも取り込んでたりするのか?そろそろぶっ倒れてもおかしくないのに、全然苦しくならねえんだが」
随分と歩いてきた頃、魔導士は立ち止まった。俺も自然と足を止める。
『……そんなにも、瘴気は濃くなってきているのか。私にとっては栄養分である故に、自然と取り込んでいた。私から3馬身以上離れたら、瘴気に侵されていくだろう』
やっぱりか。こういう時、闇の種族は強いなと少しだけ羨んだ。生きているだけで毛嫌いされ、世界から排除されようとしている種だが、俺はそこまでしなくてもいいのではないか、と今初めて思った。
彼らがいないとダメな事もあるのではないか、と。
『もうじきだ。まだ歩けるか?』
おっかない魔術を使ってヴォンテを屠ったわりには、意外と気を遣ってくれるやつだな。
「いくらでも行けるぞ。地界中を旅してきたからな」
大柄な背にそう返すと、魔導士は黙って歩き始めた。




