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第一章 第四話「愛那」

 2023年11月10日(金)――

 この日友郎は十五分の寝坊をした。三日間連続で寝不足だったつけが回ってきたのだ。

 急いで駅の階段を駆け降り、いつもより二本後の電車に駆け込む。普段から二本早い電車に乗っていたため授業には間に合うのだが、これでは彼女に会うことができないのだ。

 つくづく自分が情けない。所詮高嶺の花の存在、雲の上の存在、話しかけることすらできない存在だったのだ――。息切れ混じりの大きな溜め息が、車窓と心を曇らせた。空気の重い鈍行列車は香澄町を後にする。

 大きな川に差し掛かると、火曜日に訪れた駄菓子屋を思い出す。あのどこか異様な雰囲気と、老婆の真剣な眼差しが、三日経った今でも彼にチケットの効果を信じさせた。


 小藤町駅に着くと、乗ってくるはずもない扉を見つめた。扉が開くと、そこには息を切らした女子高生が立っていた。愛那だった。

――なんで……⁉︎

 彼女は目の前に立つ見知らぬ男子高生が、驚きの表情で自分を凝視していたため一瞬上げた足を降ろした。――が、すぐに乗り込み何事もなかったかのように、呼吸を整えイヤホンを取り出した。

 友郎は目を疑った。いつもと違う時間の電車で彼女に会うことができたのだ。嬉しさと同時に、失いかけたチャンスが再度訪れたことに、急に心臓の鼓動が速くなる。

――今日しかない……。

 やはり次の駅で彼女の友人は乗ってこなかった。どうやら偶然にも、愛那も寝坊をしたようだ。

――条件は整った。電車内はさすがに恥ずかしい……。彼女が降りる駅で決行しよう。

 彼女は友郎のことなど気にも留めていない様子だが、本当にあのチケットに効果はあるのだろうか。今になって不安が頭をよぎり始める頃、電車は運命のホームへと差し掛かる――。

 心臓は最骨頂に脈を打つ。しかし頭の中は思いのほか冷静だった。

 愛那が降りた後ろを、5歩遅れてホームに足をつけた。

「すみません」

 彼女の背中に声をかける。

 えっ、と小さく声を漏らし、驚いた表情で振り向く彼女に、必死の笑顔を見せるがぎこちない。

「と、突然すみません……。俺、秀桜北しゅうおうきた高校二年の青木っていうんだけど」

「えっ? あ、はい」

 口元に運ぶ彼女の手が少し震えているように見えた。

「も、もしよかったら……今度の日曜日、俺と……その、デートしてほしいんだけど……」

――言ったぞ、言ったぞ! ここまできた!

 心臓の音がバカみたいに聞こえる。彼女を直視することができない。

 おそらく二秒くらいなのだろう、友郎には一時間くらいに感じる沈黙の中、自分でも急に何を言い出しているのか、よくわからなく感じ始めた。

 すると突然、愛那は両手で顔を覆い、肩を震わせ泣き出してしまった。通行人がちらちらと二人を見ているのがわかった。

――あぁ……やってしまった――。

 あんなチケットを信じてしまったがために、彼女を怖がらせてしまった。本当に取り返しのつかないことになった――と、友郎は過去の自分を責めた。

「あの、本当にすみません、気にしないでください……」

 頭を下げ謝罪をした彼に放たれた言葉は、意外なものだった。

「いえ、少しびっくりしてしまって……。私でよければぜひ……」

 涙を拭いながらもその表情は明るかった。

「え……え? いいんですか?」

「はい、いいですよ。私、一葉愛那って言います。秀桜西高校二年です」

 彼女はにこりと微笑んだ。その愛くるしさに友郎は恥じらい下を向く。

「あ、青木友郎です」

「青木くん。よろしくね」

 そう言って愛那は右手を差し出した。友郎は慌てて右手を制服の裾で擦り、彼女の手を優しく握った。握り返す彼女の手は少し冷えていたけど、とてもしなやかで細く、優しかった。


――こんな嬉しいことがあっていいのだろうか。

 彼女と目が合うたびに、彼女の完璧さに釣り合わない自分が情けなく感じるが、今は目の前の幸せに浸ることにした。

 その後二人は時間と場所だけを約束し別れた。午前中は用事があるらしく午後から会うことになった。

 階段を降りるその後ろ姿を見送り、友郎は次の電車で学校へと向かった。車窓の曇りは取れ、降り注ぐ日差しで車内の、いや友郎自身の体温が上がっているのを感じていた。


 チケットの効果は本物だった。本当に見ず知らずの人間がデートまで漕ぎ着けることができたのだ。

――明後日のデートの後、本当に記憶が消えてしまうのだろうか……。

 未だに信じられないが、それが本当でも構わない。もしチケットがなければ、きっとこの先も一方的に彼女を見つめる日々が続いていたに違いない。チケットの力とはいえ、勇気を出して話しかけたこともこれからの人生にとってきっと大きな自信になるはずだ。

 他言禁止のため憂樹に報告することはできないが、そもそもあいつには話さないほうがいいだろう。

 彼女と連絡先を交換しなかったのも、掟にあった通り『記録に録る』ことが禁止されていたからだった――。


 結局一時間目の授業には間に合わなかった。しかし、そんなことは全く気にならなかった。遅刻したにも関わらず、友郎は窓の外をぼーっと眺めていた。遠くの空は黒く濁っていて、どうやら午後には雨が降りそうだ。そんなこともやっぱり気にならない。友郎の心は隅々まで晴れ渡っている。完全に愛那に没入してしまっていた――。


 一時間目が終わるやいなや、憂樹が飛びついてくる。

「遅刻とは珍しいな。理由は?」

「ただの寝坊だよ」

「その割には、にやにやしてるように見えるんだが?」

「してねぇよ」

 友郎は一瞬、デートのことを話しかけたがやはり飲み込んだ。今まで彼女もいなく、自ら知らない女子に話しかけることすらしたことない自分が、他校の女子とデートまで漕ぎつけたなんて怪しすぎる。チケットのことだって死んでも知られたくない。友郎はそっと心の秘密箱に蓋をした。

「ふ〜ん」

 つまらないと言わんばかりの返事をして憂樹は自分の席に座る。

――すまんな憂樹。来週、もし記憶があれば報告するから……。

 

 二時間目以降もやはり愛那のことで頭がいっぱいだった。

――やっぱりデートといえば水族館? 映画館もいいよなぁ。でも洋画とか好きじゃないかな?

 こんなとき、憂樹に相談したらサクッと気の利いたアドバイスでもくれるんだろうなぁ、と少し歯痒さを感じる。

 帰り道、傘がなかったため駅までを走ったが、そんなことも気にならない友郎の足は、いつもよりも軽かった。


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