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プロローグ

 2022年3月9日(水)――

 気温は10℃前後。東北東からの風が優しく吹いて、首元の汗を冷やした。

人のいない(さび)れた商店街を抜け、住宅街を通過すると土手にぶつかる。土手を登ると大きな川があった。赤い橋が架かっているのが見えて電車がそれを渡っている。夕陽が眩しくて思わず目を細めたが、水面に反射する光景が綺麗でつい見惚れる。

「綺麗――……」

 家からまっすぐ歩いておよそ一時間、少女は、こんな美しい場所に辿り着けるとは思っていなかった。荷ほどきもある程度ひと段落し、少しでも気晴らしになればいいと、家を飛び出て良かったと思った。三年間、部活で着ていたこのスウェットも、多分もう着なくなるんだろう。ほつれた裾、穴を塞いだ膝、練習に励んだ日々を思い出させる。


 同じように土手をランニングする人が目の前を通り過ぎる。小学生が数人、河川敷でボールを蹴っていたと思えば、無造作に並べられた自転車に駆け乗りどこかに急いで走っていった。遠くでは犬を散歩させている人がいて、そろそろ夕飯の支度をしなきゃ、と言わんばかりになにやら犬に説得をしているようだった。

きっと、ここでは毎日のようによくある光景なのだろう。


 ふと風下に目を向けると、土手を住宅街側に降りた先に、古い木造の建物があるのが目に入った。というより、目を奪われたような感覚だった。吸い寄せられるように近づき、看板を見る。

「冬……サンゴ屋?」

 古い駄菓子屋のようだった。『冬珊瑚屋ふゆさんごや』と書かれた看板が(かす)れていて、少しだけ不気味さを感じる。気がつくと身体は店の中だった。気配を察知したのか、暖簾(のれん)の奥から白髪の老婆が現れ、互いに挨拶を交わした。

 懐かしい駄菓子、玩具が陳列され思わず目が輝いたが、それよりも一際目を惹かれるモノがあった。それは、棚の右隅にあるポストのような小さい木箱、その上に置かれている数枚の紙だった。その数枚の紙が、異様な雰囲気を放っていたのだ。


 老婆はそれを売ることについて、少女に二つの確認をとった。

 老婆がした質問は、「今好きな人はいるか」と、「その恋は叶いそうか」だった。それに対する少女の答えはそれぞれ「はい」と、「いいえ」だった。すると老婆は優しく微笑んで、いくつかの説明をした後、その紙を売ってくれた。

 一方で、少女のした質問は次の一つだけだった。

「『掟』を破ると……どうなりますか……?」

 老婆はとても寂しい表情をして、ゆっくりと答えた。

「とても、とても辛いことになる……。破った者は、『(タマ)()ヨ ()エネバ()エネ』と口々に(とな)えたと言い伝えられておる……。つまり、死んだ方がマシ、という意味じゃ……決して破ってはならん」

 少女の瞳は、何かを決意した、迷いのない眼差しをしていた。



 駄菓子屋をあとにした彼女は一人、土手の階段に座り込んだ。吐く息は白かったが、まだ火照(ほて)っていた身体にこの冷たい風はちょうど良かった。


 辺りを見渡すと、この広い河川敷にはもう誰もいなかった。ふいに独りを感じる――。

 先ほど駄菓子屋で過ごしたほんの数分が、今となってはまるで夢だったかのような感覚に(おちい)って、その不気味な感覚が孤独に拍車をかけた。


――きみに会いたい――。


 ふぅっと一つ、溜め息をついて遠くを見つめる。その澄んだ瞳から溢れた透明な雫が、彼女の頬を伝う。夕陽の反射を捉えキラッと光り、いくつかのその光が(あご)に集まる。やがて大きな雫となり、足元のコンクリートを濡らした。次第に、スウェットの袖では拭いきれないほどの涙が溢れ、嗚咽(おえつ)まじりに唾を飲み込む。鼻をすすると目の奥がツンとして痛くなった。


 少女はまだほんの十五歳だった。

 四月からは憧れの高校生活が始まろうとしていて、『普通』の女の子ならばきっと今頃、希望に満ち溢れた想いを胸に、幸せな日々を送っているに違いない。こんな思いをしているのは世界にきっと、自分だけなのではないか――。

 つい悲観的になりがちな思考を、これではいけない、と自らを鼓舞しオレンジ色の空を仰ぐ。


――きみに出逢えたこと、心から感謝しているよ――。


 彼女が下した決断は、中学三年生の少女が抱え込むにはあまりにも重すぎる『覚悟』だった。


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