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『レグルス』という名を聞けば皆は、五百年前に栄えていた『レグルス帝国』をすぐに思い浮かべる。
人類が誕生し国を治めていく歴史の中で、レグルス帝国は異質で、また、あの国以上に栄えた国は今現在までの歴史の中で、一国も無い。
当時の皇帝ドミナートル・レグルスは、何百年経とうと未だに人々の尊敬を集め神格化されていた。
彼の政治的手腕は言うまでもなく、兎に角、人を育て生かすのが上手かったのだ。
それは身分に関係なく、その人に才能を見出せば手を差し伸べる。おかげで優秀な人材の宝庫とも言われていた。
彼に見いだされた天才の中に、ファーラも含まれていた。というか、元々ファーラは天才肌で研究馬鹿だったのを、スカウトしたという方が正しい。
当時、国盗り合戦で各国がかなり疲弊していたのだが、ファーラのおかげでレグルス帝国として統一され、ドミナートルの手腕で帝国を豊かにしたのだ。
その『レグルス』の名に、この国は変えるという。
バラン公爵達は突然の事に呆然としたが、すぐに玉座の人物に問う。
「これは一体、どういう事だ!玉座に座っているのは誰だ!国名が変わるだと?我々に何の相談もなく勝手ではないか!説明を求める!!」
バラン公爵に同調した貴族達が騒ぎ始め、それを鎮めるためにサイモンが一歩踏み出そうとするのを、白く華奢な手が止めた。
そして、玉座から立ち上がると、ドンッと杖で床を叩いた。
一瞬にして煩かった口は閉じられ、戦々恐々とした眼差しで見上げる。
「勝手なのは、お前達だろう。この地は我のモノである。五百年も前からな」
その声に初めて目の前の人が女性だと気づく。
「・・・・女?」
誰かが呟いた。その声につられざわめきが走る。
好き勝手に騒ぎ始める彼等に、またもドンッと床を叩く音に口を閉ざす。
「我が名はファーラ。ファーラ・レグルス。この地の正当な所有者である」
フードを取り現れたのは、サラサラと流れる様な銀髪に、鮮やかで華やかなオレンジ色のパパラチアサファイアの瞳を持つ美しい女性だった。
彼等はファーラの容姿に目を奪われ息を飲む。
そんな状態からいち早く復活したのは、バラン公爵だった。
「五百年前?頭のいかれた女が、この地の所有者だと?証拠はあるのか!」
その言葉にパチンと指を鳴らせば、彼等の目の前にサイモン達にも見せた契約書が現れた。
突然、目の前に現れた契約書にも驚いたが、その魔法契約書にバラン公爵の子飼いである魔法使いが驚きの声を上げた。
「これは・・・・本物です。しかも、かなり精密で高度な契約で、魂で縛っている。今の我々では絶対にできないモノだ」
「つまりはどういう事なんだ!」
「本来魔法契約書とは、契約した者のどちらかが亡くなれば契約は解除されます。ですがこれは、例え契約者が亡くなってもその魂を持つ者であれば契約が成り立つというもの。つまりは、此処に記されているファーラ・レグルスという人物の魂を持って生まれたものが契約者としての権利を持ち、例えその魂を持つ者が現れなくてもその契約は継続されているという事」
なんとも、荒唐無稽な話に皆が言葉を失くす。
そんな彼等を無視し、魔法使いは言葉を続ける。
「そしてこの契約の恐ろしい所は、その契約を他人が侵害すると、ペナルティが課せられるという事」
ハッとしたように一人が声を上げた。
「つまり、これまで国王が短命だったのは・・・・・」
一斉にファーラへと視線が移る。
「お前の考えている通りだ。この土地を不当に侵略した魔法使い。奴の血筋がペナルティを受けている」
ファーラが「何を当たり前の事を言っているんだ」と不思議そうな顔でバラン公爵達を見る。
人のモノを盗めば、罰が下る。それはいつの時代も変わらぬものだと思っていたのだが・・・・まぁ、こいつらは悪人だからな。
「当然だろう。人の家に勝手に土足で踏み入り、好き勝手にしているのだから」
理解できないという表情のファーラ。そして、そんなファーラが理解できないバラン公爵。
「だが、既に国として成り立っているのだ!」
「それがどうした。ここが我のモノだという事は、変わりない。お前たちが勝手に住み着き、国としてしまっただけ。我の所有物の名を変える事に、お前たちの同意など必要ない。今後この地は我の支配下となる」
突然の宣言に「な!なにを・・・」「横暴な・・・」と、貴族達は言葉を失くす。
「我が支配下となるにあたり、不要なものは全て排除する事となった」
パチンと指を鳴らせば、彼等の頭上から紙が降り注ぐ。
それを手に取り目を通せば、皆の顔色がどんどん悪くなっていく。
何だ・・・何故だ!何故、隠していたはずの書類が此処にある!
バラン公爵は雪の様にひらひらと落ちてくる紙を何枚も手にし、ぐしゃりと握りつぶした。
「証拠があれば、己が罪を認めるのだろ?」
既に玉座に戻ったファーラは、尊大な態度で見ろしてくる。
降り注ぐ紙は、此処に集められた彼等の悪事の証拠。それを握りしめ「もう駄目だ・・・」「あぁ・・終わった」と膝を突く貴族達。
バラン公爵もまた絶望の淵に居た。だが、まだ諦めきれてもいなかった。
この貧しい国であったからこそ、自分は成功し栄華を極めた。
このまま、諦めきれるわけがない。
どうせ破滅するのなら、誰かを道連れにしなくては気が済まない。
正に、最後の悪足掻きである。
握っていた紙の束を投げ捨て、素早く懐から短刀を出したかと思うと、ファーラめがけて投げた。
その軌道は、真っ直ぐにファーラを目指していたが、ある距離に達するとピタリと止まり、そのまま落下した。
そこで初めて、この空間の異常さに気付く。
一人がその場から逃げようとし、すぐに透明な壁にぶち当たり尻餅をついた。
それをきっかけに、悲鳴を上げながら次々と逃げようと走り出すが、出られない。
見えない壁に手を置く彼等は、綺麗な円を描くのだった。




