第44話 生霊とマインドコントロール
3年F組の教室。そこに入ると霧か靄のようなナニかが纏わりついてきた。
なんなんだコレは。教室が薄暗いのもコレのせいなのか。
ソレが俺の身体に絡み付いているのか、身体が妙に重怠く感じてきた。それとも頭の中にソレが入ってきたのだろうか、頭がボーっとする。そのせいで身体までが怠いのか。
女の子がいる。
異様なくらい背が低くて醜い顔をした女の子が俺を見ていた。教室の前の方に居たはずが、今は随分と近くにいる。いつ、どうやって近づいてきた。
視線を外すことができないとボンヤリと思った。いや違う、ちゃんと見てなければいけないんだ。この少女を俺は見続けなければダメなんだ。だがどうして……
ずいぶんと目が離れた少女。まるで魚のような目。瞬きをしない。どこを見ているのだろう。右目と左目が違った方向を見ていた。いや、ちゃんと俺を見ている。
異様で異質な顔。その顔からはなんの感情も読み取れない。喜怒哀楽が抜け落ちた表情のない顔。
髪の毛が長い。何年間切らなかったここまで伸びるのだろう。だが綺麗な髪とは決して言えない。剛毛で艶がなく、細かく縮れて膨れ上がった髪を伸びるに任せた感じで、腰にまで届いている。その長い髪を額の真ん中で分け、顔の両端についている魚のような目の半分をその髪が隠している。眉は整えていないのか薄っすらと繋がり、縺れた髪と共にナニかを発散していた。
顔にめり込んだような鼻が横に大きく広がり顎がない少女の口は歯を隠そうとしているのか、ぶ厚い唇が前に突き出ていて、捲れている上唇のせいで鼻と唇が極端に近い。大きな瘤のように前に出ているひたい。横幅の広い顔。肌の全てが土色をしているが日に焼けた健康色ではなく、ジメジメと湿ったナニかを連想させる顔色。
その少女が俺を見て笑った。ああ、なんて素敵で可愛らしい笑顔なんだ。生えている向きがバラバラの歯、バカでかい八重歯なんかも両方にあって肉食獣の牙みたいでとてもいい。きっと骨だってバリバリ食べちゃう素敵な女子なんだろう。ちょっと笑っただけなのに歯茎が剝き出され、その歯茎も黒ずんだ紫色で使っている歯磨き粉を教えて欲しい。笑いかけられた誰もが頬を染めるほどの高貴な笑顔だ。素晴らしい家に生まれた少女なのだろう。優雅で気品に溢れ、育ちの良さが見て取れる。ご両親にもお会いしたいものだ。
俺はひざまずいてその少女の手にそっと触れたいと思った。そうしたかった。しなくてはならないと強く思い、躊躇うことなく俺は膝をついた。
すると頭の中にある映像が見え始めた。
裸の女が俺を見下ろしていた。はにかみながらも高揚した微笑みを零し、桜色の胸を恥ずかしそうに手で隠しながらもその女は目を逸らさずに口を開いた。
ーーこのホクロ、義仁しか知らない………
太腿の付け根にあるホクロ。翳りの近くにあるそのホクロに女の手が伸びた。
え……? 夢で見た大人の静香だ……なんで………
「うわ……」
思わず声が出た俺は教室の床にひっくり返るように腰を落としてしまった。目の前には俺を見下ろす醜い少女がいた。
なんだコイツ、歯ぁ剝き出しやがって、猿が威嚇しているみたいに見えるけど、もしかしたら笑ってるのか。なんなんだよ、なんで俺に向かって手を出してんだ? その手をどうして欲しいのよ、爪だってすっげー汚ぇし、ふざけんな。女なら髪くらいとかせ。いや、切れ。ボーボーに伸ばしやがって、ひたすら見苦しいわ。眉毛だって繋がってんだろ。全部なんとかしろ、直ちにだ。
何かに気づいたのか醜い少女が俺から離れた。でもどうやった? 歩いたようには見えなかった。
ーーーオロカナルココロノカズカズヲ イマシメタマイテ イッサイシュジュウノ ツミケガレノコロモヲ ヌギサラシメタマイテ ヨロズノモノノ ヤマイ ワザワイヲモ タチドコロニ ハライキヨメタマイ ヨロズセカイモ ミオヤノモトニ オサメシメタマエト コイネガイタテマツルコトノ ヨシヲキコシメテ ムネノウチニネンジモオス ダイガンジョウジュナシメタマエト……………
テルの声だ。
声の方を振り返ると、教室の入り口に立ち、目を見開き、肘を張って手を合わせ唱えていた。
ーーータカアマハラニマシマシテ テントチニ ミハタラキヲアラワシタマウ リュウオウハ ダイウチュウコンゲンノ ミオヤノミツカイニシテ イッサイヲウミ イッサイヲソダテ ヨロズモノヲゴシハイアラセタマウ オウジンナレバ ヒフミヨイムナヤコトノ トクサノミタカラヲ オノガスガタトヘンジタマイテ ジザイジユウニ テンカイ チカイ ジンカイヲオサメタマウ リュウオウジンナルヲ トウトミウヤマイテ………
祝詞のようだ。だがあまり聞き覚えのある祝詞ではないような気がするが、龍王神という言葉が聞き取れた。
気が付くと、教室にたちこめていた靄のような霧のようなナニがが晴れ、俺の身体の怠さも無くなっていた。よく解らないけどスゲーな。祓いってヤツなんだろうな。……そうだ、アイツは?
ソイツはまだ居た。だが恐ろしい顔ーー般若の形相で祝詞を唱えるテルを睨んでいる。そしてだんだんと薄くなったソイツは、消えた。
ーーーカシコミカシコミモウス………
何度も祝詞を繰り返していた大国照子が大きく息を吐いた。顎からは汗が滴り落ちていた。
「とりあえずは清めた。ハル、よく取り込まれなかったな」
「今のって祝詞だろ? それのおかげじゃないのか?」
「ああ、龍神祝詞だ。この教室の穢れを祓った。だけどアイツ……生霊だ。その生霊を退治した訳じゃない。清めた空間に居づらくなって消えただけだ。でもハルは自分でアイツを弾き返した。どうやった?」
「どうって………なんか……エッチな静香が出て来て……」
「エッチな静香??」
3年F組の教室に急にざわめきが戻った。他のクラスと同じような。だがナニかが変だ。
「このクラスには強烈なヤツがいる。そいつが生霊飛ばしてる。それにそれだけじゃない」
3年F組の奴らがどうにもおかしいのに気が付いた。テルが言う生霊というのはさっきの醜い少女のことなのだろうが、このクラスの誰も気にしていない。それにテルが唱えていた龍神祝詞だって、そんなの何も聞かなかったように、今だって俺とテルが居るのに誰も気にした素振りもなく、それぞれが勝手にお喋りをしている。
「クソ………彩音や朱海でも勝てないかもしれない」
「その強烈なヤツって……なによ?」
「マインドコントロールだ。それも無意識にやってたら………そうとうに凄い。それにしても信じられない。そんなヤツがどうして………いつから居たんだ」
大国照子はまだ入り口の傍に立ったままだ。その後ろには何人もの3年生がこの教室を覗こうとしている。栄前田椿と枡渕香乃、それと静香の顔があった。俺の目線に気が付いたのか大国照子が振り返り、
「ダメだ。絶対に入るな」
他の生徒が入ってこないように壁になっているらしい。だとするとテルはまだ何かをするつもりなのか? 生霊とかマインドコントロールとかスピリチュアルなのって俺の領分じゃないような……3人娘に任せてしまいたいんですけど……
「栄前田椿! 投票やり直すって言ったよな。なんでやらないんだよ。越前紬はちゃんと来るって」
そう怒鳴ったのは窓際から2列目の後ろの方に座っている塩谷だ。すると3年F組の大勢が口々に同じようなことを言い始めた。さっきまではテンデンバラバラにお喋りをしていたのに。それにしても塩谷のヤロー、ハラ立つ。ヘタレのクセしやがって、相手が女ならそれがクラスメイトだろうが平気で売りやがるその根性が許せんわ。
「おい塩谷、お前、越前紬にナニやった? えええ? なにをヤったんだって聞いてんだ! 答えによっちゃ~半殺しなんかじゃ済ませんぞ。ヘタレのクソチビの分際で……」
「暴力か! また暴力を使うのか! やれよ、やってみろよ!」
無意識に木刀を握る手に力が入り、意識が研ぎ澄まされた。コイツ、女を殴る男どころじゃない。まだ中学生なのにどうしようもないクズだ。まともな人間になるとは思えない。
俺はゆっくりと近づいていた、塩谷に。
「僕は暴力をふるわれる被害者なんですとでも言いたいのか? 言えよ、塩谷。お前が越前紬になにをしたのか言ってみろよ。お前………犯したんじゃないのか」
「………そっ、それがどうした! ヤったよ、越前とヤった! そんなの俺だけじゃないから、みんなアイツとヤってんだよ! 女子だってアイツの身体押さえて……」
「てめええええええええええええ!! 塩谷!!」
そう怒鳴ったのはN町出身で3年G組の城地ルミだ。教室の入口に立ち塞がる大国照子をすり抜け、教室に飛び込んできた。
「お前えええええええええええええええ!! 去勢してやっからサオ出せえええええええええ!!」
栄前田椿だ。城地ルミに続いて怒鳴りながら飛び込んできた。
「ダメだ! 入ったらダメだ! クッソ~~……瀬川、中木、桜井、向こうの戸を押さえて誰も中に入れるな!」
そう怒鳴った大国照子は、自分が立っていた入口の戸をピシャリと閉めた。
教室に飛び込んできた城地ルミと栄前田椿。その二人の様子がおかしい。勢いよく飛び込んで来て、周りの机なんかを蹴散らせながら走っていたのに、少しずつ動きがゆっくりになっていき、塩谷のところに辿り着く前に止ってしまい、ただ突っ立ている。おいおい、なんなんだ? どうしちゃった?
その栄前田椿に誰かが近寄って行った、天野だ。城地ルミには工藤が近寄って行き、スカートを捲り、手を突っ込んでパンツをズリ下げやがった。天野も栄前田椿に同じ事をしている。こいつら……
木刀を片手で上段に振りかぶった俺は天野に向かって走っていた。声を出すのさえ忘れた。
入口の戸を押さえていた大国照子も走り出したのが目の端に見えた。だが、何かを感じた。なんだこの感じは……
「お前か………」
ちょっと離れた所に座る一人の女子から目が離せなくなった。コイツだ。
「お前、整形してるだろ」
俺がそう言った途端、女子の悲鳴が響き渡った。栄前田椿と城地ルミの二人だ。
「きゃあああああああああああああああああああああ!!」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
二人ともペタンと床に座り込んで片手でスカートを押さえ、傍にいるヤツをもう片方の手で追いやろうとしている。
「二人ともコッチに来い! ………早く!」
大国照子の声に、床に座り込んでいた二人は慌てて立ち上がり、足首あたりに絡まるパンツを上げながらテルの後ろに逃げ込んだのが見えた。
視線をさっきの女子に戻すと、そいつは驚いた顔を俺に向けていた。
「それカツラだろ。髪質が違い過ぎる」
その女子は、目尻がすこし下がった二重の大きな目なのだが、斜視だ。どこを見てるのか分からない目。ツンとした鼻に口角が上がったピンク色の唇、顔全体のバランスの取れた形の良い顎。ボブに切り揃えた髪が顔を小さく見せていた。目が少しおかしいのが余計に魅力的でもあって、誰が見ても可愛い女子できっとモテる。だがその顔に薄っすらと被さる別の顔が見える。それはさっき見た、笑うと威嚇する猿みたいな少女の顔だ。
「ハル! そいつが生霊飛ばしてた本体なのか!!」
「ああ、コイツだ。なんでか分らんけど、こいつのツラ、さっきの生霊だかって女の顔が被さって見える。コイツ……整形してカツラ被ってる」
その少女ーー俺に整形だと指摘された少女が立ち上がった。凄い表情だ。黒目なんかどこにいっちまったのか白目を出し、歯を剥きだし、顔の全部のパーツが真ん中に寄り、顔中を皺だらけにして俺を睨みつけている。だが立ち上がったのはソイツだけではなかった。3年F組の全員が立ち上がり、皺女と同じ表情で俺を睨んでいた。
「ハル! 逃げるぞ!」
テルと城地ルミ、そして栄前田椿は直ぐに廊下に飛び出して俺を手招きしてるが、無理だ。俺は教室の奥に来過ぎていた。
「動くな! お前の意思で全員が動いてんだろ? わざとにヤってんだか、無意識にそうなってんだか知らんけど、お前だって分かってんだろ? 周りが自分に影響されてるってことが。動いたらそのツラ……前より酷いツラにしてやっからな。だから一人も動かすな」
俺は木刀を両手で持ち、正眼の構えを取りながら剣先をソイツの顔に定めてそう言った。女を叩いたことはないが、あの栄前田椿がーーこの学校をなんとかしようと奮闘していた栄前田さんが、あやうく犯されそうになった。城地ルミもだ。卑猥な笑みを浮かべることもなく、なんの躊躇いもなく淡々と女のパンツを脱がせた天野と工藤。股間が盛り上がっていた。だがそれは天野と工藤だけではなく、3年F組の男子全員が同じ状態だ。こいつら全員が狂ってる。
歯を剥き出して俺を睨んでいる皺女の顔に剣先を向けて対峙していた。そんな俺と皺女を3・Fの全員が取り囲み、唸り声をあげて腰を落としている。ちょっとでも隙を見せたらコイツら飛び掛かってくる。正眼に構えていた俺は、ゆっくりと、ことさらゆっくりと腕を上げ、身体を右に向けて上段霞の構えを取った。
防御に強く素早くカウンターを撃てる構えなのだが、相手に与える威圧感が凄いのがこの構えだ。俺は剣先を皺女の顔中心に向け、ジリっとにじり寄った。防御などハナっから考えてない、突てやる。一撃でコイツの人中を突く。
皺女との距離が詰まらない。俺に合わせて動いてる。そしてそれは皺女だけではない。取り囲んでる3・Fのヤツらまでもが同時に動いていた。
ギリギリで突きの間合いには入ってる。腕を伸ばせば突ける。だがそれではコイツは避けるように動き、人中は外す。隙が出来る。突いた剣先をかい潜られるかもしれない。上段に構え直した方がいいのか。いや、このまま一気に間合いを詰め、身体をぶつけながら突く。
今だ!
だが僅かに皺女が早い。真後ろに飛びやがった。全部が読まれてた。
皺女は驚くほどに身軽で、反動をつけずに後ろに跳び上がり、蛙のような姿勢で机の上に乗った。かまわず霞の構えのままで2歩、3歩と迫ったが、また跳びやがった。
上段霞の構えは身体を真横に右を向く。相手に与える威圧感はハンパない構えだが先手を取るには適していない。身体を戻しながら袈裟に振りかぶり、跳んだ皺女に向かって振り下したが、全てワンテンポ遅い。クソ、コイツなに者だ?
次の瞬間には全員が走っていた。俺を取り囲んでいた3・Fの全員が皺女と一緒に教室の前側にある出入口ーー大国照子がいない出入り口に向かって一斉に駆け出していた。そんな動きなどまるで想像していなかった俺は立ち尽くしてしまった。
凄まじい音が響き渡った。何人もの3・Fのヤツがーー女子も混じった一団が、閉められていた出入り口の戸に、まるで戸など無いかのように突っ込んだのだ。
廊下に弾け飛んだ戸。ガラスが入った戸だ。廊下側でその戸を押さえていた男子バスケの3年生3人をも一緒に弾き飛ばした3・Fのヤツらは、廊下で折り重なって転び、その上を皺女が走り抜けて行ったのが見えた。
「なっ………なにやってんだ!! お前ら……ここでなにをしてる!! ………おい……それって血か? 怪我? 怪我してんじゃないのか?!」
一戸先生だ。
廊下で折り重なって倒れている中には、割れたガラスで身体のどこかを切った者がいるようだ。だが3・Fの連中の中で出血した者などいなく、ガラスの入った戸に下敷きにされた瀬川と中木、それと桜井の3人が手や顔を切っていた。
「大丈夫です。ほんのかすり傷だから」
「とにかくお前たち3人は保健室に行け! ………春山……お前……なんで木刀なんか持ってんだ! 学級委員長の工藤!! 工藤はいないのか! …………工藤、なにがあったのかお前が説明しろ」
事の成り行きを工藤に聞くのか。想像通りだとも言えるが、無性に腹が立つ。この一戸って教師、栄前田椿に言わせると、生徒とヤったのをネタに脅されてるらしいが、なんでそんなヤツが教師やってんだ?
「ちょっと待てよ……」
そう言いかけた俺の肩が後ろから掴まれ、振り返るとテルが首を横に振っていた。成り行きを黙って見ていろということなのか?
「春山! お前は黙ってろ! ここは3年F組だ。Fの学級委員長に聞くのが筋だ。工藤、なにがあったのか説明しろ」
「はい、まず最初に、2年生が大勢で押しかけてきて、俺達3年F組全員を半殺しにしてやるって怒鳴って、そしたら急に廊下に逃げ出して行って………意味分かんないから放っておいたら、春山君が入って来て暴れだして、教室の入り口も大国さんたちに押さえられて、だから俺達みんなで戸に体当たりして逃げたんです」
工藤の話をどういう訳か冷静に聞くことができた。こいつらに不都合な点は抜け落ちてはいるが、デタラメじゃない。ある意味あっているとも言えた。
「ふざけんな!! 俺達2年生がなんでアンタがた3年生の教室に来たか分かってるはずだ! 卑怯だ! 胡麻化すな! 越前先輩が……なんでリストカットしなきゃなんなかったんだよ! あんたらが………あんたらが………越前先輩と………ヤらせるから投票しろって……そう言ったろ!! そこにいるアンタ! アンタが2年のバスケの樋口に言ったよな! そして大国先輩にぶん殴られた! 言えよ! 全部ちゃんと言えよ! …………ちくしょう………3年生のクセに……きたない……卑怯だ……」
そう言ったバドの米森は、塩谷に指をさしながら怒鳴っていたが、よほど悔しいのだろう、途中から泣き出し、蹲ってしまった。
「塩谷、そうなのか?」
「はい、確かに僕は大国さんに殴られました。昨日です。でも逆です。そこにいる2年生……樋口君っていうんですか? 彼に言われたんです、投票するから越前さんとヤらせろって。それ断ったら男子バスケの部室に連れ込まれて、殴られました」
「ふっ、ふざけんじゃねええええええええええええええ!!」
樋口がそう怒鳴り、塩谷に飛び掛かろうとしたがテルに押さえられた。
「大国先輩………なんで? なんで止めるんすか? こんなヤツ……こんなヤツなんか……」
テルに止められた樋口も力なく廊下に座り込んだ。
塩谷は続けた。越前紬が手首を切ったのは、きっと何人かの2年生に、生徒会長なりたいならヤらせろって脅されたからだと思う、と。
塩谷のその説明に3年F組の連中は大きく頷いている。女子もだ。こいつらどうなってんだ? そう思ったのは俺だけではない。そこに集まっていた3年F組以外の者は、全員が言葉を失った。2年坊主が越前紬にヤらせろと脅しただと? 3年には俺やテルがいる。アヤとウミも2年生から恐れらている。そんな3年生に2年坊主が脅しをかけたというのか? そんなデタラメが通用するのか?
「バッキャロオオオオ!! そこまでトボケタこと言うって………いったいなんなの? いいよ、言ってなさい。私は………私は、さっき3年F組の教室の中で………天野にパンツを下げられた! みんながいる前でスカート捲られて…………下げられたの……大勢に見られた! それはどう説明するの!! 私を越前紬と同じようにレイプしようとしたんでしょ! 言い逃れできるなら言ってみなさい!」
栄前田椿だ。城地ルミなら言うかと思ったが、男の前では言い難いそんな話を栄前田さんが言うとは思わなかった。だが言い終えた栄前田さんは、激しい息遣いでボロボロ涙を流し、それを拭いもせずに歯を食いしばって立っている。
「なっ……なんだって? レイプって………天野! お前そんなこと、まさか……」
「いいがかりです。僕がそんなことするはずないじゃないですか。それに周りにいっぱい人がいたんですよ。女子だってみんないたんですから。疑うなら3年F組の誰でもいいから聞いてください」
「はぁああああああ?? お前………」
栄前田さんは呆然として次の言葉が出ないようだが、それは俺も同じだ。廊下にいて3・Fの教室に入らなかった誰もが、栄前田さんのレイプ未遂発言に心底驚き、そして名指しされた天野の言い分など誰も信じないはずだ。だが、自分達がいた目と鼻の先で、それも女子も大勢いた教室内でそんなことが起きていたなど信じられないというような顔つきでもある。
いつのまに来たのか近藤先生がいた。そして大国照子が近藤先生の耳元でなにやら囁いている。
静まり返った廊下で誰かが笑い出した。城地ルミだ。
「あはははははは、栄前田椿、こんなクソども相手にしたってムダ、ムダ。やめときな。一戸先生、ひとつ教えておいてあげる。あんたが大好きな学級委員長の工藤。アタシはその工藤にパンツ下げられたんだよね。うん、アタシも犯されそうになったの。ハッキリ言っちゃうけどね、アタシは栄前田椿とは違ってバージンじゃないから。だけどさ~、普段の素行が悪くってバージンじゃない女だってレイプされていいって法はないんだよね。工藤、あんたアタシのパンツ下げた時、素手だったろ。バカだね~、指紋ついてるから。今は21世紀なんだよ。科学だってどんどん進歩しちゃって、衣服についた指紋だって採取できんの知らないのかい、バーーーカ! 栄前田椿、アンタのパンツにも天野の指紋ついてっから一緒に警察行こうや。そのパンツ持って」
「え………行く! 絶対行く! 3・Fの全員がグルだってこと証明してやる!」
城地ルミは腕を組んで、さも可笑しいと大笑いしていて、栄前田椿も涙を拭いながら釣られたように少し笑った。だが一戸先生と工藤、天野、塩谷の4人は明らかに慌てだし、
「けっ、警察って………お前……そんなの……たんなる悪戯だって、ちょっと悪ふざけが過ぎただけだろ……それをレイプしようとしたとか……いきなり警察って……」
一戸が急にヘラヘラしながら二人の女子ーー栄前田椿と城地ルミに近寄って行った。二人はよほど気持ちが悪いのか、顔をしかめて後ずさっている。この一戸って教師はマジで3・Fの女子とヤったのか。
そんな一戸先生に大股で近づいていった近藤先生。歩きながらの回し蹴りが決まった。左脚を軸にした体重が乗った一撃。きれいに上がったエっちゃんの右足が一戸の顔面に決まり、鼻血を噴き上げながら後方にぶっ飛んで行った。
「女生徒に触るな!!」
そしてエっちゃんは、栄前田椿と城地ルミの首根っこに両腕を回し、
「私に預けて」
2人の女子は互いに顔を見合わせた後に頷いた。へ~、エっちゃんって他のクラスの女子にも信用あるんだ。
そして廊下に倒れている一戸先生に向かってエっちゃんが言った。
「ウチの春山が3・Fで暴れたこと、そして2年生が怒鳴り込みに来たこと、それら全部を不問にしなさい。私が言ってこと分る? 全部無かったことにしろって言ってるの。……いいね? いいんだね? 一戸先生。嫌だっていうなら、私が責任を持ってこの二人を警察に連れて行って被害届書かせます。2枚のパンツ持参でね。担任は勿論だけど、3年F組の生徒全員レイプ未遂の共犯にしてやるからな!! 男も女も関係ない、全員だ!! それが嫌なら不問にしろって言ってんの、分かった?」
これって脅迫っていうのだろうか。
とにかく栄前田椿と城地ルミの二人ともがエっちゃんに今日の件を預けるってことに同意しているのだからいいのかもしれないが、エっちゃんはいったい何をやろうとしてるのだ。そう言えばテルとなにやらヒソヒソやっていたな。
そのエっちゃんが俺達に向かって喋り始めた。
「今ここにいる生徒………3・F以外の生徒だけど………ふ~ん……ウチのクラスだけじゃないんだ。2年生もいっぱいいるね。ま~いいや、このまま私について来て。うん、自分のクラスには戻らないで。茶道部の部室でちょっと話しあるから。……………え? 大丈夫、私って茶道部の顧問だから鍵持ってんの。部長も副部長もいないから今日も活動中止でしょ………………授業? あ~~始まってるだろうね。それぞれの担任だってもう教室に戻ってるだろうね。でもしゃーないでしょ。自習なのにアンタがたが勝手に抜け出して3年F組に殴り込みに行ったんだから。自分で担任にちゃんと謝んなさい。私はそんなことまで責任もてません。とにかく茶道部の部室に来なさい! これ命令!」
近藤先生を先頭に30人以上もの生徒がゾロゾロゾロゾロついて行った。3年生の他のクラスの担任は、教室から顔だけを覗かせていたが、慌てて首を引っ込めていた。とにかく関わり合いになりたくないのだろう。




