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第3話 サスマタと不快な笑み

 何人かの警官がこっちに向かって走って来る。それを目にして独り言を呟く細野先生が、生徒の大半が自分を見ている事に気がついたようだ。


「みっ、みんな落ち着け! 大丈夫だ! ……大丈夫だから…落ち着け!」


 誰もが次の言葉を待った。だけど細野先生は「落ち着け」を繰り返すばかりで、更には教壇に戻ったり窓際に近寄っては外に目をやったりと落ち着きなく動き回り、その目は泳いでいた。


「先生! 不審者が校内に侵入してきた場合のマニュアルがあるって聞きましたけど……」


 その声にクラス全部の目が集まった。学級委員長の夏堀さんだ。


「ふっ…ふっ…不審者って……まだ…そうと決まったわけじゃ……」

「でも…もし何かあってからじゃ…」

「なっ、なにかって…お前……」

「先生! みんな怖がってます! ……私も凄く怖い……」

「そっ…そう…だよな……うん…そうだな、わかった! とにかくあのマニュアルに従って準備しよう! なにごとも無ければそれはそれでいいし……みんなーーー! 入口から離れて窓際に寄ってーー! そこから動くんじゃないぞ! これから先生が教室の鍵を閉めるから、絶対に入口に近寄るなよ!」


 そう言った先生は物凄い勢いで教室の前にある出入り口に駆け寄り、鍵を掛け、次に教室の後ろにある出入口に向かって、邪魔な机を蹴散らしながら駆けて行って鍵を掛け、「次は…次は……えーーーっと…次は…」と宙を睨みながら呟いている。



 校内放送が流れ始めた。


「きっ………き………きん…きん…緊急放送! こちら緊急放送!」


 校長先生の声だ。聞く者の不安をいっそう掻き立てるような緊急放送が始まった。


「こっ……これは訓練じゃない! 訓練じゃない! 生徒は教室から出るな! 絶対に出てはならない! これは訓練じゃない! 訓練じゃない! 生徒は教室に……とっ留まれ! せっ…先生も教室から…で…で…出るな! 鍵を掛け…生徒と一緒に…教室で……たっ…たっ…待機! そして…そして…なんだった? あれだ…あれ…あれを持て! そっ…そうだ! サ…スマタ…サスマタだ! サスマタを持て! 先生はサスマタを持って教室で待機だ!」


 誰もが校内放送が流れるスピーカーを見た。無駄口を叩く生徒など一人もいなくなった教室で「サスマタを持て、教室から出るな、これは訓練じゃない」と、どもりながらも繰り返す校長先生の声を聞き続けた。


 窓際で身体を寄せ合って固まる女子たち。男子たちも青い顔で互いを見合いながら突っ立っていた。

 だが、サスマタって何だ? 多くのクラスメイトも「サスマタ……??」と口にしていた。そして先生も「サスマタ…サスマタ…サスマタ…」と呟きながら、腰を屈めて教室の中をウロウロしている。


「先生!!」


 その声に細野先生を含めたクラス全部の目が集まった。


 なっ…なに? 俺?


 その声は俺の声で、俺の口がそう言っていた。

 そして集まった視線は直ぐに俺から離れた。みんなが見ている先ーー振り返ると、俺の右腕ーー俺は右腕で後方の斜め上を指で示していた。


 なんで? 俺は何をやってんだ? 


 だが指が示す先ーー教室の後ろの壁には、柄の長いーー柄がきっと2メートル以上はあって「Uの字」をした物が柄の先端に付いている、何かがあった。


 ーーこれがサスマタ?

 ーーいつからあった?

 ーー2年生の時はなかったはず…

 ーー3年生の教室だけ?

 ーーなんで俺が知ってんだ?

 ーーいや…知らんかったよな、こんなのおかしい…

 ーー俺がおかしいのか?


「先生はサスマタを持て! すぐにサスマタを持つんだ!」


 スピーカーから流れ出る声がまるで呪いを掛けるかのように繰り返されている。


 どの教室にもあるのか? その…サスマタって名前のアレが。



「先生! 細野先生! はやく! はやくサスマタ降ろさなきゃ!」


 夏堀さんの声だ。その声に同意するように女子たちが頷いていて、男子からは「ヤバイって!はやく降ろそうって!」といった声が次々とあがる。誰一人、あそこにあるサスマタと呼ばれる物に違和感など感じていないようだ。俺だけなのか?


「こっ、これは……高すぎて届かない」


 スピーカーからは「先生はサスマタを持て!」との校長命令ーー呪いのようでもあり、あえて慌てさせているとしか思えないような声が繰り返されている。


「お前とお前とお前、机を持ってこい! その上に椅子を乗せて先生があがるから……ちゃんと押さえてろよ!」


 教室の後ろの方に居た俺を含めた男子3人が2つの机を持っていき、その上に椅子を乗せ、細野先生がよじ登っていった。俺は先生が乗った椅子を押さえながら2人に聞いた。


「こんなの前からあったか?」

「こんなのって…サスマタのことか?」

「そう、サスマタ。2年の教室にもあったんだったか?」

「う~~ん……あったんじゃね?」

「お前さ~~、あったから知ってたんじゃねぇの? お前が指さして教えたんだぜ」

「あ~~そうなんだよな」

「おっ、お前たち、喋ってないで……ちゃんと押さえてろ」


 椅子にあがった先生の声。その声につられて見上げると先生の足が震えていた。スピーカーからは相も変わらず校長先生の、落ち着くことを決してさせてくれない呪いの言葉が流れ続けている。


 榎本君が俺の正面で窓を背にして先生が乗る椅子を押さえていた。その榎本君の陰で気が付かなかったが、榎本君の後ろの窓際には河西さんがいて、じっとこっちを見ている事に今気が付いた。


あいつの目……光ってる。ん? 笑った? なんでこんな時に笑えるんだ?

 

 そんな河西さんを見てると、ポケットに手を入れて携帯電話を取り出した。誰かからの着信でもあったのか? するとメールを読み始めたのか、下を向き、そして再び顔を上げこっちを見た。また笑った。俺は新井さんから送られてきた画像の事を思い出した。写っていた水着姿の佐藤さん。


 ーーこれ見ながらしたらいいよ


 新井さんが言った台詞。河西さんが同じ台詞を今言ったような、そんな気がした。教室の前の方で固まる女子たちを見るとすぐに佐藤さんと目が合った。


「ちっ、ちがう……あれは…」


 俺は声に出していた。ちょっとの間を置いて俯いた佐藤さん。顔が赤い。




 全学年の生徒が体育館に集められ、壇上にあがった校長先生が話し始めた。隣には制服姿の警官もいる。


 グラウンド前の道路に女の人が倒れていたそうです。通り掛かった人がその女性を発見すると、背中から血を流し、何者かに襲われ、そして刺されたと言っていたそうです。犯人の行方は警察が全力で捜査しておりますが未だ見つかってはおりません。刺された女性の容態も現段階ではよく解ってはいません。

 生徒の皆さんは親御さんが迎えに来るまで帰らないように。部活動も中止です。今、担任がみなさんの家に電話を掛け、事情を説明しています。おうちの方が迎えに来るまで、この体育館から出ないようにしてください。学校内の教室やトイレ、それに更衣室など全てを警察の方が確認済ですので、不審者が入り込んでいる事はありませんが、念のために体育館から出ないようにしてください。

 それとおうちの方と連絡が取れなかったりして誰も迎えに来られない生徒は、担任が責任をもって家まで送り、そしておうちの方に直接引き渡します。



 それから30分もしないうちに次々と親たちが現れた。子供の無事を直ぐにでも自分の目で確認しようとスリッパなど履いていられなかったのか、裸足で走ってくる親。親の顔を見て緊張が緩んだのか泣き出す生徒。体育館は収取のつかない事態に陥っていった。俺はなぜか冷めた頭でそんな親子の様子を見ていた。すると、うちのクラスの担任ーー近藤先生だけが、事情を説明しろと、来る親来る親に食って掛かられているのに気が付いた。なんで近藤先生だけ? 先生が何をやったって言うんだ。女だからなのか? 親たちのイラついた感情の捌け口にされている先生。ウチのクラスの親たちって……ムカつく。


 体育館の壁に寄り掛かって立っている河西さんの姿が目に留まった。珍しく誰かと喋っているようだが、よく見ると一人の女子が河西さんに対して一方的に何かを言っているように見える。後ろ姿の女子ーー背の小さな女子は両手をスカートのポケットに突っ込んで、背の高い河西さんの正面に立ち、二人の距離は随分と近い。


「なぁ高橋よ、あれって誰か知ってるか?」

「ん? あれって?」

「ほら、あそこでウチのクラスの河西さんにイチャモンつけるように見える女子」

「イチャモン?? あ~あ~あの女な。あれって俺らとは違う小学校だったから良く知らんけど…なんてったかな~C組の……え? ドンパだってドンパ。背低いからか2年や1年に見えるけど3年C組の…あ! 思い出した、権藤だ権藤。あいつな~強烈らしいぞ。俺らが1年の時って3年にけっこう不良いたろ。バイク乗り回して補導っていうか警察に捕まったりしてた3年生。そんな3年の男子にビンタ食らわせて、回し蹴りまで決めたって聞いたな」


 中年の男の人が河西さんを迎えに来たようだ。あれが河西さんの父親か……まるで見覚えが無い。ほんとご近所さんだったのか?

 権藤さんはポケットに両手を突っ込んだままで河西さん親娘を見送っている。河西さんの父親は娘の友達と思ったのか、そんな権藤さんにちょっとした笑顔で会釈をしていたが、権藤さんは、こっちからは後ろ姿で良くは分からないが、会釈を返したようには見えず、顎を上げて睨みつけているような雰囲気を背中から漂わせいる。

 前を歩く河西さんの父親は振り返りながら娘になにかを話し掛けているようだが、河西さんはそんな父親を見もせず、返事をしているようでもなく、あえて父親から離れて歩いているようだ。あれ……あいつ今笑った。それは誰かに笑いかけたというものではなく、一人でニヤっと笑ったという感じだった。見間違いか? でもさっき教室でもアイツ笑った。


 体育館に集められていた生徒が一人、また一人と減っていく。どのクラスの担任も今日の出席簿と、親に連れられて帰っていく生徒名をチェックしていた。近藤先生だけが親に食って掛かられ深く頭を下げたりしながら出席簿にチェックを入れていて、汗だくになり、着ている白いブラウスが透けてブラジャーが浮き出てしまっている。副担任の岡田って名前の中年男性教師は、そんな近藤先生を手伝う事もせずに、チラチラと近藤先生の胸に視線をやっている。なんなんだアイツ? 無性に腹がたった。


 体育館にいる生徒の数が随分と減った。そのせいで心細さが増した生徒同士ーー特に女子たちは互いに手を繋いだり腕を組んだりしながら、言葉少なく立ち尽くしている。そして誰かの親が体育館に入って来る度にハっとしたように入口に目を向け、自分じゃないと分かると落胆の色を隠そうとはしなくなった。それは当初は強がってテンションが上がったふりをしていた男子も大して違いはない。

 俺の家とはきっと連絡がつかないだろうな。母さんは今日はパートだし、父さんはいつものように夜遅くにならなければ帰って来ないだろうし、姉ちゃんは一緒に暮らしてはいない。だから今の時間帯なら家の電話には誰も出ない。それは最初っから分かっていた。そんな事より体育館には佐藤さんもまだいた。迎えに来なければいいいな、佐藤さんのとこも。そうすれば何かを喋ることが出来るかもしれない。こんな異常な事態なんだから話題ならきっと困らないと思う。見ると、近藤先生から少し離れた位置にいる佐藤さん。でも村上さんと腕を組んでいる。村上さんの親って迎えに来ないのかな? 



「3年A組、集まってーー!」


 近藤先生の声だ。近くに行くと出席簿を見ながら生徒の名前を呼び始めた。


「佐藤静香さん」


 はい、という控えめな声が聞こえ振り返ると、俺の直ぐ後ろにいた。間近で目が合った佐藤さんはビックリして目を見開き、赤くなりながらちょっと笑い、そして直ぐに下を向いた。


「今、名前を呼んだ4名は家と連絡がつかないの。みんな携帯電話って今持ってる?……そう…持ってるのね。お父さんかお母さんの携帯に電話して欲しいの。繋がったら先生と代わって」


 俺は、母親は携帯は持っていないし、父親は別の街でまだ仕事中だろうから繋がっても迎えには来れないと伝えた。他の3人の理由は大して興味がないから聞いてなかったが、誰もが迎えに来れないのがハッキリした。


「何時ごろなら家の人、帰ってくる?」


 全員が同じで6時にもなればきっと母親が帰って来るというものだった。今は5時を少し過ぎたくらいだ。腕時計を睨みながら近藤先生が呟いている。


「まだ4月だし6時になれば日が暮れる。暗い中、母親に歩いて迎えに来てもらうのは……ちょっと……」


 そして生徒4人の顔を見渡し、


「いいわ、私が車で送ってく! 職員室から地図もって来るから、ちょっと待ってて」


 近藤先生が駆けだして行った。3年A組で残った4名は、男子が俺と高橋君、そして女子は佐藤さんと村上さんだった。体育館を見渡すと、どの学年のどのクラスも残った生徒数は似たようなもので、担任と副担任が手分けして送って行く段取りをしているようだ。


「うちの副担ってなんなの? さっきだって近藤先生一人で頑張ってんのにアイツだったらさ~、部外者みたいな顔して、だーーだ見てるだけって……今だっていつのまにか居なくなってるし。どこ行っちゃったのさ?」


 村上さんだった。


「アイツって俺らが1年の時に転勤してきて、その時は2年の担任だったろ。知らんかった? だけどその学年が3年に上がる時に担任外されたんだよな。先輩から聞いたんだけど、2年の最初っからメッチャ無責任な奴で、それが親たちにも解っちゃって、何度もPTA会議だかやって担任外されて、副担にもなれなかったはず」


 そう言ったのは高橋君だった。


「えええええ? それが何でウチらの副担に復活してんの?」

「反省したって思われてんじゃねぇの」

「サ・イ・ア・ク……」


 近藤先生が走って戻って来たようで皆が体育館の入り口に目をやった。あれ…? 男? 焦点が合わない。近藤先生の姿がおかしく見える。さっきは男のように見えたり……今は女だ。でも二重にダブって見える。

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